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実物を見せてくれませんか?

A 回答 (15件中1~10件)

#5の者です。



>>人は、自分の心しか見ていない。

>では、社会生命の心を持ちましょう。

どこまでも理解できないんですね。
「あなたが見ているのは脳内の現象である」と言っている
のであって、「自己チュー」の話とは別です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

私は脳障害のため、たまに幻覚を見ます。また、幻の触感もあります。
幻覚で興味深いのは、色が変化する場合がある、ていうことです。
薄い黄色が、連続的に派手なグリーンに変化します。
おそらく脳内での何らかの異常なのでしょう。

お礼日時:2011/02/28 05:20

荘子の思想に、「内なる自己、外なる栄誉、恥辱」という言葉があります。



「栄誉、恥辱」は自分では殆ど制御できないものであり、天命と思った方がよい。
「内なる自己」は心(=自己)であり、本人のみが大方、制御可能です。

そのように考えると、「心」が浮き上がってくると思います。
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 ANo.6です。


 OtamaFJWRさんだって、当然、顔にある目でみることをおっしゃっているのではありませんよね。
 でも、【「心」とは何ですか? 実物を見せてくれませんか? 】というのは、私にはとても答えにくい質問の文言ですね。
 知覚や経験でおきる波風であり、人を行為させたり、動機になったりするものでしょうかね。


 
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心の全体像は見えないように出来ています。

ですが気配は感じる事は出来ます。自分の心が感じている事は、感じさせる者が存在しているからです。

感じさせている者は、『自分の命そのものの働きです』貴方の意識は世界を見ていますが、貴方の『働き』も共に世界を見ています。そうして絶えず貴方の意識に『その情報を、言葉に拠らない情報で送っています』

貴方の場合その情報を悪いもの、或は悪い事として、『感じない効果がある薬』が必要と思っています。その理由は、貴方が世の中を二つにしてみているせいです。

その二つとは『好き嫌い』です。貴方は好きな事は良い事だから受入れる、嫌いな事は嫌だから受け入れたくない、と考えています。

ですが人生には全てが降り掛かってきます。『喜ばしい事も喜ばなく無くなる、嫌な事も厭わなくなった時』私の言う事がわかります。

もう一つの意識は『無意識の中に存在しています』その意識との出会いを『見性』と言っています。貴方がその意識と仲直りする時、貴方の心は『根底から』晴れる事になります。つまり完治です。

心を病む事の完治とは『悟りを開く事』を意味しています。辛い気持ちから『人間はどうして苦しまなければいけないのか』と言う事を洞察してください。どうして自分は苦しまなければならないかが分かる時、全ての謎は解けてきます。

貴方が戦っている相手は『貴方の命の働きです』無意識の中に存在している意識です。意識の根底で『意識が芽生える正にその時』です。意識と無意識が共に生じようとする時です。
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感情なら感じるものであり、見るものではないですね。



邪推している相手を思い切り殴って、その無駄に高い鼻っ柱を折ってやりたい、と思う感情は心がある証拠ではないですか。
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 み~んな、みんな、考える。



 心について考えて、一人一人が語ってる。
 十人いれば十人の、百人いれば百人の、答があってにぎやかだ。

 「『心』とは何ですか?」??
 「実物を見せてくれませんか」???

 たぶん、

 都会では見えないけれど、田舎なら、自然豊かな山間(やまあい)の朝霧に煙るその中に、我らの心はたなびいて、その靄(もや)のような朝霧が“心”のように見えてくる。

 その靄はつかめない。

 ☆掴みたくともつかめない。つかめないのが「心」かも。

 でも、見て(感じて)はいるんだよね。

 ・・・・・自分で。

 
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>心


お釈迦様も言っておられましたよ。猿のように一箇所にはとどまらず、一秒ごとにくるくると変わると。
私もそのとおり、なさけないですが形もなにもなくぐちゃぐちゃむちゃくちゃで、とてもひとさまに見せられたものではありません。あなた様のものは知りませんが、はっきりいって大抵の人がそんなものではないでしょうかね、へへ。
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自分は、自分を見る事ができない。

しかし、自分を知っている。
自分の心は、自分の心を見る事ができない。しかし、自分の心を知っている。

善の行いをする人は、自分が善の行いをしている事が見えない、
しかし、善の行いを知っている。知っているから、詳しく書ける。

悪の行いをする人は、自分が悪の行いをしている事が見えない、
しかし、悪の行いを知っている。知っているから、詳しく書ける。

では、これにあてはまらない事は、どうするのか?

たとえば、自分が、悪の行いをしている事が、見えている場合。
これは、心以外の”目のようなもの”が見ていることになる。

私は、これより先は、解いてはいけない世界として、
”目のようなもの”を、仏性と、呼ぶことに、しています。

私の場合は、仏性とは、目の機能を持った、心を入れておく器(うつわ)
である、と、イメージしています。

これなら、心を入れ替える事が可能になります。
とっても便利で、しかも、季節によって移り変わりを感じることができ、
情緒たっぷりです。

四季の変化を味わえる、情緒豊かな日本らしい理屈をこねてみました。


だから、早めに寝た方がいいと思いましたなぅ。
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あなたは既に見ています。


鏡に映る自分の姿です。
自分の姿は心が生み出したものです。
心とは自分の姿です。

辛いかとは思いますが、一歩ずつ歩んでいきましょう。
人生という道を。
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 魂という意識が体を通して行為し意識し経験し、知覚して、構成している一切もものです。


 魂という意識はある、存在が見ている照射の光です。
 心はOtamaFJWRさんが自分だと錯覚している内容を作り上げているものです。自分だと思っているのが心です。
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