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辞書の説明によりますと、
自動詞「する」の意味を「感じられる」という言葉で説明しておりますが、
『それは無理矢理の説明なのではないか』と「感じられ」ましたので、
此の質問の提出を考えました。

従いまして、伺いますが、
『もし自動詞「する」を更に適切に訳すなら、どの様な言葉が適切なのでしょうか?』

現状の辞書的な意味が最高級の訳し方になっているのなら、
その由来でも構いませんから、御教授を下さいませ。

A 回答 (11件中11~11件)

専門家じゃないけど、


あなたの「感じ」に反証することはできないからなぁ。

たとえばあなたが何かを食べて辛いと感じたことを、
いかにそれが辛くないかとは論じられないわけです。
論じたところで意味がない。

だから「感じました。私のこの感じを論理的に補強してください」
というのは難易度が高いのではないかと。

無理矢理感の理由をもう少し説明した方がいいのではないでしょうか。

気がするの「する」は、確かに多くの場合で
「感じられる」に置換できますよね。
「味がする」は「味が感じられる」に置換できますし、
「気がする」も「気分的にそうだと感じられる」という意味です。

「感じられる」で置換ができない例証を出してみてもらえたりすると、
あなたの「感じ」に回答しやすいんじゃないかな。

この回答への補足

そうですね。仰る通りに、質問の表現方法が拙いと思いました。

そもそも私は次の内容の疑問の解消を望んでおりました。

つまり『「する」なる動詞もが何故に「自動詞」になり得るのか』
ということを伺いたい、と考えていたのですが、
多くの方々に御覧になって頂きやすい表現が、
なかなか浮かんで参りませんでしたので、
敢えてこういうタイトルを採用してみました。

そこで伺わせて下さい。

『目的語を取らない動詞「する」もが存在している由来は
一体何なのでしょうか?』

もし支障が御座いませんでしたら、御教授を宜しく御願い致します。

補足日時:2011/02/25 16:06
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