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No.11ベストアンサー
- 回答日時:
#9です。
今少し、直接的なご質問である「する」に関わる幾つかに触れてみます。
1.為(す)る
古典語では「為(す)」となりますが、これはサ変自動詞であり、またサ変他動詞でもあります。そして「漢語などの名詞に付いてサ変動詞を形成し、また、動詞に係助詞や副助詞が割って入ると、たとえば「書きもせず」「読みはすとも」のように「す」はすべての動詞の中に含まれていると考えてもいいわけで、最も基本的な動詞であるといっていい。種々の動詞が「す」によって代用されうるのも、「す」が動作や作用一般を広く表現する語だからである。」(小学館「古語大辞典」)
2.ある
古典語「有り・在り」はラ変自動詞として存在の概念を表わすが、補助動詞となるや「助動詞や助詞にまとめられている情動性の文節(形容詞に相当する単位)に接続して、その単位の叙述の表現にあずかっている」(同上)
3.いる
古典語「居(を)り」はラ変自動詞として「一定の場所にある状態で存在する」状態性が強いだけに、ひいてはその主語を軽視また卑下する意味も含まれている場合が多い。また古典語「居(ゐ)る」はワ上一自動詞として「立つ」と対義性を保持しつつも、人物に用いた場合には「そこにある、おる」として存在動詞性を潜在させ得る。
一方、古典語「入(い)る」はラ四段自動詞として「外部から内部に移る」の意から、心が集中し籠もる意味もあり、ひいては「「行く」「来(く)」「居(ゐ)る」の敬意を導く。
井上ひさしは「私家版 日本語文法」(新潮文庫)において「受身上手はいつからなのか」の項において日本語動詞は二つに分けられるとして「第一のグループは<ある>で代表されるもの。原則としてこの<あるグループ>は主体が非情物のときに用いられ、受身は作られにくい。第二のグループは<いる>で代表されるもの。この<いるグループ>は主体が有情物のときに出てくる動詞で、受身が作られやすい」と指摘しています。
>『中国的な「気」と日本的な「気」との違いは、「謙譲」の精神に起因している』という「気がし」ているのですが、
謙譲というか、広く敬譲に関わる表現は、「する」「ある」「いる」という基本動詞に関わっていると思われますが、その形は助動詞「る・らる」の原型としての大野晋の自発としての「生(あ)る」説もあれば、この井上ひさしの有情物に関わる<いるグループ>の受身機能性に関わっているとの見方もあります。またその延長として、受身が<あるグループ>においては「明治期に西欧語の影響によって日本語にもたらされた」「あの悪名高い「自然可能な受身」になっている」との見方もあります。
その結果、「気(き)」とは異なる、古来日本では「気(け)」という要素が見落とされているという森本哲郎説程度しか、思い至りませんが、辞典には次のような記述があります。
「夕占(ゆふけ)にしかみられない「け」(乙類)や、食物の意の「け」(乙類)と、ものから発する精気や勢いの意とは同源であることも考えられ、たまたま同音類義の漢語「気」が習合して、中古以降の盛行をみたものとも考えられる」(同上)
古代日本特有の「気(け)」とは、無意識に発する精気であるとともに、心の意の「うら」の転移としての占 (うら)であり、なにより生エネルギーの源としての「食べ物」なのだという視点は何とも示唆に富んでいるのではないでしょうか。
この回答への補足
有り難う御座います。
複雑ですね。言葉に迷いまして、返事が酷く遅延しました。
でも「不完全性定理」の仕組みから類推されます通りに、
追加で御伺いするのが申し訳無く思われますので、
纏めの質問をさせて下さい。
『共同体の集団意識が発動する際に、
特定の動作主を絞り込めませんので、
仮に「気」を動作主と見做す方式で「する行為」を表現した』
という認識は誤っていますでしょうか?
No.10
- 回答日時:
No.2です。
お礼の中にあった「根拠が明らかにされないと分かり難い言葉」の増加についてですが、増加はないと考えます。これまであった言葉の中にもこのような言葉はあったはずですが、それらはもうすでにあったものであり、増加はないでしょう。そりゃああと百年も経てば、言葉の成立の事情もさらにわかりにくくなってはいるでしょうが。
外来語については、根拠もなにもあったもんではないと思いますし。
ひろく意見を求めるには、別にご質問なさった方がよろしいかと。
No.9
- 回答日時:
森本哲郎はその著「日本語 表と裏」(新潮文庫)において、「気のせい」の項を立てた中で、「「気」の哲学は中国で、「け」の現象学は日本で成立したということであろうか」と"喝破"しています。
8頁足らずの小編ですから読んでいただくに越したことはないのですが、以下に大雑把に触れてみます。
・日本語で千を越す表現や単語となっている最多頻度の語が「気」であり、「日本人はすべてを「気のせい」にしている」。
・広辞苑における五つの語義の第一定義は「天地間を満たすと考えられるもの、またその動き」とある。
・「気」の文字(概念)は中国生まれ。
易ニ太極アリ。コレ両儀を生ズ。「易経」
道ハ一ヲ生ズ。一ハ二ヲ生ジ、二ハ三ヲ生ジ、三ハ万物ヲ生ズ。万物ハ陰ヲ負ウテ陽をヲ抱ク。「老子」
・「やまと言葉の「け」とは、立ちのぼるもの、ゆらゆら漂うもの、異常なものの意味ももち、それにとりつかれたならばえらい目にあう「もののけ」というイメージにもなったのである」。
・赤塚行雄の「<気>は<心>の周囲から出ている目に見えない触手、あるいは波長のようなもの」(「気の構造」講談社新書)を敷衍させて、「フロイトの発見した広大な「無意識」のエネルギーに近い」として「気(き)」は「虫」にも通じているが、その無意識の層から「湯気」のようにたちのぼり、人間を包んで「たちこめる」ものだと。
・そして「気(け)」とは、岩波古語辞典を引用し「霧・煙・香・炎・かげろうなど、手には取れないが、立ちのぼり、ゆらぐので、その存在が見え、また感じられるもの」の謂いとして「日本的風土に染め上げた」のだと結論付けている。
このように「やまと言葉」(上代語)では、自動詞という以前の、もっと原初的な自発・自生の動きをその表現のベースにしているという視点を免れない側面があります。その辺を少し見てみます。
1.ある
1)生(あ)る、現(あ)る…自動詞ラ下二
国語学者でも、例えば「る・らる」の「受身・可能・自発・尊敬」の「四つの意味はすべて「自然の成り行きでそうなる」という「自発」の意味が根本である」として、「このように日本人の意識と深い関係にある「る・らる」の語源はなにか」進め、「生(あ)る」こそは、(1)活用が「る」と一致し、(2)「語頭の「ア」は例えば、泣キアル→泣カル nakiaru→nakaru となって動詞の末尾と融合して消えてしまうこと、また(3)「生(あ)る→自然に発生するという意味の上からいっても、可能性が少なくない」と語っています。(大野晋「日本語の文法(古典編)」角川書店)
2)有(あ)り、在(あ)り…自動詞ラ変
同じ自動詞でも「ある」に対して「あり」とラ変活用になると、その「存在」性が強められていく。
2.なる
1)生(な)る、成(な)る、為(な)る…自動詞ラ四
2)生(な)り、成(な)り、為(な)り→形・態…名詞
3.なす
生(な)す、成(な)す、為(な)す…他動詞サ四
仮にこのようなステップを前提とすれば、「気が生(あ)る」(自生・自発)→「気に為(な)る」(自動)→「気と成(な)る」(名詞)→周囲に「気がある」(他動)→それを対象化して「気にする」「気になる」→その結果改めて自覚が生まれ、そこで「気がする」というべき心的現象へと至る…これではステップが多すぎるような気が…気のせいでしょうか。
この回答への補足
有り難う御座います。
末尾で仰っている通りに、
私もが学術的な仮説の論旨への違和感を拭い切れず、
「気のせい」に起因する誤解もが多いのではないか、
と考えております。
(勿論、此の回答は素晴らしい内容だと思われますから、
伺えて深く感謝しております。)
そもそも「視覚的に第3人称を認識」する術を欠いた時代の御先祖様達の自然観を、「神話」等の形式でしか学ばせて貰えない故に、
視覚中心の西洋近代科学に頼っている我々が、
西洋語の強引な翻訳の為に歪められ過ぎた言語的手段を悪足搔きで駆使したところで、
『「主客二元論」と違う方式の認識手段の存在』さえをも理解出来ずに留まらざるを得ないのかも知れませんが、
「鍼灸医療」等の技術もが其処に関わってくる事情を鑑みますと、
安易に見逃せない、との「気がし」ましたので、
其の道標を求めまして、此の質問を提出させて頂きました。
従いまして、追加で質問をさせて下さい。
そこで唐突乍ら伺います。
『中国的な「気」と日本的な「気」との違いは、
「謙譲」の精神に起因している』
という「気がし」ているのですが、
「気のせい」に起因する誤解なのでしょうか?
(敢えて此の様に滑稽な表現を選びました。)
此処で締め括りに「なる」展開を、私は非常に勿体無く思いますので、
折角の機会で御座いますから、御教授を賜れませんでしょうか?
No.8
- 回答日時:
#6です。
質問者さんが興味ある視点を提供してくれたので、いろいろ教わる機会があって、感謝しています。ですから、#7さんに再び反応することを大目に見て下さい。>さて、私個人といたしましては、コトバの時系列jは、定理やプログラミングのそれほど厳密なものではないかもしれないと愚考しております。
つまり、今回俎上に載っている類のコトバは、定義があってはじめて展開するものではなく、展開しつくしたものにラベルが付くようなものではないかと思います。つまり、時系列的には奇妙に見えるコトバであっても、「気にしなくていいよ、こっちはまったく気にしていないし、次にがんばろうよ」というのを、「気に病むな」というより「ドンマイ(don't mind)」であらわしたほうが気楽に聞こえるのと同じように、また、心理学の領域で、senseで表せない心の機微を「kansei」とするように、実は、それまでに浸透していた概念が新しい用語で表されることによって、より「しっくり」した表現となったため、人々の間に流布していったものではないかと思います。
同意致します。人の使う言葉には数学やプログラミングで使われる言語では律し切れない深みや奥行きがある。だから、いつまで経っても記号論理学で文章を書くことが出来ないし、会話をすることも出来ないようですね。ただし、数学屋さんの書いた物を読むと、そんな異様な書き方を試みているようで、全くチンプンカンプンです。
>実は、それまでに浸透していた概念が新しい用語で表されることによって、より「しっくり」した表現となったため、人々の間に流布していったものではないかと思います。
に関してですが、日本民俗学者の巨頭柳田國男が言葉に関して次のような分析をしておりました。以下の文章は柳田の言っていることの私なりの意訳です。
「どうも、言葉は摩滅するものらしい。そして、その言葉が人々に使われる回数は大体決まっているのかもしれない。どんな斬新な言葉でも、それを人々が使って行くと摩滅して来て、皆に飽きられて来る。そして、ある回数使われると、何か他の言葉で同じことを表そうとして来たようだ。そんなときに誰かが新しい言葉を使い出すと、たとえ表している内容が同じでも、皆はそちらに飛びついて、その言葉を使うようになるのだろう。」
そのことを、#7さんは、「より『しっくり』した表現」と感じていると言っているのかもしれませんね。そして、そのことが原因で今では、ドンマイとかマニフェストとかアジェンダとかインセンティブとか漢字や日本語で書けば一発で意味の解る筈の言葉を、わざわざ訳の解らないカタカナ語にして皆が使いたがる理由かも知れませんね。でも、柳田に言わせると、このカタカナ語もそのうちに摩滅して来て、皆に飽きられてしまい、他にもっと「しっくり」した言葉を探して来ることになるのでしょう。
この回答への補足
追加の送信を下さり、嬉しく思います。
返事が酷く遅延し、申し訳(が)御座いませんでした。
自分が提出した質問への貴重な回答で御座いますので、
安易な返事を御送りする判断が望ましくない、と考えまして、
此の時刻に「なり」ました。
それぞれの方々の御意見をよく分析なさっていますね。
他の方々の御意見を御覧にならずに、
何故か「我田引水」に拘られる方もがいらっしゃいますが、
『御互いの学習の為には、他の方々の御意見の参照は重要だろう』
という「気が(私にも)し」ています。
従いまして、更に伺いたいことが残っているのですが、
奇妙な論旨に陥っていないかが「気にな」りまして、
なかなか入力が捗っておりませんから、
私の返事で重複している箇所の盛り込みを省かせて頂きたい、と思います。
因みに、私の主眼は此処に留まっておりませんでして、
先に9番の方の「補足入力」欄へ入力させて頂きました通りに、
『「透視遠近図法的な視線」を欠いた御先祖様達の自然掌握手段(天人合一)を知る(悟った「気になる」)こと』を目指しております。
そこで追加の質問をさせて頂きたいものですから、
唐突乍ら伺わせて下さい。
『「気がする」という発想は、
日本古来の芸道の「残心」と深く関わっている』
という「気が(私には)する」のですが、
誤っていると思われますでしょうか?
御教授を宜しく願い申し上げます。
尚、私見によりますと、
『日本的な発想は、OSI基本参照モデルにも似ている』
という「気がし」ています。
No.7
- 回答日時:
#3、caryo_tです。
okwaveは、とんでもない方が、密かにアドバイスをされているという可能性を秘めた、非常に稀有なコミュニティですね。
#6、cyototuさんの、外来語と大和言葉のお話、大変勉強になりました。そこまで深い知見があったわけではないという告白は、かえって申し訳ないぐらいです。
以降は、個人的なコメントであり、ご質問の内容とは離れてしまいますことをお許しください。
さて、私個人といたしましては、コトバの時系列jは、定理やプログラミングのそれほど厳密なものではないかもしれないと愚考しております。
つまり、今回俎上に載っている類のコトバは、定義があってはじめて展開するものではなく、展開しつくしたものにラベルが付くようなものではないかと思います。つまり、時系列的には奇妙に見えるコトバであっても、「気にしなくていいよ、こっちはまったく気にしていないし、次にがんばろうよ」というのを、「気に病むな」というより「ドンマイ(don't mind)」であらわしたほうが気楽に聞こえるのと同じように、また、心理学の領域で、senseで表せない心の機微を「kansei」とするように、実は、それまでに浸透していた概念が新しい用語で表されることによって、より「しっくり」した表現となったため、人々の間に流布していったものではないかと思います。
する。為る。爲。
いずれも、動かないものを動かし、動いているものを更に動かすacceleratorではないでしょうか(外来語になりましたが、機械的かつ自動的に物事を推進する語として私の感覚にピッタリと当てはまるのは「accelerator」でした。これも、感覚にコトバが追いついた例ですね)。
もちろん、これは私の雑感でして、なんの根拠もございません。
ただ、すばらしいご意見と、思考の機会をくださいました皆様に感謝しております。
この回答への補足
追加の質問を致したかったので、
返事が遅延して申し訳が御座いませんでした。
折角の機会ですから、伺わせて下さい。
『文字が発明される前の頃の認識が継承され得なかった筈は無いでしょうが、どんな手段が有り得たのでしょうか?』
是非とも御意見を下さいませ。
No.6
- 回答日時:
#3の回答は大変説得力があり、勉強になりました。
しかし、だからこそ気に「為った」ことを述べさせて頂きます。>この言葉は、「為る」とも書きます。「為」を訓読みすると、「なす」。ですから「す・る」は、何かを起こすという動詞の一部が、ニュアンスだけ独立したものだと考えるはいかがでしょうか。
この部分は、本末転倒のような気が爲ます。なぜなら「爲」は外来語ですが、「なる、する」は大和言葉、すなわち中国に接するようになる前からある日本語だからです。それを、上のように説明されてしまうと、日本人は中国から教わった結果その言葉を知り、その言葉に対する感覚が出来上がったのだと主張していることに、論理的にはなってしまいます。だから、論理的な順序が転倒しているという「気がする」のです。
勿論、回答者さんもそのつもりではなく、単にこのように見てみると、日本人が「なる、する」をどのように捉えていたかが、それを中国この「爲」に対応させたことからも見えて来ませんか、だから、参考になりませんか、と言いたいのでしょう。
何故こんな細かいことを挙げつらうかと言うと、#3の回答が説得力があるからです。折角そこまで説得力があるのだったら、論理的にも出来る限り筋の通った表現をした方が、より緊張感のある美しい説明になるのではないかと言う「気がした」からです。
そうする方法は言葉をほんの少し変えるだけで可能です。例えば、
この大和言葉は、漢語では「為る」とも書きます。すなわち、「為」を訓読みすると、「なす」。ですから「なる」は日本人にとっては、「する」と言う意味も含んでおり、何かを起こすという動詞の一部を表す漢語「為」に対応させても良いと考えたことになります。そのニュアンスだけが独立したものだと考えるのはいかがでしょうか。
とすれば、言葉の変遷の時系列に矛盾しない論理的な表現になっている「気がします」。
余談ですが、私は理科系ですので論理的な整合性が「気になり」、文章の添削ではいつもこんな所で苦労しながら文章を書いています。だから、理科系の訓練を受けた方は国語の先生に向いているのではないかという、阿呆な自論を持っています。
No.5
- 回答日時:
するは辞書には自動詞、他働詞、二つの使い方が出ています。
自動詞
1あるものにならせる
この子は大きくなったら医者にする。
美しい人を彼女にする。
2起こる。感じられる。
頭痛がする。花の匂いがする。雨の降る音がする。
3、価する、値段がかかる
この辞書は五千円する。ここは坪単価OO万円する。
4、状況状態
頭がすっきりとする。年寄りに優しくする。夏が終わろうとする。
他動詞~をなすの意味
仕事をする。役員をする。
現在サ変自動詞として使われている漢語二字熟語名詞+する
は名詞2字熟語+を+するにすれば動詞するは他動詞になる
案内する。運転する。結婚する。修理する。食事する。心配する。電話する。説明する。掃除する
和語名詞+する
引っ越しする。買い物する
するは多様な役割を果たすので一言では言えません。
なるが成ると為るの意味があり多様な使われ方をするのと同じです。
するを行うの意味だけで取り上げ英語に訳しても
do,make carry out perform practice
conduct,hold まだあります。
日本語はするがあるおかげで助かっています。
この回答への補足
有り難い説明を賜っているのだろうとも思われますが、
そもそも其の多義化の根拠を知りたくて当質問を提出させて頂いておりますので、起源への言及を御願い致します。
No.4
- 回答日時:
するは辞書には自動詞、他働し、二つの使い方が出ています。
自動詞
1あるものにならせる
この子は大きくなったら医者にする。
美しい人を彼女にする。
2起こる。感じられる。
頭痛がする。花の匂いがする。雨の降る音がする。
3、価する、値段がかかる
この辞書は五千円する。ここは坪単価OO万円する。
4、状況状態
頭がすっきりとする。年寄りに優しくする。夏が終わろうとする。
他動詞^をなすの意味
仕事をする。役員をする。
現在サ変自動詞として使われている漢語二字熟語名詞+する
は名詞2字熟語+を+するにすれば動詞するは他動詞になる
案内する。運転する。結婚する。修理する。食事する。心配する。電話する。説明する。掃除する
和語名詞+する
引っ越しする。買い物する
するは多様な役割を果たすので一言では言えません。
なるが成ると為るの意味があり多様な使われ方をするのと同じです。
するを行うの意味だけで取り上げ絵英語に訳しても
do,make carry out perform practice
conduct,hold まだあります。
日本語はするがあるおかげで助かっています。
この回答への補足
有り難う御座います。
確かに仰る通りで、
英語の”do”が疑問の助動詞にもなり得るのと同じく、
「する」なる語にも複数の意味もが含まれていますが、
『此処では「気がする」という表現から着実に抑えてみるべきだろう』
という「感じがし」ましたので、話題を絞り込んでおります。
後で「お礼入力」欄へも追記を致しますから、
御待ちになって頂きたいです。
No.3
- 回答日時:
とても面白いご質問だと思いました。
する。
この言葉は、「為る」とも書きます。「為」を訓読みすると、「なす」。ですから「す・る」は、何かを起こすという動詞の一部が、ニュアンスだけ独立したものだと考えるはいかがでしょうか。
「気がする」であれば、「気」というコトバに、「が」という格助詞、「する」というコトバがついているという構成でしょうか。
動詞であって目的語が無いというのは、対象が自分自身、つまり自問自答というか内言というか、とにかく外に出ないからではないでしょうか。ちなみに、「気」は、この場合、名詞ではなく、「感じ取る」という動詞であるように思います。「気のせい」というのが、「感じ取っているためだ」という意味であることからも、わかっていただける「気」がします。
そこで思い出されるのが、英語のbe動詞です。beは、isやareとなりますが、その意味は、そこにある、いる、という「存在」を表すものでして、日本人には少しわかりにくい単語です。たとえば、クラーク博士の有名な台詞「boys be ambitious」は、「少年よ大志を抱け」と訳されますが、本来の意味は「少年は大志(野心)の存在であれ」ということになるのでしょう。
これと同じように、「する」は、自動詞そのものをあらわすのではないでしょうか。「気がする」であれば、感じ取るということを動詞で更に補強したかたち。「気」という自分に向けた動詞に、「する」という、これまた自動詞そのものがくっつくことによって、「まったく自分自身にしか当てはまらないが、どうしようもなくそう感じ取れてしまう」という意味になるのではないかと思います。
ですから、「する」に対する摘訳は、ニュアンスだけならば「しちゃう」でしょうか。自動詞の、目的もなく迸る感じが出ている気がします。
以上、まったく回答になっていませんが、雑感まで述べさせていただきました。
ややこしい質問への御付き合いを下さり、有り難う御座います。
現時点で既に訳語が規定されている段階で、無駄な悪足搔きを試みるのは馬鹿げているのかも知れないのですが、
『此処から「東洋思想」への理解が深まる可能性もが有り得るだろう』
と思われましたので、此の質問を提出させて頂きました。
そもそも周知の通りに、日本社会では視覚中心の主客二元論が発達されておりませんので、
『「気がする」という言葉が一体何の認識を意味しているのか?』
という部分の疑問の解消が、
「鍼灸理論」と「西洋近代医学」との融合の為の示唆を与えてくれ得るだろう、と期待しております。
従いまして、「自問自答」と仰っている点を踏まえまして伺います。
『日本古来からの「無心」へも「自問自答」の考え方が当て嵌まる』
という「感じがし」たのですが、
その印象が妥当だと思われますでしょうか?
主観でも構いませんから、御意見を下さいませ。
No.2
- 回答日時:
作動している、とか作用している、ならどうでしょう。
有り難う座います。
訳し方の点では、同意見を持っておりますから、
賛成票を賜れた「気がし」て、嬉しいです。
皮肉めいた表現では、「感じがする」という言い方もが存在していますが、
其の「する」をも「感じられる」と訳しますと、
『感じが感じられる』という自家撞着に陥りますので、
『此処へ質問をお出しすれば、
何らかの興味深い御意見を賜れるだろう』
という「気がし」ましたから、協力的で助かります。
折角の機会ですから、伺わせて下さい。
『辞書の作成に携わられた方々の思索の成果が盛り込まれているとは申しましても、根拠が明らかにされないと分かり難い言葉は、文法の破格と並んで今後にも増えていく』
と思われますでしょうか?
主観的な御意見でも構いませんから、宜しく御願い致します。
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