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『安定した状態を保てないかもしれない物は生命と呼べますか?』

生命ってどこから生命になるんでしょうか?
私の数少ない知識では、

・自己複製を行える
・自己システムを修復/存続できる(エントロピーの法則に抗える)

ぐらしか知りませんでした。しかし、最近になってルートnの法則と言うのを聞きました。
簡単に言えば、少数の物質で成り立っている場合はランダムな作用が発現しやすいとの事。

ここで出た疑問なのですが、『自分の目的に反し、たまにランダムな動作をしてしまう生命』
というのは生命に当りますか?
少なくとも、生命として生存が困難である事ぐらいは分かります。
ただ、生命としての定義内に入れてよい物かが分からなかったのです。


生命をシステムとして考えた場合、
そのシステムを構成する粒子の総数をn個とすれば、ルートn個は平均から外れたふるまいをする。
システムはその粒子自体を統計的に確認した場合の平均が顕在化していると考えれば、
総数nが非常に大きい場合でなければ、そのシステムが安定した存在と言えない。

つまり、『安定した状態を保てなければ生命と呼べないのか』ということです。
たとえば、自分では自己複製を行って存続し続けたいと考えているが、
気が付けば違うこと(たとえば自傷)などをおこなってしまう物は、生命ですか?

私は、そういった状態が生命かどうかの境目にあるのではと考えています。
どちらがただしいのでしょうか?

A 回答 (3件)

>たとえば、自分では自己複製を行って存続し続けたいと考えているが、


気が付けば違うこと(たとえば自傷)などをおこなってしまう物は、生命ですか?

たとえば、エイズウイルスは宿主を殺してしまうことがあるので、自傷行為をすることがあるといえますが、これはウイルスなので、いわゆる半生物です。

>生物が無生物から区別される特徴としては現在の自然科学では、生物は、自己増殖能力、エネルギー変換能力、恒常性(ホメオスタシス)維持能力、自己と外界との明確な隔離という特徴をもって定義しているが、この区分は例えば、ウイルスやウィスロイドのような、明らかに生物との関連性があるがこれらの特徴をすべて満たさない存在までを区分することが出来ず、このように生物と無生物を完全に区分することは困難である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9

困難とはかいてありますが、簡単です。生物かそれに寄生する半生物(ウイルス)が(ほぼ)すべてということ。

>『安定した状態を保てなければ生命と呼べないのか』
がんで余命間もないヒトはもちろん生命を持っているので、答えはノーです。『自分の目的に反し、たまにランダムな動作をしてしまう生命』というのは、すべての生命に起き得ることです。
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この回答へのお礼

>『自分の目的に反し、たまにランダムな動作をしてしまう生命』というのは、すべての生命に起き得ることです。
そういう事例を探してみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/13 23:39

大好きな話題なだけに知識は乏しいですが回答させて下さい。




質問には命題が二段階があります。

(1)生命の定義。

(2)システムの安定。

残念ながら、どちらもあいまいな書かれ方をされています。質問者の具体的な意見を聞きたいです。
というのも具体性がないのが悩みや混乱の原因だからです。


(1)の定義に関しては、私もそれしか思い浮かびませんので、賛成します。問題は、生命の定義に、(2)を加えるか?です。加えなければいい、それで済む話だと思います。以上です、これでは身も蓋もないです。科学は反証可能でなければなりませんからね。


(1)についてですが、生命の議論は、物理や数学と違って、現物のある話ですから、質問者さんは、何が生命なのか、固有名詞を挙げるべきです。具体例が挙がることが問題の解決だと思います。
生物学は具体性が大事です。たとえば、生命とはDNAであると明言すれば、問題がはっきりして議論も成長します。具体例の定義の方が、無責任な概念的定義よりも、誠実な知的活動ではないでしょうか。この定義の場合、ヒトは生命ではないという結論になります。このことの方が、(2)のシステムの安定よりショッキングな論理展開だと思います。

ルートNにまつわる話はどこで聞かれたものなのでしょうか。福岡先生の著書生物と無生物のあいだでも触れられている話題のようですが、発売当初、店頭で読み切った私にはその記憶がありません。こういうタイプの先生が言論界に出現することはかねてより私の望んでいたことなのですが、生物学的な議論を呼んでいないので、ブランド志向というか、目新しいスタイルを提供しただけに感じています。だからどうなんだ、と言いたくなります。


(2)については具体性を高めれば整理されると思います。
複雑科学というジャンルが生物学を物色し始めてからもう結構な年月になります。複雑科学は、分子生物学の領域ですね。
話題にされているルートNの法則はどうのような内容だったのでしょうか。だから何だと言う話だったのでしょうか。それがわからないと議論するが難しいと思います。


生物学と天文学のセンスとして重要な考え方は、存在している物は、生き残った物だとする認識方法です。ダーウィンの進化論はその本家ですね。

粒子の数で議論されていますが、生物学では素粒子を扱わないので、その粒が、何を指しているかをはっきりさせないと議論になりません。複雑科学系では、RNA分子などです。

ランダムな動きという用語も生物学にどう反映されるのかが分かりません。ブラウン運動のブラウンは生物者で、その理屈を説明したのは有名な物理学者ですが、事の起こりである物質は花粉の内容物です。それが水中で動くのは何故かという物語です。水の分子が存在して、その分子運動の影響で、花粉の内容物がランダムに動いているのです。熱力学などでいう分子運動の話です。
ただし生物学者のブラウンは、花粉の中にある生命の源が、花粉の内容物を動かしていると考えたようです。江戸時代は天保年間になる少し前の出来事です。

統計力学的な理論を生物学にあてはめるのはどうなんでしょうか。結局、ランダムなのは生命の源ではなく、常温の水分子が存在するという今では当たり前の原子論の話なのです。水分子が生命でしょうか。もし詩人のように、生命とは水である、と水の研究者が言えば、その文をファッショナブルに感じる人が多いのですが、そういうのはインチキ坊主と同じレベルの非科学的な科学話です。

私が最初に、定義に加えるべきではないと言ったのは、坊主の説教に限らず、そういう疑わしい拡張行為が科学に参加させるのは遠慮した方いいからです。
科学者は科学的にまともでない人が相当いますよ。


(2)の話は、数が増えると安定するという理屈でしょうから細胞数にあてはめられたのかもしれません。しかし統計学力学的な論理を細胞にあてはめるのは、次元の違う間違いだと思います。せめて何かの分子レベルにしなければなりません。こういう拡張は、坊主のする科学話と同レベルです。もし細胞ではなく細胞膜を対象にするのならば、つまりはリン脂質ならば、リン脂質という多元分子が、自然に、自己組織化して細胞膜の構造を形成するとことが物理的に説明できます。しかしこれから、リン脂質が生命かという議論へ移るのは筋違いなのでは。生物学が雑学的に傾いていると思います。

単細胞であれ、多細胞であれ、生き残ったものが生命です。それらは最適が不適かという二元論ではなく、私のように、死ななければ命として現存しています。生物は、生体分子も、細胞も、個体も、バラついています。統計的な知見は、生物を構成する要素の生死における、原因や理由にはならないのです。

質問者さんの説をもっと知りたくもあります。

この回答への補足

>何が生命なのか、固有名詞を挙げるべきです
哺乳類とは何か?という質問に対し、全ての哺乳類を挙げていくのはナンセンスです。
また、代表で1種だけ挙げて説明するのもナンセンスです。


>質問者の具体的な意見を聞きたいです。
(1)生命の定義。
・自己複製を行える
・自己システムを修復/存続できる(エントロピーの法則に抗える)

(2)システムの安定。
システムが目的の機能を果たせるかどうか
(ここでいう最小のシステムは自己複製のみを行うシステムを指す)

>(2)の話は、数が増えると安定するという理屈でしょうから細胞数にあてはめられたのかもしれません。
細胞ではなく、システムです。
あえて言うならDNAでもかまいません。(不本意ですが・・・)

>単細胞であれ、多細胞であれ、生き残ったものが生命です。それらは最適が不適かという二元論ではなく、私のように、死ななければ命として現存しています。
まさに、それが私の質問です。
生き残りさえすれば生命。そういう考えて良いなら私の質問の答えは
「生物である」という事なのでしょうね。

ありがとうございました。

補足日時:2011/03/13 23:37
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「ミームは生命か?」という課題を調べてみて下さい。

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