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日常生活でしんどいと感じてる、自分のこの症状は一体何なのか?と思い、
ネットでこつこつと調べてみたところ、自分は「社会不安症」「視線恐怖症」に当てはまるのではないだろうか?と思うのですが、もしそうならどうすればいいのでしょうか。

会話をする時、話の内容より視線をどうしよう。と思ってしまいます。
視線を合わせたくないけど、それを相手にバレないようにしなきゃと思い、
意識的に視線を合わせた結果、少し強めの視線になってしまっている気がします。
(こう書いてるだけで、どれだけ意識しちゃってるんだ・・明らかに変な状態だと思います)

視線を真正面から合わすと、心の奥底の知られたくない部分まで、見透かされてしまうのではないか?と思い、合わせるのが怖い気がします。

道行く人の視線が気になって、休日に出るのも億劫になりがち。
(平日の仕事は、毎日電車に乗って行っています。これはもう、自動的に身体が勝手に行く感じ。でも視線は同じく気になっています。)

もともとは、おおらかで何も悩み無さそうだよなと言われてたタイプなのに、
何だかだんだん内にひきこもった感じになっていってしまってるような・・。

病気なら治療したいのですが、病院に行くのはむちゃくちゃ勇気がいりそうです・・

A 回答 (3件)

神経症と思われますが、医者に診てもらった方が良いと思います。



また、森田療法もお勧めします。
森田療法に関しましては、自助グループもありますのでそちらに参加してみるのも良いかもしれません。
本も出てますので、そちらを読んでみては如何でしょう。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

ネットとはいえ、初めてずっと気になってた事を書いただけでも、何だか少し気持ちが楽になったような気がします。
そうですよね、病院に行って診断してもらわなきゃ・・と思うのですが、この誰にも言った事のない症状を口頭で言うのってなかなか勇気がいりそうです。

森田療法、さっそく調べてみようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/03/27 11:24

社会不安症や視線恐怖症は昔は、神経症に分類されていました。

今は神経症と云う言葉は使わなくなっているようですが、昔の神経症と云う言葉で説明したいと思います。

神経症は症状として現われる事は、千差万別ですが、その根本は同じです。それは『意識する事』が原因で全ての症状が発症しています。従って、その解消は『意識し無くなった時が治った時です』

意識しないように勤める事が、返って『意識地獄を招いている事実』があります。

神経症の根本には、その人の世の中の認識の仕方、或は生きる態度にあります。嫌な事を極度に嫌うと云う世の中の見方です。その見方の変更が出来た時点で、神経症は治ります。

神経症が治らないと云う事を先に書いて、後で治ると云う事を書いてみます。

神経症が治らない場合は、その方法が間違っています。症状を嫌っていて、その症状を『心から追い出そう』と云う自分の心の働きが、『症状を生み出して固定させています』この根本が判らない場合には、かなり治り難いかも知れません。

神経症を治す事は『心の矛盾』を解消すると云う意味があります。『心のジレンマの解消』と云う意味ですが、この事が分かる時、症状は消えてゆきます。

では治ると云う事を説明してみます。治る時には、『症状』を忘れる機会が増えてゆきます。そうして症状らしきものが出たとしても苦にならなくなっています。苦にならなくなって、気にならない事から、『意識には上がって来なくなります。』

症状が気にならなくなって、症状をすっかり忘れ果てる事を、『治った』と言います。

では治るための方法論を書いてみます。それは『症状』と云うものとの付き合い方から始まります。森田療法では『不問』と云う方法を取っています。その内容は『症状の事を口にしない』と云う事です。

そうして、症状がきつく出た場合にも、落ち込み過ぎない事。症状が無くなった時には喜び過ぎない事です。

今云った二つの事を忠実に守ってゆくだけで、神経症は治ってゆきます。

では治った姿を書いておきます。症状らしきものは『心の中を注意深く探ったなら、確かにあります』ですが気にならなくなっています。気にならなくなっている事によって、常に忘れています。

そうして症状としていたものの正体が分かります。自分が『感じたくないと思っていた事柄が』症状だった事です。

例えば吃音を例に挙げますが、人前でどもったりしてはいけないと云う意識が、どもる事に繋がっていた事が判ると云う意味です。治った後は、どもっても仕方が無いと思っています。吃音を受入れた時に、吃音からはなれていることを意味しています。

吃音を『追い出そうとせずに、受け入れた時』吃音が、解消すると云う意味です。手放した時に手に入ると云う意味ですです。或は、地獄に入りたく無い一心から『頭の中で地獄を、自分で作っていた』と云う意味です。

言葉を変えると『天国(貴方なら不安が無い状態)を求める余り、自分の頭の中で地獄を作っていた事』を意味します。

意識する事で返って、欲しいものが手に出来なくなった状態が出来上がっていたことを意味します。

意識しなくなる状態とは、症状を受け入れる事を意味します。その方法が『症状を不問とする事』と『症状があろうが無かろうが』やって行く事を優先にして生きてると云う意味です。

そうして、症状(雑念)があろうが無かろうが、やるべき事が最優先出来るようになった時、その雑念は在ったとしても、もう意識には上がっていないと云う意味です。

要するに『湧き上がる感情には、左右されない人間』に成長した姿が、神経症が完治した姿です。
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この回答へのお礼

丁寧に回答頂いて、本当にありがとうございました。
自分一人で治すのは、なんだか難しいような気がしてきました。とにかく1度病院で診察してもらおうかと思います。
正直なところ、周囲の人にに気付かれるのだけはいやなので、どこで診察してもらうか今度はそれを調べていこうかと思います。
長い道のりになりそうです。

お礼日時:2011/03/28 11:48

視線に関しての私の方法を紹介しますね。



・会話中
相手の鼻のあたりを見て会話をする。
慣れたら目を見て話して時々目をそらしながら話す。

・歩くとき
数メートル先の地面を見ながら歩く、もしくは建物を見ながら歩く。

・電車
吊革につかまっているときは外の景色を見ています。
座っている時には携帯電話や本を読んだりしています。


後は、視線以外の考え事をしているとリラックスできると思います。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。
具体的な対処法をいろいろ教えて頂いてありがとうございます。
似たような事を何度かした事があるのですが、タイミングというか、どうしても視線を気にする度合いが強過ぎて、私の場合いまいちうまく出来てない事が多いようです。

視線以外の事を考える、というのが一番いいような気がするけれど、これが一番むずかしそうです。少しずつ頑張ってみようと思います。

お礼日時:2011/03/27 16:07

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