中国語で悪いは「坏」?「差」?使い方を教えて!

テキストを見ていると、どっちも出てきます…。

「坏」の方が多い気はしますが、
入れ替えは可能なのか、ダメなのか。

駄目だとすると、どういうときに使うのかなど、教えてください。

いつもご回答いただいている方、多謝です。
よろしくお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (2件)

No.1 さんのおっしゃる通りで、「坏」は「悪い」に対して、「差」は「劣る」です。



善悪、良品・粗悪品などなどの「よいもの」の反対側にあることを表現するのが「坏」です。

一方、良い悪いも含みますが、良い・良くないの物差しの上で、あるものに対して、良くない側、不足する側にあるのが「劣る」=「差」ですね。

悪人、悪事は、何かが劣っていることを言っているのではなく、絶対的に悪いか、悪という概念の中に入っていると思われているので、「坏人」など「坏」です。

成績や熟練度などが、何かの基準や他人との比較で劣っているときに、「差」ということになります。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

分かりやすい解説ありがとうございます。No.1の方の例文とあわせて、よく理解できました。

お礼日時:2011/04/25 10:00

こんにちは。


僕、説明が下手だから、例を沢山出します。
役に立てるといいですね^^

>入れ替えは可能なのか、ダメなのか
ちょっと意味が違ってくるので、入れ替えはダメかもしれないです。


坏(悪い)
他是坏人。           →彼は悪い人(悪いやつ)。
他很坏。             →彼は悪いよ~
电脑坏了。           →パソコン壊れた。
手机坏了要去哪儿修理啊? →ケータイ壊れたら、どこに修理出せばいい?
今天真是坏天气~      →今日の天気悪いね~


差(劣る)
他的成绩很差。        →彼の成績悪い。
这家店的品质比较差。    →この店のものは比較的に劣る。
你好差也~~~           →(あなた)ダメじゃん~
    • good
    • 0
この回答へのお礼

例が沢山あるので、分かりやすいです。助かります!

お礼日時:2011/04/25 10:00

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「好的」と「是的」の違いについて

最近中国語の勉強を始めました。
はい、イエスを意味する言葉として「好的」と「是的」がありますが
この使い分けはどうすれば良いのでしょうか?

Aベストアンサー

まず、「好的」は良い・OKなど、了承を表す意味を持ちます。

例:「明天9点半在学校門口見面、好ma?」→「好的」
(明日9時半に学校の校門前で待ち合わせでいいですか?→いいです)


「是的」は、その通り・合っているなどの肯定を表す意味になります。

例:「ni是日本人ma?」→「是的」(あなたは日本人ですか?→そうです)


あと、正反疑問文の「好不好?」「是不是?」で聞かれた場合は、その動詞に対応して回答します。

・「好不好?」→好/不好     ・「是不是?」→是/不是

ご参考までに。

Q中国語の「もし」(要是、如果、・・・話)

「もし・・・なら」という意味の中国語(普通話)は、
ぱっと思いつくだけでも
要是
如果
・・・話
があります(日中辞典によれば、もっとあります。)が、
この意味・ニュアンスの違いを教えてください。


如果・・・話
の代わりに
要是・・・話
という言い方は可能ですか?
可能なら、意味・ニュアンスはどう変わりますか?

Aベストアンサー

 こんばんは。

 まず、「・・・話」ではなく、「・・・的話」のように覚えましょう。

 それから、「もし・・・なら」という意味の中国語と言えば、次のような言い方は全部ありえます。意味は同じで、言葉の硬さぐらいの違いなので、お気軽に考えてください。

書き言葉、話し言葉
1.如果      

話し言葉
2.如果……的話  
3.要是      
4.要是……的話
5.……的話     

 「如果」はちょっと硬い感じの言葉なのですが、それでも会話でしばしば使われます。

「もし明日雨が降ったら、私は行きません。」

1.如果明天下雨,我就不去。
2.如果明天下雨的話,我就不去。
3.要是明天下雨,我就不去。
4.要是明天下雨的話,我就不去。
5.明天下雨的話,我就不去。

 硬さを順に並べると、1>2>=3>4>5のようになっていると思います。また、条件節を受ける働きとして、よく二番目の文節に「就」が来ます。

 ちなみに、「明天」を「如果」と「要是」の前か後ろか、どちらに置いてもかまわないのですが、「我」を「就」の前に置くべきです。つまり、このようなことです。

○如果明天下雨,我就不去。
○如果明天下雨的話,我就不去。
○要是明天下雨,我就不去。
○要是明天下雨的話,我就不去。
○明天下雨的話,我就不去。

○明天如果下雨,我就不去。
○明天如果下雨的話,我就不去。
○明天要是下雨,我就不去。
○明天要是下雨的話,我就不去。
○明天下雨的話,我就不去。

×如果明天下雨,就我不去。
×如果明天下雨的話,就我不去。
×要是明天下雨,就我不去。
×要是明天下雨的話,就我不去。
×明天下雨的話,就我不去。

×明天如果下雨,就我不去。
×明天如果下雨的話,就我不去。
×明天要是下雨,就我不去。
×明天要是下雨的話,就我不去。
×明天下雨的話,就我不去。

 こんばんは。

 まず、「・・・話」ではなく、「・・・的話」のように覚えましょう。

 それから、「もし・・・なら」という意味の中国語と言えば、次のような言い方は全部ありえます。意味は同じで、言葉の硬さぐらいの違いなので、お気軽に考えてください。

書き言葉、話し言葉
1.如果      

話し言葉
2.如果……的話  
3.要是      
4.要是……的話
5.……的話     

 「如果」はちょっと硬い感じの言葉なのですが、それでも会話でしばしば使われます。

「も...続きを読む

Q中国語 ”不可以”と”不能”の違い

中国語で ”不可以”と”不能”はどうちがうのでしょうか?
たとえば、「日本可以 ロ乞 鮮魚片。」の否定文は
「日本不能 ロ乞 鮮魚片。」ですが、
「日本不可以 ロ乞 鮮魚片。」といえるのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。私も単なる中国語の“いち学習者”ですが、大変懐かしい疑問でしたのでお答えします。
可以と能、そしてもうひとつ“会”の使い分けは、日本人の中国語学習者なら、必ず一度は通る関門なのですよ。えぇ、私だってこの2つには大混乱しましたとも!(^^)

例えば同じ『食べられない』という事を言う時、日本語であれば どんな場合も『食べられない』という言葉を使い、では何故食べられないのかを説明する時には、先に理由を述べてから表現します。つまり…

(1)この刺身は私のものではないので ←理由を述べて → 食べれない 
 = 中国語は一言 不可以口乞 と表現(食べようと思えば食べられる)

(2)今日は魚を買い忘れたので刺身は ←理由を述べて → 食べれない
 = 中国語は一言 不能口乞 と表現(物理的に食べるのは無理)

…と言うようにです。(1)と(2)の日本語、違うのは前の説明文であって、結局は どちらにも同じ『食べられない』を使っていますね。
ところが中国語では『出来る・出来ない』という表現方法が何種類も用意されているのです。ここでの話ならば、日本には1つしかない『食べられない』が、中国語では3つも4つもあるのですね。この辺はお分かりでしょう。
最初は面倒に感じるでしょうが、慣れてしまえば日本語のように長々と理由を述べなくても、一言で意志を伝え理由を理解出来るのです。その表現方法の代表が可以と能(会)です。


初めて納豆を見た中国の人が あなたに食べられますか?と聞く時も、その方が 能口乞ma? とあなたに聞いたとすれば、それはあなたに『これはそもそも食べる事が出来るものか?』とか『中国人の私にも食べられるものか?』というニュアンスの『食べれるか?』です。

一方、可以口乞ma? と聞いた時、それは単にあなたに食べる許可を求めているという事になります。

…難しいかな? (というか説明も難しいんです)(^_^;)
残念ながら、これは自分で色んな場面を考えて、この場合は可以かな?能かな?と考え、慣れて行くしかないと思います。
今後は さらに会という表現、また~得(不)了とか ~得(不)下 などの出来る出来ない表現も出てくるでしょうから、まずはシッカリ可以と能の使い分けを体得しましょう。
頑張って!!

こんにちは。私も単なる中国語の“いち学習者”ですが、大変懐かしい疑問でしたのでお答えします。
可以と能、そしてもうひとつ“会”の使い分けは、日本人の中国語学習者なら、必ず一度は通る関門なのですよ。えぇ、私だってこの2つには大混乱しましたとも!(^^)

例えば同じ『食べられない』という事を言う時、日本語であれば どんな場合も『食べられない』という言葉を使い、では何故食べられないのかを説明する時には、先に理由を述べてから表現します。つまり…

(1)この刺身は私のものではないので ←理由を...続きを読む

Q中国語の「都」を見たとき、どう訳せばいいですか?

「都」を使うかどうかは、主語の人数の多さではなく、
対象がその母集団で占める比率の大きさに拠ります。
と教えてもらいました。では、下の文を見たとき、

(1)この「都」は、全て日本に行かない。と訳すのか?

(2)比率が多いので、「都」をいれているなら、全員行かない訳ではないと、どう見抜くのですか?

(3)比率が多いので、「都」を使っているとしても、日本語に訳すとき、その「都」は
  とりあえず、ほぼ日本に行かない。と「ほぼ」という言葉にしてしまって訳すのですか?
 「ほぼ」や「大体」なら、別の単語があります。

他们都不去日本。

この彼らの人数しだいで、勝手に厳密には、全員でないので、「全て」と訳さないパターンだろうと、
こちら側で適当に、全員ではない事にしたり、全員にしたりしていいのですか?

仮に、この彼らが、中国人全員のことを言っているとするなら、
厳密には、全員ではないだろうと、勝手に判断して、本当に全員日本に行かない。
と言っているのに、
都合よく「全て」という意味の「都」ではないと判断してもいいのですか?

それに、「全て」という意味でなかったとしても、
この「都」は、無視して訳さないのですか?
それとも、「ほぼ」や「大体」という意味に変えて訳すのですか?

「都」を使うかどうかは、主語の人数の多さではなく、
対象がその母集団で占める比率の大きさに拠ります。
と教えてもらいました。では、下の文を見たとき、

(1)この「都」は、全て日本に行かない。と訳すのか?

(2)比率が多いので、「都」をいれているなら、全員行かない訳ではないと、どう見抜くのですか?

(3)比率が多いので、「都」を使っているとしても、日本語に訳すとき、その「都」は
  とりあえず、ほぼ日本に行かない。と「ほぼ」という言葉にしてしまって訳すのですか?
 「ほぼ」や「大体」なら...続きを読む

Aベストアンサー

> 他们都不去日本。

「ずべて」と訳します。
比率の問題ではなく、「すべて」です。

「彼らはみんな日本には行かない。」と「話者が決めている」のです。
もしかしたら例外がいるかもしれないが、話者の知っている限り全員です。
あるいは実際には行くつもりの人が何人かいたとしても、話者にとってはそんなことはどうでもよいのです。(問題外、あるいは眼中にないのです。)

前回のご質問でお答えしたように、事実を述べている文章や正確さが必要な記事の場合は、「論理的に全部」であり、もしも例外があったとすれば「ほぼ全部」「大多数」という表現をする方が「適切」でしょう。
しかしながら、会話の文章などでは、話者がどう思っているのかということがすべてです。
聞いた側は話者の言うことをすべて信用するとすれば、「全部」であると理解するほかはありません。

> (1)都は、「すべて」「みんな」と言う意味の副詞です。
> 全てと言わないなら、入れてはいけない。まずこれが基本である。

前回のご質問で上記のようにお書きになられた通りです。
どう考えても「すべて」ではないと聞く側がわかっていたとしてもですね。

これは中国語という言語、言葉、文法の規則の問題ではなく、その背後にある文化、考え方の問題と言ってもいいでしょう。
日本語(日本)では、なるべく相手の側に立って話をするという一種の美徳があります。
間違っているかもしれないこと、例外があることに関して、相手が誤解しないように言葉を加えることはごく当たり前に行われます。
しかしながら、外国語(外国)では、自分の意見や主張を表現することが第一であり、他人から見て間違っていようが、自分の意見や主張を表現する場合に遠慮はしません。

まあ、日本でも「みんな(そうしているよ)」などと言い切ってしまうことはありますが。(笑)
このように「みんな(そうだよ)」と言われたことはありますよね?
本当に「みんな」でしょうか?違うこともありますよね。でも、「みんな」と言うのです。
中国語では、特にこの種の言い切りだとか、強調が多いのです。
そういう場合には「都」、「也」、「就」などが頻繁に使われますが、時に日本語には訳しにくくなります。

前回のお答えでは、「都を使っていても、必ずしも論理的に全部を意味しない」ということであって、「都をすべてとは訳さない」とは申しておりません。
ほかには「ほぼ」「大体」については、そのように訳するとも申しておりませんし、回答内に使用しておりません。
似たような語を使っているのは、「都を使うときの気持ち」を説明している部分で、

「ほっとんど、みんな、そうしているんだよ」、「いつでも(どこでも)そうなんだよ」、あるいは「みんな、もうそうしているよ」「とっくだよ」という気持ちで語る場合には、「都」はあるのが当たり前

という部分です。

話者が仮に頭の中で感じているのが「アバウト」であったとしても、ひとたび言葉で「都」と言った時点で「すべて」だと言い切っているのですから、聞いた側は「すべて」と訳すしかありません。

他には人数にこだわっておられるようですが、二人でも三人でも「みんな」であれば「都」は用います。

ということで、前回と今回のお答えが疑問点とずれていて、単純に文法的な回答をお求めの場合は、「都=すべて」とだけご記憶になられて学習を進めていただいた方がよいでしょう。
いつか、中国語の言葉の裏だとか、表現の特性を知りたくなったり、単純に文法規則で解釈できなくなった場合に思い出してください。

> 他们都不去日本。

「ずべて」と訳します。
比率の問題ではなく、「すべて」です。

「彼らはみんな日本には行かない。」と「話者が決めている」のです。
もしかしたら例外がいるかもしれないが、話者の知っている限り全員です。
あるいは実際には行くつもりの人が何人かいたとしても、話者にとってはそんなことはどうでもよいのです。(問題外、あるいは眼中にないのです。)

前回のご質問でお答えしたように、事実を述べている文章や正確さが必要な記事の場合は、「論理的に全部」であり、もしも例外があった...続きを読む

Q中国語で「すばらしい!」って?

英語でいうところの「Wonderful!」とか「Marvelous!」みたいな、
マルチにつかうことのできる「すんばらしい!」っていう意味の口語、
ご存知の方いませんか?
私の持ってる中国買的ミニ英中辞典では、イマイチ文語っぽくて、
「こんな、もってまわった言い回し方、実際してたっけ?」ってカンジなのです。

「了不起」とか「真棒」がそれっぽいかな? と思ったのですが、
実際、どういった使い分けがなされてたか?というと、
よく覚えてなかったりします。
もし、使用法に特徴がある言葉の場合、
そのへんもあわせて教えてくださると嬉しいです。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

日本語の「すばらしい」が、中国語のある特定の単語にすべて当てはまるわけではなく、状況によって表現方法は違うと思います。

#2のchaffさんがおっしゃっている状況では、観客は確かに「好!」と叫んでいます。
(逆にこのような状況では、日本語で「素晴らしい!」とはあまり言わないと思いますが・・・「すごーい!」という感じですかね?)

一方、個人的に誉める場合、例えば才能などを誉めるときの「彼は本当に素晴らしいよ」なら「他真了不起!」と言いいますね。

しかし普通は「あなたの歌は素晴らしいですね」→「イ尓唱歌唱得好極了」という表現のほうが一般的かもしれません。

「真棒!」はあまり聞いたことないですね。そういう状況があまりなかったとも言えますが。
一応、辞書では「すごい」「大したものである」という意味で書かれてますが、例文を読むと技術的なレベルが高い場合に使っているように思えます。例えば「這人武藝真棒」→「この人の武芸はまことに大したものだ」

この手の言葉は、単語単位よりも文章単位で習得するほうが良いですね。

Q中国語のダメ(初心者)

中国語でダメという言葉ですが
不、没、ブシン、その他沢山あると思います
どのようなときにどのようなものがよいのでしょうか?
日本語で言うと優しくダメですよ、とか
強くダメとか、不行
ダメでした、
色々とあると思います、よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんにちは。

否定のときは
「不」「没」をつかいます。

質問のような「ダメ」という場合ですが、
「~してはダメ」という場合
「不行」「不可以」です。

「よくない」「わるい」という意味合いでの
「ダメ」であれば「不好」です。

「いらない」という意味の「ダメ」であれば
「不要」「不用」です。

「できない」という意味の「ダメ」であれば
「不会」です。

見た目がよくないという「ダメ」であれば「難看」
音楽がよくないという「ダメ」であれば「難聴」
食べ物がまずいという「ダメ」であれば「不好chi」
「難chi」(chi=食べる)です。
好き嫌いの嫌いという「ダメ」であれば「不喜歓」です。

ご参考までに。

Q「ティッシュ」を中国語でなんと言う?

 「ティッシュ」(皆さんの身近にある、あの鼻をかむやつです。念のため・・・(^_^;))は中国語でなんと書くのでしょうか?

 「ティッシュ」は中国にはない、ってことはまさかないですよね?(^_^;)

 知っている方(なるべく中国で過ごしたことのある方がいいです)がいらしたら、ご回答のほう、宜しくお願いします。

Aベストアンサー

購入するために、ボックスティッシュとポケットティッシュを区別する必要があるようでしたら、前者は「盒装紙巾」後者は「荷包紙巾」です。

御旅行中にボックスティッシュを持ち歩くハメになっては…と思い、補足してみました (^_^)

Q中国語で「友達になりたい」は?

こんにちは。
中国語初心者です。
友達になりたいはどのように
表現すればよろしいでしょうか?
「我想我是イ尓朋友」でしょうか?
お教えいただければ幸いです。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは^^

「友達になりたい」という訳についてですが

『我想跟ni交朋友』もしくは『我想跟ni做朋友』が一番無難かと思います。ちなみに、質問者様が仰る『我想我是イ尓朋友』だと、「私はあなたの友達だと思う」という推量の意味になるので、「想」を使う時は、それが「~したい」なのか「~だと思う」のどちらの意味になるのか、注意が必要です。「想」の後に動詞がくれば、それは「~したい」という意味になりますし、「想」の後に名詞がくれば「~を想う」、SVOの文章がくれば「~だと思う」というような違いが出てきます。

我想去旅遊→私は旅行に行きたい。
我想ni→私はあなたのことを想う。
我想他一定会来的→私は彼がきっと来ると思う。

話が横道に逸れまくってスイマセン^^;
そんな訳で中国語頑張って下さい!

Q中国語(北京語)の習得に要した時間、期間は?

みなさんが北京語を習得するまでにかかった期間とその条件を教えて下さい。あくまで個人の場合でいいので。もちろんやる気や想いによって違いますが、参考として聞きたいので、宜しくお願いします。
もちろん、習得も見る書く聞く話すすべてが出来た場合ではなく、聞く場合だったら、いついつまで?話すまではいついつまで?って感じでいいので。

Aベストアンサー

修得するのにかかった期間は実質3ヶ月ですネ。
まったく知識ゼロに近い状態からはじめました。
ただし,その3ヶ月間は一日中勉強という感じでしたが。
勉強は一対一でのレッスンを受けました。
私の希望で,声調や個々の発音と同時に中級レベルの会話を並行して覚えるという方式でしたネ(入門編と初級編と中級編を同時に進行してもらいました)。
非常に効果的だったのは,「回来了」「観電視」といった三文字で意味をなす言葉の暗記。
それが済むと,次は四文字成語,五文字成語と語彙を増やしたものです。
漢詩の暗記も沢山しました。
というのも,多くの中国人は小学校から漢詩を沢山暗記してきているので,日常会話の中にも漢詩からの引用などがあったり,それをアレンジして使ったりということも想定したのです。
最終的には中国で実地に使って鍛えました。
また,せっせと映画を見ました。

聞き取りは非常に簡単でしたが,ネイティブと間違われるまでに話せるようになるまでは半年以上かかりましたネ。
個人的には,語学は3ヶ月で片付けるものと思っています。
3ヶ月間死に物狂いで勉強すれば,どの言語でも大丈夫なのではないかと思っています。
それができないのは,真剣でないか,向いていないかのどちらかではないかと思っています。
以上kawakawaでした

修得するのにかかった期間は実質3ヶ月ですネ。
まったく知識ゼロに近い状態からはじめました。
ただし,その3ヶ月間は一日中勉強という感じでしたが。
勉強は一対一でのレッスンを受けました。
私の希望で,声調や個々の発音と同時に中級レベルの会話を並行して覚えるという方式でしたネ(入門編と初級編と中級編を同時に進行してもらいました)。
非常に効果的だったのは,「回来了」「観電視」といった三文字で意味をなす言葉の暗記。
それが済むと,次は四文字成語,五文字成語と語彙を増やしたもので...続きを読む

Q(中国語)就是について・勉強方法もおしえてください!

今、中国語の勉強のために中国の方のインタビュー記事を
読んでいます。その中に「就是」という単語がよく出てきます。

なんとなくは分かるのですが、これは日本語でいう「まあ」みたいな
あまり意味のない言葉として捉えていいのでしょうか。
それとも、ないと文法的におかしいのでしょうか。

例えばこんな感じです。
「~有一点舒服、可是就是唯一就是朋友都不在。」
 ~快適だったが、唯一(寂しかったのは)友達がいなかったこと
 です。

といった具合にこんな短い文の中に2つも就是が入ってくるのです。
中国人のように喋りたい!と思って勉強しているのですが
自分ではこんな風には喋れないだろうな~と思うのです。

「就」とか「就是」を会話の中で自然に入れてみたいのですが、
どうすればいいのでしょうか。
(不是~就是などの構文は使うことは出来るつもり…)

あわせて勉強方法も教えていただけたら嬉しいです。(中級者)
今はこのインタビュー記事を聴き取り、内容を理解し
暗記しようとブツブツつぶやいています。
でもつい就是のような細かい(?)部分が気になって
先に進まないというか…。
気にせずにどんどん暗記したほうがいいのでしょうか。
これから中国語スクールにも通う予定です。

どれかひとつでも構いません。
アドバイス等よろしくお願いいたします。

今、中国語の勉強のために中国の方のインタビュー記事を
読んでいます。その中に「就是」という単語がよく出てきます。

なんとなくは分かるのですが、これは日本語でいう「まあ」みたいな
あまり意味のない言葉として捉えていいのでしょうか。
それとも、ないと文法的におかしいのでしょうか。

例えばこんな感じです。
「~有一点舒服、可是就是唯一就是朋友都不在。」
 ~快適だったが、唯一(寂しかったのは)友達がいなかったこと
 です。

といった具合にこんな短い文の中に2つも就是が入っ...続きを読む

Aベストアンサー

この場合の就是は、日本語の「ほんとに、やっぱり、まさに」と言った意味の使い方ですね。すっごく強調したい、まさにこう言いたい。
意味は違いますが、英語だと「you know」というのがありますが(「まあ」、「えーと」、「あのー」の語感)、こちらは、あまり知的とは受け取られません。
有名人の真似をするのは、そういう趣味の世界では楽しいですが、会話の中で、こんなに入れる必要もないと思いますよ。
きちんと、意味のある場所に的確に使うのでないと、変に流行り口調にかぶれてるだけだとか、あまりよい印象はもたれないのではないでしょうかね。

>でもつい就是のような細かい(?)部分が気になって
と書かれているように、変に入っていると、聞きにくいですよね。(笑)
こういう表現は、本当に自分の感覚に馴染まないうちは使わない方がよいです。(勘違いして使ってしまう恐れもありますから。)
そういうわからない点、あいまいな点を除いたら、「気にせずにどんどん暗記したほうがいい」と思います。
そして、ある程度馴染んできたら、少しずつ取り入れれば、会話にリズムが出てくることでしょう。

この場合の就是は、日本語の「ほんとに、やっぱり、まさに」と言った意味の使い方ですね。すっごく強調したい、まさにこう言いたい。
意味は違いますが、英語だと「you know」というのがありますが(「まあ」、「えーと」、「あのー」の語感)、こちらは、あまり知的とは受け取られません。
有名人の真似をするのは、そういう趣味の世界では楽しいですが、会話の中で、こんなに入れる必要もないと思いますよ。
きちんと、意味のある場所に的確に使うのでないと、変に流行り口調にかぶれてるだけだとか、あまり...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報