漫画やドラマなどでは婦人会というのをやっていますが
あれって何のために存在するのでしょうか。

家族ぐるみの付き合いにすることで
心理的に上司が部下を首にしにくくするためでしょうか?

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A 回答 (2件)

漫画やドラマのほうは知りませんが、婦人会の始まりは、戦争状態のときのいわゆる銃後の守りを強化するということで


政府指導の女性の組織化が始まりでしょう。
何しろ、地域の元気な「男」は全部、戦争に行ってしまって、老人と、コドモと、病人しか残らないのだから。

このときに、組織的に、家庭から労働者として、工場へ勤労奉仕ということでの女性が職場に進出したのです。
ロシア(旧ソビエト)は同様にして、女性が社会主義体制なのでそのまま、戦後も職場にも残ったのですが、
日本は、戦争から戻った、男性が職場に復帰ですから、「婦人会」という組織だけが残りました。

米軍指導により、文化的な啓蒙組織として活動しましたので、バースコントロールとか、地域の栄養指導、
さらに、害虫駆除(今では考えられないのですが、DDTなどは、町内会での割り当てなどがあったと記憶してます)とか、
非常時の炊き出しなどは婦人会のお仕事です。
台風の被害は毎年ひどかったですし、水害も江東区などは「0メートル地帯」ということで毎年のように水浸しです。

私が子供のころの記憶ですから、昭和30年ぐらいまでは結構、今のカルチャー講座的側面を担っていたと思われます。
女性の学歴も、低くて、啓蒙する必要性があったのでしょう。

海外での商社マンの家族会=婦人会?はかなり・・・・だそうですね。
湾岸戦争のころのドバイがえりのご近所さんに聞いた話ですが。
’むら’組織の日本人意識の表れでしょう。
首・・・と言うより、相互監視的な側面が大きいようですよ。
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いまでも地方によってはあると思いますよ。



青年団というのはご存知でしょうか。土地の若い人たちが会を作っていろいろな行司に参加するものです。
今でも伝統的な祭りなどは青年団が中心です。

これの婦人版が婦人会です。
ただこの組織はおそらく戦前の軍国主義の影響があったのではないかと思います。
出征兵士を送る千人針などはこういう組織が中心で進めたのではないでしょうか。

でも戦後に残ったいたところでは、栄養の改善など新生活運動などで新しい生活方法の普及に活躍したところも多く結構地域では活躍をしていたと思います。

私の母もこの会長をしていたことがあります。当時は行事といえば街の夏祭りの踊りの相談とか、たまにやる料理講習会とか、村のお祭りの協力とかでしたね。

「心理的に上司が部下を首にしにくくするためでしょうか」というのは社宅の婦人会とでも言う意味でしょうか。
私のイメージはそんなものではなくて伝統的な地域に根ざした助け合い組織みたいなものですが。
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