No.8
- 回答日時:
zakky74でございます。
前回の投稿では、科学や物理学が説明が出来なくて困っているという現象がある事を紹介しながら、それは科学や物理学の土台や前提が間違っているからとお伝えしました。
何事もそうですが、前提や土台が間違っている状態ではその上に展開された論理は成り立ちません。地盤が安定しないところに安定した建築物を建てるのは不可能ですし、安定している建築物であっても、酷い地震が来る事によって倒壊してしまいます。
知識や情報も同じですね。
土台が間違っている場合、理解が誤っている場合は、その上に成り立ったどんな知見や論理展開も崩れ去ってしまいます。
ですので、説明出来ない現象、理解出来ない現象は数多く存在しておりますが、そうした一切の土台を取っ払う事によって難なく理解出来てしまうものです。人間に共通する一切の土台とは、学術的理解方式であったり学術的認識方式です。
ここは哲学のカテゴリーですが、哲学の土台も学術的理解方式、学術的認識方式に依っているところが大です。そして学術全般にも哲学にも大きく貢献したうちの一人にデカルトがおります。
そのデカルトに、残念な点がございましたのでそうした土台の上に成り立っている知識や情報には欠陥があるのでございます。
yuniko99さんが使っている言語にも、『脳内・ニューロン・シナプス・電気的・物質的反応・・・』などが代表として出てきておりまして精神が何であるかを規定されていますが、そもそもこうした言語やそれが指し示す機能などは学術的理解方式・学術的認識方式によって得られた知見ではないでしょうか?
つまり、yuniko99さんのご質問は、本質的にはデカルトの時代よりも進んでおりません。デカルトが分からなかった事が結局は、学術を土台とした理解方式・認識方式において今の時代にも分かっておりません。
学術は、多様に進化発展はしたものの、デカルトが分からなかったところまでは結局、未だに分かっていないんです。
それがyuniko99さんのご質問にも現れております。
ところで、僕は学術的理解方式・学術的認識方式という土台が既に誤っておりますし、錯覚であるとお伝えしております。yuniko99さんは、これを聞いて如何思われますでしょうか?
そして、そこから今一度ご自身のご質問を振り返ってみて何か気付く事や感じた事などはございますでしょうか?
No.7
- 回答日時:
この質問で取り上げようとしているのは、生命に宿る精神の事。
有機物でできている生物は、雌雄に分かれ成長し、活動し、子孫を残し、活動を止め、動かぬ物体となり、その物体は、形を変化させ、たぶん無機物となる。
有機物は精神の存在を暗示させる「生命活動」をする。
精神は生命活動の、生きようという意志(エネルギー、チカラ)に現れている。
とりわけ質問で取り上げようとしているのは、人間の精神。
その人間の精神は高性能の“脳”を経由して“自身のこころを意識する事が出来る”
それゆえに「われ思うゆえにわれ在り」なんて考えたりする。
本来は意識できなくとも「われ」は存在する。
犬や猫も一匹一匹は、「われ」なのだ。意識していないだけ。
人間の自我意識は、精神が個体に発生したが故の現象。
精神は物体と共に在って現れ(現象)、精神は物体としての有機物に取り付いて生命と言う活動をする。
人間の精神は何でできているのか。
物質とは言えない精神は、宇宙の本体と言ってもいいのではないかと思える『精神』から分かれ出たものと思うしかない。
コップの中の“海水”のような存在。
ちなみに悟りの世界、迷いのない世界に入ろうとした修行者たちは自我を、自我意識を、棄てようとした。
大海に戻るために。
なんてことを考えてみました。
No.6
- 回答日時:
物理学や科学が説明できなくて困っている現象があります。
一つひとつの細胞には精神がないのに、細胞が集まって精神が宿るのはどうしてか?一つひとつの物質は生命がないのに、物質が集まって生命が宿るのはどうしてか?一つひとつの素粒子には縦・横・高さがないのに、素粒子が集まって縦・横・高さが生まれるのはどうしてか?
実は、その様な科学が説明できなくて困っている現象は、科学の土台となっているモノの見方や価値観が誤っているからです。科学を発展させ、今も未だ中心的な土台となっている存在はデカルトですね。
このデカルトは中々素晴らしい追及をしました。
我思う故に我在りです。
ですが、ここにも残念な点が幾つかあり、その分だけ科学もそうですし学術全般が進展を見る事はありませんでした。yuniko99さんのご質問もそこに切り込む本質的な質問です。
ところで、お応えする前に確認したい事がございまして、逆質問となり申し訳ないのですが、質問させて下さい。yuniko99さんは精神とはどういうものであると規定されているのでしょうか?その精神が何から出来ているのかがわからないという質問でしょうか?それとも、そもそも精神が何であるのかが規定できなくて分からないから出ているという質問だったのでしょうか?
この回答への補足
私の考えでは 脳内でニューロン、シナプスが電気的、物質的反応をして 脳は環境と共に反応する訳ですが そのように物質としての在り様を幾ら見ても おそらくは我々がその反応によって生じてる意識、精神であったとしても、我々そのものは物質の反応ではない何ものかであるように思えてならないのです。そこで考えられるのは 私には物質などの持つ性質が反応し合って主体化したものではないかと思う訳です。
補足日時:2011/05/08 16:13No.5
- 回答日時:
先に、「精神は人間の性質であると言えるるか」について、個人的考えということになってしまいますが、回答してみます。
「精神」という言葉を「理性」と言うよりもっと広く、「心」『意識』「意思」「魂」などと同類の意味に解釈して良いでしょうか?デカルトは、心は人間だけが持ち、人間以外の動物は機械と同じだと考えていたようです。しかし今の時代にそう考えている人は少ないと思います。少なくとも人に心があるとすれば、霊長類と犬、猫あたりまでは心があることに疑う余地は無いでしょう。私はミミズや植物にだって心はあると感じます。正常に働いているコンピュータに心があるとは感じませんが、理由無くハングアップしたり、日によって調子が良かったり悪かったりする機械は、心を持っているのではないかと疑いたくなることがあります。機械が心を持てるかどうかはともかくとして、精神は少なくとも人間だけにある性質では無いと思います。
精神が何でできているかについては、心が何処にあるかという問題に置き換えて答えてみようと思います。
少なくとも心を脳の中に閉じこめてしまうと、心が環境に適応する為に環境に関する無限の情報が必要となって、フレーム問題が起きそうです。心は脳から体や環境にはみ出して構成されているのではないかと思います。例えば芸術家が筆を持ってキャンパスに向かう時、芸術家の脳と体と目と筆とキャンパスは一体的に働いていて、その状態が心だと思います。受動意識仮説という考え方もあるようですが、今のところ私はあまり好きではありません。
No.4
- 回答日時:
考えてみました。
精神は何で出来ているか。
見えない電気とか電波とかは、物理的な現象として捉えられているようですが、精神は物理的にはまだ捉えられてはいないようです。
もしかすると永遠に物理的には捉えられないのではないでしょうか。
たぶんそれは「物」ではないから。
「物」はある一定期間“存在”していると言える。長短はあるかと思いますが。
でも、精神を物でないとするならば、“存在”するのではなく“現象”である、と言いたい。。
現象・・・・・沸き起こる。
青い空に現れる白い雲、
見ていると、現れては消え、そしてまた現れる。
こういった“現象”を精神に当てはめてみたい。
そしてこうした精神の現象は、物を通して現れる。
物を媒介にしなければ現れない。
この地球上に現れた人間は高性能の“脳”を働かせ“意識”という能力を使い「私」を感じる。
一粒の砂でしかない「私」を。
俯瞰すれば、人間一人一人は浜の真砂のようなもの。
その砂の一粒でしかないけれど、人間としての約八十年と言う時間を与えられた命に使い、全うする役目を与えられてしまった。
生命=生きること。そう思えば、すべての「命」は生きようという“エネルギー”。
エネルギーは、意志と言い変えることも可能で、それは形はなく、だから物質とは思えない。
でもこの肉体がなければ“我が心”は意識できない。
肉体があればこそ、我が心の「存在」が意識できる。
肉体は心を、心は肉体が必要。
心のない肉体は無く、肉体のない心は存在しない(現象しない)。
そう思うと、物質にも心、精神が。
物質は精神の現れ。
宇宙の本体は精神。
現象は意志。
現れ。
・・・・・・なんてことを考えてみました。
色々考えていらっしゃるんですねえ
エネルギーが意志と言い換えることが可能 とは思いませんが
この宇宙にはエネルギーと同時に存在する性質が在ると思っています
その性質が精神になり意志を持つと考えています。
>宇宙の本体は精神。
>現象は意志。
これはちょっと考え過ぎかも
どうもありがとうございます☆
No.3
- 回答日時:
>一体我々は何者なのでしょうか
と問い続ける生き物。
精神はなんでできているかというと、脳内物質。 あるいは脳神経。
例えば触ったという感覚。
いくら手のセンサーが正常でも、脳に手の感覚が伝わらないと、私たちは触ったということを認識できない。
脳にまでいたる神経 あるいは 脳の部分に障害があり、信号が途中で脳の適切な部位にまで信号を伝えなければ、情報は脳に伝達されず、プラスとならない。
躁うつ病の人は、同じものを心 つまり 脳のあり方で、世紀末のように感じたり、極楽のように感じたりする。
強迫神経症の人は、脳が危険信号を無駄に発して、不安物質を取り込む受容体を閉じてくれないので、手が汚いと思うと、ずっと手を洗い続けてしまう。
脳がもう十分だと受容体を閉じないので、いつまでもまだ不十分だという認識になり、本人をへとへとに疲れさせてしまう。
イドと超自我と自我ってのがせめぎあって行動を決めている。
で、一応自我ってのが本人に一番近い。
イドってのは原始的な本能 例えば お腹がすいたから何か食べるとか トイレに行きたいとか 寝たいとかいう本能。
超自我ってのは、「だけど店の棚にあるものを勝手に食べたらいけない、まだ講義中だから今トイレに行かず講義が終わってからでもいい、授業中に寝ると叱られるからがんばって起きていなければならない」と模範教師的な厳しい人格。
本能の欲求と模範教師の厳しさの中にあって、その両方をなだめて一番無難な選択をしようとするのが自我。
「まあまあ イドさん 超自我さんのおっしゃるとおり、店のものを食べるといろいろ問題が起こるから、レジで清算するまでは我慢しましょう。超自我さん レジで清算後なら食べていいですよね」 とかね。
イドも超自我も納得して騒がなくなる。
だからイドと超自我と自我で構成されていると考えるのが心理学の方。
脳科学になると前頭葉、側頭葉 とか もっと複雑だったけど、そこいらが関係して、人間の意志を決めているとされる。
で、クリミナルマインドってアメドラで、ちゃんと倫理感があり、日常模範市民的な行動をしている人が犯人だったというものがあり、どうして倫理観が人一倍あるのに、誰にも見つからずに殺人をしたのかというのが脳によって解き明かされたりする。
前頭葉の中(だったかな?)の視床下部に障害があると だめだと理解できているものをやらずにはおられなくなり、模範教師の超自我が、どうすれば人に見つからずに殺人ができるか判断するので、イドと超自我が納得した殺人を自我が実行する とか うんたらかんたら って。
脳科学が急激に研究されだしたのが、20世紀の終わり。
戦争で科学薬品を使うようになり、化学薬品 つまり薬が体にダメージを与えなくても脳のシナプス回路や器官を狂わせて、まるで精神病患者にような行動をやるようになったとわかりだした。
薬の怖さが注目されだしたわけです。
その薬が脳まで到達すると、人工的に脳内物質を変えてしまう。
精神病の人にも脳まで到達する薬を与えて、生理的なものを人工的に変化させられているわけです。
脳は可塑性があり、外部からの刺激によって変化し、ずっと刺激を与えられると、豆腐が圧力で形が変わるように、脳も正常が変化してしまう。
すると薬品が抜けた後も、薬品による刺激があったのを正常だと記憶してしまう。
PTSDがそれ。
忘れることはよくないとされるが、忘れるという能力があるから人は生きていける。
子供を失った人がグループセラピーを受け続けるとどうなるか。
やがて自殺する。
どうしてかというと、脳は時とともにダメージを忘却していこうとしているのに、グループセラピーで子供を亡くした悲しみを蘇らせ続けるので、せっかくダメージが弱まっても、再度思い出すことで新鮮に痛みが蘇ってしまうわけです。
治りかけた傷をわざとぱっくり開けるようなものがグループセラピー。
ずっと心の傷は癒えず、耐えられなくなり痛みから逃れるには死ぬしかないとなり自殺するわけです。
グループセラピーでよくなった人は一人もいない。そのことがわかりだして、問題視されているのですが、心理学者は金ずるを離すものかと、「いいや これで治る」って虚偽のデータを出して、自分の研究を正当化してお金を稼ごうとしている。
で、そうやって人を利用して金を稼いでいた人が、今度は自分が神経症になってしまった。
自分は見えない敵に攻撃されていると思い込んだ。
自分が推奨したグループセラピーによる治療に参加すればいい。
永遠に見えない敵から攻撃されているという感覚は消えず苦しみ続けることになる。
「そんな敵などいない」といくら言っても、本人は妄想を起こしているので、「確たる証拠は無いが、いつも届いていた新聞が今日は届いていないのは、敵が嫌がらせのため新聞を盗んだからだ」ってなる。
脳が歪むとそういう被害妄想が通常思考になってしまうので、結局は認知療法じゃ無理な場合は、薬を使って元に状態を脳に記憶させるしかないんですよね。
まっ そんなんで人間の精神って脳のありようだと思います。
実を言えば私は精神障害者なので その妄想や脳内物質や忘れる事
自殺についても分かります
>イドと超自我と自我ってのがせめぎあって行動を決めている。
と言うのがよく分りました
妄想と認識と事実の間には色々と難しい関係が在る様ですねえ
ありがとうございます。
No.2
- 回答日時:
「明日は雪である」、これ(文あるいは文の意味)も立派な「精神」ということができると思われます。
熱帯に住み、雪を見たこともない人にとって、この文は意味をなさないと言うことができる、つまりこの文の「精神」はかの地では存在しえないということです。
その瞬間のみを生きるほかない、あるいは明日まで生き延びる可能性の低い動物にとっては、この文にふくまれる「明日」もナンセンスでしょう。
「ある」という「繋辞」に「意味あるいは精神」があるかどうかはおくとして。
「雪」はただ空から落ちてくるものではなく、「汚れちまった肩」(中原中也)に「降りかかる」ものでもあります。
あるいは、ジャン・ギャバンが逃れていく国境の雪原(映画『大いなる幻影』の終景)でもあります。
つまり民族の「歴史」や「伝統」のなかでのみ「精神」も可能なのではないでしょうか。
どこか、無色透明で、中立不偏不党の空間において「精神」といっても滑稽なだけです。
この大震災のときに「他人への配慮を忘れない」という日本的な「精神」は何千年もの時間のなかで生え育ってきたものでしょう。
「我々は何者なのか」という問いが消える(ナンセンスになる)のは、こう問う者がおのれの本質(来歴)において生きるときであると、こう思います。
的外れな返答かもしれませんが、参考までに。
どうもありがとうございます 文には意味が在り それが精神に伝わりますねえ
意味をなさない時もある 場所もあるのでしょう
我々は何者なのか と言うのは己の本質において生きれば自ずと分るという事でしょうか?
なるほど。ありがとうございます。
No.1
- 回答日時:
「精神の実体」に悩むのは、それに「物体」が対置され得る事に
於いてである(“自分”とは別に独立した存在性が外にある)。
その『物体』が脳の中の現象~認識される事によって有限化
した量子性(無=無限不確定性の潜在としての認識可能性=
自我仮説と、時空仮説の相補分化)である時、精神の在り処を
思い悩む必要はない。
何だか難しい言葉で 意味がよく分りませんが
>精神の在り処を思い悩む必要はない。
という事ですね
自我と時空両方存在している様に思いますが その接点は性質という
キーワードで繫がると思っています どうかお手柔らかに
ありがとうございます。
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