「夫を成功」へ導く妻の秘訣 座談会

僕は芸術と哲学は本質的に相いれないような気がします。
ここは哲学のカテですが、哲学好きたる皆さんは芸術についてどう考えるのでしょう
それなのになぜ哲学者はやたら芸術の話をしたがるのでしょう

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A 回答 (15件中1~10件)

芸術を構成する要素の一つに美の認識がありますが、これを行うのは人間そのもので、その価値も時代に酔って変わっており、こういった研究も哲学が行う主要命題の一つです。

(ですが、ちょっとこの質問の感じだと他の方の回答そのものを理解するのが難しいかもしれませんね…)
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芸術と哲学が融合したものに文学がありますよ。


鑑賞できる哲学だと思います。

哲学は体系化されませんから学問一般と違うところは芸術に相容れられます。
固定してはならない試み、態度、存在です。
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哲学をどう捉えるか、の問題ですよね。


芸術と哲学は相入れないような気がする。とは、あなたが考え、思い描く
哲学、は、芸術、とか、心の機微、好き嫌い、美醜、愛憎、などとは、関係ない、
在るものを在るがままに見る、知恵、=考え方 の探求、なのではないのか。
というような、ニュアンス、ではないでしょうか。
哲学とは何かという観点からは、それが正解です。
正解としなければ、あなたが、知恵者、哲学者として成長することはないでしょう。

「在るものを在るがままに見る者は、思惑愛好家ではなく愛知者(哲学者)と呼ぶべき者、
ではないかね。」とソクラテスが言った。とプラトンが伝えていますが。
哲学者とは、神だの、愛だの、幸せだの、損得だのと言っている、思惑愛好家、に対する
哲学者、(学者、ではなく、哲学もの、ですが)なのです。
しかし、心、思惑、を脱し得ない者を。詩人にすぎない、阿呆、にすぎない。
と評する、ニーチェが
世界には人間同様、尻、がある。というのは本当である。しかし、尻、が世界ではない。
と言っていますが。
逆の意味で、世界は人間同様、知恵、哲学を求める、というのは本当である。
しかし、哲学が、世界、ではない。
女?子供に、心と反対のもの、の意味がある、知恵、哲学、は無理であり。
思春期、青年期の人間に、内側から駆り立てる、性欲、を滅せ、恋愛をするな、
「恋愛は実に時を要し、禍が甚だしい」(釈迦)は、過ぎ去ってから、解る事。であり
渦中にある者に言っても。理解は無理なのです。
心、思惑、が導く、答え評価、と知恵(理法に照らして考える)により手見る(釈迦)
答え評価、は殆ど正反対になるのです。
ニーチェの(釈迦の猿まね?)思想は(脳梅でなくとも)発狂につながるのことになるのでしょう。

猿まね、と言えば。以上に突出している、と言われる。古代ギリシャの知恵、哲学、は
古代インド哲学の流入、猿まね、によって起きているようです。
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一見、芸術は媒体として認識されますが


 感性A――芸術(媒体)――感性B

鑑賞者の意識が、作者の意識に吸収された時空間を、
鑑賞者自身が鑑賞するのだと思います。

ロジック&ファンタジックに再現された作者の哲理は
言葉を用いない哲学というほかにないと思うのです。
仮に言葉をもってしても、語りつくせない何かが隠されている。

言葉では表現できない哲理を、感じ取ろうとする哲学。
それが哲学が哲学である由縁ではないかと思うのです。
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No10の方の回答のとおりです。


「美」と「芸術」の何たるかを語る事は、哲学の学問としての使命です。

ご存じかとは思いますが、美学や芸術史は一般的に文学部哲学科の中で学ぶものです。
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 学問としての哲学の間口は広くその中に「美学」という領域があります。

文字どおり「美」を考究する学問です。では「美」とは何か、との問を立てた時に「美」そのものが我々の眼前に存在するか、との問も成り立つ。「美なる物」はあっても「美」そのものが存在するとは言えません。なぜか。そこには「美なる物」の何が「美しい」かと感じられる対象であり、それを判断する基準が必要とされるからです。これらは一般に「審美眼」と呼ばれ呼ばれその根底にある判断基準となる物差しを「美意識」と呼ばれます。
 卑近な例を示すならば「美しい女性」が歩いていたとしても、それは「美」そのもの或いは「美のイデア」が歩いていたわけではありません。容姿の端麗な、或いは美しい衣装を纏っていたかなどの具体的な情報が目の前にあるとの意味です。それも「見る人」によってその評価は異なります。なぜなら、そこには見る人それぞれが持つ価値観により判断が異なるからです。
 この「価値観」を別の言葉で言い表すならば、「認識」ということにもなります。「認識」は「モノをどう見るか」との問いかけに始まる。セザンヌの絵画もモーツァルトの楽曲も彼らが見たモノから得た「インスピレーション」であり、その「モノ」なくしては誕生しなかったとも考えられます。
 「芸術作品」=「作品に題材とするに値する価値のある物を具体化した表象」と考えた時、そこにあるのは「見た者の意識」が介在せざるを得ません。逆に言えば、「具象化されたモノ」から「抽象的概念」を取り出すことで「制作者の意図」を知ることが出来ます。これは「知の学」としての哲学の根本命題の1つでもあります。
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No.1の方の回答と少し重なるところがあるかもしれませんが、ご容赦願います。


「哲学」とか「芸術」とかは、単体として切り離されては存在し得ないでしょう。それらは作り手(創り手)や受け手とは切り離されることはあり得ません。もし、切り離されたならば、それらは「文字列・記号」とか「色の並び・模様」とかいった「もの」となるでしょう。

「哲学・philosophia」の語源は「智を愛する・philos:愛+ sophia:智」であり、作り手(創り手)や受け手の「愛する」に代表される「情」が必須だと思っています。

表象されようとする「もの(作品)」自身、ないし、その「もの」の向こう側(受け手、ないし形而上学的な何か)に情を注ぎ込もうとする思いがあってこそ、生み出されうるものだと思っています。

表象されたものは、人々に出会うことで、その「もの」を通じて逆方向への情(作り手への思い、ないし作り手が求めようとしたことへの思い)が流れることでしょう。

その思いが作り手自身の思索へと向かうとき、それは「哲学」という名で呼ばれるかも知れません。
その思いが作り手自身が作品を通じて求めようとしたところ(たとえば形而上学的な何か)へと向かい、模倣したり、創造したりするなら、それは「芸術」という名で呼ばれるかも知れません。

>>>
哲学者はやたら芸術の話をしたがるのでしょう
<<<

私は哲学者ではないので想像しかできませんが、おそらく、「芸術」を「愛する」ところに、哲学的な意味を見いだす方が多いからではないでしょうか?
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サーロインステーキと江戸前寿司は相いれないような気がするが、両方好きだぜ。

いけねえか?
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芸術は評論(哲学もその一種)ではありません。


感性に発し、感性に帰結するもので、物事のロジカルな
解釈を旨とする哲学とは、そもそも融合も反発もしない、
異なるタームのものです。
もちろん、芸術を対象とした「解釈」というものもあり、
芸術学と呼ばれており、哲学の仲間と言えるでしょう。
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哲学も芸術も、ただ「興味がある」だけの素人です。



哲学と芸術には、大きな共通点があると思います。
どちらも人間が、最低限の生活をする上では必要ないということ。
でも、つらい時ほど、意外と必要性を感じるということ。
太古の昔から、人間は考えると共に、感性に訴えかける音楽や美術を愛してきたということ。
つまり、どちらも人間が単なる「動物」ではなく、思考と感性というものを持ち合わせているからこそ、この世に存在しているわけですよね。

私は素人なので、質問者さんが何を以てして両者が本質的に相いれないと仰るのか理解できていません。なのでトンチンカンな答えかもしれませんが、「なんとなく」相いれると思います。
歌詞が哲学的な歌もありますし、シュールレアリスムなどは哲学的要素が含まれている美術だと思います。それ以外でも、見る側、受け取る側が哲学を感じる芸術はたくさんあると思います。
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Q哲学科に進学したことをとても後悔している

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すのを聞かされるだけで、こんなことなら、法学部にでも行って、
趣味で哲学書を読んでいた方が、よっぽどマシだったのではないか
と今になって気づきました。

そして、哲学科であると言うと、周囲に奇異な目で見られることが頻繁にあり、(たとえば、文学部で英文学を専攻しているというのと、哲学を専攻しているというのでは、明らかに相手の反応が異なる。)
それが原因で、元々内向的だった性格が更に内向的になり、
情緒不安定な状態になっています。

哲学専攻の同級生は、哲学研究者を志望するとても勉強熱心な優等生タイプと、哲学は単位を取るのに必要なだけ手際よく勉強し、一流企業への就活にエネルギーを費やすタイプに二極化しています。しかし、
自分はそのどちらでもなく、いたずらに無為な日々を送っています。

このまま大学を卒業して、「哲学科卒という十字架」を一生背負って生きていくことに底知れぬ不安を感じます。このまま文学部哲学科を卒業するべきなのか、疑問を感じています。中退や編入も真剣に考慮し、某旧帝大の経済学部の編入試験に合格したのですが、なぜか、入学辞退してしまいました。

現在、自分は4年生で卒業間際ですが(就活はしなかったので、
内定は得られず、卒業後の進路は未定です)
自分が今選択に悩んでいるのは、
一このまま哲学科を卒業する
二今からでも、哲学科卒という経歴を回避するために卒業せずに、
他大学他学部への編入を再び目指す、あるいは中退してしまう
という選択をどうするべきかということです。

勿論、以上のような悩みは神経症・強迫症的な悩みであり、
自分の精神的未熟さや弱さが基底にあることは自覚しています。
また、大学で哲学を専攻すると決定したのは、自分自身であり、
誰に強制されたわけでもありません。

それゆえ、自分の悩みが嘲笑とともに、黙殺されるのも覚悟しています。だが、自分にとっては、非常に深刻な問題で、日々、過去の進路選択への激しい後悔と、将来に対する不安に、押し潰されそうなのです。

自分自身で色々考えていても、思考が堂々巡りをして、
突破口を見出せない状態が続いております。
そこで、皆様から、多角的な視点からのアドバイスを頂ければ、
幸いです。何卒、よろしくお願い致します。

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すの...続きを読む

Aベストアンサー

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくらいに思うしかないと思います。
できれば、偏見の目で見られているからこそ、発奮していい就職をしてやるぞ、
と思いきることができればよいのですが。
哲学科の友人がそうでした。

日常生活であれば、てきとうに切り返す方法を身につけるしかありません。
そういう場面での偏見は、抑圧ど同時に促進になったりもするので、
かえってそういった偏見を生かしてうまくキャラづけするか、
うまくそういう話題にはまらないように言動を調整していけばよいと思います。
仲のいい友達からそう思われているのであれば、
コミュニケーション上の振りだと考えていけばよいのでは。
そこまでするような相手でなければ、話すことを避けるか、
無視すればよいと思います。
無視できないのであれば、それは、耳に飛びこんできた自分への評価を、
すべて自分のなかに位置づけていかないと、
と強迫的に思っているのかもしれません。
ときには、評価を無視することも大事だ、
と意識して自分に言い聞かせるようにしないと、切りがありません。
自分にたいする肯定的な評価、否定的な評価のどちらについても、
正当として受けいれなければならないもの、
不当として拒否し、正さねばならないものに加えて、
正当だろうが不当だろうがどうでもいいものがあります。
その辺りを選別していければ、だいぶ気が楽になるのではないでしょうか。

カリキュラムについて。
哲学の本を読むと、その語学力に舌を巻きます。
日本語で読んでさえ複雑な論理で書かれていて難しいのに、
それを英語だけでなく、フランス語やドイツ語で学んでいるわけで。
専門家になれば、ただ正確に読めればよいというわけではなく、
限られた時間で正確に読み解くことが求められるのでは。
語学の学習があるというのは、
本来なら個人で訓練してもおかしくないところを、
わざわざ教員がつく上に単位が出るのだから、むしろ贅沢な話では。
……という感じで、各授業に意味を見出せばよいと思います。
この語学の講義では、これを目標にする、のように。
予習も、ただ読むのではなく、短時間で読みきれるように練習するなど。
そうでないと、語学が多いのは辛いかもしれません。

ただ哲学書を読むだけなら、ほかの学部でもできると思いますし、
がんばれば今年出た現在の哲学者の論文を読むこともできます。
しかし、その論文の生の評価、いまの雰囲気といったものを知るには、
やはり哲学科に在籍しないと無理なのではないかと思ったりもします。
部外者として哲学をかじっていたほうが楽しいのは当たり前で、
研究者になるための訓練としては面倒なことのほうが多いだろうと思います。
加えて、教員にやる気がなかったりすると、
学生のほうも面倒なことをやる気さえ起きないかもしれません。
ただやはり、質問者さんについては、部外者ではなく哲学科で学ぶメリットに
まったく目を向けていないところが気になりました。
哲学科に在籍していなければ、もっと後悔しているかもしれません
(どちらのほうが後悔することになるかはわかりませんが)。

いずれにしても、後悔先に立たずということで、
まずいまの自分の立場を肯定するところから始めてみては。
メリットを最大化し、デメリットを最小化する方向に努力するしかありません。

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくら...続きを読む

Q哲学科で勉強することって???

高校を卒業したら大学に進学しようと思っている高校2年生です☆☆
どの学部に進学しようか迷っているときに、哲学科がある大学があることを知りました。
哲学に興味があったので、そういう学科で勉強したらおもしろいんじゃないかなって思ったんです。
でも、哲学科という学科があるということを知っているだけで、どういうことを勉強しているのかを全く知りません。
そこで!!哲学科に通う学生さん、もしくは哲学科で何を勉強するのかを知っている人はぜひ教えてください!!!!
自分でも大学のパンフなどで調べたのですが、より詳しい情報とかもお願いします!!

Aベストアンサー

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれば、専門的なことを
話す講師もいます。

ですので私が大学に進学するときには、自分の学びたい教授のいる大学に進むものがいました。

一口に哲学といっても意味合いが広すぎます。
それは古代ギリシアの自然哲学者たちが「なぜ」と考えること自信を学問とし、
その考えることを「知を愛する」ことである「philosophy」と名づけました。
その思考することである学問から、数学や音楽、天文学などが生まれ、哲学は
「万学の女王」と呼ばれています。

しかし、現在、哲学も細分化され、皆さんの言われている分野が主な研究対象となっています。
形而上学や、科学哲学といっても、一般の人には全然ぴんと来ないでしょう。
ここでそれを語ろうとすると、はっきり言ってきりがありません。
哲学とは定義づけすることの難しい学問ですから、その領域もとても広いのです。
また幾多の哲学者もさまざまな謎を出し、疑問に答え、論理を導き出しています。
その考えを知るだけで、途方もない時間が必要です。

抽象的なことばっかり言っていますが、これが「哲学とは何か」に対する答えだと思ってください。
しかし、あまり漠然とした答えでは何の参考ともなりませんので、さわりを少しだけ。


この世になぜものが存在するのか、そしてそのことを人間はなぜ認識するのか、どうやって認識しているのか。
また、目に見えないもの(神・真理・無限・絶対・永遠)は存在するのか。
有と無の関係。世界はどういう原理で作られているのか。 
そして、人はなぜ生まれてきたのか、どうやって生きていくべきなのか。


と、大雑把ではありますが、こういうことを考える学問です。
以上のものは主に古代哲学からの疑問ですが、現代では、
論理学や科学、数学なども絡み、さらに難解です!
その論文などは日本語で書かれていても、とても日本語とは思えません。
はっきり言って、実際学ばないとわからないと思います。
明確な答えが出ない物事を、真剣に思考するという、恐ろしい学問です。

1・2年の一般教育では、主に「哲学史」「哲学者の考え」を聞くこととなるでしょう。
そして、3・4年で、専門的な事を学び、自分の納得のいく答えを探すこととなります。


ただ、卒業したら社会の中、実生活では、正直役に立ちません。
ですので、#2さんの言われるとうり、変な人が多いのが特徴です。
もちろん普通の人もいますが、他の学科と比べてやっぱり・・・

よく哲学は「ごみの山」だと言われます。
ぜんぜん役に立つものはないのですが、その中に、ひょっとすると、
すごい宝があるのかもしれないと・・・

あなたは、哲学に興味がある時点で、かなり変わった人です。
ぜひ、そのまま哲学科へと進み、その生き方、考え方に磨きをかけてください!

まだ言いたいことは山ほどあるのですが、きりがありませんので、これくらいで。


最後に、哲学がいかに現実離れしているかの実例としてよく引き合いに出される
哲学の開祖タレスの2つの逸話で〆たいと思います。

「あるときタレスは天体観測のため空を見つめて歩き、熱中のあまり前方の井戸に気づかず落ちてしまった。この事件について、足元のこともわからないのに天のことばかり知りたがるのは滑稽だとトラキア人の女奴隷に笑われた。」

                        プラトン 『テアイトス』

「タレスが貧乏であったことから、世人が哲学などは生活に何の役にも立たないと
非難したところ、彼はその天文学の知識からその年のオリーブの豊作を察知し、
早いうちにミレトス中の搾油機を安く借り集め、時期が来て人々が必要としたとき
高く貸して大もうけした。」

                       アリストテレス  『政治学』  

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれ...続きを読む

Q東京芸術大学ってそんなに凄いんですか?

中学校の美術の教師が東京芸術大学芸術学部美術学科卒業でした。授業中「俺は東大よりも難しい大学を出てる」とよく自慢していました。中学生の時はその意味が分かりませんでしたが、大学受験の時、その意味は分かりました。ただその先生のことは本当に嫌いでした。そんな凄い大学出てても所詮は中学校教師。何が凄いのか分かりません。東京芸術大学でた人はどんなところで働くんでしょう?官僚になるわけでもなく、大手企業に行くわけでもなく・・・。いったい何をしてるんでしょうか?

Aベストアンサー

あてにならないウィキペディア情報ですが、出た人はだいたい以下のような仕事をしているようです。職業によっては、成功すれば、はぶりがよくなるでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E5.8D.92.E6.A5.AD.E7.94.9F

ただし、東京芸大の、それも大学院卒の俳優である伊勢谷友介さんがテレビでおっしゃっていたと記憶していますが、東京芸大は貧乏人を算出する大学だそうです。つまり、極めて優秀な芸術家を輩出する大学なわけですが、そもそも芸術家は芸術を生み出す人なわけで、お金を生み出す人ではないので、お金儲けにはつながらないのです。

「難しい大学を出る=安定した生活を送る」という理論に基づいて考えれば、芸大は「難しい大学」ということには確かにならないかもしれません。でも大学は本来、学問をするところです。そして東京芸大が、人の心や感覚をゆさぶるような優れた芸術を生み出すための優秀な教育を施してくれるのは事実です。東京大学法学部を出ても優秀な芸術家にはなれませんが、東京芸大を出れば優秀な芸術家になれる可能性が極めて高いのです。そして、あくまでも芸術家として優秀なだけであって、優秀な教師を育てる大学ではありませんので、中学教師として劣っていたとしても、まったく不思議ではありません。

ちなみに、私の中学時代の美術の先生は、当時、現役の東京芸大院生でしたが、実践的なことと芸術的なことの両方を楽しく学べる工夫をしてくださった、人としてもすばらしい愉快な先生で私は大好きでした。今は東京芸大以外の芸術系の大学などで教えながら、たまに展覧会を開いておられるようで、作風は変わりましたが、当時と同じジャンルの芸術を生み続けておられるようです。

あてにならないウィキペディア情報ですが、出た人はだいたい以下のような仕事をしているようです。職業によっては、成功すれば、はぶりがよくなるでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E4.B8.BB.E3.81.AA.E5.8D.92.E6.A5.AD.E7.94.9F

ただし、東京芸大の、それも大学院卒の俳優である伊勢谷友介さんがテレビでおっしゃっていたと記憶していますが、東京芸大は貧乏人を算出する大学だそうです。つまり...続きを読む

Q芸術って何ですか?どういう価値観で、定義はあるの?

芸術という言葉をよく耳にします。
芸術性が高いとか、芸術的とか、芸術点とかいいますね。
でも説明せよといわれても、うまくできません。
どなたか簡単にうまく説明してください。
どういう価値観に基づいているのでしょう?
そもそも定義があるのでしょうか?

また芸術の反対語は何になるでしょうか?
生活ですか?
そう考えるのは、芸術とは少なくとも生活するのに役にはたたないものだと思えるからです。
日常で使う道具は芸術でないと思います。
使わずに鑑賞するものに芸術が多いようです。

世界でもっとも芸術的(最高芸術)と呼ばれているものは何ですか?
芸術は民族によって変わってきますか?

Aベストアンサー

20世紀芸術の一大ムーブメントとしてキュビスムがある。ピカソやブラック、デュシャン等の絵画を見たことがあるだろうか?あの角々した多次元的な視点を持った絵画群のことである。彼らに影響を与えた思想は四次元思想である。人間が捉えうる三次元の知覚に拡大と自由を与えるものとしてこの四次元の思想がもてはやされたのである。
僕が思うに芸術というのは「世界認識を根源的な“創造する衝動の発露”とした表出の形態」のことを指すのではないかと考えている。したがって創造するその根源に「どういう世界認識があるのか?」これがその芸術の質になるのである。
わたし達は美しいと感じるものを見たり聴いたりする。しかし花や鳥の声をきいて即ち「芸術だ。」というのには違和感を感じ、芸術的であるというに留まるのは上記のような理由からなのである。つまりそれらが「世界認識を根源的な“創造する衝動の発露”とした表出の形態」ではないからなのだ。

反対語を考えるのはナンセンスではないだろうか?人の反対語はなんですか?と同様にその語の含まれるコンテキストによって変わってくるだろうし場合によっては反対語が存在しないこともありえると思う。

>芸術とは少なくとも生活するのに役にはたたないものだと思えるからです。
>日常で使う道具は芸術でないと思います。

マルセル・デュシャンを含めたのレディ・メイドの作品は日常で使う道具にそのまま名前を入れただけのような作品が少なくない。日常で使う道具は芸術でないとするのは早合点のようである。

>世界でもっとも芸術的(最高芸術)と呼ばれているものは何ですか?

20世紀の最も影響力のあった芸術家はマルセル・デュシャンと言われている。前述した「世界認識を根源的な“創造する衝動の発露”とした表出の形態」を芸術の定義と仮にするならばデュシャンの「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」(大ガラス)あたりはどうだろうか?

>芸術は民族によって変わってきますか?

民族によってその価値が変わってくるのか?という意味だろうか?
現実的に言えば提示された世界認識が理解不能と判断されれば価値の無いものとして扱われるだろう。
しかし論理の上では普遍だと考えている。世界認識とはつまるところ人間の知覚にかかわることであり、文化に左右される次元のみならず、人間の普段知覚できる三次元的世界を超越した何かを提示できるかどうかさえをも範疇としたものだからである。それは民族にとっての価値ではなく、人間にとっての価値なのである。よって芸術は民族によってその価値は変わらないと僕は考えている。

上はもし参考になればよいです。
僕もいつもこのことについて考えていて、なかなか答えが見つからず、上記もとりあえず今のところの僕なりの見解といったところなのです。真理とは何か?そう問うところから出発して今のところ上記にたどり着いた次第です。

20世紀芸術の一大ムーブメントとしてキュビスムがある。ピカソやブラック、デュシャン等の絵画を見たことがあるだろうか?あの角々した多次元的な視点を持った絵画群のことである。彼らに影響を与えた思想は四次元思想である。人間が捉えうる三次元の知覚に拡大と自由を与えるものとしてこの四次元の思想がもてはやされたのである。
僕が思うに芸術というのは「世界認識を根源的な“創造する衝動の発露”とした表出の形態」のことを指すのではないかと考えている。したがって創造するその根源に「どういう世界認識...続きを読む

Q美学・芸術学とはなんぞや?

東京芸術大学美術学部芸術学科を受験する予定です。
ずっとデザイン専攻でやってきていましたが、「美術史」や
「そもそも美とは何か?」ということを考えたくて再受験します。
ところが…芸大のパンフでは、「美学・芸術学を学ぶ」としか
書いていなくて具体的にそれがどういう学問かちっともわかりません。
本屋やネットで調べたところ、美学とは哲学の一種らしい、ということのようですが、具体的にどういう学問なのか…。噂では東京大学にも「美学専攻」というものがあるらしいです。専攻されていたという方、研究されている方、
「美学・芸術学」という学問の入門書でも結構です、なんでも情報ください。
自分の方向性は間違っていないとおもうので、絶対芸大でこれを学びたくてそわそわ待切れなくなっている私に「こんなことやってます」と教えてください。FEED ME,PLEASE!!!

Aベストアンサー

芸術学と美学は基本的には似たようなものですが
芸術学の方がより狭い範囲を担ってます。
ようするに、「自然って美しいなぁ」と思うと
その美や、美的感情は美学の範囲ですが、芸術は関係ないので
芸術学はこういうものを担当しないのです。
ようするに芸術の造り手の存在を重要視するというか。
平凡社の哲学辞典の「芸術学」の欄を軽く説明して引用しますと

「現代のドイツ哲学において、一般に美学と区別して用いられる語。
 美学の概念をもっとせまい意味に限定して、美学とは美の形而上学的ないし
 心理的な分析であると考えるのである。」

☆・・・つまり、前の投稿でイメージより難しいですよ~と言った、
    哲学的な美とは何か、とか美には普遍があるのか、とか人が
    美を感じるのは何によって、どのようにか、と考える、それだけが
    美学で、あとの芸術作品が絡む方は芸術学がもらった! という
    考え方です。もちろん美学をやってる方にはそんなのお構いなしに
    なんでもやります(笑)という考えもあります。

「フランスではラロが同じような傾向の美の概念を立てているが、
 美学という言葉はひろく芸術に関する学の意味で用いられ、芸術活動によらない
 自然美のようなものは非美学的と考えられている。もちろんドイツ哲学にも
 グロッセのように美学すなわち芸術学であるという立場や、ランゲのように
 美学の対象を芸術に限るとする立場、あるいは新カント学派のように芸術学の
 方法を先験的に批判するものが美学であるとする立場も存在している。

 新しい芸術学を提唱する人々は、芸術は人間のあらゆる精神的活動を含むことが
 できる創造的な働きであるから単に受動的に感ぜられる美についての学を
 もってしては、芸術を具体的に追求することはできないと考えるのであり、
 美学は美の形而上学的ないし心理学的な分析であるから、時代的にも
 民族的にも、それぞれにつよい個別性を表現する芸術作品は、美学の対象たり
 えないと考えるのである。

 そこには芸術作品の美ではない美、すなわちいわゆる自然美はなんであるかと
 いう問題があり、美学は美の形而上学的分析と心理学的分析にのみとどまるべ
 きかという問題がある」

つまり近代になって芸術作品を対象として、今まで見たいな哲学的な問題は
いいよ、という感じの学なのです。ただこの芸術学の定義や意義についても
様々な議論があり、私的には美学の中の一派で芸術作品を取り扱う学門という
イメージです。

ちなみに平凡社の哲学辞典は日本の哲学界では基本でメジャーですが
作られたのが古いため、最新の研究事情と食い違ってたらごめんなさい。

芸術学と美学は基本的には似たようなものですが
芸術学の方がより狭い範囲を担ってます。
ようするに、「自然って美しいなぁ」と思うと
その美や、美的感情は美学の範囲ですが、芸術は関係ないので
芸術学はこういうものを担当しないのです。
ようするに芸術の造り手の存在を重要視するというか。
平凡社の哲学辞典の「芸術学」の欄を軽く説明して引用しますと

「現代のドイツ哲学において、一般に美学と区別して用いられる語。
 美学の概念をもっとせまい意味に限定して、美学とは美の形而上学的ない...続きを読む

Q一冊の本を読む時間について、

通常、約300ページくらいの本を何時間くらいで読んでおられるでしょうか。私は、約12時間くらい、かかっているのですが、遅いでしょうか。ある本に、約3時間と書いてありました。そんなに早く読んで、内容を理解できるものなのでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

内容によっては1時間くらいで読んでしまうものもありますが,平均するとやはり3時間くらいでしょうか。
関連性のある本をすでに読んでいる場合などは,語句の意味を改めて咀嚼しないでよいので早く読めます。というか,斜め読みって感じですね。
反して普段読まないようなジャンルでは,出てくる語句の意味を別の本で調べながら読んだり,前へ戻ったりとするので,10時間とか軽くかかっちゃうこともあります。
ミステリーなどは逆に早く結末が知りたくて一気に読んでしまったり,恋愛ものでは最初にさらっと気になる場面だけ読んで,改めて最初からじっくり読んだりもしますね。やはり,皆様が仰るように,本の内容と本への取り組み方で時間のかかり具合は違うようです。また,1つの本を読んでいるとき,以前に読んだ関連性のある本の内容を即座に思い出せるかどうかでも,理解力や読書時間はかなり変わってくるのではないでしょうか。
ちなみに,私が最近はまっているジャンルの本はドラマCDが出ており,読むときには頭の中で好きな声優さんをキャスティングして声を再生(?)しているので,結構,時間がかかるときもあります。これも一種の楽しみ方かしら(笑)

内容によっては1時間くらいで読んでしまうものもありますが,平均するとやはり3時間くらいでしょうか。
関連性のある本をすでに読んでいる場合などは,語句の意味を改めて咀嚼しないでよいので早く読めます。というか,斜め読みって感じですね。
反して普段読まないようなジャンルでは,出てくる語句の意味を別の本で調べながら読んだり,前へ戻ったりとするので,10時間とか軽くかかっちゃうこともあります。
ミステリーなどは逆に早く結末が知りたくて一気に読んでしまったり,恋愛ものでは最初にさらっ...続きを読む

Qレポートの書き方

こんばんは。
冬休みの課題で、「美術館に行ってレポートを書く」というものが出ました。
ですが、あまりレポートを書いたことが無いので書き方がわかりません。
アイヌ文様の美というのに行こうと思っているんですが・・・
やはり写真もレポートには入れた方がいいでしょうか?
レポートの書き方に次いでわからなくて困っています。
美術が好きなので、良いレポートを書きたいと思っています。
どうか、書き方を教えてください。お願いいたします。

Aベストアンサー

美術大学に在籍しています。ご参考程度に、私の経験からアドバイスをさせて頂きます。


全体の構成としては
(1)表紙(主題タイトル)
(2)本文

主題について、どういうところが自分にとって魅力的なのか、
それにはどういう由来や歴史があるのか、何を意味するのか など
いくつかの項目に分けて考えると書きやすいと思います。

例えば…「印象派について モネの魅力」が主題だとすると
1.印象派とは
2.モネの生きた時代とその功績
3.代表作『睡蓮』の連作とその変化
(以下必要なだけ項目を設ける。最終的に、
ある程度自分の主観を入れた論述があったほうが「美術館に行って」という部分が活かされるので、良い と
私は思います。)

…など
主題の背景(アイヌの文化でしたら、アイヌ民族のことなど)から
徐々に幅を狭めていって、主題を浮彫りにしていくと読み手がすんなり入り易く、
印象に残るレポートができるのではないでしょうか。
又、写真は効果的に入れていったほうが良いと思います。
レポートの読み手はその内容について知らないわけですから
いわば教科書や新聞のようによりわかりやすく情報を伝えることを考えると…
あったほうが、親切なように感じます。

(3) まとめ
上にも記述しましたが、「美術館に行って」ということなので
美術館に対する感想、今回レポートを作ったことによって気付いたことや良かったことを書き、あとがきとします。
ある程度の長さがあったほうが説得力があると思います。
又、最後に
参考にした文献(本やWEBページ)について「参考文献」として記述しておきます。(箇条書きで大丈夫です)
本はタイトルとISBN、WEBはタイトルとURLを記述します。
版権的な問題のためもありますが、これだけ色々調べました というアピールにも繋がると思います。


私は以上のような手順で、レポートを書いています。
わりと高評価を頂くこともあるので…ある程度参考にして頂けると思います。

余談ですが
「美術館の入場券の半券を
表紙かはじめのほうに展示タイトル・日時・場所 の明記と共に貼って提出しなさい」という指定で
レポートを作ったことがありまして…
指定が無くてもそうすると、なんだかそれらしくなる気がしますので、
ちょっと使える手かもしれません。


レポート制作 頑張ってくださいませ!
微力ながらお力添えできていましたら幸いです。

美術大学に在籍しています。ご参考程度に、私の経験からアドバイスをさせて頂きます。


全体の構成としては
(1)表紙(主題タイトル)
(2)本文

主題について、どういうところが自分にとって魅力的なのか、
それにはどういう由来や歴史があるのか、何を意味するのか など
いくつかの項目に分けて考えると書きやすいと思います。

例えば…「印象派について モネの魅力」が主題だとすると
1.印象派とは
2.モネの生きた時代とその功績
3.代表作『睡蓮』の連作とその変化
(以下必要なだけ項目...続きを読む


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