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私はよく街中でバナナを食べることがあるのですが疑問に思うことがあります。

1、バナナの皮をポイ捨てして、その直後もし老人が転んで頭を打って死んでしまったら何か罪に問われるでしょうか。(捨てた側は善意者であり、捨てる=所有権の放棄をしているといえるとも思うのですが違いますでしょうか)

2、同じケースでポイ捨てして2時間後にそのバナナの皮で滑って死者が出た場合はどうでしょうか(自分の捨てたバナナの皮とは断定できないと思います。それともバナナについた指紋などを検証されて所有者を特定され、元のバナナの皮の持ち主に罪を問われたりするのでしょうか)

A 回答 (6件)

善意・悪意とは、通常、民事法において問題となる概念です。


刑事法においては、故意であったか、過失であったか、故意も過失もなかったかが、ほとんどの場合問題となります。
(故意・過失の有無を問うための材料として善意・悪意が問題となることはもちろんあり得ますが)

ご質問にある善意とは、文脈から、バナナの皮で人が死ぬ・傷つくことに故意はない、つまり人を殺したり傷つけたりするためにバナナの皮を捨てたわけではない、という意味に捉えて良いでしょうか。
また、ポイ捨て自体が、道路交通法や各自治体の条例等に反するケースも当然考えられますが、差し当たりそれは無視して、人が死んだという点にのみ着目するものとします。
以下、その前提で話を進めます。もしご質問の意図と違ったらすみません。

まず、凶器の所有権と犯罪の成立不成立には、ほとんどの場合関係がありません。
例えば、盗んだ刀で人を殺した場合や、道ばたの石ころを線路に置いて列車を脱線させた場合などを考えてみてください。
刀を盗まれた人が罪に問われたり、凶器に所有者がいないから犯人はいないなどということになったりはしません。
つまり、あくまで犯罪行為を行った者が「犯人」として罪に問われるわけです。
もちろん、犯人が不明の場合、凶器の所有者が容疑者として浮かんでくることはあり得ますが、それは単なる捜査技術に関する問題で、凶器の所有権が犯罪の成立要件となることはありません。

さて、故意はない(=殺意はない)ということですから、殺人罪が適用されることはありません。
過失致死等が適用されるかどうかという問題になります。
つまり過失の程度が、罪に問うべきレベルか否かということになりますが、現実にはケースバイケースです。

例えば、ご質問文の2の場合ですが、同じ「バナナの皮をポイ捨てする」でも、人通りの多い交差点の真ん中に捨てた場合と、ほとんど人の通らない裏道の相当脇の方に捨てた場合とではかなり変わってきます。
ほとんどの人は、前者の方が「過失」の程度は重く、後者は比較的軽いと判断するのではないでしょうか。
単なる可能性の問題としてなら、いずれの場合でも罪に問われる恐れはあるといえますが、前者は過失とされる恐れはかなり高いと思われます。あまりにもひどい場合には、人を傷つける意思があったと判断され、傷害致死にまで発展するかも知れません(人の意思は結局、行為によってしか判断できませんので)。
一方で後者は、場所や状況によっては無過失とされるかも知れません。もちろん「かも」ですが。
ただ、刑事における「過失」は割と狭く捉えられる傾向にあるようです。
実際には、悪質であったり、犯人がかなり明白な場合であったりなどの事情がなければ、捜査・立件に至ることは少ないでしょう。

一方で1の場合は、ポイ捨ての直後に転んでいますので、これは老人の目の前か、少なくともごく近くに捨てたものと考えられます。
老人が遠距離から猛スピードで走ってきたような場合は別ですが、それは普通考えられないでしょう。
従って、近くに人がいないことの確認を怠ったか、または視界が悪い等の理由で確認ができない場所にバナナの皮を捨てたということになります。
これは無過失で済ますには難しいと思われますので、よほどの事情がない限り過失致死が成立すると考えられるでしょう。

もし、ご質問文の「罪」が民事責任のことを指しているのでしたら、捨てた人(加害者)と転んだ人(被害者)にそれぞれ過失があったか、あった場合はその責任割合に応じて、損害賠償義務の存否、賠償額の判断をすることになります。
こちらは刑事と違い、過失の適用範囲は割合広く判断されるようです。
またこちらの場合についても、バナナの皮の所有権は関係ありません。
行為の責任のみが問題になります。
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そもそも「ポイ捨てする」こと自体がどうかと思うが....



さておき, どちらにしても犯罪として扱われることはないでしょう. 刑法でいう「因果関係」は「こうしたらこうなる」という意味の「因果関係」より狭く解釈することに注意.
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1、バナナの皮を捨てた結果、老人が転んで死にました。


因果関係が成立しています。もし皮を捨てなかったら老人は死ななかった。
捨てたために老人が死んだのです。
だから過失致死が成立します。

善意者とあなたが書いていますが、法律用語で善意者とは「ある事実について知らない」
という意味あいで、あなたが言う「道徳的に善である」ことを意味しません。
だから刑法に照らし合わせて考えた場合、あなたが言う道徳的に善意者であっても、
なんの意味もなしません。

また「捨てる」というのは所有権の放棄ではなく、道端に捨てるというのは
公序良俗に反する不法行為です。公共の場所にごみを捨ててはならないのです。
ここでもさきほど言ったとおり、道徳的な善意者はまったく関係ないし、道徳的に善意の者が
ごみを捨てる時点で善意者ではありません。

2、本来バナナの皮で滑って死ぬというのはマンガの世界の話であって、
このバナナの皮によって死んだとしてもただの事故死です。
バナナの皮を放置してあった場合、その結果によって死んでもあなたは罪には問われません。

例えば自転車を投げ捨てたために、老人がそれに当たり死ねば当然投げ捨てたあなたが罪になるのは
分かりますよね。しかし放置自転車に老人がぶつかって死んだからと言って、放置した者が悪いとは
ならないですよね。自らぶつかっていったのだから。もちろん放置に対してのペナルティはあるとは思いますが。だから罪には問われません。
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素人考えなので無視しても構いません。



A1
所有権の放棄を述べられておりますが、ゴミを適切に処分なかったのですから、過失は成立しますよね。
ですので過失致死が成立するのではないでしょうか?
且つ、刑法総論に於ける「相当因果関係」の学説に3つありますが
 1 主観説
  ・行為者が行為時に予見していた事情および認識しえた事情を判断材料とする
 2 客観説
  ・行為時に存在したすべての事情を基礎として、行為後に存在した事情であっても
それが行為時に予見可能であれば判断材料とする
 3 折衷説
  ・行為時に一般人に認識、予見可能であった場合と行為者が特に認識、予見しえた事情を
判断材料とする
バナナの皮をポイ捨てたと言う事実1に対して、「誰かが転ぶかもしれない」という認識又は予見は可能でと考えますので、事実1と老人が死亡したと言う事実2のと間に相当因果関係が成立しないとするのは難しいですね

A2
事実1の行為者が特定できないのであれば被疑者不明となりますが・・・事実1の行為者が警察のデータベースに指紋登録されており、且つ、バナナから指紋が検出されたのであればA1と同じになると考えます。
しかし、指紋登録が為されている上に指紋が検出されるなんて、多分、凄い確率ですよね。
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善意というよりは悪意がなくと言うべきでしょうね。

日本では悪意がなくとも過って人を傷つけたり死なせてしまったときは罪に問われます。

1.過失致死罪に問われる可能性がありますね。少なくとも日本の法律ではそうなります。所有権は関係ありません。人が死亡した原因を作るとその行為を罰せられるのです。

2.犯人が特定できるかどうかは全く別の問題です。普通の殺人だって掴まらなければ罪に問われることはありません。警察が時効にかかるまでは捜査を続けるでしょう。
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