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利他(他我愛)こそが世界を救う、と私は思います。
そして、それが「真の利己」だと思います(利己は利他を包含する)

皆様は、どう思いますか? どんなご意見も受け付けます。

A 回答 (18件中11~18件)

賛成。

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太古から、優しさを示した人は 我執の塊を持つ人種に攻撃されてますよね。

別に出てもいないのに杭が結果的に出てしまい、打たれてしまった感じです。みんなキリストになることはないだろうし、同じ人間はこの世にいないということは素晴らしいことだと思うのですが、なかなかそう思えることは往々にしてないですよね?不平不満があるのは人だけでしょう きっと。
釈迦のように捨て去れば気楽になれますよね(^.^)/ 一度地球に隕石でも落下すれば 人は苦労を経験してまともになるのではないでしょうか?人が人を殺すのは秩序が整った現代では異常なんですが、時に戦争などでは敵と味方に分かれてお互いを潰し合ってしまうんですよね。同じ人間なのに悲しいです。やはり「自分がやられたら嫌なことを他人にはしないことですよね。」逆に言えば、「自分がやられたら嬉しいことや心地よいことを他人にしてあげる」ことで一応の世界平和にはなりますね。でも人間は同じことを繰り返しますからね。これは理想論で綺麗事です。
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利他と簡単に言いますが、その「他」が


複数で、しかも利害が対立している場合
はどうなるのでしょう。
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自分以外の人のことを思いやるってことですかね。



まず、地球上の人間が全員強くそう思う状態と言うのは発生しません。

なので、発生しないパターンを仮定しているので意味がありません。


世界を救う条件としてはOKですけど、その状態に持ってく方法が示されていません。
よって、世界を救う方法とはなっていません。


個人的には大義名分なんか無くても他人を思いやるのが当たり前だと思っています。
もちろん、それが難しいのも道理だと思ってます。

行動は美しいほうが強さを感じますけど、理屈というのは美しいほど弱いものかもしれません。
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自利即利他の精神ですね。

仰る通りだとは思います。

ただし、それが実現される為には、万人がそこに気づき、皆がその精神に基づいた生活をする必要があります。

また、この場合、「利己は利他を包含する」とは同時に「利他は利己を包含する」であることも忘れないでください。
要するに、自身の得するところなしに人に奉仕し喜んでもらえることに満足するようなネガティブな「犠牲的幸福」ではなく、もっとポジティブな…。
そう、「自分の努力によって皆が快適に暮らせるならば、それで満足だ…」ではなく、「皆が快適に暮らせると自分も快適だから、その為に頑張ろう」みたいに。

自己犠牲的な利他の欠点は、この世の中で実際に生きていればよくおわかりかと。わかっていたら、ごみのポイ捨てなんかするわけありませんから。
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標語やスローガンで何かを言うことには無理がありますね。



「他者のために」やっているということが、実はおせっかいや押しつけであることの方が多いですよね。
アメリカなんて誰も頼んでいないのに、いろんなところに軍を派遣していますよね。世界を救う、守るっていってますが、自分たちに都合のよい<世界>でしかありません。

身近でもそんな連中がいますよ。
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愛をある種の道具として扱うことに違和感があります。


これは愛すがこれは愛さないという選択が可能でしょうか。
もっといえば愛をコントロールすることが可能でしょうか。
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基本的にはその通りです。


ただ、利他といってもいろいろあります。
本当に世界を救えるとすれば、すべての人々が利他的行動をとれる(結果的に最もその人のためになる)ようにしてあげる必要がありますね。
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