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ゴーンさんが社長になるまで、日産は倒産しかけて
いたと聞きました。確かにルノーの傘下に入ったり
してたけど、そこまで経営悪化してたのですか?

倒産しそうといってもピンと来ません。
どのくらいヤバイ状態だったのでしょうか?

倒産しそうと聞くとどうも、町工場の倒産の
ようなイメージありますが、そんなのではないですよね。

A 回答 (3件)

【日産の危機】


1993年頃の日産は技術は一流でしたが、
下記のようなことで日産は危機に瀕していました。
1995年4月に円相場は初めて東京市場で
1ドル=80円の相場を突破し、一時79円台をつけました。
このために3億ドルの為替差損が発生。
さらに8代目サニーの価格引上げによる失敗。
いすゞとの小型トラックでのOEMにみる交渉ベタ。
藤井副社長のM資金事件。
技術先行型でユーザーニーズを重視しない新型車開発。
その結果、座間工場の閉鎖し合理化を図ろうとしましたが
その後もいっこうに赤字が減りませんでした。
1999年頃は倒産の危機に瀕していました。
2000年3月期の連結最終赤字は6843億円にも上っていました。
このままでは大型倒産というところまで追い込まれていました。

【ルノーと提携】
しかし、フランスの自動車メーカー・ルノーから資金を入れ危機を乗り越えました。
事実上吸収合併される形をとりました。

【リストラによる再生】
日産を立て直すには新しい経営者に立て直してもらうしかないということで
「壊し屋」の異名をもつカルロス・ゴーンがルノーから社長として送り込まれました。
2万1000人の人員削減計画というリストラとコスト削減、
合理化の推進で2001年には3311億円の黒字に改善されました。

【なぜ成功したのか】
日本人の経営者だやりにくいリストラを外国人経営者だから可能になったこと。
車種を絞りこんだ、徹底的な購買コスト削減、
為替の徹底的な管理、新型モデル投入などが成功の要因と言われています。

参考URL:http://opinion.nucba.ac.jp/~sasaki/toyota.html,h …
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すさまじくヤバかったそうです。



一時期本当に日産車が売れていないなと思いました。
また、当時の日産車は一部の車種を除いて誰をターゲットにした車を作っているのかわからないくらいに購入者層を絞り切れていなかったように思います。

それに、「シーマ現象」とまで言われた時代を経て、高級車を作るメーカと思いこんでしまった日産は、あらゆる車をオーバースペック気味に作ってしまったりもしていました。
他のメーカーもその傾向が強かったのですが、日産はそれに気付くのが遅すぎたのです。
その結果、かなり危なかったそうです。

はじめにゴーンさんがやってきた時は、正直「大丈夫?」とも思いましたが、今の日産車は「どのような層の人にどの車を売りたい」という事がわかる非常に良い傾向にあると思います。

それでは!
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このニュースはNHKスペシャルで放送していました。


わたは、ビデオに録画していたのですが今はどこに行ったのかわかりません。
いずれにしても、有名なのがザマ工場の閉鎖が有名ですね、この工場が閉鎖になり関連工場が倒産になったのは記憶にあります。
でも、いまでも誰もが口をそろえて言うのが、スカイラインのデザインは伝統を壊す失敗作と私の周りは言っています。
がんばれ日産!!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
確かにスカイラインはちょっとガッカリ
ですね。でも、マーチやキューブの斬新な
デザインは好きです。
そういうウチもキューブキュービックあるんですがね。
ウチは親父と兄貴が日産党なんでね。

お礼日時:2003/10/25 00:23

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