天使と悪魔選手権

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俺は朴一先生については在日朝鮮人は強制連行で日本に来た被害者ではなくて大半は移民だと認めた点は高く評価していますが、併合後、李氏朝鮮時代よりも生活が苦しくなったから仕方なく仕事を求めて移民したんだというのは単なる言い訳にしか聞こえません。 千葉経済大学の三浦洋子先生が論文に書いていますが、併合後の朝鮮人一人当たりの1日におけるカロリーは約2700kcalに「上がっている」わけで「下がってる」訳じゃないし、人口も李氏朝鮮時代よりも増えてるし、平均寿命も20歳代から40歳代に伸びてるわけでしょ?
そりゃあアフリカの飢餓地域みたいに1日における一人当たりの平均カロリーが低いのに人口が爆発増加したような状況ならば「生活が苦しくなったから」って主張も分かるがカロリー上昇して人口が増えたのならば別に問題無くねえか?批判すべき点があるとするならば、腹一杯食えるようになったからって軽々しくガキ作りセックスに励むんじゃねえよ。このチンカス愚民ども(笑)、せめて膣外射精(顔射とかw)しなさい!ってことだと思うが、
皆さんはどう思いますかね?

A 回答 (5件)

 「併合後、李氏朝鮮時代よりも生活が苦しくなったから仕方なく仕事を求めて移民した」とは、全然事実と違います。


 おっしゃるように日本との併合後に生活が向上しました。
 李氏朝鮮という国は超貧しい貧乏国でした。今の北朝鮮や、ミャンマー、ネパールのような国で、王様の業績を記した王朝の正式な歴史書である『朝鮮王朝実録』には飢えに苦しんだ人々が人肉を食べる話が何度か出て来るほどでした。
 チャングムが仕えていた中宗という王様の業績を記した『朝鮮王朝実録 中宗実録』にも、人肉を食べる話が書いてあり、
 その次の王様だった宣祖という王様の記録の所にも書いてあり、
 今NHK総合テレビでやっているイ・サン(正祖)のおじいさんである英祖という王様の記録の所にも記されているそうです。
 ちなみに宣祖の記録は、宣祖27年(1594年)1月17日の所で、「飢饉により人を捕まえて食べることを厳禁することを命じる」です。

 人肉を食べた話でなく飢饉に人々が苦しむ記述はもっと沢山頻繁に書かれているそうです。

 民衆は上から何重にも税金を取られ、圧政に苦しんで飢えていました。重税や労役(課されていた強制労働)から逃げ、食べ物を探すため、住んでいた村を捨て全国をさまよっていました。
 ひと家族やふた家族が逃げただけでなく、村の住民全員が一度に逃げ出した記録もいくつもあるそうです。
 それは戸籍の古文書からも本当だったことがわかっています。戦前に日本の学者が調査した戸籍と人口の調査だけでなく、1980年代に韓国で発見されて韓国の学者たちが研究した戸籍文書からも、一つの村の住民で代を継いで同じ村に100年間住んでいた人がまずいなかったことがわかりました。
 100年未満、だいたい70年から80年の間に住んでいた人はみなよその地へ出て行き、孫の代、ひ孫の代になっても同じ村に住んでいた人はただの1家族もいなかったことがわかったのです。

 1990年代に北朝鮮では大飢饉が起こり、200万とも300万ともいわれる大量の餓死者が出たようですが、ああいう大飢饉・大量の餓死者という出来事が李氏朝鮮時代には何度も起きていたのです。

 朝鮮国内をさまよい歩くだけでなく、現在わかっている資料では1830年代からはロシアや中国領へも逃げ出して生活していたことがわかっています。
 李氏朝鮮末期に朝鮮とロシアを旅した英国人イザベラ・バード女史が、ロシアに定着した朝鮮人のことを書いているのは大変有名です。ロシアの東方開拓にロシア人と共に汗を流し、ロシアの秩序を守っている朝鮮人移民者たちがロシア人から信頼を得ていると書いています。
 中国領内へ逃げ出して生活していた人達が、今の中国の朝鮮族の元になりました。李氏朝鮮と清が白頭山の国境線問題(領土問題)で話し合った1840年代にも、清は不法に越境して来る朝鮮人の問題を議題に取り上げています。

 1910年の併合よりもずっと前から、人々は食べ物を求め、法を破って外国へ逃げていました。

 そういう本当の李氏朝鮮の歴史を知らないから、大ウソの見解が出て来ます。
 朴一氏は母国の歴史書である『朝鮮王朝実録』を読んでから発言をしていただきたいですね。『朝鮮王朝実録』は、韓国人が大好きな「世界遺産」ですよ。
 王様の業績を記録することが目的の正史ですから、「飢餓」「人肉」なんて記録は本当は書きたくない記述です。それを書かざるを得なかったというのは、よっぽどの大飢餓や人肉食いの横行があったものと思われます。

 ちなみに、北朝鮮は1990年代の大量餓死者にもかかわらず、国連へ報告している人口動向には「1990年代にも人口が増えていた」と報告しています。
 あれだけたくさんの餓死者の証言があるにもかかわらず、「人口は増加」ですって。
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>「批判すべき点があるとするならば、腹一杯食えるようになったからって軽々しくガキ作りセックスに励むんじゃねえよ。

このチンカス愚民ども(笑)、せめて膣外射精(顔射とかw)しなさい!ってことだと思うが、
皆さんはどう思いますかね?」

カスを「高く評価している」人はカス好きだと思います。
「朴一」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E4%B8%80
によると、高評価されている朴一の発言は以下のとおり。
《日本海はどうして一国の名前がつくのか。中国も東海という名称を使っている。東海という名前に変更するべきだ》まさに嫌日学者!
《「在日韓国・朝鮮人が加害者となった犯罪行為は本名ではなく通名で報道するべき」と主張し、一方で芸能人やスポーツ選手などは、日本国籍取得者であろうととハーフであろうと在日コリアンであると主張している》まさに在日学者!
《高倉健を在日コリアンとして紹介している》まさにデマゴギ民族!


江戸とは比べ物にならない、天と地の差がある。それでも代々豊かな日本人を恨みたい、代々醜い人間は、歴史の現実までも整形手術しようする。
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-770.html
先祖の顔まで整形手術。
前の回答者さんの韓国論は公正中立的でしょう。


本題に関しては以下のとおり。
「ふらっと 人権情報ネットワーク(C) ニューメディア人権機構 」
http://www.jinken.ne.jp/kyousei/paku/paku3.html
要するに、「強制連行!」などとイデオロギーで主張している過激派とは違うのだ、「強制力を伴った労務動員」の方が正確な表現だ、私は科学的事実を日本人に教えているんだ、という表明です。どこを高評価できるんですかねぇ。「強制連行」を否定していなんですけど。より正確な表現は別にある、と在日が日本語で説明しているのですが一部の日本人には分かりませぬか。在日の方が日本語が巧みなのかね。それじゃあ馬鹿日本がのっとられてしまうのも不思議じゃないわ。

日本の税金で生活し、権利を日本人以上に要求し、教授という地位を得て、日本の学生に韓流を吹き込んでいる在日です。見事に最悪ですよ。メディアに露出すれば、共感を覚えるというマスコミ日本人はアホですわ。健康食品と同じ、テレビで見たことあるー、で少しは信用していいみたいな、尻軽平和ボケ。



「朝鮮半島の人口転換とその変動要因の分析
―李朝時代から現在(韓国・北朝鮮)まで―」
(三浦洋子)
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004624524
の論文によると、

植民地時代の人口(朝鮮総督府統計年報)
1910年 13,128,780
1920年 16,916,078
1930年 19,685,587
1940年 22,954,563
1950年 24,389,719

ちなみに、1906年の人口は、調査によって違う。
旧韓国政府内務部の調査 579万人
警務顧問部の日本人調査 1293万人

また、食糧需給表によると、
1927年の供給熱量は、
朝鮮 2700キロカロリー
日本 2300キロカロリー

三浦洋子さんは、朝鮮の食料が量的に改善したと記述されています。

さて、カロリー不足の改善した朝鮮人が、子作りをして何が悪いんだろうか?
当時の日本政府もそれを望んでいたはずだがね。李朝時代に厠の豚あつかいされていた朝鮮の民衆に、日本が、衛生的な近代国家の飼料を与えてやった格好だろうよ。天国ですよ。今更、何を主張しようが、歴史は変えられないのだから、所詮、それは、本来餓死病死してこの世から消えているはずの朝鮮人が、死ななくなったせいで生じる贅沢な悩みと、伝統と文化と文明のある外国人(日本人)に追いつけはしないから引きずり下ろそうとする嫉妬です。金持ちを逆恨む社会主義者と同じ。お前の貧乏とこっちの金持ちは無関係な話というのが分からない錯乱状態です。
人口が増えた背景には乳児死亡率の改善に象徴される公衆衛生や医療の普及もあります。栄養状態の悪かっただろう、李氏朝鮮時代以前から、子作りは盛んだったはずですよ。ただ死じゃうんだよ。三浦洋子さんの論文にもそう書いてある。つまり日本が朝鮮人の赤ちゃんを死なないようにしてやったんでしょ。同胞同士で殺し合ってきた朝鮮民族を増やす助けをしたのは日本人なんだから朝鮮戦争勃発記念日には日本人に対して歴史的大感謝祭をしてもらいたいですね。朝鮮動乱で、日本に併合された有り難さが、民族レベルの差として証明されていると思うのだが。百万人の朝鮮人を誰が殺した?殺したのは朝鮮人で、そいつらが赤ちゃんの時に死なないようにしてやったのが日本人。恨む相手を間違えている知能レベル。朝鮮の反日教育は、日本の平和教育同様に、錯乱した国民を増やします。程度の差は埋め難いから、嘘を広めて、歴史を変えようとする韓国人は、まるで金持ちの家を逆恨み(恨)する代々貧乏の社会主義者一家のようだ。因果応報で、飢え死にさせてやった方が正しい社会になるのだ。現代日本に悪化した点があるのならば、それは朝鮮人を豊かにした結果と相似の現象が、日本人社会の中でも生じたからだ。農地改革。アメリカの強制力のお蔭でとりあえず日本は一流の工業国家になれはしたのだがサラリーマン社会民主主義平和共和国になった。その社用族感覚の経営的無責任性格によって国までもローン地獄である。誰が悪い?ねじ曲がった朝鮮人根性と同じ性格で生きている精神的に貧しい日本人だ。政府財政にたかる朝鮮新聞式戦後日本国民のはしたなさ。愛国も反日も、ぜんぶ意地汚い金欲しさである。一方の有権者は、政治家や政治家にすらならない評論家の、心にもない友愛演技、愛国狂言を採点して、政治参加のつもりでいる。


結論。役人と反日は増やすべきではない。増やすと将来、国益を損なう。右翼も消えろ。お前らに伝統はない。保守も黙れ。お前らの政治は道楽に過ぎない。左翼は問題外。火星に行け。
テレビ好き有権者が中心になって政治を娯楽にしている現在の日本は、食あまりです。食料自給率を問題視している奴らの食生活を見てみたいものだ。その栄養に恵まれた口で、資本主義の悪口を言っている奴らは何カスなんだ?資本主義に感謝できない、そのカスは、日本の統治に感謝できない朝鮮人と同じだろう。それ以下のカスだろ。資本主義が嫌いなら朝鮮民主主義人民共和国へどうぞ。反資本主義者は中国では愚民になるだろうからね。行き先は北しかない。賢い美形金持ちから下品な醜悪貧乏人までいろんな個性が存在してこそ正常な人間社会です。政府権力がフラットにのしてしまう沈黙の社会主義国とは正反対の、多様性のある自己責任社会が健全なのです。宗教学者じみた屁理屈を持ってこなければ、当たり前の事です。当たり前の歴史と市場経済を認めたがらないアジア人が多い。一般人が白米を食えなくなるのは統制が厳しくなってからでしょう。社会民主主義で最終的に得するのは役人だけです。北を除く、東アジアは経済発展したのに、多くの世帯で、貧民根性の遺伝が続いています。頭が悪いから愚民なのです。

と思いました。下郎極まりない”質問文”は非常識な朝鮮人の釣りを疑わせますので、お気持ちは分かりますが、表現にお気を付け下さい。タイトルと引用だけなら優れた質問なのですから勿体ないですよ。
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 李氏朝鮮時代、民衆(平民や)は極めて苦しい生活をしていました。

飢えに苦しむアフリカの子供の写真がテレビやネット画面に出て来ますが、あんな感じです。

 飢えた庶民からは盗賊がたくさん出て、朝鮮全土で盗賊がいないところは無いと言われました。
 盗賊になれない民衆は竹やりを手に、民乱と呼ばれる反乱をおびただしい回数起こしています。
 またただの盗賊でなく、不正をして私腹を肥やしていた官吏の蔵や年貢米倉庫を武器を持って襲い、食料を奪い、飢えた民衆に分け与える「義賊」も出現します。
 最も有名な義賊は、林巨正という盗賊で、小説や映画、ドラマになっていて韓国人にはおなじみの人物です。

 国に納めなければならない貢納品(年貢のようなもの)がいく種類もあり、しかも途中に入っている官吏たちが勝手に私設の貢納を作って定められた以外の貢納を取ったり(勝手に取った分はこれら不正官吏のフトコロに入る。)、儒教の学者達が儒学者独自の荘園を全国に持ち、地元の民衆にこれまた勝手に貢納を課して(法で定められていない勝手な私税)貢納を徴集したりしていました。
 民衆はこのように何重にも搾取されていました。

 末端の官吏までが不正をして私腹を肥やし、民衆を苦しめている様子は江戸時代末期に船が漂着して朝鮮に流れ着いた薩摩藩の武士の日記にも記されています。
 薩摩藩の武士はある日、農民が地方の役所で米を納めるのを見ます。米を量るのにマスをすり切りにしない、マスに盛れるだけ山盛りに米を盛って納めます。で、実際に納める米はすり切りにして、マス1杯2杯と量を量り、すり切り線より上の盛り上がって乗ってる分の米はこの末端官吏の私腹へ。
 農民にたかって私腹を得る官吏。
 少しでもマスにのる米の量を少なくしようと、そばで言い訳したりあの手この手でワァーワァー騒いでいる農民。

 米以外の貢納品を納める時にも、貢納品を受け取る官吏からその役場で働く下男にまで袖の下(ワイロ)を渡さないと、貢納品を納めなかったと言われて罪人にされたりといういやがらせをされるので、ワイロを渡さないわけにいかず、「国に納める貢納品は串で刺すほど少なく、官吏に納める袖の下は馬で運ぶほど多い」ということわざまで生まれたほどでした。

 このように末端ペーペーの官吏から腐敗し、上は上で貴族は王様のそばに仕える政治的権力をめぐって壮絶な派閥争いを続けていました。
 王の側近の地位を得る為に王宮内の貴族たちは、ワナを仕掛けて政治事件を頻繁に起こし、そのたびに政敵を粛清し(死罪や流罪にさせ)、公然とワイロを受け取り自分たちの派閥を拡大させます。また権力を利用してあちこちに荘園を広げます。

 李氏朝鮮時代、先述のように多くの民乱が起きますが李朝末期で特に大きかった乱が、1811年の「洪景来の乱」です。
 北部の平安道(今の北朝鮮)で起きたこの乱は民衆の支持を得、流浪農民も竹槍を持って加わって拡大しましたが、翌年1812年に官軍に鎮圧されます。

 他にも特に大きかったのは1862年南部の晋州民乱です。
 明治が始まったのが1868年、それまでは江戸時代ですね。
 そしてとうとう、「朝鮮国を倒して新しい国を作る」という思想の下に1894年、「東学党の乱(甲午農民戦争)」が起きます。
 この乱は朝鮮の南部を次々と手中にして、都を目指してのぼります。冷え上がった王様(高宗)は宗主国である清にSOSを出し、軍隊の派遣を要請します。

 李氏朝鮮はこういう時代でした。
 韓流時代劇で演出されている華やかできらびやかなのは、朝鮮全土の中でもただ王宮の中だけ。
 朝鮮では屋根に瓦が乗せてある瓦葺き(かわらぶき)の建物も、王宮や貴族の家、お寺くらいしかなく、庶民は草葺き、板葺きの家でした。貴族でも上級貴族でないと草葺きの建物を使うこともありました。
 屋根に瓦が乗っている建物が、極めて少なく超特別な建物でした。
 日本に朝鮮通信使で来た貴族が、「日本では身分の低い商人たちまでが瓦葺きの家に住んでいる。この豊かな国が朝鮮のものでなければならないのだが。」と大変驚いて書いています。
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良いと思ったら即実行せよ。


陽明学の教え通り、直接朝鮮人に直接言いに行けば

大塩平八郎のように評価されると思います。
それが武士道であり、大和魂です。
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当時アジアの最貧国だった韓国ですが、併合後


日本が必死になってインフラを整えたので生活レベル
は格段に向上していますね。

犯罪も大幅に減ったし。
識字率も向上したし。
資源を奪い取って自国を豊かにした欧米列強の
植民地とは偉い違いです。

日本としてみれば、何も韓国人の為にしたこと
じゃないと思いますけど。
日本は対ロシアや欧米列強に対する防波堤として韓国を強く豊かに
したかったんです。

それで、韓国から併合を依頼されたとき、渡りに船とばかり
膨大な資金をつぎ込んだのです。
こういう点は、戦後米国が社会主義に対する防波堤の役目を
果たさせるために日本を援助したのと同じ図式です。

そういう訳だから、別に感謝しなくてもよいけど、
天国に侵略して、地獄に変えた、というようなデタラメを
ねつ造までして、恨むようなことは止めて欲しいですな。
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