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どうなっていたのですか?

宇宙の素の原料はありませんか?

宇宙創成以前、物質は無くても、エネルギーだけはあったのではないですか?

A 回答 (8件)

ちなみに、アインシュタインによって百年も前に、「空間の重力


ポテンシャルエネルギーは負で、その大きさは物体の正エネル
ギー(重力場)に比例するから、全宇宙のエネルギーの総和は
常に0である」と指摘されています(こんな基本的事実さえ、
“最先端”を追い求める「最新の」宇宙論者は忘れてしまう)。
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かつての宇宙論者の多くは、理論物理に疎く、現在一般書に


流れている宇宙論は、一世代前の古典的なイメージを継承
している場合が多いように見受けます。
つまり、このような「存在」が、どのように生まれたか、という
議論からスタートしており、その「存在」とはせいぜい素粒子か
クォークであって、それらが全て量子の振動状態に他ならない
という超弦理論やM理論への還元は“影響ない”と無視した。

しかし、全ての存在は、量子性=確率波動性に基づいており、
無限につめ込むと存在確率の山が平らになり、無と等しくなる。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、
認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は
光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、
自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。

量子論的世界像では、有限な存在性は観測によって生じています。
不確定性原理の相補的不確定性を、確定化して無限不確定性
に発散させないよう、階層現象表面(仮象)的に“いい加減”に
捉える事で、有限的な存在性(宇宙)は派生している、ていう。
自我仮説と時空仮説の相補分化‥‥全ては、あなたが存在
するための(物理的根源にまで遡った)補完なのです。

「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定性(h)
の収束におけるhの減少の時系列化である時、それが架空の
時間軸となって、空間的確定性としての無限不確定的空間性が、
超光速(過去=経験=時間)と光速下(未来=予測=空間)に相補
分化する受け皿となり、経験による予測=現象表面的定性化に
おける有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。
即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補
として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という
無の射影として、存在は生じていると言えます。
無いとは分からない事が有なのです(物理学とは日常的素朴
唯物論を無に還元する過程)。

現在(感受=量子相互作用)から過去(記憶=時間的流れ)と未来
(予測=空間的広がり)が対発生している場合、その止揚である
「時空=宇宙」の外や前を問うことは「無」意味です。
もともと「無」いのだから。
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ビッグ・バン以前の宇宙はどうなっていたか?との質問は、物理学を知らない


事象×数学=物理学 の形態に染まっていない故、とも見られるでしょうが
極めて自然な、真っ当な哲学的質問、疑問、だと思います。
ビッグ、バンとは、銀河は球面上に点在し膨張し続けている。との観測から、
それなら、かっては一点から拡散した事になる、という学者の
思いつき、ですが。お決まりの数学で理屈を付けると、事実ではないか。
ということになっている仮説です。
しかし、ビッグ・バン、によって宇宙が起こった、世界が創造された。
それ以前はない。というのは間違いです。
ビッグ・バン、があったとしても、それは宇宙の歴史の過程として起きている。
のです。ケシの実ほどの転から宇宙が誕生した。無から有が起こった。
は、嘘、と言えます。

宇宙の素、の原料はありませんか?
当然在ります、なければ、今の世界、宇宙、が存在する訳がありません。

宇宙創成以前に、エネルギ-だけはあったのではないですか?
エネルギーなど、今、もありません。化石燃料や電力の供給、確保、の問題を
エネルギー問題、などと名付けているだけで。熱も電力も力も重力も物質も皆
エネルギーであるなら、エネルギーという名、言葉、を付ける意味はない。
若い頃の私に言わせるとエネルギーとは「神がいないとしても、の物理学が陥った
神の概念、」何にでも一応説明が付くように見える、架空概念、なのです。
時空概念も同様ですが。
在ると思っているだけで、ではそれはどんなものかは誰も解っていない、
誰の本当の説明は出来ないもの、なのです。
私は20代の終わりの頃
そうか、物が、空間、であり、物の変化が、時間、なのだ。
在る、のは物という単位と、物が変化する、という事象だけなのだ。
と気付き、諸々の事象や物理公式に思いを巡らした時、すべてが見える、
すべてがそうなっている。と背筋が震える感動を覚えました。
世界の在り方は、空間=時間 空間×時間=単位=1 となっている。
と云う事です。すべてが見える=すべてが解らなくなった。過去の知識や理論は
すべて放棄し、自分で考えなければならなくなった。と云うことです。
そんな過程で考えた事ですが。
万物の根元とは、答えは解っている、決まっている、のです。
2500年前に、老子、が言っている。
道は道にして常の道にあらず。
無を天地の祖に名付け、有を大地の母に名付く。
もって無はその激を三と現さんと欲し、有はその嬌を誇示せんとす。
つまり、あらゆる物の在り方は、
有=嬌  姿形をあらわしている単位 

無=激 実体はないが、有に、変化を起こさせる、能力、方向性
が一体となって、1(いっ)なる存在となっている。
これが万物の根元であり、後の世界の在り方でもある。
という事です。
万物の根元は極小単位の「1」であり。それには、根元的能力、方向性が
付随している。
そしてその単位は一個や2個では、世界は起こらない。今の世界と等価
、無数、と言えるほど在った。となります。
根元的方向性、は何か。
こけは、近づこうとする方向性か、遠ざかろうとする方向性か、であり。
遠ざかったのでは世界は起きない、それは近づこうとする方向性、集合力、
あるいは、引力、であったはずです。
何が起こるか、根元単位が部分集合をして、最初の構造体が出来る。
これを「素空間」と名付けると。その形態は集合した距離、速度、が固定された形態であり
回転する中空の円盤、のようなものになるはずです。
それに付随する、集合力が転化した、能力、方向性は。回転している、裏表、が出来る
事により、また、中心に向かって全体集合が起こる、とすれば回転軸が揃い、直線上にならび
中心部に近づくと、回転方向が同じなら接合し、裏向きとは反発し接合しない
形で、紐あるいは数珠状に繋がる。素糸、あるいは素子、と名付けられる形態になる。
素子に付随する能力は、振動を保持する、螺旋になり回転する。
というものになり、螺旋になり回転する形態が、電子、と名付ける
形態になります。電子の能力は、一方から(素子を?)吸い込み
反対側から放出する、電磁気?を起こす能力と電子同士が、電磁気によって
、吸い込み口と吐き出し口が繋がり、電子の紐が出来る。
その紐は、リングとなり回転する形態を中性子、
リングが切れた形で内部の素子(陽子線)が飛び出して戻り、(陽子線上に電子を
捉え浮かべる?)形態をが、陽子、と名付ける形態になります。
次に起こるのは、陽子線を突き抜け、陽子と中性子がリンクした
最初の原子、となります。これが水素原子であり、中性子が2個
3個と入り込み、熱圧力が加わると、格子状の潰れにくい、3次元体積を
持つ、物質単位、としての(ヘリュウム)が創造される。これは、三次元体積の
創造であり。拡散、爆発力、を持つ。核融合爆発。いわゆる、ビッグ・バン。
となる。いずれにしろ、集合=拡散 であり。ビッグ・バン、は起こる事なのです。
そして、水素、ヘリュウム、それ以下の素子、電子などが
拡散し、恒星、が誕生し、恒星がその内部で高次物質を融合し
核分裂を起こし。一部が物質ガスとして噴出すると。恒星ロケット、となり
重力圏外まで、物質を拡散させ現在の宇宙となっている。
宇宙は拡散を続けたり、収縮したりはしない、回転することにより、安定軌道を
保持しているのであり、そうした、相対的停止がなければ
、銀河や恒星は誕生しないと考えられます。
集合=拡散 であり、素空間が集合した距離以上に拡散することは
ない、構造体が出来た、構造体に転化した分、集合より、拡散は小さくなるのです。
空間=時間=空間×時間=1
が今なのです。
私の考えに頷くのは、同じ根元認識をしている、釈迦と老子、ぐらいかも
知れませんが。未来の物理学は私の考え方の中にあるのでしょう。

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宇宙は もともと有ったんだって (。

・ω・)
【 人の道 】という人が言ってたよ。
だから宇宙の原料は宇宙ってことだ。

宇宙は無限なんだけど 部分的に 伸びたり縮んだり
してるうちに ヘロヘロに伸びて もう縮めなくなって
伸び放題になった部分が ボクらの宇宙らしい。

伸び縮みしてた頃はその熱で 火の玉だったらしいよ。
今でも その頃の熱が 電磁波になって観測されてる
んだってさ。まあ その電磁波も ヘロヘロに伸びてる
らしいんだけどね。

つまりボクたちは ヘロヘロから生まれた へなちょこ
だってことだ。だから悩むだけ無駄なのでぃすてぃにー。
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時間も宇宙の要素の一つです。


したがって宇宙ができる以前に時間はない。
「宇宙ができる以前」という表現が成立しない。
エネルギー不滅の法則は、宇宙で成り立つ法則。
宇宙がないときに法則はなりたない。

「宇宙」とは、この世のすべてを包含する「全体集合」なんです。
すべてが「宇宙」の要素になっている。
全体集合の補集合は空集合でしたね。
ですから、「宇宙以前」とか「宇宙の外側」は「宇宙」の定義からして「空集合」になります。
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私は 子供の頃 ちょうど数学の基礎を学ぶ頃 何度も死の床をはいずった人間ですので 数学や科学の世界自体はわかりません。



しかし、じっくりと 死と隣り合わせとなった時の恐怖の因は  極限の孤独でした。

肺胞がほとんどつぶれる苦しみの中ですら 最後に医者が死の宣告を告げたのを堺に さらに心の苦しみが起こったのです。

自殺を最大の悲劇とは 私にはとても思えません。

その世界を知らないでも 意識を失えてしまう死はたくさんありうるからです。

体験していなければ わからない世界だと思いますが、

人には想像力がありますので 少しはわかってもらえるかもしれないと思って書いています。


広大無辺の 宇宙の時空の姿もそうなのですが、 こんな科学を知らない人間にも  おそらく科学はもうほとんど発見しつくされた世界なのではという推理が働きます。

なぜ 50年も前の発見がノーベル物理学賞となったのでしょう?

ビックバンの存在から 仮設として他にも無数のビックバンがあるはずといった理論もあるそうですが、

これって もはや、空想的仮設となってしまいますよね。


 私は 道端の草花がなぜ存在するのか? そしてそれが ほんの少しの風で揺れるのがなぜ心を感動させ続けるのか?   そしてそうした豊かさがどこまでもつきない この それを感じる側の    心   がなぜ ここに 命として存在しているのか 

の不思議を 強く感じる人間にいつしかなっていましたが、

同時にそれは その感動を分かち合える人間どうしの可能性の世界の無限さにも気が付く世界だったのです。

科学に限界があるのか ないのか 自体も 本当には私は解っていません。


しかし、その巨大時空自体にしても もし その心が無ければ なんの意味があるのでしょう。

存在の不思議に その時空を超えて たどりつく意識の世界、気づきの世界がここにあります。


この「不思議」は 「哲学的な意味での神」と同義語だろうと思います。


存在は存在しているのですから、その不思議は存在ごと否定できません。

しかし、完全に 私たちの思考の枠を超えた存在であり ?は?のままであり だから「不思議」なのであり「神」なのです。

神に感謝とか 神よあわれみたまえ とか 神との対話とか 神への祈りとか 私には全部 この人間の脳の中の 想像力によるかってな 私たち側のイマジネーションでしかないと思います。

でも おそらく

こんなにも 深い可能性の世界は 私たちがどんなに 木の葉のように弱い生物であれ、  私は 何らかの形で、

私たちの命は いつか この懐かしい地球に 脳の海馬領域ごと復活して戻ってこれると 感じています。  信じるとかではなくて、それが自然だと思えるというだけなのですけどね。


それが 輪廻を通してとかか とかいったことは まったく解りませんけどね^^。


不思議 自体の深さは ビックバン以前? という疑問の深さ以上の深さではないでしょうか?

死の前に 私はそのように思うのですが どうでしょう?


もはや 科学の発見の時代は終わり  おそらく、 私たちは、 その科学が発見した広大な時空自体の意味や 小さな草花の存在の意味、 それを感じる側の意識、その命 それ自体を《みつめ》

そのように《みつめ》あうことのできる人間の人間性を哲学しなおし  今度こそ 徹底的に信頼出きる思想と 社会を実現してゆくべき時に来ているのではないでしょうか。

謎、 これを それ自体を 感じよう。 もっともっと。

私の方からは こんなふうな回答になってしまいます。
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そもそもビッグバンが認められるようになったのは、星を眺めていたら、


ドップラー効果(救急車が移動するときに、サイレンの音が変わるやつです。)が、
光(あらゆる物に対して相対速度が常に一定)でも発生することがわかったためです。
これを矛盾無く説明する理論=相対性理論を前提に考えれば、
今現在空間が広がっているのは間違いないだろうということになったわけです。


ところが、2000年以降、この種の宇宙論も見直しが活発になっていまして、
現在でもビッグバンを認める立場と認めていない立場が存在します。
まず認める立場では、質問者さんのご指摘の通り、物質(体積)ゼロ、エネルギー無限大という
"数学上意味が無い状態"(宇宙論上の言い回しなんですが、早い話が何にも説明できていない)
ことになりかねません。

ここ10年で議論が進んでいる内容としては、エキピロティック宇宙論というのがあります。
11次元の空間の上に3次元の膜(空間)が存在していて、
この膜が地震のプレートの接触のように動いたり重なったりした場合に
エネルギーが発生し、そのエネルギーで宇宙が広がっていくという説です。
何で突然11次元?というと、ここ60年ほどの間に重力以上に強い相互作用を示す粒子
がいくつか見つかっていまして、これらを説明する過程で考え出され、数学的に矛盾を
示さないことが検証できたパターンを足していくと11次元が必要になってしまう
というわけです。
(つまり、今後新しいパターンが見つかれば、11次元という表現が正確では無くなる
可能性もあります。)

とはいえ、今我々が知覚できる以上の時空間が必要となるため、実証が難しい状態です。
仮説としては物質の中に折りたたまれた状態になっていると考えられているので、
実験としてはほぼ光の速度まで加速した粒子を衝突・崩壊させ、中身を覗いて
新しい粒子はでてこないかなー?ということを数カ国の協力でやったりしています。



また、ビッグバンを認めていない立場も存在しています。
最初の入り口で矛盾を起こさないためには空間が広がればいいのですから、それが
ゼロから広がっている必要は無いわけです。
そこで考え出されたアプローチが、『ビッグバウンス』(サイクリック宇宙論)。
おおざっぱにいうと、広がりきった宇宙は重力によってしぼみ始め、しぼんだ宇宙は斥力によって
広がり始めるという論理です。

ただ、説明の為に高次の空間ではなく、ループ重力子(LQG)と呼ばれる重力の量子を
仮定しています。これがあれば11次元なんて想定しなくとも、
量子の受け渡しとして一般相対性理論を説明できちゃうんですが、
いかんせん実物がみつかっていません。


あるいは両方間違っているかもしれないし、もしかすると両方合っているかもしれないですね。
結局共通するのは『実際起こっている現象の説明の為に、仮の存在を設定している』
という結果からのアプローチであって、仮の存在が確認できれば、
より確からしい仮説が確定するということです。

海の底を知らなくとも、我々は船に乗れるわけですが、それでも好奇心を満たすために、
あるいは起こりうる危機への対処の為に調査艇を下ろす我々が取りうる態度は、
こっちが確実だ!異論は認めん!とか、この世は神が創った・・・というような
独断的な思考停止でははなく、確実に解ることを一つ一つ明らかにしていくことだと思うのです。
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あなたの質問に答えられる人間は、今のところいませんよ。


未来のことは断言できませんが、未来にもいないでしょうね。
つまり、疑問は疑問を生むだけだということです。
ビッグバン以前は? エネルギーだけが存在した?エネルギーは何故存在したの?エネルギーの前は何があったの?
という具合です。
ビッグバンだって有力な学説というだけです。今、観測上宇宙は膨張しています。だから過去に遡れば、物質は一点に集中します。そこで、137億年位前にビックバンなるものが起こったと想像したわけです。
しかし、私たちが知ることのできる宇宙は、観測可能な範囲(電磁波が届く範囲)のみでその外のことなんてわかりません。
ビッグバン理論の他にも超ひも理論とかいろいろありますが、私たち人類の脳みそは経験に基づいた範囲でしか認識
できません。宇宙誕生の真実があるにしても、我々人類が知覚できない可能性が高いとは思いませんか。
ビッグバン以前は、高エネルギーがあった。なんていうのも、エネルギー保存の法則から導き出されたもので、物資はエネルギーに変換できるし、その逆も然りといことにすぎません。
エネルギーていったいなんなのさ? とかビッグバン以前の高エネルギーってなんで存在してるの?
なんて質問に答えられる人はいないってことですよ。
 でも、人類って色んな事に疑問を感じてそれを解き明かそうという本能が強いですよね。
 だから、こんなに進化したんでしょうが。」
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