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哲学の分野かわからないのですが。
誰しも、死にたいして不安だと思うのですが、健康ブームで何を食べれば!運動すれば!タバコはダメとか、って。でもいつか死んじゃいますよね。
で、思うのですが、死に対して恐怖を感じる、人間生きている時は楽しい事も悲しい事、色々あると思いますが。
普通の人はあまりそんな事考えないのか?

で、質問です。
子供を作るって、子供にもその苦しみを与えてしまう事はどうなのか、うまく説明出来ないのですが…。

動物的な種の保存をプログラムされた物がSEXの快楽を使って行うのか?
死とは悲しい辛いしと思います。確かに、子供は可愛いと思うし、(まだ独身なので何とも言えませんが。)将来養って欲しい?から。
人生楽しめば死んでもって、でも恐いですよね、やっぱり。
訳のわからない質問ですいません。
お願い、あまり難しい回答は…。人によって意見は違うと思いますが、あまり責めないで下さい。

A 回答 (14件中1~10件)

「生は偶然、死は必然。



私のひいおばあちゃんは10年以上前に、自宅で、老衰で亡くなりました。(偶然にして、本日ひいおばあちゃんの法事なのです)
そのひいおばあちゃんの部屋を片付けていたら、部屋にはってあった掛け軸にちいさく書かれていた言葉です。

生を与えることは同時に死も与えること。
でも、生きてて辛いことってたくさんあるけれど、よかったこともたくさんたくさんありませんか??
生まれてくる子供にたくさんの幸せをあげたいなって、私は思うんです。死ぬときに「ああ、生んでくれてよかった」と思ってもらえるように、私はいつか子供を生みたいと思います。

かなり楽天的な考えかなぁ。。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。生んでくれて良かったと…。そう思えるように生きたいですね、そう思ってもらえるように頑張りたいですね。感動しました。

お礼日時:2003/11/07 23:27

 #13です。


 >野生の動物ならご飯食べて繁殖して危険から逃げて…の繰り返し。動物って何か考えてるのでしょうか???

 本能以外のことは何も考えてないと思いますよ。動物にとっては本能が全てではないのでしょうか。本能だけを100%フルに使って生きているというか・・・。だからそれで十分幸せというか、満足な生き方なのだと思います。でも何となくですが、動物の中でも人間からペットとして飼われて、たくさんの愛情を受けている動物が一番幸せなような気がします。
 人間は動物と同じような本能以外にも理性とか創造性のようなものが備わっていると思います。それらか調和良く自分の中で回転(?ふさわしい言葉が見つかりませんが)している時は、とても幸せを感じると思うのです。
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>人は死ぬの恐いですよね?



私は,怖くはないです。
積極的に望みはしませんが。

生きることがなかなか大変なので,
すべてが終了する日が,待ち遠しい気もします。

>子供を作るって、子供にもその苦しみを与えてしまう事はどうなのか

子供が死すべき運命にあるのは事実なので,
それは受け入れるしかないと思います。
そのことを意識しているあなたは,子供にとって
よい親になるような気がします。
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 30代男です。


 友人の祖父が85歳位で亡くなったのですが、定年退職後も家のことや地域のことでいろいろと活躍していた方だったのですが、ある日自転車で出掛けていて、途中で疲れたようで田んぼのあぜ道の脇に自転車を止め、近くに腰をかけ、そしてそのまま眠るように亡くなられたそうです。苦しみながら死んだのではなく、まさに天寿を全うした形だったそうです。
 この話を聞いてから、私は年老いても最後の最後まで仕事などをして、周りに必要とされる立場で死んでいきたいと思うようになりました。どうあがいても人は死ぬけれど、どうせ死ぬからという理由でのマイナス的思考や行動はやめて、最後まで前向きに生きて行こうと思っています。私も以前は死ぬのがとても恐かったのですが、振り返ってみると、その時期は後ろばかり見ていたと思います。

 また子供のことですが、宗教や哲学のような難しい理由はわかりませんが、子供が欲しいというのは人間の自然の姿なのだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうなんです、いま後向きの人生なんです。
全てが嫌に思えたり、そんな時期かもしれません。
自然に生きる、あんまりにも色々な事が考えられるほど、人間の知恵がつきすぎたのが辛さの始まりでしょうね。
野生の動物ならご飯食べて繁殖して危険から逃げて…の繰り返し。動物って何か考えてるのでしょうか???

お礼日時:2003/11/09 00:57

正直、恐ろしいことこの上ない。


死の瞬間も怖けりゃ、死んだあともイヤ。
ありえない。痛い。痛すぎる。気分が悪い。
こんなこと「なし」にして欲しい。
命、無限でいい。問題ない、どんな困難も生きていればいつか解決する。やってみてもないのに悲観的にはなれない。

バカなこと書きましたが、こんくらい死は嫌いということです。
小学生のころはホントに怖かった。今はそれほどじゃないですが、それは今まで生きてきて、けっこう前向きな考え方に出会えたからですね。
でもどんなことも、究極的には「気休め」です。休んでるだけです。

進化だなんだという生物学的なことはさておき、おおかた「こういうもんだ」というのは今んとこ変えようがないですよね。個人の死はまちがいなくやってきます。今のところはですよ。

自分の子にこういう類の苦しみを全く与えないようにするためには、宗教その他の、かなり前向きな価値観を人格が作られちゃう前から植え付け、それ以外の情報を遮断するべきでしょう。
ハイ無理ッ!もう無理。
あ!あの国ではまだ可能かもね。

↑こういうことを本気で考えだすと、少なからず可笑しなことになるので要注意でス。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
死ぬことが恐いと思っている人がいて落ち着きました。
子供に死んでも平気だよ~!なんて洗脳出来ません。気持の誤魔化し、他方向に神経を持っていって極力避け様としたいのですが。もしそんな事したら、子供はかえって死に興味を持ちそうです。
宗教もあまり頼りたくないです。

お礼日時:2003/11/09 00:42

#8です。



先ほどは仏教の話だったのですが、

>死んじまえば、一瞬。かも知れませんが。その壁というか、敷居が恐いのです。

このコメントを見て思いついたことを一つ。
これって「注射が怖い」というのと同じじゃないかなって思いました。注射も、子どもは怖がります。「何であんなに泣き叫んでまで嫌がるんだろう、どうせしないとしょうがないのに・・・」。大人になった今ならわかりますよね。子どもの頃は真剣に怖がってたのに。
「死」についても、同じように精神的に成熟したら自然と受け入れられるようになるものだと思いますよ(成熟しないとだめですけどね)。

あと、死ぬのも怖いですけど、「死なない」のもこわいですよ?1万年後も生きていることを想像してみてください。どうです?死んだほうがいいと思いません?これ、ある本の受け売りですが。
手塚治虫氏の「火の鳥」で、死なない体にされた男の話が出てくるのですが、その人は地球が核戦争で滅びた後も永劫の時を生き続け、死ねない体になったことを本当に後悔していました・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうです、どんな注射か恐いのです。
精神が成熟なんて自分には考えられません、そう装ったとしても、子供が注射を恐いのは注射をした時の痛みを怖がるのでしょう、始めて注射をされる子供は、何をされるのかその恐怖があって始めて泣き喚くのだと思います。誰でも死というものが始めての経験であり、失恋のように何度も繰り返し出来るものではないから不安なんです。失恋の痛手も新しく好きな人が出来れば、時間が立てば癒えますが。
死にたくないとは思ってません。年をとる事でそれが1歩ずつ近づいている事は理解しています。

お礼日時:2003/11/09 00:51

 「いつかは死ぬ。

」というのはある意味真実ですが、遺伝子技術が進歩すれば「死なない時代。」というのも来るかも知れません。人類が永遠に存続できる可能性を秘めた技術がある以上、現代の私たちには技術をつなく為の子孫たちを残していく義務があるようにも感じます。
 私自身は「自身の死」よりも「他者の死」のほうが怖いし恐怖です。一人ぼっちは寂しいですからね。ですが、運命は運命ですから、どんな最後であっても受け入れようとは思っています。

 子供についてですが、戦国時代のような不毛な時代に何故私たちの祖先は子孫を増やしつづけてきたのだろうかとは思います。今よりもはるかに不幸な苦しい時代だったと思うのですけどね。結局子供は快楽の副産物でしかなく、その子が育つ時代が幸福か不幸かは誰にも分からないのだから取り合えず生んだ方がいいのではないのですか?という事なのかもしれませんね。

感じたままを書いてみました。あくまでも個人的な意見なのであまり気にしないで下さいね。では。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
死なない時代はショッキングですね。人があふれてしまう。人は立って寝て、押されたら海に落ちる、小説で読んだ気がします。
一人ぼっちは寂しいですよね。家族、愛している人の死を考えるのは辛いですが、知らない人の死はなにも感じません。(冷たいでしょうか?)
運命ですから、逃げ様が無いと思いますが、出来るだけ穏やかに死にたい。
戦国時代の子供は、働き手、出生率の低さ病気や色々子供が死ぬ確立が多かったから子供を多く生んだのかも知れないですね、食べ物も少なかったろうに。
ありがとうございます。回答していただいで心から感謝しています。

お礼日時:2003/11/08 01:36

今日和。

私は小さいころ、死に対して物凄い恐怖を抱いてました。今はあまり考えていません。
自分でもよく解りませんが「昨日は有るが明日はない」が今の心情です。昨日は確かに存在しますが、明日は「今」の時点で無です。
私の中で、明日を迎えるのは死を迎えるのと同じ事の様な気がします。と言っても、実際死が迫ればこんな悠長に構えていられないと思いますが。

子供の事ですが、子供を作ればその子も必ず死に対して苦しむと思います。死に対して恐怖を感じたりするのは誰しも同じことですし。
けれど、その苦しみをどう受け取るかも、どう乗り越えるかもその子の問題で、上手く言えませんがあなたがどうこう出来る問題ではないと思います。
自分の事は自分で悩むしかありません。人は生まれて子供を作って繋いで死ぬだけです。人というか、生きているモノ全てですね。

なんか何を書いているのか解らなくなってしまいました。訳の解らない文書で申し訳ないです。全然上手く言えませんでしたが、これが私の持論です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私、電車通勤をしています、で、たまに人身事故で電車が止まります。電車に飛び込んで亡くなられた方がいたのでしょう、飛び降りる時、自分の不幸の重さに(幸せで飛び込む人はいないと思いますから。)死の恐怖を乗り越えてまで(飛び込んで痛い思い)その先の無へ。
無になる、何となく理解できます。死んじまえば、一瞬。かも知れませんが。その壁というか、敷居が恐いのです。
kopachiccoさんへのお礼の場ですが、回答いただいた皆さんにお礼を、ありがとうございます。皆さん、また疑問がありましたら宜しくお願い致します。お礼に失礼があったかもしれませんがお許し下さい。皆さんにポイントをしたいのですが、2人しか付けられないので残念ですが、皆さんの意見をもう1度読みなおしゆっくり考えたいと思います。
死に対して考えを持つということは人間に与えられた幸せと不幸とゆうふうに思えてきました。

お礼日時:2003/11/08 01:09

うーん、どうなんでしょうね~。


確かにみんな子供を作らなければ、いずれすべての人はいなくなり、みんな苦しみから開放されますねぇ。

仏教の12縁起説によると、すべての「苦(死も含む)」は「無明(真実を知らないこと)」から縁って起こるそうです。
したがって、真実を知ればすべての「苦(もちろん死を含む)」から開放されると言うことになっています。こうやって真実を悟った人を、「仏陀」や「如来」といっています。

この「真実」とは何か、というと「諸法無我」(「空」もほぼ同義)とされています。般若心経には「空」がわかりやすく解説されていますので、いちど訳本を読んで見られると良いと思いますが、「無」でも「有」でもない、さらに「空」も「空」ではない(「空」といった瞬間に「空」でなくなる)という非常に難解な概念です。
似たような概念に「中道」というのがあり、「中道」の実践が仏教の真髄を追求することに繋がるのですが、「中道」の概念も難しいのです。なにせ、「中道」すら「中道」でないというのですから、ワケがわかりません。

ということで、お釈迦様はこれをわかりやすく実践するために「八正道」というものを教えてくれたそうです。詳しくは「八正道」で検索をかければ出てくるでしょう。

さらに八正道も実践するのがとんでもなく難しいので(正しく見る、っていったいどういうこっちゃ?)もっとわかりやすい「戒律」というものもお釈迦様は決めてくれました。これは「~してはダメ」というものだから一般人にもわかりやすいです。
基本は5戒といって5つあるのですが「殺さず、盗まず、ウソをつかず、みだらなセックスをせず、酒を飲まない」。これが在家信者の戒律です。
出家信者には108つも戒律があり「不掘地戒(=土を掘ってはいけない:土中の虫を殺す可能性があるため)なんてのもあります。さらに在家信者の「不邪淫戒(みだらなセックスはダメよ)」が「不淫戒(一切のセックスを禁ず)」と厳しくなります。

こんなのも守ってられるかい!ということで、大乗仏教(浄土宗や浄土真宗)ではもっとラクチンな方法を考えてくれました。
西方浄土という極楽に「阿弥陀様」というとんでもなく慈悲深いサービス満点の仏様がおられるというのです。この仏様はとてつもなく気前が良くて、なんと「自分の名前を唱えたものはすべて西方浄土に転生させ、仏にしてくれる」のです。
ということで浄土宗/浄土真宗の信者は「南無阿弥陀仏」(「南無~」とは「~を心から信じ身をゆだねます」といったような意味)と言うだけで仏になれるという、非常にラッキーな特典がつきました。

ということで、こういう話になるとやっぱり宗教的な救いを求めるしかないと思う次第です。

この回答への補足

daibutsudaさんのお礼の場所でした
ありがとうございます。
自分にお礼してる。

補足日時:2003/11/08 01:09
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり皆さん宗教の教えを心におもちになられて、救われてられるのですね。
キリスト教の神は、世界を作った頃から比べると力を発揮する機会が少なくなってしまわれたようで。
仏教の枝分かれも今では星の数ほど出来てしまったようで。
スイマセンdigital123さんのお礼の場所でした。
精神的には神、仏に救いを請いたいのですが。

お礼日時:2003/11/08 00:52

こんにちは。



この問題は一般人にとっては、宇宙に果てがあるのかないのかに匹敵するぐらいの、永遠の課題でしょう。

難しく考え始めれば、どこまでも難しくなるし、簡単に割り切ってしまえば、実にシンプルなお話になる、その両極端の意味合いを含んでいると思っています。

子供を産むということは、そり子に対して生・老・病・死の4苦と愛別離苦・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとくく)・五陰盛苦(ごおんじようく)の4苦 合わせて
四苦八苦をあたえることになります。だからこそ
愛情豊か、大事に育てなければならないということでしょう。

死への恐怖は、生への執着の裏返しに過ぎない・・という
考え方もあるようです。

人は生まれる以前のことは、誰しも分かりません。
それが死の世界だったとすれば、たとえこじつけとしても人はもともと死の世界にいたとも言えます。
死という言葉に対抗があるなら、無の世界と置き換え
ても良いかも知れません。

それがたまたま、今現在 偶然にも、うたかたの生を、親から受けて、この世に生きているだけで、死を境としてまた、その元の無の世界に、もどるだけのことだと思うのです。
死生観という言葉の、先頭に死がついている語意を、理解することが出来れば、そのことは多少納得出来るかも知れません。

生きている内に、出来るだけ楽しい思い出を、沢山つくるように心がけて生きていけば、死を迎えるときに、その思い出が走馬灯のように頭を巡り、いつしか穏やかに、眠るように元のところへ、旅立つことが出来るような気がします。人は36500日
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
回答から察すると徳の高いお坊さん?ですか。
生への執着、あるかもしれません。性へのもですが…。
死ぬときは来る!は理解しています。
さとりを開かれているのか、やっぱり恐く無いようですね。

お礼日時:2003/11/08 00:44

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