
大学で【経済】ではなく、【経済学】を学ぶ意義を教えてください。
よく、経済学を学ぶのは多くの人が多大な時間(40年とか)を費やす、企業や組織を体系的に学ぶために、経済学を学ぶ必要があるとか
実際に社会で働くにあたって経済学なんて学んでなくてもやっていける(ゆえに、経済学を学ぶ意義はない)とか言う人がいますが、それは論点がずれているように感じます。。
確かに、【経済】を学ぶためには必ずしも【経済学】を学ぶ必要はないと思います。
実際、会社に入ったらIS-LM分析やAD-AS分析など使わないでしょうし、日経を読んでいれば
経済が分かるかもしれません。むしろ体系的な【経済"学"】など何の役にも立たないと考える人もいるかと思います。
しかし、それでは何故【経済 "学"】や【経営 "学"】といった、経済現象を抽象化した学問が長い間支持され、大所帯となっているのかの説明にはなりませんよね。
なぜ、経済現象を大局化し、抽象的に捉えて理論付けし、体系的に学ぶ【経済 "学"】を大学で学ぶ必要があるのでしょうか。
どなたか教えてください。
A 回答 (8件)
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No.8
- 回答日時:
続々
キミ自身は経済学をどんなものだと考えているのかな?
例えば憲法や税金関連の諸問題はすべての生活、すべての科学分野に関係しているけど、わざわざ独立した学部を持つわけじゃあない。我々の周辺のすべての経済現象を理解するために経済学は独立した学部だけど、だからといって世間から離れたところに、客観的にみえる理論を打ち立てたからといってはたして意味があるかどうかということになる。これでOKなら入学を目指せばいいし、実利を考えるならわざわざ入らなくても勉強の手段は今ではどこでも手に入る。
そして経済学は実利を軸に持つがゆえに「はたして科学」なのかどうかはこれまで永年に渡っていわれてきたこと。すでに述べたように一般論としての経済学はほとんど結論が出ている。完成しているわけではないが、つまるところ独立して客観的理論ができると思えば専業として学ぶべきだし、なにか現実と擦り合せた結論が欲しいのなら経済の理解だけではまず無理。それこそ実態からはなれた空論になりやすい。好き嫌いという価値観の問題になるが、人間は一度信じ込むと別の価値を理解する妨げになる。口では理論的と言うが、その根っこはだいたいが好きか嫌いか、あるいはこうあるべきと言う価値やイデオロギーから始まっている場合が多い。それで、価値論から離れた行動科学と結びついてきた。
現在の経済学は昔とは大変わりしている。だから経済の何を知りたいのか、経済学の何を学びたいのかによって結論は変わる。いくら質問をだされても、最後に自分自身で決められなければムダな努力に終わる。
すでに述べたように、冷戦が終わってからイデオロギーでの判断が多くの衝突を生み出し、時には血が流れたことを人類の記憶として想えば、価値やイデオロギーではなくただ「行動」の結果から人を知る方向性が私は正しいと想っている。だから経済学としての独立には疑問を持っている。日本人によくある道を究めたがゆえに市場から遊離してしまう、今の考え方にはまったく信頼が置けない。
あとはキミの判断。
こんばんは。改めて、回答ありがとうございます。
私自身ですか…そうですね
私個人の意見というか捉え方として、経済学とは何かトレーニングのようなものだと思っています。
筋トレのようなイメージです。ものすごくざっくりとしていて、理論的とは言えませんが。
"経済"自体は、生まれてから死ぬまで付き合っていくものですよね。
例えそれに貨幣などの価値尺度をもつモノが仲介していなくても、取引という意味で経済は身の回りにある、いわば空気のようなものです。
それを、経済学という大局的で、抽象的で、ざっくりとした体系から学ぶことで、
新たな視点から捉える事ができ、そして何よりも"理論通りいかない"という現実があるという点に、経済学の意義というか面白さがあると思います。
そういう意味で、経済学を学ぶことでありふれた日常を新たな視点から捉え、
"なぜ"を生活の中に取り入れたいと思うからこそ、経済学の意義を知りたかったのです。
それゆえに、今回、私は他の人がどのように"経済学"を判断しているのか、どのようなアプローチの仕方があるのかを知るためにここで質問させてもらいました。
deltalonさんがおっしゃる通り、すべては個人の判断だと思います。
それが認められてるのも経済学の面白いところです。
数学や統計学じゃそうもいかなそうです(予想ですが)。
なんだかふわっとまとめてしまいましたが、親切な回答・解説、ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
> もし解釈が間違っていたらご指摘お願いします。
概ねそれで良いですが、別に政治に限った話ではありません。
例えば、デフレが人口減少の結果であるという藻谷氏の説は、統計数字をちょっと見ただけで簡単に「現実を説明していない」と分かります。
こういった、自分の周囲だけではなく広い範囲で社会をとらえるという視点は、何らかの意味で必要であり、その一つの切り口として経済学は有用であると思います。
実用性に乏しいといわれることがありますが、例えば日本のバブル崩壊も、1990年代の通貨危機も、2008年のリーマンショックも、全て予想されていたことです。日本のバブル崩壊であれば野口氏、通貨危機であればクルーグマン、リーマンショックであればソロスらが有名です。
こういった言葉が発せられるのは好景気であるため耳を傾ける人は少ないのですが、こういった言葉に耳を傾け、根拠があるものかどうかを判断することが出来るようになるという点で、経済学は有用と思います。
#4の方の回答は、かなり独自の見方であり、かなり法学に偏っているようです。これは
> 新しいやり方がでてくると追いつくだけで一苦労している。(ホリエモンの時みたいに、ルールの隙をつかれて右往左往。)
この一文に非常に顕著に表れています。
また、経済学にたいしてはあまり知識がないらしく、
> 同時に会社は学習する場所ではなく、利益を追求するための組織であり、利益獲得を目的として考えだされた組織形態です。もうこれだけで経済学の範疇を超えている。
というのはミクロ経済を全く知らないとしか思えないし、
> つまりありもしない現実を分析しようとしてきたのが経済学(完全雇用など)。
というのも、例えば物理学の初歩で完全剛体(物質が変形したりしない)を仮定していることと同じような「単純化」でしかない。大体、マクロ経済では完全雇用を前提としていない。
#5では、経済学の歴史的背景について述べておられるようですが、・・・なんというか酷いですね。5分調べれば分かることを、なぜ調べないんでしょう?
例えばウェーバーに触れたあと、
> やがて史上初とも言うべきチューリップバブルの発生が、人に経済が波のような現象ではないかという視点をもたらす。
などと書かれているが、チューリップバブルは1637年のこと。経済学の父といわれるアダムスミスですらまだ生まれていない(1723年生)。
経済史学としては、南海泡沫事件(この事件からバブルという名ができた)のほうが重要です。
因みに時系列的にも間違っており、マックスウェーバーが生まれるのは1864年、チューリップバブルの200年以上後です。
それから、
> 結果「ナントカレポート」といった、統計処理された報告が大量に発行されている。それらを発行するシンクタンクがいい商売になっている。
大部分のシンクタンクは、シンクタンク単独でみた場合、ちっとも儲かりません。大赤字です。
要するに、かなり初歩時点で分からなくなった挫折組なのかな、と思います。
こんばんは。回答・補足ありがとうございます。
政治に限らず、疑いの目を持つこと、そして物事を大局的に捉えることができる点に意義があるといえそうですね。
マクロ経済学においても、結論が全く異なる理論が平気でありますしね。
前提があるようでない、経済学って面白いです。
きっと経済学を学び、大局的に捉える技能を会得しても、それを活用できている人が世の中には少ないんでしょう。だからこそ経済学部が大学に設置され、大所帯となっているのかもしれません。
ここに学者さんの諦めない気持ちみたいなものが見えるような気がします。
ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
実用性に乏しく見えるのは経済学という学問がまだ若い分野だからです。
経済学の誕生自体は1759年の『経済表』までさかのぼることができますが、それから100年以上化学で言えば錬金術の時代が続き、やっと「科学」として軌道に乗ったのは20世紀に差しかかったあたりです。(限界革命など)
20世紀も半ばになってやっとケインズの理論が登場し、「金融市場が不完全だったら・・・?」という問題に取り組むことができるようになったのは殆ど21世紀に入ってからなのです。(Bernanke-GertlerモデルやKiyotaki-Mooreモデルなど)
他の言い方をしてみると、「どのような経済政策をとるのが良いか」という問題を扱う厚生経済学が誕生したのは1959年だと言えます。それ以前にもベンサムやミルなどがいますが、最初に体系づけたのはアローでしょう。
ところが「では実際にどうすればいいのか」という問題に答えるにはゲーム理論と経済学が結びつく90年代まで待たなければならず、実際には2000年代になってから始まったようなものです(VCGメカニズムなど)
また行動経済学や心理経済学というのはミクロな範囲で不完全な市場原理を理解するためには有用なモデルですが、それは別に現状のマクロ経済学が行き詰まったということを意味しませんし、それを打破することを期待されてるわけでもありません。
前置きが長くなったので簡潔に結論づけると、すなわち大学で経済学を学ぶ意義というのは「学部の範囲で最先端の理論を目撃し、考え、研究できる」ということに大きな部分があると私は思います。
特にアローやソロー、スティグリッツといった経済学上の歴史的人物が存命で活動している中で学べるというのはなかなかの贅沢ではないでしょうか。
物理学のようにある程度行き詰まった(つまり熟成した)学問ではこうはいきませんよね。
有用性に言及してない上に少しセンチメンタルな回答かもしれませんが、一意見として。
要するに実用性は、これからの(大学での)研究が担っているということです
はじまして。回答ありがとうございます。
なるほど、教科書に載っている有名な経済学者が存命であることは
学問の中では珍しいですね。
経済自体はものすごく長い間、考えられていたことかもしれませんが、それを学問として捉え、
理論付けたのは割と最近の話なんですね。
学ぶべき領域が長いのに、まだ始まったばかりだから
それに自分も加わることで経済学を成長させることができる
というところでしょうか。
とても簡潔に説明してあって分かりやすかったです。
センチメンタルなのは面白いし、説得力がありますね。
ありがとうございました。
No.5
- 回答日時:
続編
経済学自体が自己定義があやふやなところがある。そもそも経済へ人の意識が向いたのはつい最近のこと。産業革命と軸をそろえて近代国家が形成される過程は、いわば小銭を集中し近隣諸国といった空間とそこに居住している人間をマネジメントする必要性が原点になる。マネジメント(「経営」の訳語)とは組織を安定させることだから、住民に安心安全を確保し国境を確立することが最重要になる。
そのために国家全体の意思を実行するための巨大な官僚群が編成され、軍隊が国を守るカタチができる。当然このためにはお金が必要なので、それまで個人がやり取りしていたお金の動きをマネジメントする必要からたくさんの仕組みが作られ、同時に徴税による資本の集中と再投資プロセスが開始される。つまり近代資本主義の始まりである。
ここで、地域によって国によって資本主義の発達過程の違いを人の意識から理解しようとしたのが、マックスヴェーバの「プロテスタンティズムと資本主義の論理」。やがて史上初とも言うべきチューリップバブルの発生が、人に経済が波のような現象ではないかという視点をもたらす。さらにキリスト教国における、いわば選民思想に支えられた植民地の拡大にともない、資源の獲得と市場の確立等過程が明確になり、この過程で経済学の(みんなが認めると言う意味で)唯一の方程式が発見される。言い方は知らないが「投資金額は3倍になってかえってくる」という法則がケインズらによって提唱される。以後世界中で政府による大胆な投資活動が行われるようになる。第一次世界大戦後疲弊しきっていたドイツ経済を立て直したのは、発行された債券によってあつめられたお金を大胆に航空機産業へ投資したことが大きい。
これが大きく変化したのは、20世紀に少しまえアメリカの興隆による。あまり理解されているとはいいがたいが、アメリカは建国時の経過でカネには細かくうるさい。だから予算がなかったら、あっさりと政府の計画は停止される。さらに事実を数字によって理解しようとするプラグマティズムの国でもある。大きな大戦を通じて必要とされたコンピューターはその動きを加速し、結果「ナントカレポート」といった、統計処理された報告が大量に発行されている。それらを発行するシンクタンクがいい商売になっている。
ただ経済学は所詮分析に終始していた、なにか事件が起こるたびに新規な理屈をひねり出しただけで、その理論のあとに起こることはほとんど想定外だった。これでは役に立たない。そこで先読みの必要から(価値観を抜きにした)人間の動きに着目した考えが生まれる。これが行動科学。これと経済学が結びついて、分析だけだった経済活動を、今後の方向性を意味付けるものへと変化させはじめているのが現在。
したがってキミの言う、「需要がないものは消えていく」は正しいが、今はその方向へ変化し始めたということ。すでに知っていると思うが、なにか大型買収があるたびに民族系だとか外資の乗っ取りとか、ただ感情まかせの連中が抵抗勢力なっていることが大きい。私が約40年前位に思った「飛行機がどんどん増えれば、もっと安くなるんじゃないか?」ということがやっと最近表面に出てきた。特に今追い詰められた役人などが邪魔でムダ。
ではなぜほとんどの大学に経済学部や経営学部が設けられているかといえば、大学もビジネスとして人を集めねばならないが、最新の行動科学をいっても学生が集まりにくいので分かりやすい言葉を使っているということ。とはいえお金のことを知っておかねばならないので、自分の大学の運営に使えるかもという下心もあるだろう。さらに昔学者の肩書きをとってきた連中がこれまでの地位を守ろうとすれば、当然変更はいやがる。例えば「国語学」を「言語学」にしようとする若手の学者の意見をことごとく潰している学会や独占資格を守ることに汲々としている弁護士などがそれにあたる。
だから経済を学ぶことと、経済学部に入ることはまったく別問題と言える。
今一度自分が本当に知りたいことを心のなかに探し出してみることだ。
「すべてを分析し、統合せよ。」
こんばんは。度々、回答ありがとうございます。
私が質問したのは【大学で経済学を学ぶ意義】ですので、回答の細かい事実関係に言及することは避けますね。
deltalonさんの前回の回答より、
>これからはあらゆる学問分野で基準を創造し、比較することが求められている。
それゆえに経済学や○○学を学ぶ意義はない。
という結論に至ったということで話を進めます。
また、deltalonさんの今回の回答から、私は
需要がないものは消えていくという市場原理がまさに今、大学というマーケットにて目に見える形になりつつある。つまり、これまでの比較をしない、過去の現象に依存した"経済学"は今、衰退しつつある。
その原理に則れば、かつての経済学は衰退するはずなのだが、教授のプライドのために大学にはかつての"経済学"を学ぶ、経済学部が設置されている。
という解釈をしました。
納得できない点がまた出てきました。
まず、大学に経済学部が存在する理由について、
【教授のプライド>経済学を学ぶ必要性】だから。
となっている点がまず理解できませんでした。
経済学を学ぶ必要性があるからこそ、ほとんどの大学に経済学部が設置され、
ノーベル経済学賞があるのではないでしょうか?
経済学を学ぶ意義がないならば、そもそも経済学者など存在しないはずだし、大学経営者としてもこれほど無駄な投資はないでしょう。
経済学者は、その名前に固執しているのではないと思います。(それがなぜなのか、は分からないのですが。。)
消費者(学生)が分かりにくいから、教授のプライドを守りたいからという理由だけでは経済学部が衰退しない理由にはならないと思います。。
また、その最後の
>だから経済を学ぶことと、経済学部に入ることはまったく別問題と言える。
という結論に至った経緯が分かりません。
経済学部に入る理由は上述のように、教授のプライド維持、ですよね。
それと経済を学ぶこととの因果関係が分かりません。
よろしければもう少しだけ分かりやすく、シンプルにお願いします^^;
ちなみに、私が知りたいことは
【大学で経済学を学ぶ意義】です。今のところ。
こんなものは個人で違うのでしょうけれど、それを見つけるためにここで質問させていただいてます。
No.4
- 回答日時:
ご返事ありがとう。
ここで言っているのは経済学だけではなく、「~学」という科学を標榜する理論のことです。つまり経済学のみならず、現在科学と言われるものすべてです。
肩書きのために「~学」とはいっていますが、実は工学に近いものは多い。いっておられる「統計学」はこれまでのデータの集計技術など研究してきたものですが、やはり目的がなければ集計データに意味がでません。やはり工学、つまり道具の一種です。
さらに標準を決めることを求められているのは経済だけではなく、すべての分野です。そして実利の工学でも同様。なぜなら標準がないと互いに比較ができないから。たとえばグリニッジ標準時のような基準がないと、何をするにせよちぐはぐになって交流自体ができません。
会社で学んでいるのは経済ではありません。主に経営(マネジメント)といわれる領域の、特に技術的なことです。人の動きを管理する管理技術(やる気向上、福利厚生)、お金の管理(会計や金融工学)資産管理あるいは交渉技術などすべてです。人の好き嫌いといった価値や、こうあるべきというイデオロギーとはまったく関係ありません。特に経済学にせよ何にせよ、所詮過去の分析を土台にしているので、新しいやり方がでてくると追いつくだけで一苦労している。(ホリエモンの時みたいに、ルールの隙をつかれて右往左往。)
同時に会社は学習する場所ではなく、利益を追求するための組織であり、利益獲得を目的として考えだされた組織形態です。もうこれだけで経済学の範疇を超えている。つまりありもしない現実を分析しようとしてきたのが経済学(完全雇用など)。そのため今はいろいろな型にバラケ始めている(あたまに別の分野の名前を付けた○○経済学)。あるいは行動科学と結びついたカタチとか。
だから経済学を学ぶ意味は薄い。
もし学ぶ意味があるとすれば、その理論が創りあげられた事実や経過、あるいは思考過程は多少有意かも。でもネ、経済学の大元になる理論は一つしかないんだから、もう出し尽くしたと思うがね。
あとはただの肩書き用。最近の原子力の時みたいに、大先生が地位を守りたいから難しく「~学」といっているだけだと思っている。
詳しい解説、ありがとうございます。
これからはあらゆる学問分野で基準を創造し、比較することが求められている。
それゆえに経済学や○○学を学ぶ意義はない。
ということでしょうか。また間違っていたらご指摘お願いしますね。
ではなぜほとんどの大学に経済学部や経営学部が設置され、
実用性の乏しい理論や小難しい計算式などを学ぶのでしょうか。
経済の理論でいえば、需要がないものは消えるはずです。
でも、今日ではむしろ拡大していますよね。過去に固執しているとも思えません。
また、
>経済学の大元になる理論は一つしかないんだから
と考える根拠を教えてください。
私は経済学を学びたいと思っている身分なので、deltalonさんの意見にとても興味があります。
No.3
- 回答日時:
経済学として最新の経済理論を知らなくてもかまわないと思うけれども、少なくとも様々な統計数字の読み方は知っておいてほしいと思う。
そして、それら統計数字の系統だった読み方として、経済学(特にマクロ経済学の初歩)は教養として知っておいてほしいと思う。経済学を学ぶのは、相手の言っていることが本当はどういうことを言っているのかが理解する、少なくともその道標を得ることができるためである。
この他には、簿記と中学程度の理科と歴史は、最低限知っておいてほしいと思う。
そうでなければ、本当に簡単に騙される。騙される人が多いと、選挙などを通じて国全体が騙されることになる。
例えば「税金を安くします、社会福祉を充実させます、財政再建をします」というスローガン。
例えば、菅氏が国会で「剰余金がマイナスになるのが何故問題なのか分からない」旨の発言。
例えば「原口ビジョン」で、生産性を3倍にすることにより経済成長3%を実現する、とある。
経済学を勉強しなければ、本人達の軽薄さは別として、これらの発言がいかに空疎かはなかなか分からないだろう。
「税金を安くします、社会福祉を充実させます、財政再建をします」というスローガンについては、賛同する人は少なからずいるだろうけれども、もし実行するなら、社会福祉以外を大幅に削るしかないが、義務的出費と社会保障費の合計は税収を超えるため、実現は不可能だ。税金をあげるか、社会保障を諦めるか、財政再建を諦めるか、だ。
菅氏が国会で「剰余金がマイナスになるのが何故問題なのか分からない」旨の発言は、要するに財布の中身以上にお金を使うことが出来ないという事実に反している。つまり、支出がウソか、申告していない収入か借入かがなければおかしい。
例えば「原口ビジョン」で、生産性を3倍にすることにより経済成長3%を実現する、とあるのは、全要素生産性を3倍にすれば3倍のものができる。労働のみでも2倍強になる。つまり、経済成長3%が実現した場合には、投入される労働力=被雇用者は半分以下になる。
はじめまして。回答ありがとうございます。
なるほど、社会の大きな力(例えば政治、世論など)の本質を見抜く(判断する)ために
(実物的な)統計学が必要で、それを捉える枠組みとしてのみ、経済学を学ぶ意義がある、ということでしょうか。
確かに政治家の小難しい試算は、経済学を知らないと「あへぇ~」で終わってしまう可能性が高いですよね。それこそ政治家の思うつぼでしょう。
(前提として"政治家の発言など社会情勢を聞く耳をもっている"ということが挙げられますが。余談ですが今の人は老若男女問わず、関心が薄く、「あへぇ~」の段階にすら到達していないように感じます。。)
もし解釈が間違っていたらご指摘お願いします。
No.2
- 回答日時:
再定義してみると分かる。
現在科学と称されているものは実は工学であることがまだ知られていない。工学は目標を持った科学理論であり、科学はそれら工学のアイデアや仕組み、いわば道具のための源泉という位置づけになる。そのため科学者の肩書きは単にムラの中だけの身分証みたいになって来ている。(だから科学者の肩書きのために浪人するなどは愚の骨頂。)
すでに科学はその役目を終えているのではないかという見方がある。なぜなら科学という発想の大元は過去の分析なので、これまでの経過で、事例のほとんどの分析はほぼ完了しているようにみえる(記録が残っているのが、人類約3000年分だけなので有限個数。したがって組み合わせの限界が来ている可能性がある。)。残るは理解できない事例(「なぜバブルははじけるか」など)と人の感情や印象といった計量できないものになる。
だから今後の科学では、人の心や感情などで計量ができるモノサシが作られるかどうかが鍵になる。(http://ja.wikipedia.org/wiki/スタニスワフ・レムの短編に、感動が計量されるようになって、最後に文明が滅びると言う小説がある。)しかし有限のイメージやアイデアから画期的な方法が生まれるかどうかはまったく楽観できない。それこそ根本的なパラダイム変換が起きて、見方が全面的に変化しないと不可能。かりに実現したとして、当然人間観も変わり、これまでとは本質的に違う人間になればこれまでの歴史は否定される。かつての社会主義国(ソ連・東ドイツなど)が資本主義に変わった時、大きな傷跡になったのがその部分だった。
社会主義が成立した時に真逆の資本主義国は敵だったので、資本主義の歴史は否定され、社会主義の歴史が正しいとされた。その正しいはずの社会主義国が崩壊した結果、トラウマのように多くの人の心に疑問が生じ、結果としてさらに昔の民族的な歴史に連結させたネオナチのような極右が生まれた。イデオロギーや(経済学のように)価値理論に重きを置く考えの後退である。
そして大多数にとっては~学が作ってきた理論は、価値を取り除いたいわば道具として活用するようになってきた。それがいまの科学の立場であり、資格ブームの原点でもある。
そしてこの道具たる資格制度さえもまたこれまでの工業製品と同じように、世界標準の主導権を握るための競争が日々激しくなってきている。たとえばFP協会などは各国の組織をまとめた上位団体があり、PIMBOKなどの資格は会費はドル払い。もう日本での資格で通用するものなくなってきている。
だからキミの疑問は正しい。さらに深く考えて今後の見込みを立てたらいい。
参考URL:http://www.amazon.co.jp/科学の終焉-おわり-徳間文庫-ジョン-ホーガン/dp/4198913986
はじめまして。回答ありがとうございます。
最初の一文に
>再定義してみると分かる。
とありますが、文章中に【経済学の定義】を見つけだすことができませんでした。
これまで数値化することができなかった人の感情や慣習といった要因を数値化し、標準を決めることを求められているのが経済学である
(それゆえに、経済学を学ぶことが必要となる)
ということでしょうか。
(間違っていたらごめんなさい、正しい解釈の仕方を教えていただけると嬉しいです)
もしもそうであるなら、なぜそれは会社で働きながら学ぶ"経済"ではだめなのでしょうか。
経営学ではだめなのでしょうか。統計学ではだめなのでしょうか。
他の学問でも同様のことが言えそうに感じました。
私の読解力不足で、いまいち理解できませんでした。。
よろしければもう少しシンプルに分かりやすく解説していただけませんか。
No.1
- 回答日時:
はじめまして。
私もなんで大学まできて実用的なことを学べないのかとか不平不満をいってたときがありました。
ただ、自分の結論としては「大学を卒業し、なりたい職に就く」というのが目標だったので、とりあえず
単位のために学んだというのがほんとのとこです。
大学卒業後10年になる今になって思うのは、ありきたりな「もう少し勉強しておけばよかった」という
懺悔のような気持ちもありますが、現実しか見えない社会人になってみて、「もっと大局的に物事を
捉えれるような人間になりたいなぁ」という思いも同時にあります。
経済学という体系化されている学問を学ぶことで、いつとはいえませんが、あなたの視野であったり
考え方は多少は影響を受けると思います。
今は実感はなくとも、長い人生いつなんどき何が役に立つかわからないので、学べるときに学んでいた方が
少なくともマイナスにはならないと思います。
健闘を祈ります。
はじめまして。回答ありがとうございます。
>経済学という体系化されている学問を学ぶことで、いつとはいえませんが、あなたの視野であったり
考え方は多少は影響を受けると思います。
とのことですが、つまり『経済学が自分の考え方や人生に影響を及ぼすから』ということでしょうか。
なぜ、tiitii860さんはそのように考えるのかを知りたいです。
というのは、経済学でなくても人生に影響を与えるものはたくさんありますよね。
つまり、経済でも、マナーでも、恋愛でも、学べば多少は影響されます。
それらは恋愛指南書を読んだり、セミナーに参加したり、ユーキャンなどで代用がきくはずです。
そうではなくて、私がお尋ねしたいのは
【なぜ経済ではなくて経済"学"を学ぶのか】、もっと極端に言えば
【なぜ他の学問ではなく経済学を学ぶ必要があるのか】
ということです。
よろしければもう一度、回答をお願いします。
なお、私も、経済学に限らず、学問を学ぶということは決してマイナスの要因ではないと考えています。
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