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私には、いわゆる「霊感」というものがないらしく

一度も見たことはないのですが、霊を見た、という

話をされる方はたくさんいらっしゃいます。

そういう方たちは、本当に見たのでしょうか。

夢ではないでしょうか?

そういったものが写っている写真や映像は、フェイクでは

ないのでしょうか。

もし本当なら、なぜ実体のないものが見えたり映ったり

するのだと思いますか?

天文学に興味があり、素人ですがニュースや関連番組など

欠かさず見ています。宇宙を知れば知るほど(まだまだ大部分が

未知ですが) すべてが「自然現象」であり、成るべくして成る、

非科学的なものはありえないと思えてきます。

死後の世界もありえないと思っています。すべては「脳」が作り出した

もの。天国も地獄もないと思います。人間も動物と同じ。

人間にだけ特別に死後の世界があるはずもなく、焼かれて実体が

無くなれば、生まれる前の記憶がないように、「無」に戻るのだと思います。

なのに、燃やして無くなってしまったはずの人体が、なぜ見えるのか。

なぜ、映るのか。実際に、絶対に見たという経験のある方、

また、経験のない方でも死後の世界を信じている方(宗教関連除きます)

ご意見お聞かせください。(カテゴリ間違っていたらすみません)

A 回答 (7件)

私も過去に質問したことがありますが、科学的に言えば無いと思う。


まず根拠がゼロですし、21世紀にもなって鮮明な霊のビデオ一本すらない。白昼生中継で。
もちろん科学はまだ全然解明されていませんし、本当はあるのかもしれません。
今の科学では全く証明する材料が無く、幻覚と考えるのが妥当ということです。

ただ個人的にはあって欲しいとは思います。死んで無になるって恐ろしいじゃないですか。
それに亡くなった肉親や知人と繋がっていたいと考えるのは普通だと思います。
なので多くの人は死後の世界につながる霊魂の存在を信じたくなるものです。
だから特にその傾向が強い人は何でも霊だと信じてしまうのです。
脳は麻薬の例を出すまでもなく、無いはずのものをリアルに見て感じることができますからね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私も、死んだら無になるという考えが浮かんだ日から、死ぬことが怖くなりました。家族ともつながっていたいですしね。
でも、事実はやっぱり幻覚の域なのかな、と私も思います。

お礼日時:2011/10/02 13:34

実体がないものでも見えます。


人の目は、実体を感じているのではなく、網膜に投影される像・光を感じているからです。
さらにいうなれば、脳に刺激が与えられると、それを「見えた」と感じる。

>すべては「脳」が作り出したもの。

実体があると思っている物も同じです。
現実もすべて「脳」が作り出したものと言えます。

死後の世界はあり得ませんね。死後に脳はないから。
死後には、現実も消滅してしまいます。現実を感じる脳が死滅するのですから。
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>なのに、燃やして無くなってしまったはずの人体が、なぜ見えるのか。



安斎育郎 著「霊はあるか」

http://www.amazon.co.jp/%E9%9C%8A%E3%81%AF%E3%81 …

に、このことについて科学的な立場から検討した詳細な記載があります。
基本的には質問者さんの考えと同じです。
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この回答へのお礼

リンクありがとうございます。興味深いですね。読んでみたいです。

お礼日時:2011/10/02 13:35

多少はある方です。

その場居るか居ないかは目で見ているのとは感じが違いますね。
例えて言うなら記憶の映像と実際見えている映像がダブっているような感覚です。

合ったことも見たこともない方の亡くなった時の状態や家の間取りが判ったりもします。(遺族の方と喋っている時限定です)これは記憶の映像を思い出しているのと同じ状態です。


何でそんなことが起こるのか科学的に判るのなら逆に教えて欲しいぐらいです・・・・
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この回答へのお礼

人類が言葉を使い始める以前は、テレパシーによる意思疎通が行われていたという説もあるらしく、根本的に何か別の能力があるのかもしれないですね。言葉が使われるようになってからは退化したらしいですが。ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/02 13:38

霊を信じちゃいないですけど、



絶対音感も、聴覚でなく、色で感じます。
これを色聴といい、五感を他の感覚に変換して受容する能力を共感覚といいます。
絶対音感所持者は、周波数を耳で聞いて、目で見て、鼻で嗅いで、触り、味わうことで、
耳だけで聞く人より精度のある音の違いを見分けられるのです。
共感覚、脳科学的には、物理的に見えているわけではなく、他の感覚器が脳に色を感じさせています。
また、その感覚は、他者にも通じる言語としての能力を持ちます。

もうひとつ、色盲という遺伝疾患があります。
日本人男性の4.5%、欧米男性の8%が先天性の赤緑色覚異常者です。女性は0.1%ほどしか生まれません。
赤緑色盲の人は、赤の光線の神経受容体が生まれつき欠損していて、赤が赤として見えません。
それは紫が紫に見えないし、緑が緑に見えないということ。
でも、物体は存在し、見わけることができます。

色盲の人は、一生正しい色が見えないし、
色盲の見えている色も、健常者は一生見ることができません。

私は、時間に対する共感覚者であり、
0.1%の赤緑色盲の母を持ち、家系の男子全員が色盲で生まれる家の色覚異常の男です。
さらに付け加えますと、セミプロながら、デザイナーやってます。
なぜできるかといえば、健常者に見えない色を作れるからであり、
私は空の青さを知りませんが、空が青くないことを他人に共感できるのです。

かんじんなことは、目に見えないんだよ

私が幽霊を信じないのは、話のバックボーンが創作だから。
霊的存在に物理現象への干渉力があるなら、死者は増え続けるだけなのですから、日常的に干渉して、誰も存在を疑ったりしません。
生きててできないことが、死んでできようになると思わない。
幽霊の出るトンネルに行って写真撮ったら、、、そりゃ、怖い人に好奇心で無理にカメラ向けたら、生きてたってタコ殴りにされます。
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この回答へのお礼

見える、というより、感覚なのかもしれないですね。物理的には証明されていない第六感があるように。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/02 13:41

 質問の最後に書かれておられるように、宗教関係者は死後の世界を信じます。

しかし、心霊現象の解明は宗教の本来の目的ではありません。心霊科学という分野が本来的に研究しています。その分野の意義を否定されるなら、この回答を読んでも議論は平行線になります。私も議論で説明するだけの証拠を手元にもっている訳ではありませんで、否定する人を論破することできませんし、その気にはなれません。

 私の祖母が若い頃、子宮外妊娠で「死亡」しました。昭和の戦後間もない真夜中のことで、しかも寂しい農村のことであり、車もないので、夜明けまでは霊安室に安置されていました。しかし、夜が明けるとゴソゴソと動き出し、花畑や蝶々の話を語り出したそうです。その後50年を行き、寿命を全うして、2回目の死を迎えました。

 いくら貧しい田舎の藪医者でも「死亡」診断を誤ることがあるでしょうか?ここはやはり一度は死んで、極楽の入口に行き、しかし三途の川を渡る前にこの世に帰ってきたのではないかと思います。このような事例は心霊科学の書物には枚挙にいとまがないほど紹介されています。

 私の小学校来の幼友達のお兄さんが、中3の時に川で溺れて亡くなりました。卒業写真に写っていました。もちろん写真を見せられても、「光線の角度のせいだ」「水溜りだ」と言って否定する人もいました。しかし、内心の「信じてはならない」「否定するよりない」「成仏して欲しい」という気持は隠せませんでした。

 霊感がないのは幸せなことだと思います。重病末期のように、知らない方が幸せってこともあるのです。私も若い頃はそちらの感覚があり、心霊スポットへ行くと気分を悪くしたものです。最近は鈍感になってよかったと思います。鈍感になった今でも、心霊スポット的な所へは行きません。何の前触れもなく、惨殺されて血だらけの死体が自分に抱きついてきたらどうしますか?たとえ幻覚でも、ない方がいいです。
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この回答へのお礼

科学では説明のつかないことはありうる、というお考えなのですね。心霊スポットの件ですが、先入観、というものは影響していないでしょうか。もし本当に霊が存在していて、自分に抱きついてきたらもちろん嫌ですが、どうして実体のないものが抱きついてくるのか不思議でならないと思います。霊感の有無について嫌かどうかではなく、科学的な観点から質問させていただきました。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/02 13:47

こんにちは。


私も霊感はないし、無信心です。

あなたは夢を見たことはありますよね。
それは、実体のないものを、脳が見ているということです。
それと同じです。

あるいは、亡くなった肉親との思い出が浮かぶとき、必ず、その肉親の顔や体は思い浮かべることができます。

好きな映画のシーンも思い出せます。

私は子供のとき、家のトイレに行く途中の暗い廊下を通るとき、毎回、人の顔の形をしたもの、つまり幽霊が見えていましたが、「幽霊がこの世にいない」と確信したときから見えなくなりました。

つまり、「‘見える’と感じる」ということと「視覚がある」ということとは、必ずしも一致しないのです。
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