アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

再度質問します。前回の質問に見当ハズレの回答ばかりが寄せられ、当方の知りたいことを全く知ることが出来ませんでした。ここは行政のことや社会や人生観を語るカテゴリーではありません。
あくまで「国語」というカテゴリーなので、カテゴリーに外れた回答は不正回答であり、無用ですので遠慮して下さい。
生活保護課の役人云々は、私の質問を説明する補助的なものと捉えて下さい。
彼らの態度が間違っているのかどうかという質問ではありません。
あくまで、生活保護法と憲法の条文の国語的解釈を求めているのです。

生活保護法の第一章 総則に次のように書かれています。

(この法律の目的)
第一条  この法律は、日本国憲法第二十五条 に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。

そして日本国憲法第二十五条は
 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
というものです。

上記の文言から解釈した場合「最低限度」というのは国語的に正確に解釈するとどうなりますか?
私はこれは、国が「最低の」生活を保証するのではなく、「最低以上の」生活を保証していると読むのですが・・・例えば、「最高限度速度50キロ」というのは50キロで走れという意味ではなく、50キロ以下で走れという意味ですね。
ところが実際は、生活保護課の役人は、「健康で文化的な」という文言を完全に無視し、「最低限度の生活」を「最低の生活」と解釈しているようです。つまり、「生活保護者は食えるだけで満足せねばならない」と考えているようで、自動車の保有と使用(地方では車は必需品)、たまに息抜きにパチンコすることも、たまに温泉に浸かることも、旅行も禁止しています。
何だか、人権のない奴隷と変わらないような身分ですが、これは、役人が最低限度を最低と読み違えていることから来るのではないでしょうか?
車の最高限度速度を例に上げましたが、他に適当な例があれば上げて頂けませんか?
また、最低限度を含むこの文を文法的に解剖して下さいませんか?

A 回答 (13件中1~10件)

 50年前、朝日(茂さん)訴訟の提訴よりこの文言の解釈は議論されてきて、この条項をコンメンタールする法律書には詳細な記事があります。


 国語的とはいえ、そして憲法も生活保護法も国語(日本語)で書かれていますが、いわゆる国語の範囲をでないと仰せの質問にコメントができにくいと存じます。
 つまり、文法的解剖の範囲では難しい質問だと存じます。

 生活保護課というのもあるでしょうが、生活保護を所管するのは福祉事務所ですね。そこの保護課でしょうかね。
 
 健康で文化的な最低限度の生活とは時代により、そして国により、そして地域により相対的な水準であらざるを得ませんし、ラインを引く事は難しいと存じます。

 最低限度ではあるが、社会と人間としての健康で文化的な生活、人間の尊厳にもとらない生活ということでしょう。
 車やパチンコ、ないしは旅行がどうかは存じません。私は免許はあるが車は処分しております。
 旅行もレクリエーションのものはやっていません。無論46年私立大学にいての年金生活者ですから生活保護は受けていません。
 でも被保護の方も親類の法事などの慶弔、或いは人としても最低の交際への出席参加はしてもいいのでしょうね。
 更生し、自活していかれる道を閉ざすような最低限度であってはいけないでしょうね。
 その意味で交際や技術の修得、教育は保障されるべきでしょうね。
 身の回りの清潔な最低の必要経費は支弁できなければいけないし、医療は無論保障されなければいけませんね。
 最低はぎゅうぎゅうと押し詰めた、どこまでも下げた最低とするのは間違いですね。
 もともと、人間の尊厳と人間愛、ヒューマニズムが底流にある条項ですから。
 そうかといって、どこで贅沢と線を引けるかは難しい。
 いじめる為の解釈ではなく、人間ならここまでは認めなければいけないということでしょう。
 関西以北の地域で寒い冬に布団に包まっていればいいではないかとか、ガス、水道、電気のない生活とか。
 暑い都会の一室でエアコンのない生活とか。
 どこへも出かけることのできない生活なんかは人間として地区担当員を強制してはいけないでしょう。
 最低のラインは普通の地味な真面目な生活でしょう。
 パチンコや車は私は疑問です。でも気晴らしというか、ちょいと酒を飲むとか、煙草とかはありでしょう。
 私は煙草はもうやりませんが、我慢できない人のほっと一服は認めなくては。
 私はもう外ではのみませんが、家で買ってきたおつまみでちょいといっぱいはいいのではないですか。
 そして新聞やいろんなサークルや政党や宗教や、それは許容しなくては。
 いろんな市民的な活動団体もありますよね、それも参加できるくらいは文化の範囲ではないですか。
 テレビの視聴も許されるべきでしょう。
 隣組や町内会でのお付き合いも。普通の地味な生活、真面目な生活の保障だと思います。
 パチンコは癖になると抜けられないのですが、これは卒業して欲しい。賭け事ですからね。
 私が福祉事務所の地区担当員や所轄の管理職ならこういう判断です。
 そして裁判になれば、裁判官としてはこのように思って、事案の審理をします。
 このことは古い、長い議論があるのですが、得てして担当者は押さえ込みに掛かる人と、できるだけ上にもっていくことを成果とする人と居るんです。
 線も引けないが、内容も一義的には決められないところがあります。苦しいところです。
 でも同じ種類のケースって参考と標準になっていますから、具体的実態的には内容は決まってきます。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
善意に満ちた方だとお見受けします。
従ってその考えも被保護者の立場に立った暖かいものです。
しかし、私の考えは違いますが、貴方ならどう思われますか?

生活保護費といっても高齢の夫婦2人で11万円くらいのもので、とても贅沢できる額ではありません。しかし、我々はこれより少ない稼ぎで(地方の最低賃金は生活保護費を下回ります)
自動車を維持し、時々は温泉にも浸かり、酒も飲んで来ました。自動車のメンテは出来る限り自分でやります。10万キロ走行した中古自動車を20万円で買い、冷却水・オイル・タイヤ交換は勿論自分でやります。タイヤがすり減ったら一本500円の中古タイヤを入れます。
車検の時は過剰整備をやらない極安の業者に頼みます。
温泉と言っても町営の日帰り入浴490円の温泉です。車で1時間弱の距離にある田舎の温泉です。大阪から孫たちが遊びに来た時は、旭山動物園に一泊旅行しましたが、車中泊でホテル代は必要ありません。酒は一番やすい第三のビールというヤツを夏場だけ。
それから、社会のために何かをしなければ生まれて来た意味がないと思っているので、核廃絶運動や脱原発運動には時々カンパをしています。

生活保護費以下の収入でもこれらのことをするのは可能なんですね。
私にとっては、生き甲斐であり生きている証しでありどれも削除することが出来ません。

江戸時代には身分ごとに、事細かに、衣食住のことを決めていましたね。
百姓は絹の着物を着てはいけない、木綿を着ろとか、草履の鼻緒に金箔の飾りのあるものはダメだとか・・・
多分、日本の今の役人にもこのような発想が伝わっているのではないかと思います。
海外帰国子女が日本の学校に入ってその規則のうるささにカルチャーショックを受けるそうですが、日本人の上層部の人は兎に角「管理好き」ですね。外国の空気を吸って来た私のような人間には、日本の警察や学校の(孫が小学校に行ってます)管理好きには我慢がならないです。余りにもうるさ過ぎる。こっちの自由にさせてくれと言いたくなります。

つまり、生活保護費は何に使おうと自由ではないかと言いたいのです。決してそれ以上は出さないのだから。何故、これは贅沢だからダメ、これはいいと行政が決める権利があるのかと。パチンコは私はしたことがありませんが、本人にとってそれが幸せな一時を過ごせる瞬間であるのなら、他人や行政が口出しするものじゃないでしょう。賭け事だから? 公認の賭け事で国が利益をあげていながら、被保護者には禁止するのはスジが通っていません。
そもそも、賭け事が何故悪いのか?その理由は被保護者に該当するのでしょうか?

しかし、五体満足で健康であるのなら、他人の税金で食い続けるのは不正で不道徳です。
仕事を見つけて働く努力をすべきです。だから、仕事を見つけて働く努力をしているかどうか、この点だけを行政は監視し努力を促せばいいのです。
何が健康で文化的かは個人によって違うのですから、これはダメあれはいいという統制は人権侵害だと思います。行政は働いて自立させることだけに集中すべきで、個人を統制するのは越権行為だと思います。このような統制は著しく個人の尊厳を傷つける行為です。

最後になりましたが、質問です。
>このことは古い、長い議論があるのですが、得てして担当者は押さえ込みに掛かる人と、できるだけ上にもっていくことを成果とする人と居るんです。
貴殿の上記の文の後半部で「できるだけ上にもっていく」とはどうすることですか?
上とは具体的に何でしょう?もう少し説明して下されば助かります。
ではよろしくお願い致します。

補足日時:2011/10/16 11:15
    • good
    • 0

#7です。


2つ言いたいことがあります。

まず第一。

>>「最低限度の生活を保障する」とは、生活が最低限度を(低く)超えないように保障する、という意味になります。それ以上の生活を保障するということには文法的になりません。

つまり、それ以上の生活を保証しても法律違反、憲法違反にはならないわけです。

おっしゃるとおりです。
しかし、それを言うなら、それ以上の生活を保証しなくても法律違反、憲法違反にはなりませんよ?
どちらも法律違反、憲法違反にはならないわけです。
「最低限度」に幅はありません。あくまで区分のための基準です。
文法的に「限度」とは「面・範囲」ではなく、あくまで「線引きできる基準」とお考えになるのが妥当なようです。
と前回述べたのはこのような意味です。
この条文によって、(建前上)国民は等しく最低限度以下の生活から救済されることが保障されたことになります。
文法解釈はここまでです。
これ以上にも以下にもなりようがありません。

はっきり言うと、
「最低限度以下にならないよう保障はするが、それ以上の保障もしない」
と生活保護法は言っているわけですし、それ以外に表現のしようがないでしょう。
その内容に問題があるとすれば、「最低限度とは何か」について論じれば良いのであって、条文の文言自体に何ら間違いがあるわけではありません。
ですから、
>役人が最低限度を最低と読み違えていることから来るのではないでしょうか?

という視点から切り込んでも根本的な解決に至ることはあり得ません。

次に、
>あくまで「国語」というカテゴリーなので、カテゴリーに外れた回答は不正回答であり、無用ですので遠慮して下さい。
>彼らの態度が間違っているのかどうかという質問ではありません。
あくまで、生活保護法と憲法の条文の国語的解釈を求めているのです。

と明記しておられるのですから、お礼内容もあくまで国語的に限定すべきではないでしょうか。
あなたのお礼は、国語的解釈から離れて、役人連中の態度が間違っているという主張に終始しています。
つまり、言ってはいけないと言っておきながら、自分で言っている、ということにお気づきでしょうか。
まあ、何を言っても構いませんが、ご自分が提示なさった禁じ手を自ら使うのはいかがなものでしょうか。
あなたのご希望どおりに国語的に限定して回答した人たちに対して失礼になっている、という点にお気づきいただければな、と感じる次第です。

「最低限度」をバカ正直に国語的にしか解釈できない役人が多いと思うのですが、みなさんはどう思われますか。
などと正面から質問なされば、それなりの回答が寄せられるのではないでしょうか。
うっちゃりはいけません。
  

この回答への補足

>それを言うなら、それ以上の生活を保証しなくても法律違反、憲法違反にはなりませんよ?
どちらも法律違反、憲法違反にはならないわけです。

心を無にして憲法25条を今一度読んでみました。すると私は、次のように感じました。「最低ではダメだよ。ヤッパリそれ以上でないと健康で文化的とは言えないよ」と。
日本国憲法自体が当時のアメリカの理想を追求した非常に先進的なものです。他の方も書いておられるように「最低はぎゅうぎゅうと押し詰めた、どこまでも下げた最低とするのは間違いですね。
 もともと、人間の尊厳と人間愛、ヒューマニズムが底流にある条項ですから。」
憲法全体の格調からすると、これを最低の生活と読むと、他の部分との整合性がなくなります。
まあ、憲法の格調を感じることが出来ない人にとっては、最低の生活の保証でも憲法違反にはならないと言うのでしょうが・・・。

貴方も「いちゃもん付け」の名人のようですね。回答者が質問にまともに答えないのは論外ですね。しかし、その論外の回答が多いのも事実です。だから国語的な面に限った回答を求めると、本来なら断らなくてもいいようなことを断らざるを得なかったわけです。そのような回答を読まされる時間的精神的な不利益を避けるためです。

それに対して、国語的な回答、それ以外の内容を含んだ回答色々と寄せられるのですが、
その内容に応じて千変万化のお礼や補足をするのは何ら問題ありません。質問と回答補足は別に整合性を求められる統一体ではないのですから。
回答者が、もし、「補足とお礼は国語的な面でのみにしてくれ、でないと私は不利益をこうむるから」と懇請すれば、それを破る合理的な理由がない限り、懇請に応じるべきでしょう。

結論は、貴方もイチャモンの名人のようですから、他の質問者に対し、一々イチャモン投稿をされないよう、切にお願い致します。貴方のイチャモンを普通は見破る人はいないのではないでしょうか?

補足日時:2011/10/22 16:34
    • good
    • 0

#9のお礼を見ましたが


こういう内容をもとに質問をしているのならもっと建設的な回答を得られると思いますよ。

質問とはかけ離れているので私は何も意見しませんが。。。

この回答への補足

このカテゴリーを選んだのは、あくまで国語的な面をはっきりさせたいからです。
この質問の背景には勿論#9のような考えがあります。
それを煮詰めるのは別のカテゴリーになるでしょう。もしその時はその時で私が判断しますから、貴方の指図は無用です。

#9は勿論、特別の内容のある回答を寄せられたから、それに答えたものです。お礼や補足は、それぞれの回答者に合わせてするものですから、質問とかけ離れることも当然あり得ます。御礼の内容が質問とかけ離れてはいけないというルールはどこにもありません。
むしろ、一々難癖をつけるのを目的に投稿する方がルール違反になるでしょう。

補足日時:2011/10/22 16:05
    • good
    • 0

 #9


 >このことは古い、長い議論があるのですが、得てして担当者は押さえ込みに掛かる人と、できるだけ上にもっていくことを成果とする人と居るんです。
貴殿の上記の文の後半部で「できるだけ上にもっていく」とはどうすることですか?
上とは具体的に何でしょう?もう少し説明して下されば助かります。

 上記のご質問コメントですが:多くはないのですが、担当の仕事をしている人の中には、自分の担当ケースについてできるだけ充分なことをしてあげたいという思いの人もかなりいるものです。
 私も二十歳で四年制大学の図書館に入り、右往左往していましたが私の要望が上のめがねに合い、新規の大学建設の事務の責任者にされましたが、他を省みないで一生懸命新規の大学のハード部門をやり、ともかく最大限のことを実現しました。
 そんなふうに自分の担当するケースのことにのめりこんでいく人もいるのでしょう。
 そして突出したお世話の成果が実ると嬉しいもので、そういう公務員も、いえ仕事担当者もいます。
 予算を少なくする人もいますが、予算を充実させ発展させる糸口を作ったことを自分の成果として満足して振り返る人もいるんです。
 そうやったケースってやはりいい結果となっていますね。20年30年40年経つと結果がでますね。素晴らしいことです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>担当の仕事をしている人の中には、自分の担当ケースについてできるだけ充分なことをしてあげたいという思いの人もかなりいるものです。
なるほど、これが「上にもっていく」の意味ですか、分かりました。
こういう人は確かに非常に少ないですね。他の回答者のような方が担当者であったなら、間違いなく抑え込む行動を取るでしょうし、貴方なら上にもっていく行動を取るでしょう。そして、貴方のような心を持っている人は非常に少ないということになります。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/10/22 17:03

>いえ、役人たちに国語の素養がないようだから、彼らに説明してやる必要があるのです。


>私の洞察に耐え得るだけの、説得力と道理に裏付けられた意見であれば、採用するにやぶさかではありません。
別に貴方の了承をもって行政が成り立っているわけでないので。。。
無視すればよいだけです。

むしろ変革を求める貴方の方が、採用されるように頑張った方が良いですよ
納得いくレベルの「健康で文化的な」と適切な運用方法および実施の裏付けとなる財源を示してくれたら、採用してあげてもいいよ^^
    • good
    • 0

>健康で文化的な生活というのは、やはり「衣食住の最低限」だけではありません。


>やはり、人間の尊厳が守られなければ健康で文化的とは言えません。

>これは、国民性によって相当違うようですね。障害者や生活弱者に対する意識の違いでしょう。私は外国との接触がある人間なので、外人の感覚があるからでしょう、日本の役人やここで回答されている大半の方の意識は、人権感覚のない非常に遅れたものだと感じています。

なんだかなあ、結局国語的解釈なんてどうでもよくて、
貴方が希望する法的解釈を求めてるだけじゃないですか。。。

この回答への補足

>なんだかなあ、結局国語的解釈なんてどうでもよくて、
いえ、役人たちに国語の素養がないようだから、彼らに説明してやる必要があるのです。

>貴方が希望する法的解釈を求めてるだけじゃないですか。。。
私の洞察に耐え得るだけの、説得力と道理に裏付けられた意見であれば、採用するにやぶさかではありません。

補足日時:2011/10/16 10:08
    • good
    • 0

文法的と言われると難しいです。

最低限と言う言葉についての国語的解釈であれば、
国語の辞書にあるとおり、最低限>それ以上は低くしたり質を落としたりできない限度、
最低限の生活となっています。
辞書の作成にあたって、多分憲法を背景に解説していると思います。
いわば最低限を超えると健康で文化的とは云えない生活になる。
と言う事だと思いますがこの日本国憲法が、制定されたのは1946年11月3日に公布
翌年47年5月3日から実施されています。
その時代の健康で文化的とは何を指すか、ということです。貧しくてお金が払えなければ、
水道ガス電気もとめられます。家賃を払えなければ家も追い出されます。
食費が無ければ餓死するより外ありません。物乞いか乞食か犯罪者になるほかない生活です。
健康で文化的とは衣食住及び医療と子供の教育とラジオによる情報ぐらいが保証される
程度の事では無かったでしょうか。
いまの生活レベルにあった保証の改定はその後どうなったかは存じませんが、
すべての国民とは自助努力が不可能な人を含むすべての国民と解釈すべきではないでしょうか。

すべての国民がつつましく貧しい生活を送りながらも自助努力で生きてきた時代の厳しさを考えると
いま質問者さんがおしゃる様な(健康で文化的な」内容が認められ誰もが働かず、自助努力もせず
生活保護が受けられるのなら、国民は勤労意欲を失い、国は破滅するしかないか、もっと弱い
人にしわ寄せが来るしかないでしょうね。
人権のない奴隷とは労働の報酬も与えられず、家畜同様の扱いを受けることです。
最低限度とはなにを基準にするかによって変わってくる言葉だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>質問者さんがおしゃる様な(健康で文化的な」内容が認められ誰もが働かず、自助努力もせず生活保護が受けられるのなら、国民は勤労意欲を失い、国は破滅するしかないか、もっと弱い人にしわ寄せが来るしかないでしょうね。
私はそのようなことは全く考えておらず、下記のリンク先にあるようなことを考えています。
http://blog.fut573.com/145

皆さんの仰るのは1止まりで、私は2まで含むと考えているわけです。

昔は、テレビや冷蔵庫も禁止されていたようです。今は自動車の所有使用が禁止されていますが、これも将来的には解除されるだろうとのことです。

昔は自動車など大金持ちしか所有していませんでしたが、地方都市では普通の家庭でも2台持っている家が少なくありません。

お礼日時:2011/10/16 09:51

「限度」を辞書で引くと、


「そこまでと限られている程度。認めうる範囲の、ぎりぎりのところ。」
となっています。

「健康で文化的な最低限度の生活」とは、
「健康で文化的と最低限認め得る範囲ぎりぎりの生活」
という意味になります。
「限度」は「面・範囲」ではなく、あくまで「線引きできる基準」とお考えになるのが妥当なようです。

憲法の
・すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
という条文は、「最低限度」という文言がある以上、
・すべて国民は、【少なくとも】健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
と解釈するのが妥当でしょう。
この場合、最低限度以上の生活については全く触れていないことになります。
そのことに関しては個人の自由・裁量に委ねられるべき事柄になる、という判断でしょう。

この憲法の理念に基づいて最低限度の生活を保障するのが生活保護法ですから、
「その最低限度の生活を保障する」という文言は、あくまで最低限度だけを保障する、と考えるしかありません。

>例えば、「最高限度速度50キロ」というのは50キロで走れという意味ではなく、50キロ以下で走れという意味ですね。

これは、
「最高限度速度50キロ」を超えてはいけない、ということが眼目です。
結果として50キロ以下で走ることになりますが、40キロで走るように、とか35キロで走るべきだとか言っているわけではありません。
それは個人の自由・裁量に委ねられているわけです。(むろん、交通の流れを阻害しないようにという規制はありますが)

同様に、
「最低限度の生活を保障する」とは、生活が最低限度を(低く)超えないように保障する、という意味になります。
それ以上の生活を保障するということには文法的になりません。

質問者さんの疑問は、
「健康で文化的な最低の基準」とはどのような状態を指すか。
ということではないでしょうか。

これは条文の文法というよりも、解釈の問題になります。
この解釈について私見を述べることは質問者さんの意図に反するでしょうから遠慮しておきますが、
「役人が最低限度を最低と読み違えている」わけではなく、
「健康で文化的とはどのような状態を指すか」に関しての解釈が多様である、ということになると思います。
  

この回答への補足

回答ありがとうございました。
思い出しましたが、「最低賃金制度」というのがありますね。
東京や大阪では、特に努力して探さなくても最低賃金以上の賃金を出している企業が多いです。しかし、北海道では、軒並み最低賃金丁度の賃金しか払わない会社が圧倒的に多いです。どちらも、法律違反ではありません。

>「最低限度の生活を保障する」とは、生活が最低限度を(低く)超えないように保障する、という意味になります。それ以上の生活を保障するということには文法的になりません。

つまり、それ以上の生活を保証しても法律違反、憲法違反にはならないわけです。

>質問者さんの疑問は、
「健康で文化的な最低の基準」とはどのような状態を指すか。
ということではないでしょうか。
これは、国民性によって相当違うようですね。障害者や生活弱者に対する意識の違いでしょう。私は外国との接触がある人間なので、外人の感覚があるからでしょう、日本の役人やここで回答されている大半の方の意識は、人権感覚のない非常に遅れたものだと感じています。

補足日時:2011/10/16 09:15
    • good
    • 0

http://blog.fut573.com/145

国語的解釈だと私が思うものを見つけました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
リンク先見ました。
正に私と同じ感覚の方がいて、学者にもそう主張する人たちがいるんですね!
健康で文化的な生活というのは、やはり「衣食住の最低限」だけではありません。
やはり、人間の尊厳が守られなければ健康で文化的とは言えません。
健康で文化的なんて動物から見れば、実に贅沢なものです。しかし、人間はそれを享受する権利があると憲法が保証しているのです。被生活保護者は人権のない動物というのなら、話は別ですが・・・。

お礼日時:2011/10/16 08:54

1.さいてい‐げんど【最低限度】


「最低限」に同じ。「健康で文化的な~の生活を営む権利」

この程度で十分でしょう。

最低限に同じ。
「最低以上の」ではありません。

執念にかられて辞書を読むくらいの国語的活動も忘れておいでのようですね。

この回答への補足

さいてい‐げんど【最低限度】-日本国語大辞典
〔名〕最も低いほうの限界。これ以上低くすることができない程度。最低限。*日本国憲法〔1946〕二五条・一「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」*生活保護法

最低限と最低限度が全く同じ意味なら、2つも日本語が生じないでしょう。
ましてや最低と最低限度とは明らかに意味が違います。
裁判官や行政の人間は条文をねじ曲げて解釈する大家ですから、我々庶民は用心しなければなりません。

補足日時:2011/10/16 07:13
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!