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明治の帝国議会の選挙以前に選挙が行われたことがありますか?
また多数決で事を決するということがありましたか?

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

ちょっとピント外れかも知れませんが、投票によって庄屋を「選出」した例ならあります。



信濃国諏訪郡乙事村の事例ですが、享和2年(1802年)に庄屋を「選出」しています。
また、この村には、宝暦10年(1760年)の「役人入札印形帳」が残されていることから、すでにこの当時から「選出」されていたようです。

近世村落についての覚書 一橋大学研究年報 (13-15ページ)
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10 … 
 
次に、「多数決」については、一揆の「契状」の中には「多分の儀」(多数の意味)と記されているものがありますから、記録としては、14世紀ごろが最も古い例になるのではないでしょうか。

一例ですが、豊後国角違(カクチガイ)一揆の契状、第3条「諸方 ○索勢仕の事は時宜によって多分の儀に背くべからざること」とあります。 
この契状には、年月日は記載されていませんが、建武3年(1336)から貞和2年の間だとされています。
古い読書メモ(手書き)なので、○は難しい字だったのか、書いていません。

私の頼りない話は早めに切り上げて、次の論文を見てください。

愛知東邦大学『東邦学誌』第34巻第2号「東アジアの地方自治・試論」
http://staff.aichi-toho.ac.jp/okabe/ronbun/asiaj … 

「3.江戸の民主主義」に詳しいです。
「入れ札、寄合、多分の儀」に関しての説明があります。
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山本七平の著作『日本人とは何か』第一部第六項に



 「<民主主義>の奇妙な発生」と言う項目があり、ここに『平家物語』に書かれている延暦寺の「満寺集会」における「大衆せん議」という多数決での議決法が紹介されています。
 ご参考になりますでしょうか?たいへん興味深い著作です。

 山本七平説明要りますかね?学者ではありません。

 詳しくは下記をご参照ください。

  http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA …
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一つの説ですが、2世紀に邪馬台国を中心とした連合国家が成立し、卑弥呼が女王として君臨します。


ところで魏志倭人伝に依れば、魏の国の後ろ盾を得て、軍事顧問の張政を受け入れたり、最後もどうやら殺されたのではないかという説もあり、この連合王国は卑弥呼が絶対的な権限を持っていたとはとうてい思えず、連合を形成する国の王達の力関係、多数決で動いたのではないかと思います。
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曖昧なので、前提をはっきりさせた方が良いのでは?


古来日本では政治は合議によって決められ進められてきましたので(一部の例外の時期を除き)、そういうのを選挙とか多数決と思うかどうか。

たとえば、徳川吉宗の将軍就任って、御三家当主の互選によるものと捉えれば選挙・多数決ですが、実際には事前根回しで決まっていたはずで、そういうのをどう考えるか。そういう事例だと大和飛鳥時代から山ほどあると思います。
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