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昨年度の学習院大学の入試問題なんですが、第一問の仏文和訳で困ってます。

最初の2文なんですが、(事情により、セディーユは省略し、アクサン記号はアクサングラーヴは外し、右隣に記号をおきます。それ以外のアクサン記号は省略します。eg.Francais, premie`re)

J'avais dix-huit ans et je quittais la France pour la premie`re fois de ma vie. Sur la plage de Nice, j'avais fait la connaissance d'une femme, une Francaise, qui vivait la` depuis plusieurs annees avec son mari et s'appelait Mireille.


訳すと、私が18歳だった時、私は人生で初めてフランスを離れた。ニースの浜辺で、私は数年間そこに夫と住んでいたミレイユという名前のフランス人女性と知り合った。

となったんですが、どう考えても「フランスを離れた」のあとに「ニースの浜辺で」とくるのがおかしいです。辞書を引いても他の意味は無く、答えも持ってないので更に困ってます。

結局、この文は何と訳すんですか??

A 回答 (32件中21~30件)

論争するつもりはないんで。


そもそもje quittais la Franceの半過去形にコメントを添えてあるわけで、そこすら読み違えるというのはどういう了見なのかな?
ここは、続くフラッシュバックに備えての継続的状態とみるならまったく別でそれもいいのだけれども、しかし、絵画的半過去なのか自由間接話法なのかなんてことは、大雑把には過去における現在として臨場感を得るということで同じであって、そんなことにかまけて文法屋さんが項目を増やすのは文法屋さんの仕事だからじゃないかね? 新聞記事の絵画的半過去、小説の自由間接話法、これらは変わらないと思いませんか。On m'a dit que? 母親が部屋に来て? こんな一人称の叙述なのに。
J'avais 18ansと話者が過去の視点を明示する、そして次の内容が単純過去ないし複合過去で描きうる内容でありながら (さっき触れたフラッシュバック直前の継続効果を除外すると)、半過去で書くことで視点を過去に置く。これだけのことですね。自由間接話法が決して話法でなくスティルの問題であるのはいうまでもないのですが、一人称の叙述で過去の時点に重点があるときの半過去が Je me souviens queかなにかの省略だらけと考えようと何らかまわないでしょう。というのはわたしがテクスト解析中心の精神分析家だからなのかもしれないですね。仏ブンの文法屋さんがこうじゃ世の中で誰かが困るんでしょうね。
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自由間接話法はあくまでも話法の一つですから、直接話法や間接話法を背景が感じられうるものです。



つまり、J'avais dix-huit ans et je quittais la France pour la première fois de ma vie. の前に、On m'a dit (que) とかOn me disait (que) とかがあるのだな、と感じられるものです。

例えば、主人公が出発する前の日に母親が主人公の部屋に来てこういった、とかいう状況があればです。この状況を仏文にすると(カッコ内は単純過去):

1.直接話法 
  Avant la veille de mon départ, ma mère est entrée (entra) dans ma chambre et elle m'a dit (dit) : "Tu as dix-huit ans et tu quittes la France pour la première fois de ta vie."


2.間接話法
Avant la veille de mon départ, ma mère est entrée (entra) dans la chambre et elle m'a dit (dit) que j'avais dix-huit ans et que je quittais la France pour la mpremière fois de ma vie.

3.自由間接話法
Avant la meille de mon départ, ma mère est entrée (entra) dans ma chambre. J'avais dix-huit ans et je quittais la France pour la première fois de ma vie.

地の文に交じっていきなり(一人称)で主人公の思いや独白をする自由間接話法は日本の小説ではよく見かけますが、仏文では上記のように背景にOn m'a dit (que) とかOn me disait (que) あるのが感じられるものです。(またほとんど三人称で語られます。)

ただし注意すべき点は、自由間接話法がつねに直接話法や間接話法の省略形ではないことです。

今回の例では百歩譲って、(Je me disais que ) J'avais dix-huit ans et je quittais la France pour la première fois de ma vie. と、(Je me disais que ) が前に隠れているとしましょうか。それでも無理でしょう。いきなり冒頭から自由間接話法で始まるとは思えません。ただしこの文章を日本語に訳した場合、自由間接話法的な印象を与えるかもしれませんが。

〉18ans, c'est l'age ou j'ai quitté la France. という事実が J'avais 18ans et c'etait l'age ou je quittais la France.という叙述になります。
↑↑意味不明です。
Quand j'ai quitté la France pour la première fois de ma vie, j'avais dix-huit ans. または J'ai quitté la France pour la première fois de ma vie à l'âge de 18 ans. という事実を絵画的に半過去を使って述べているだけです。

〉 J'avais 18 ans et (j'ai decidé que )je quittais la France
↑↑勝手に主人公の決定にするのは無理がありしょう。
これが通れば、一人称で書かれた小説はすべて自由間接話法になってしまいます。

質問者の方へ:
フランス語の小説における自由間接話法などは、将来仏文にでも進んだ時に考えればいいことで、これに関する回答は無視して結構です。それよりも一つでも単語を多く覚えてください。
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なぜ自由間接話法なのかというと、こう。



ここでは、

18ans, c'est l'age ou j'ai quitté la France. 

という事実が

J'avais 18ans et c'etait l'age ou je quittais la France.

という叙述になります。

あるいはこのように。

J'avais 18 ans et (j'ai decidé que )je quittais la France.
(J'avais 18ans et J'ai decidé, "je quitte la France.")
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自由間接話法 ??



ここじゃ違うでしょ!!!
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教科書にも書いてあるとおりのことでありながら、理屈と計算ではなく、生きた文章の上で次のようになるということを、構造的に理解するためには、たくさん文章を読んで勉強するしかないです。



当時------{私は18歳である}+{初めてフランスをはなれるのだ=自由間接話法}

状況------{ニースの浜辺で私は一人の女性と知り合っていた} + {フランス人で、その人は夫と数年前からそこに暮らしており、ミレイユというのだった=説明}


これらを日本語として整えるのは簡単です。ただ、たんにそれを回答として書いてしまうと、日本語文からはこうしたフランス語の論理構造が見えにくくなります。
日本語のふんわりとした意味の軸線に流れてしまいますからね。
だからわたしの回答を理解なさったら、訳すこと自体にはそれほど意味がないです。ご自分で美しく訳してみてください。




        
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結構大変そうですね。

どこから回答していいのか、また質問者の方がまだ受験生らしいのでどの辺まで説明すればいいのかも迷います。もし私の回答がややこしいと感じたら忘れてください。

まず、半過去に置かれている最初の文と大過去に置かれている二番目の文の関係でいえば、これだけを見れば他の方の回答にあるとおりでいいのです。が...

ただ確かにこの文章だけで、動詞の時制から時系列的に見て「かつてニースの浜辺でミレイユという女性に会った」ことと「その後フランスを離れること」がうまく結び付かない、というかなんか腑に落ちないような気がするのは理解できます。

そこで少し検索したところ、これは Patrick Modianoという現代作家の「Des inconnues 」という作品の冒頭の部分であるらしいです。ここでは、「ニースの浜辺 (Sur la plage de Nice,)」ではなく、「(スペインの)Torremolinos」という浜辺で出会ったことになっています。つまり元の文では、スペインのTorremolinosでミレイユという女性に出会ったが、その時(スペインのTorremolinosに行ったの)が最初にフランスを出た時になってます。(問題文作成のために中途半端に原文を改編するとこうなるといういい例かもしれません。)

通常、半過去と大過去がこのように出てくれば、#3の方の回答にあるように、大過去は半過去で表される動作や状態の原因や理由を記述するときによく用いられます。ただ原文を見るとここの半過去は叙述的または絵画的半過去と思われるのです。というのも原文では「(前略) et j'avais économisé l'argent de mon salaire. J'étais partie en vacances à Torremolinos, au sud de l'Espagne. J'avais dix-huit ans et je quittais la France pour la première fois de ma vie. (後略)」(ちなみにこの主人公は女性であることがわかりますね。)(またこの後は段落が変わって、Sur la plage~と続きます。)

叙述的半過去 (imparfait narratif) または絵画的半過去 (imparfait pitoresque) と呼ばれるものは、本来すでに完了した瞬間的行為を継続性を持って描写することで、あたかも目の前で展開されているような印象を与えるものです。

そしてこの半過去の部分を訳すとなると#5の方が回答しているように、「私は十八歳だった。私はこの時、生まれて初めてフランスを離れた。」と《 quittais 》は瞬間的行為の完了として訳せばいいと思います。(無論、 J'avais dix-huit ans の方はその時の状態を表していますから、「私は十八歳だった。」と訳しますね。)

つまり、半過去だからと言ってなんでもかんでも過去の未完了・進行中として訳すのは無理なときがあるということです。(もちろん、完了した瞬間的行為をあたかも進行中の行為であるかのように半過去で描写することが上述した絵画的半過去なのですが。)

とここまで書いて、では回答としてどう訳せばいいのか ?
この問題文が学習院大学の経済学部経済学科の問題であるというのであれば、#4の方の回答でいいのかもしれません。問題を出す側とすれば、受験生が半過去とはだいたいどういうものか、大過去との時間的関係はつかめているか、が分かればそれでいいのかもしれません。

上記で述べた、叙述的半過去だとか絵画的半過去だとかは、文学部のそれも仏文学科あたりで勉強すればいいことだと思います。

ですから、私がここで説明したことが理解しづらいようであれば忘れてください。それよりも一個でも多く単語(語彙)を増やした方がいいかもしれません。
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#4です。



J'ai dix-huit ans et je quitte la France pour la première fois de ma vie. Sur la plage de Nice, j'ai fait la connaissance d'une femme, une Française, qui vit là depuis plusieurs années avec son mari et s'appelle Mireille.

私は十八歳、そして(今)生まれて初めてフランスを離れます。ニースの浜辺である女性と知り合いになりました。彼女は夫と一緒に数年間そこに住んでいる、ミレイユというフランス人です。

動詞を全て、過去から現在へと移してみました。十八歳の頃を回想する文から記憶の中の自分が、まるで映画のように自分で今(=そのとき)の心境を語っている文のようになりました。
違和感が減ったように感じますがいかかですか。
元の文を読み返してみて、違和感の原因になっているのは時制云々以前に第一文と第二文の間で話が飛んでいることと感じました。間に「ところで」くらいを入れるとすんなりと続くように思えます。

これを過去の回想に戻すと

私は十八歳、そして(そのとき)生まれて初めてフランスを離れようとしていました/離れるところでした。ニースの浜辺である女性と知り合いになっていました。彼女は夫と一緒に数年間そこに住んでいる、ミレイユというフランス人でした。

「離れます」と言っている以上まだ離れていないので対応するのは「離れました」ではありません。もうすでに知り合いなので「なっていました」とします。une Française の前に elle était「でした」を補ったつもりにして途中で切っています。vivait, appelait は「住んでいた・といった」でもいいですが、日本語としては現在形のままでもおかしくないのでそのままです。


こういうように、半過去の文は過去を回想しながらその中に自分が入っているような感覚があります。半過去で書いていてもその中の人物は現在形で語っている感じです。つまり、半過去と現在、大過去と複合過去が対応します。
では元の文が複合過去中心に書かれていたらどうなるかというと、こういうように時間を現在へスライドさせることはできません。複合過去は過去を思い出してもあくまで視点は今にあり、その中に自分は入っていっていません。今から過去を見下ろしながら「こんなことがあった、あんなことがあった」と言っているだけで自分は「今」にいるため、これ以上現在へ移しようがないのです。
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>私は十八歳だった。

私はこの時、生まれて初めてフランスを離れた。かつて私は、ニースの浜辺で、一人の女性と知り合ったことがある。彼女はフランス人で、そこで何年も前から夫と暮らしていた。彼女の名は、ミレイユといった。

複雑に考えないで、半過去と大過去を見分ければいいのです。「かつて」と補えば、より分かりやすいですね。あとフランス語の文章は、こまめに切って訳した方が、訳しやすいですよ。
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J'avais dix-huit ans et je quittais la France pour la première fois de ma vie.


私は十八歳で人生で初めてフランスを離れようとしていた。

quitter が半過去です。半過去とは未完了 imparfait ですからまだ進行中のことです。

Sur la plage de Nice, j'avais fait la connaissance d'une femme

ニースの浜で、私はある女性と(そのとき以前に)知り合いになっていて

大過去が使われているので第一文よりも前に「知り合いになること」が完了しています。

qui vivait là, s'appelait Mireille

そこに住んでいた/ミレイユという名だった

これらは半過去で、そのとき進行中です。


注意すべきところは、半過去(未完了)の中に一つだけ大過去 plus-que-parfait(過去完了)が入っているので、「知り合った」のはこの場面より前であること、同じ半過去でも状態動詞(avoir dix-huit ans, vivre, s'appeler)は「~していた・だった」、動作動詞は「~していた(過去の進行または過去の習慣)」、quitter「離れる・去る」のような瞬間的な動作ではまさに未完了な意味の「~しつつあった・ようとしていた」ということです。

現在や未来に比べると「過去」は厄介です。完了か未完了か、動詞そのものも意味が継続的か瞬間的かに注意する必要があります。
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Deutschunt さん こんにちは



疑問は、初見でごもっともと
賛意を、述べてしまいがちだ

でもでも、よくよく動詞の時制を
ご覧ください 地の文は、半過去
女性と、出会ったのは、大過去だ
(この女にスポットライトがあたる)

以上が、教科書的な解説です

一方、文学的な鑑賞の観点からは
動詞quitterに注目ですね
祖国を離れるのですから、そこには
何かしらの動機があるはずです

それを、はじめに述べてから
故郷を離れたと続けるのか
それとも、人生の転機は18歳で
母国を後にしたときだ だって~
と原因や理由を後から記述するのか

この文章は、後者を選択している
で、和訳はどうするか それには
この文章の前後の文章が必須です

受験生であれば、超難関校の
英文解釈参考書で、和訳の
ありかたを学習をしてみて

一文を表面的な字面で和訳するでなく
与えられた幾つかの段落を通して
筆者の気持ちや言いたいことに沿って
和訳(意訳)をする事例が多くある。。。
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