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平安時代に、例えば「六月」は「みなづき」と読むようなのですが、
それを「ろくがつ」と読んだことはないのでしょうか?

つまり、平安時代に、
「いちがつ」と「むつき」、「ろくがつ」と「みなづき」というように、二つの呼び方があったのか、なかったのかを知りたいのです。

根拠になる文献等もお示しいただけるとなお嬉しいです。

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

ロドリゲスの『日本大文典』(1608年、原典はポルトガル語、土井忠生訳、三省堂)を見ますと、



〇月々には三通りの名がある。その一つは通俗のものであって、書状でも普通に使われる言ひ方であり、他の一つは韻文に使われる詩的なものであり、残る一つも難解な文章に用ゐられる比喩的なものである。
〇月の第一の数へ方(ポルトガル式ローマ字表記をカタカナに改めました)
ショウグヮツ(正月) ニグヮツ(二月) サングヮツ(三月) シグヮツ(四月)
ゴグヮツ(五月)ロクグヮツ(六月) シチグヮツ(七月) ハチグヮツ(八月)
クグヮツ(九月) ジュウグヮツ(十月) ジュウイチグヮツ(十一月)
ジュウニグヮツ(十二月)
〇第二の詩的言ひ方
ムツキ キサラキ ヤヨイ ウヅキ サツキ ミナヅキ フミヅキ ハツキ ナガツキ
カミナヅキ シモツキ シワス

とあります。

また、中世の通俗的な漢字辞書である『節用集』(易林本)にも、

正月(シヤウクワツ) 二月(ニクワツ) 四月(シ-) 七月(シチ-) 十月(ジフ-)

といった例を見ることができます。( )内は漢字の右側に付されたルビで、-はその漢字にルビがないことを示しました。

平安時代についてはよくわからないのですが、岩波書店の旧「日本古典文学大系」の『土佐日記』を見ますと、「廿ニ日」についての補注四(六〇ページ)に、

「廿ニ日」「廿三日」などとある日付を字音で読んだか国語で読んだかは、はっきりしない。ただ、これを「ニジュウニニチ」の如く漢音で読もうとする説の主要な根拠は、これが具注暦の日付の形式を 受けついで、漢字で書かれたものである、というところにあるらしい。…(中略)…むしろ(「はつかあまりふつか」のように)国語で読むのが適当かと思う。

とあります(中略の部分は、国語で読むことが適当である根拠が書かれていましたが割愛しました)。「ニジュウニニチ」の如く漢音で読もうとする説に従えば、「二月」「三月」「四月」と漢字表記されたものも「ニグヮツ」「サングヮツ」「シグヮツ」と音読みされたであろう可能性は十分考えられるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

詳細な回答いただきありがとうございます。
なるほど
>ロドリゲスの『日本大文典』(1608年、原典はポルトガル語、土井忠生訳、三省堂)
>『節用集』(易林本)
に書かれているのですか、早速調べてみます。
>岩波書店の旧「日本古典文学大系」の『土佐日記』を見ますと、「廿ニ日」についての補注四(六〇ページ)
も参考になりました。

公家文化から武家文化(?)などの関係も調べてみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/10 10:35

 回答ではないですが、漢字の読み方の音読みと訓読みとあるように、日本独特の読み方と、伝わってきた読み方があるのではと思われます。


 睦月などは日本古来のもの、1月などは暦の関係の読み方だったのかなと。

 
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結論としては二つの呼び方を併用していました。


似たような質問があったのでそちらを参考にしてください。

参考URL:http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3983997.html
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

お示しのURLを参照いたしましたところ

>ちなみに今ちょいと調べてみたら, 伊勢物語, 枕草子, 紫式部日記などでやはり「三月」「四月」などの表記が見付かります.
>つまり, 結論としては「太陽暦になったときに呼び方が変わったわけではなく, ず~っと前から併用して使われていた」ということになります

というような表記がありました。このなかで伊勢物語, 枕草子, 紫式部日記などで「三月」「四月」などの表記があるとありますが、それを「さんがつ」とも「やよい」とも読んでいたのかを知りたいのです。

参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/06 12:45

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