
A 回答 (9件)
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No.9
- 回答日時:
白河落胤説は当時からあったようですがどちらかと言えば父の忠盛がその説を流布して自身や清盛の昇進に利用したんじゃないでしょうかね。
清盛生誕時、白河は63歳。母親が白拍子だったというのが事実なら実父が忠盛以外の可能性はあると思いますが白河の可能性は低いでしょう。
No.8
- 回答日時:
全くのフィクションということではなく,歴史上の有力説をベースにして物語を書いたということだと思われます。
清盛が白河院のご落胤だという噂は当時から存在しているほか,平安時代の貴族は家柄が重要視され,いくら才能があっても低い家柄の人が顕職に抜擢されることは基本的にない時代だったのですが,清盛は平氏の家柄としては信じられないスピードで出世を果たしており,これは朝廷が白河院のご落胤であることを非公式に認めたという説もあります(当時の感覚としては,平氏の家格は大したものではなく,平氏の嫡男というよりは白河院のご落胤の方が立身出世に役立ったであろう事は事実です)。
歴史上よくある無責任なご落胤説と違って,本当の父親が白河院であった可能性は否定できません。
No.7
- 回答日時:
結論から先に言えば、ハッキリしないと言う事になるでしょう。
平家物語では質問者さんの白河=祇園女御が両親とされていますし、源平盛衰記では別の女性(名前を忘れました)と白河院の間に出来た子だと書かれています。
しかし白河院のご落胤とする記述はこの二つの書物にしかなく、それらが源氏の世になってから成立した書物である事を考えると、白河ご落胤説は信憑性が低いと言うのが現代の多くの歴史家の見方です。
清盛のスピード出世を正当に評価できない妬み嫉みが、ご落胤説となったのではないでしょうか。
余談ですが、平家は清盛の祖父の代から白河院に上手く取り入り、父忠盛の代になってその重用は一層高まっていたようです。
つまり清盛が出世をする下地は充分に出来上がっていたと考えても良いのではないでしょうか。
No.6
- 回答日時:
こんにちは。
bungetsuです。
昨夜NHKで放映された「歴史秘話」「平清盛」は観ましたか?
もし、観ていないようであれば、「概要」を書いてみます。
(1)貴族社会は「中級貴族」と「上級貴族」から成り立っていた。
清盛は中級貴族の生まれでしたので、出世ができなかった。
つまり、12歳頃「従五位下左兵衛佐」の役職を貰うも、所詮、昇殿を許されないただの宮中へ出入りするための下働きの役職にしか過ぎなかったのです。
(2)そんな彼に転機ができたのは、妻「時子」(ときこ)を娶ってからでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%99%82% …
(3)時子の妹に「滋子」(しげこ)が居ましたが、これが貴族の間でも評判の「絶世の美女」。
(4)この滋子を時の天皇・後白河天皇に差出、「妃」(きさき)としました。これにより清盛は天皇と姻戚関係になったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%BB%8B% …
(5)そして、滋子は後白河の第七皇子(憲仁)を出産する。滋子はこれにより「皇后」の座に就く。
(6)保元元年(1156年)の保元の乱が勃発。続いて平治元年(1159年)の平治の乱が勃発。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%85%83% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B2%BB% …
(7)この二つの戦いらおいて、清盛は後白河天皇方として戦い、勝利を収める。
(8)これにより清盛は上級貴族の仲間入りを果たした。播磨守、大宰大弐となる。
(9)清盛は時子との間に6人の娘を授かる。
(10)清盛が上級貴族に仲間入りしたことにより、娘は「権中納言」や「左大臣」「関白」の家などの上級貴族に嫁いでいった。
こうして、上級貴族の中に次々と親類、縁者が誕生していった。
(11)清盛は48歳で「大納言」、49歳で「内大臣」。そして、50歳ではついに貴族のトップである「太政大臣」にまで上り詰めた。
(12)さらには、後白河天皇の息子である第80代天皇・高倉天皇にも娘を嫁がせ、男子が生まれました。
この男子は後の源平合戦で海に沈んだ「安徳天皇」です。
まあ、このように異例のハピード出世でしたので、白河天皇の子息だったからだ・・・と言う説が流布されたものと考えます。
No.5
- 回答日時:
清盛が白河院の御落胤という説では、清盛の任官の速さを状況証拠としてあげています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B8%85% …
12歳で従五位下左兵衛佐
※ 後に太政大臣になった点に関しては、藤原氏しか大臣になれなかったような時代に、菅原道真が右大臣になっていますから、実力があればなれるし、何事も最初になる人がいるんだから、その最初が清盛だといえば血統による優位性を主張できるものではないと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%B6% …
弟の家盛が20歳で(1123生まれとして 1127年生まれとすると16歳)
康治2年(1143年)従五位上
1134年に蔵人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%B5%8C% …
(1150年)(27歳)6月25日:従五位下
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%95%99% …
四男は21歳で従五位下
父親
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%BF%A0% …
18歳で 従五位下
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F% …
院の近臣の長子 13歳で従五位上
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F% …
院の近臣の長子 14歳で従五位上
同時代の院の近臣の長子が13歳や14歳で従五位上になっているので、有力な院の近臣であった忠盛の長子である清盛が12歳で従五位下になることはそんなに大事ではないように思う。従五位上になったのが14歳なので、他の院の近臣の長子らと同等。
院の近臣の嫡男として遇されていたという感じです。
No.4
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
>>実際のところ、誰が父親なのでしょうか?
実は、母親が清盛(平太)を産んで間もなく死亡したことに関係があるのです。
母親が祇園女御の妹とされていますが、どうやら白拍子(しらびょうし=唄や踊りを観せる女)であったとも言われています。
確かに、母親がなぜ早くに死んだかについての疑問が「謎」の解けないままになっているのです。
そこで、宮中で歌舞を観せた折に白河院と一夜を共にした。その後、白河院は子どもを身篭ったことを聞き、世継ぎ争いに巻き込まれないように、その女を殺そうとした。・・・と言う仮設で、母親が早くに死んだことの「こじつけ」をしたのが、前回のNHKの放映でした。
母親の死については、一般的には、産後の肥立ちが悪くて死んだ。と言うものと、流行病で死んだなどの種々言われていますが、「謎」は「謎」のままです。
私は、平忠盛の嫡子と考えます。
天下のNHKは、前回の「江」にしても、時代考証から見れば、全くのデタラメを放映するようになってしまっているのです。
もっとも、小説はしょせんは作り物ですし、誰もその場に居たわけではありませんので、どのように解釈をしても良い・・・と言えばそれまでですね。

No.3
- 回答日時:
歴史の裏話として、この手の話は、あまたあります。
源義経が大陸に渡ってジンギスハーンになった、豊臣秀頼が
大阪城を脱出して鹿児島に行ったとか、と同じレベル
の噂話で、何の裏付けもないので本当の事は解りません。
日本の最初の変革、改革をした人、平清盛と云う人物が歴史上
に存在した事は事実です。
「大河ドラマ」ですから歴史から離れて、主人公の成長振りを
みて楽しめば良いと思いますが。
No.1
- 回答日時:
実際のことは誰も判りません もしかしたら母親は判っていたかも知れませんが
そのような噂が流されたことは記録に残っています
が 平家の棟梁として認められていたのですから、平家一族からは(一族であると)認められていたことに間違いはありません
数日前の質問に 大河ドラマは歴史的に真実なのでしょうか と言う質問がありましたが・・・・
歌舞伎や浄瑠璃と同レベルの娯楽作品としてみることです、ドラマが真実を表しているなどとは、思わないことです 単純に楽しめば良いのです
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