先日、大河ドラマで、平清盛の本当の父が白河院だということになっていたのですが、これはフィクションでしょうか?気になっていろいろ調べていたのですが、この説にも裏付けがあるらしいとか、祇園の女御が白河院のこどもを身ごもっているなか、忠盛に嫁いだとか、いろいろな情報がでてくるのですが、実際のところ、誰が父親なのでしょうか?清盛は平家の正当な血族ではないということなのでしょうか?

A 回答 (9件)

白河落胤説は当時からあったようですがどちらかと言えば父の忠盛がその説を流布して自身や清盛の昇進に利用したんじゃないでしょうかね。


清盛生誕時、白河は63歳。母親が白拍子だったというのが事実なら実父が忠盛以外の可能性はあると思いますが白河の可能性は低いでしょう。
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 全くのフィクションということではなく,歴史上の有力説をベースにして物語を書いたということだと思われます。


 清盛が白河院のご落胤だという噂は当時から存在しているほか,平安時代の貴族は家柄が重要視され,いくら才能があっても低い家柄の人が顕職に抜擢されることは基本的にない時代だったのですが,清盛は平氏の家柄としては信じられないスピードで出世を果たしており,これは朝廷が白河院のご落胤であることを非公式に認めたという説もあります(当時の感覚としては,平氏の家格は大したものではなく,平氏の嫡男というよりは白河院のご落胤の方が立身出世に役立ったであろう事は事実です)。
 歴史上よくある無責任なご落胤説と違って,本当の父親が白河院であった可能性は否定できません。
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結論から先に言えば、ハッキリしないと言う事になるでしょう。



平家物語では質問者さんの白河=祇園女御が両親とされていますし、源平盛衰記では別の女性(名前を忘れました)と白河院の間に出来た子だと書かれています。

しかし白河院のご落胤とする記述はこの二つの書物にしかなく、それらが源氏の世になってから成立した書物である事を考えると、白河ご落胤説は信憑性が低いと言うのが現代の多くの歴史家の見方です。

清盛のスピード出世を正当に評価できない妬み嫉みが、ご落胤説となったのではないでしょうか。

余談ですが、平家は清盛の祖父の代から白河院に上手く取り入り、父忠盛の代になってその重用は一層高まっていたようです。
つまり清盛が出世をする下地は充分に出来上がっていたと考えても良いのではないでしょうか。
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こんにちは。


bungetsuです。

昨夜NHKで放映された「歴史秘話」「平清盛」は観ましたか?

もし、観ていないようであれば、「概要」を書いてみます。

(1)貴族社会は「中級貴族」と「上級貴族」から成り立っていた。
清盛は中級貴族の生まれでしたので、出世ができなかった。
つまり、12歳頃「従五位下左兵衛佐」の役職を貰うも、所詮、昇殿を許されないただの宮中へ出入りするための下働きの役職にしか過ぎなかったのです。

(2)そんな彼に転機ができたのは、妻「時子」(ときこ)を娶ってからでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%99%82% …

(3)時子の妹に「滋子」(しげこ)が居ましたが、これが貴族の間でも評判の「絶世の美女」。

(4)この滋子を時の天皇・後白河天皇に差出、「妃」(きさき)としました。これにより清盛は天皇と姻戚関係になったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%BB%8B% …

(5)そして、滋子は後白河の第七皇子(憲仁)を出産する。滋子はこれにより「皇后」の座に就く。

(6)保元元年(1156年)の保元の乱が勃発。続いて平治元年(1159年)の平治の乱が勃発。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%85%83% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B2%BB% …

(7)この二つの戦いらおいて、清盛は後白河天皇方として戦い、勝利を収める。

(8)これにより清盛は上級貴族の仲間入りを果たした。播磨守、大宰大弐となる。

(9)清盛は時子との間に6人の娘を授かる。

(10)清盛が上級貴族に仲間入りしたことにより、娘は「権中納言」や「左大臣」「関白」の家などの上級貴族に嫁いでいった。
こうして、上級貴族の中に次々と親類、縁者が誕生していった。

(11)清盛は48歳で「大納言」、49歳で「内大臣」。そして、50歳ではついに貴族のトップである「太政大臣」にまで上り詰めた。

(12)さらには、後白河天皇の息子である第80代天皇・高倉天皇にも娘を嫁がせ、男子が生まれました。
この男子は後の源平合戦で海に沈んだ「安徳天皇」です。



まあ、このように異例のハピード出世でしたので、白河天皇の子息だったからだ・・・と言う説が流布されたものと考えます。
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清盛が白河院の御落胤という説では、清盛の任官の速さを状況証拠としてあげています。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B8%85% …

12歳で従五位下左兵衛佐
※ 後に太政大臣になった点に関しては、藤原氏しか大臣になれなかったような時代に、菅原道真が右大臣になっていますから、実力があればなれるし、何事も最初になる人がいるんだから、その最初が清盛だといえば血統による優位性を主張できるものではないと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%B6% …
弟の家盛が20歳で(1123生まれとして 1127年生まれとすると16歳)
康治2年(1143年)従五位上
1134年に蔵人

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%B5%8C% …
(1150年)(27歳)6月25日:従五位下

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%95%99% …
四男は21歳で従五位下

父親
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%BF%A0% …
18歳で 従五位下

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F% …
院の近臣の長子 13歳で従五位上

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F% …
院の近臣の長子 14歳で従五位上

同時代の院の近臣の長子が13歳や14歳で従五位上になっているので、有力な院の近臣であった忠盛の長子である清盛が12歳で従五位下になることはそんなに大事ではないように思う。従五位上になったのが14歳なので、他の院の近臣の長子らと同等。

院の近臣の嫡男として遇されていたという感じです。
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こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>実際のところ、誰が父親なのでしょうか?

実は、母親が清盛(平太)を産んで間もなく死亡したことに関係があるのです。

母親が祇園女御の妹とされていますが、どうやら白拍子(しらびょうし=唄や踊りを観せる女)であったとも言われています。

確かに、母親がなぜ早くに死んだかについての疑問が「謎」の解けないままになっているのです。

そこで、宮中で歌舞を観せた折に白河院と一夜を共にした。その後、白河院は子どもを身篭ったことを聞き、世継ぎ争いに巻き込まれないように、その女を殺そうとした。・・・と言う仮設で、母親が早くに死んだことの「こじつけ」をしたのが、前回のNHKの放映でした。

母親の死については、一般的には、産後の肥立ちが悪くて死んだ。と言うものと、流行病で死んだなどの種々言われていますが、「謎」は「謎」のままです。

私は、平忠盛の嫡子と考えます。

天下のNHKは、前回の「江」にしても、時代考証から見れば、全くのデタラメを放映するようになってしまっているのです。

もっとも、小説はしょせんは作り物ですし、誰もその場に居たわけではありませんので、どのように解釈をしても良い・・・と言えばそれまでですね。
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歴史の裏話として、この手の話は、あまたあります。


源義経が大陸に渡ってジンギスハーンになった、豊臣秀頼が
大阪城を脱出して鹿児島に行ったとか、と同じレベル
の噂話で、何の裏付けもないので本当の事は解りません。

日本の最初の変革、改革をした人、平清盛と云う人物が歴史上
に存在した事は事実です。

「大河ドラマ」ですから歴史から離れて、主人公の成長振りを
みて楽しめば良いと思いますが。
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平氏は武士とは言っても、元々は天皇家の流れを汲む一族です。

その棟梁を血筋的に全く無関係の者のに継がせるはずがありません。 噂があったことは本当のようです。 
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実際のことは誰も判りません もしかしたら母親は判っていたかも知れませんが



そのような噂が流されたことは記録に残っています

が 平家の棟梁として認められていたのですから、平家一族からは(一族であると)認められていたことに間違いはありません



数日前の質問に 大河ドラマは歴史的に真実なのでしょうか と言う質問がありましたが・・・・

歌舞伎や浄瑠璃と同レベルの娯楽作品としてみることです、ドラマが真実を表しているなどとは、思わないことです 単純に楽しめば良いのです
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QNHK大河ドラマ 平清盛

 NHKの大河ドラマ 平清盛があまりの低視聴率で
危機的状態だそうです。
原因は分かりませんが、小生は一度も見たことはないです。

 見ない理由は、主演の松山ケンイチがイマイチよく分からない。

松山ケンイチは以前、映画デスノートでL役をやってましたが
よく知らない小生には、目の下を黒く塗った何か得体の知れない
奇行の男という風な、不気味な俳優という印象があって、
この人の出ている番組は、なんかちょっと、という感じで敬遠
します。

 それはともかく、題材としての〝平清盛”に対する魅力があれば
視聴率も上がるのでしょうが、小生、清盛のことは詳しくはないが
見たいとも思わない。全く魅力を感じない。
 後半は義経や弁慶なども出るそうですが、どうなるやら。

 そこで平清盛の魅力を教えていただければと思います。

Aベストアンサー

批評をするならせめて一度は見るのが礼儀とはおもいますが。

松山ケンイチさんは、いい役者だと思いますよ。デトロイトメタルシティという映画で好青年とブチ切れたメタルミュージシャンを見事に演じていました。デスノートもいい演技でしたよね。悪役を演じて観た者が「ちょっとこの人本当に嫌だ」と思わせるなら名優といっていいんじゃないでしょうか。

私は平清盛をちょいちょい見ましたが、なかなか野心的な作品だと思います。特に汚し方がいい。貴族のきらびやかさと武士の汚らしさを強調するためにあえて武士を汚くしたそうですが、それが実によくできています。今までの日本のドラマではあそこまで汚くしないんですね。どうしても遠慮をする。でもそうなるとリアリティに欠けるのです。そこが実に上手なのがやっぱりハリウッド映画で、戦争映画なんかの軍服の汚し方とかは実に上手です。
当時、武士は貴族から汚らわしい身分と差別され軽く見られていたというのを表現しようとしたそうですが、あの演出を私は全面的に支持します。特に海賊の汚らしさが本当に汚くて良かったですよ。いかにも荒くれ者って感じがしましてね。
その反面貴族はちゃんと綺麗にしています。それに気づかずに「画面が汚い」と批判する人はセンスがないことを自ら告白しているようなものですね。

三上博史さんとかもいいですねー。三上さんはエキセントリックな役をやらせると天下一品ですね。阿部サダヲさんもいかにも狂言回しらしいいい演技をしています。

という役者さんたちや演出の上手さに比べて、脚本が弱いなあという気はしますね。24みたいに次から次へと事件が起きれば面白くなるのかもしれないでしょうが、事実に基づく大河ドラマだけにあまり過度なこともできないですからね。

名作というのはしばしば時代を先行しすぎて世間の理解を得られないということがあります。
映画「羅生門」は当初アカデミックすぎて興行は失敗だったし世間の評価も低かったそうです。それがヴェネツィア映画祭でグランプリを獲ったことで一躍名作となりました。映画「幕末太陽傳」のラストシーンは当初、映画のセットや現代の町中を走り回る演出にする予定だったそうです。川島監督はそうしようとしました。しかし、当時は映画のセットを見せてしまうなんてタブー中のタブー。そんな破天荒な演出があるかと大反対されてボツとなりました。しかし当時助監督だった今村昌平さんや主演をしたフランキー堺さんは後に「川島監督のいうとおりの演出にすればよかった」といっています。またアニメの世界に永遠にその名前を残すガンダムも、本放送は人気が出なくて話数が減らされて打ち切りになったというのも有名な話です。
もしかしたら、今回の大河ドラマも「早すぎた名作」になるかもしれません。少なくとも野心的な作品だと思いますよ。

批評をするならせめて一度は見るのが礼儀とはおもいますが。

松山ケンイチさんは、いい役者だと思いますよ。デトロイトメタルシティという映画で好青年とブチ切れたメタルミュージシャンを見事に演じていました。デスノートもいい演技でしたよね。悪役を演じて観た者が「ちょっとこの人本当に嫌だ」と思わせるなら名優といっていいんじゃないでしょうか。

私は平清盛をちょいちょい見ましたが、なかなか野心的な作品だと思います。特に汚し方がいい。貴族のきらびやかさと武士の汚らしさを強調するためにあえて...続きを読む

QNHKで平清盛をみて質問が一つあります。 平清盛や

NHKで平清盛をみて質問が一つあります。 平清盛や佐藤義清など多くの人が出家していますが、 なぜ多いのですか?

Aベストアンサー

おいらは 変わりました宣言として出家が一般的だったから。

現代であれば、転職するとか、大学に入り直すとか退職するとか、いろいろありましたが、当時は出家以外に方法がなかった。

佐藤義清の場合は、まぁ個人的に家を捨てということです
清盛の場合、息子の重盛の動向を見る必要がある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E9%87%8D%E7%9B%9B
1166 後の高倉天皇の立太子と、重盛の妻が乳母に成る重盛が乳父に
同年12月には東宮大夫
1167年2月権大納言
1167年5月 重盛に対して東山・東海・山陽・南海道の山賊・海賊追討宣旨 そして清盛の太政大臣退任
1168年 清盛出家

平家の棟梁は次、重盛で決まりました宣言となります。

Q大河ドラマ「平清盛」に詳しい方、お願いします

低評価だった「平清盛」が高評価になっていると聞き、DVDを見ています(当時も8話くらい見てやめました)当時から思っていたのですが、人物(白河法皇のメチャぶりが内容を分かりにくい感じがしました)
孫(鳥羽天皇)の嫁を取るとか・・この時なぜ毎週、初めに家計図等で解説しないのか?と思いました・・具体的に説明しすぎると、王家(天皇家)に対し不敬に当たるのか、と思っていました・・実際はどんな事が考えられますか・・

確かに今見れば「真田丸」などは大河ホームコメディ程度です、「平清盛」は優れた大河ドラマなのに気の毒と感じます・・
画像が汚い(ふんどし姿の武士が相撲とっています)・・当時の武家はこんなもんと思いますけどね・・

Aベストアンサー

全体的に映像が汚いです。王家のシーンはもっと、美しくすれば良かったと思います。
私は全話観ていましたが、脚本も出演者も素晴らしいと思います。

Q平清盛のドラマ

今日から始まる平清盛のドラマを見ようと思うのですが、
NHKのこの時間のドラマは史実と合っているのですか?

歴史に詳しくなく、これまでのドラマも見たことがないので、実在した名前は使ってあるけど全くのフィクションなのか、史実に忠実に作られたドラマなのか分かりません。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

人物の名前や発生した事件などは史実通り。

その中で果たした役割とか発言とか行動とか、細部は創作。
特に、歴史的な文書に残りにくい女性に関する部分は、名前や存在自体が創作だったりする。

なので、既回答にもあるように9割とは言わないが、決して史実に忠実ではありません。

Q片山議員の大河ドラマ「平清盛」批判はファシズム

片山議員がNHK大河ドラマ平清盛の言葉使いが、天皇に対して不敬だと批判しましたが、これは戦前の天皇機関説批判を思い出させるものがあります。

戦前の騒ぎは、戦後になって、機関説の方が正しい、という結論になり、騒いだこと全体がファッシズムそのものだった、と反省されています。

当時の雰囲気では、「天皇を単なる機関だ」などと言うのは、「不敬だ!」という非難でしたが、今回の片山議員の難癖は、天皇のことを「王家」などと呼ぶのは不敬だ!というものです。

「王家」という言い方は、確かに聞きなれない言葉ですので、おやっと思うのですが、どうやらこれは新しい歴史の見方のようです。

片山氏の言い分は、「王家」という未だ定説になっていない言葉を使うのはけしからん、ということらしいのですが、天皇の呼び方について「定説以外は使ってはいけない」などという言論統制を政治家が行って良いものではない、と思われます。

これは明らかに言論弾圧では無いでしょうか?

それとも片山議員は、天皇機関説問題などという過去の歴史のことは、知らないでうっかり言ったことなのでしょうか?

Aベストアンサー

 質問に関して都合のいい部分だけ抽出して論じる人が多いのはご愛嬌ということでw

ところで、言論弾圧、というよりも、「表現の自由」の領分であることは示唆する必要性はないでしょう。

なにせ、NHK大河ドラマは史実を重視したものではなく、ドラマに過ぎませんから・・ね
ドラマである以上は、定説云々ではなく、作者および製作者関係者の違法性が明確ではない限りは、政治的介入は慎まれるべきものでしょう

履き違えている回答の適否は論じる価値はないので、割愛するとして

少し天皇機関説とファシズムとの見解について精査することにしましょう

まず天皇機関説は、国体論争上において重要な位置になりえることは指摘するまでもないでしょう
そして、論理の適否は別にして、その問題が政局となったことこそ問題とするのが妥当だと思われます
つまり、機関説論争が純粋な論争ではなく、政局・疑獄的な政治騒動になってしまった醜態として捉えることが重要であろう、ということです
 確かに、天皇機関説の適否は、政治学的には機関説が妥当でしょうが、結着をみずに現憲法制定をみているし、1章において明確にはその解を得ることはできません。
 したがって、そういう論争があり、その論争によって・・・ということが重要視されるべきでしょう

ところで、ファシズムとの指摘ですが、それが機関説時代のものであれば、そう評価することは可能でしょうが
現在においてはファシズムと批判することの妥当性は大きな嫌疑が生じえる・・と思います
少なくとも、ファシズム的な体制ではないし、当人がファシストである論説を開陳しているわけではないから、ですが、
ファシズムとは何か?という定義も踏まえて、検討するのが望ましいでしょう

片山氏のヒスのような批判は、まるで昨年の「暴力機関」論批判と似たようなものを感じなくはないですが、これが日本社会の国会議員の現実である・・という認識でいいように思います
これが、内閣の人間であれば十分に問題とされる余地はありましょうが・・・

なお、NHKが公器であろうとも、『定説以外は用いるべきではない』という論説であれば、定説など存在しない政治事象は報道出来無いことになりますから、定説云々などは非現実的な論説と言えるでしょう

そうすれば、当然のようにドラマ・アニメなどは定説に依拠しないので出来無いことになるわけですからね

 質問に関して都合のいい部分だけ抽出して論じる人が多いのはご愛嬌ということでw

ところで、言論弾圧、というよりも、「表現の自由」の領分であることは示唆する必要性はないでしょう。

なにせ、NHK大河ドラマは史実を重視したものではなく、ドラマに過ぎませんから・・ね
ドラマである以上は、定説云々ではなく、作者および製作者関係者の違法性が明確ではない限りは、政治的介入は慎まれるべきものでしょう

履き違えている回答の適否は論じる価値はないので、割愛するとして

少し天皇機関説とファシズムと...続きを読む

Q1月29日放送の「平清盛」を見られた方に質問です

昨夜(1月29日)、京阪電車のテレビカーで「平清盛」を見ていました。
車内でのことで、何度か電波がとぎれたりしてよくわからなかったので教えて下さい。

番組の中で、三十三間堂とおぼしき建物が登場しましたよね?
(CGだと思われます。)
堂内には多数の千手観音が安置されていたと思います。
(目が悪くて千手観音かどうかよくわかりませんでしたが)
そのあと、ふたりの男性が弓を射るシーンにかわりました。
(ひとりは平清盛?)

三十三間堂ウィキペディアには次のように書いてあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81% …

この地には、もともと後白河上皇が離宮として建てた法住寺殿があった。その広大な法住寺殿の一画に建てられたのが蓮華王院本堂、今に言う三十三間堂である。

上皇が平清盛に建立の資材協力を命じて旧暦の長寛2年12月17日(西暦1165年1月30日)に完成したという。
(上記より引用)

平清盛が生まれたのは1118年なので、後白河上皇が命じて平清盛が47歳のときに完成したということだと思います。


1月29日放送の平清盛はまだ47歳ではないように思いました。
三十三間堂は存在していなかったのではないかと思います。

江戸時代には三十三間堂で盛んに通し矢が行われたそうで、現在も1月に通し矢が行われています。
三十三間堂の映像ののち、弓を射るシーンになっているので、弓を射るシーンにつなげるために、三十三間堂を映しだしたのかな、とも思います。


質問(1)
1月29日の放送で映し出されたお堂は三十三間堂ですか?
また、どういったシチュエーションで三十三間堂が映し出されたのですか。
未来予測?
それとも通し矢が有名なお堂なので、弓をひくシーンにつなげるためでしょうか。

質問(2)1月29日に放送されたのは、西暦は何年のことでしょうか。

※仮に時代考証がまちがっていたとしても、ドラマのことですのでどうこう言うつもりはありません。
ただなぜ三十三間堂が出てきたのか、気になりました。
(よくドラマの筋がわからなかったので)

よろしくお願いします。

昨夜(1月29日)、京阪電車のテレビカーで「平清盛」を見ていました。
車内でのことで、何度か電波がとぎれたりしてよくわからなかったので教えて下さい。

番組の中で、三十三間堂とおぼしき建物が登場しましたよね?
(CGだと思われます。)
堂内には多数の千手観音が安置されていたと思います。
(目が悪くて千手観音かどうかよくわかりませんでしたが)
そのあと、ふたりの男性が弓を射るシーンにかわりました。
(ひとりは平清盛?)

三十三間堂ウィキペディアには次のように書いてあります。

http://ja....続きを読む

Aベストアンサー

録画しているので
見なおしてみた

1)お寺に関しては No1の通り
弓矢は、清盛と家盛兄弟

家盛の生年が
保安4年(1123年)頃?
大治2年(1127年)?※平治物語による。
なので、この時 9歳か5歳 ずいぶん筋肉のついた子供です

映像は千手観音
たぶん三十三間堂でロケをしているんじゃないかな。できたばっかりなのに古びているし。


※あんな豪壮なお寺を寄進できる大金持ちの忠盛の息子の服が貧乏臭いというは、言わない約束です

Q大河ドラマ「平清盛」

「平清盛」がネットでかなり物議を醸している様ですが、何故ですか。

Aベストアンサー

某知事の発言を巡って…
もしくは
NHKがドラマ内で使っている「王家」という言葉を巡って…
の物議だと思います。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120119-00000031-spnannex-ent

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120114-00000008-zdn_n-inet

Q平清盛はなぜ大輪田(現神戸港)に港を開いたのか・・

平清盛は博多で止まっていた宋船を都(京都)近くまで入らせ貿易の円滑拡大を計るため大輪田を開発したと聞きましたがなぜ淀川河口(現大阪港)に作らなかったのでしょうか。
神戸と大阪では30Km程離れており、都により近くまで大型船を接岸させることができれば運搬費用や時間の点で有利だと思いますが。

Aベストアンサー

その土地を毛嫌いしていたのだと認識しています。
と、言うより寛容(むしろ大甘)な人物だったのでしょう。

歴史的には源満仲は住吉大社に参籠しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%90%89%E5%A4%A7%E7%A4%BE

ここは源氏の本拠地ですので、何が起きても不思議ではありません。
(近代以前参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C#.E8.BF.91.E4.BB.A3.E4.BB.A5.E5.89.8D


その西に湊を起こせば河内源氏の支配する住吉津には積荷が無くなるので良しとしますが、
本拠地を徹底的に粉砕しなかった事は、後々の大失敗の要因のひとつになります。

Q大河ドラマ「平清盛」の面白さ(?)が分かる人は何割

毎週、妻とふたりして例の「清盛」を視聴しています。

私は『新平家物語』20数巻もわくわくして読んだことがあり(20年前ですが)、歌舞伎や文楽、日本舞踊観賞歴もかれこれ20年くらいです。

大体の歴史は知っていますが、(たかが)テレビドラマに、歴史資料を片手に見る気はせず、
妻と一杯気分を楽しみつつ見ていますが、さすがに妻から苦情が出ました。

分からない、つまらない、

という批評です。妻は寂聴さんの源氏を読んでいる最中ですが、まあ「歴史おんち」に近いでしょう。
それでも、私も正直「何がやりたいドラマかさっぱり」なので、妻の反応はよく分かります。

今回のもぜんぜん「やりたいこと」が伝わってきませんでした。

むかし「仁義なき戦い」というやくざ映画がありました。ぶっちゃけた話、源平など、やくざのあれと変わるところなしとみなせば、
あの映画のような演出のほうがいいのでは、つまり「テロップ」でこの人物は「保元の乱」で喉に刀を刺して自害することになるようなテロップを流すといった演出です。

要するに、「清盛」はどう見ても「面白くない」という事実は曲げらず(教養の高い人はいざ知らず)、
これを次回からも(かえるの顔になんとやらで)懲りずにみていて、少しは面白くなると期待できるのでしょうか。
金を返えせとは言わないが、時間を返せと言わずにすむものかどうかの質問です。
忌憚のないご意見を賜れば幸いです。

毎週、妻とふたりして例の「清盛」を視聴しています。

私は『新平家物語』20数巻もわくわくして読んだことがあり(20年前ですが)、歌舞伎や文楽、日本舞踊観賞歴もかれこれ20年くらいです。

大体の歴史は知っていますが、(たかが)テレビドラマに、歴史資料を片手に見る気はせず、
妻と一杯気分を楽しみつつ見ていますが、さすがに妻から苦情が出ました。

分からない、つまらない、

という批評です。妻は寂聴さんの源氏を読んでいる最中ですが、まあ「歴史おんち」に近いでしょう。
それでも、私も正...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。平清盛を毎回楽しみにしている少数派の30代前半の男です。今回の平清盛がおもしろいという人の割合は、男性の場合は概ね歴史に興味がある人の割合と一致するのではないでしょうか。女性の場合は、ほとんどいないのではないでしょうか。かく言う私もドラマ的には全く興味がなく、俳優さんの誰が出ているのかわかりません。私が、おもしろいと思うのは、平清盛本人のストーリーではなく、その時代背景の変遷です。平安時代というと、桓武天皇の遷都から、荘園が発達し、藤原氏の台頭、院政がはじまり、なんや知らんうちに武士が台頭してきて鎌倉幕府にバトンタッチという大まかな流れは学校で習いましたが、日本国の一大転換点である武士の世の中になる移り変わりは、教科書ではほとんどわかりません。確か教科書の武士の記述は、摂関家の下で徐々に力をつけ政治にかかわるようになったとだけです。今回の平清盛では、細かい時代考証は別にして、どのように、武士の世の中に変わっていったのかを学習できるいい機会と思って毎回楽しみに見ています。そろそろドラマは保元の乱ですね。学校では、保元の乱と平治の乱で武士の地位を確立したと習いましたので、どんな風に時代の主役が武士になっていったのかが楽しみです。ところで、蛇足ですが、大河ドラマで日本の「高度経済成長」を取り上げてもらえるとすごくおもしろいんじゃないかと思います。私たちの年代では昭和の時代は遠い歴史です。感覚的には文明開化くらいの感覚です。歴史の教科書にもしっかりひとこと「高度経済成長という時代がありました」と載っています。でも、この時代は試験にはほとんど出てきませんし、授業時間も足りなく学校ではわかりません。学校では経済成長よりも「公害」について多く学びます。高度経済成長の時代を描いた作品はたくさんあると思いますが、三丁目の夕日のような家族的な視点ではなく、国がどのように成長していったかというような大きな視点でドラマ化してほしいなと思います。長くなってすいません。

こんにちは。平清盛を毎回楽しみにしている少数派の30代前半の男です。今回の平清盛がおもしろいという人の割合は、男性の場合は概ね歴史に興味がある人の割合と一致するのではないでしょうか。女性の場合は、ほとんどいないのではないでしょうか。かく言う私もドラマ的には全く興味がなく、俳優さんの誰が出ているのかわかりません。私が、おもしろいと思うのは、平清盛本人のストーリーではなく、その時代背景の変遷です。平安時代というと、桓武天皇の遷都から、荘園が発達し、藤原氏の台頭、院政がはじまり...続きを読む

Q平清盛は貧乏だった?

吉川英治氏の「新・平家物語」を読むと、子供の頃の清盛は、よく、叔父のところに金を借りにいかされたとあり、決して裕福ではない様子でしたが、ある本には、清盛の父は瀬戸内海の海賊退治で院の信頼を得て、日宋貿易で富を築いたとありました。どちらが本当なのでしょうか?

Aベストアンサー

まず、彼の場合、代々上級官僚ではなく、父の代にようやく殿上人となりました。
で、その後の戦功で最終的に太政大臣まで上るのですが、生まれてまもなくは金銭的には恵まれてはいないと考えられます。

実際に上級役人と中級役人には相当の金銭的な開きがありました。
これが同じ従五位下相当の官職でも、(国守だとまったく話は違いますが)忠盛は1119年までは検非違使と左衛門尉ですので、お金はそれほど入りません。

ですが、問題はここからでして
1220年に伯耆守、23年には越前守、27年には従四位下とともに備前守と、国守を歴任しています。
その後少し間をおいて1135年に美作守、1145年には播磨守とさらに国守を歴任しています。

実は、守職というのはものすごい儲かる職なのです(お金を稼ぐならば守職というのが当時の常識)。
大きな理由は、税収のピンハネと賄賂の二つです。まあ、もともと中央官職よりははるかに実入りはよいのですが・・・

そのため、官位としての位は低いのですが、わざわざ守にしてくれ、と頼んだ人までいます。それほど儲かるのです。
もっとも、中には官位だけは高くて税収が少ないため、人気のない国はありましたが・・・
ですので、彼の家が急激に裕福になったのは1220年以降ですね。となると、生まれてから2年後くらいからですから、幼少のころ貧乏であったかというと必ずしも当てはまりません。

日宋貿易だけが富を得たとして特筆されますが、これは違います。実際にはその前にそれを行うだけの基盤があったのです。つまり受領による収入ですね。そもそも貿易だって元手が要るのです。

「新・平家物語」はあくまで歴史小説です。歴史小説には脚色、改変といった、小説を面白くするための工夫というか、そういったものがあちこちに仕組まれています。
つまり、歴史小説の内容は必ずしも正しくはないのです(むしろ、意図的に変えている)。
そのため、歴史小説を「実際にあったこと」としてとるのには非常に問題があります。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/平忠盛

まず、彼の場合、代々上級官僚ではなく、父の代にようやく殿上人となりました。
で、その後の戦功で最終的に太政大臣まで上るのですが、生まれてまもなくは金銭的には恵まれてはいないと考えられます。

実際に上級役人と中級役人には相当の金銭的な開きがありました。
これが同じ従五位下相当の官職でも、(国守だとまったく話は違いますが)忠盛は1119年までは検非違使と左衛門尉ですので、お金はそれほど入りません。

ですが、問題はここからでして
1220年に伯耆守、23年には越前守、27年には従四位下...続きを読む


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