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人間の行うあらゆる精神活動、哲学を含めあらゆる形の思考も有機体の生化学反応なる物理現象に他ならない。

このよーに考えて良いのではないか。
 
 

「思考も有機体の生化学反応なる物理現象に他」の質問画像

A 回答 (13件中1~10件)

それは僕もそのように思います。



結局は脳内から化学物質が分泌されたりしているだけのことでしょうから。

複雑な思考も、その反応等が複雑に絡み合って起こっているだけだと思います。
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科学的解決はそうだとしても、その先が有るのではないか?



とは、思わない??

何で貴方は生きているの?

この世の命が終われば、今まで貴方の思考した
事も『無』になるのか?

貴方がいじめてきた、善人達への報いも無になる
と言うのか?



いいや、ならないね。
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『人間の行うあらゆる形の思考は有機体の生化学反応なる物理現象に他ならない。


  =>一つの切り口としては正しいと思います。ただ 脳内の生化学反応を含む 
     さまざまな原因から思考結果までの メカニズム解明は 発展途上にある
     と思います。
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映画を鑑賞すると言う事は、眼球の裏側の網膜を光に反応させると言ってよいか?



貴方の質問はコンテンツの尊重を欠いているよ。
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そう言う仮説はあります。



しかし、物質の電気化学反応が、何故、非物質である意識を生み出すか分かっていません。

証明されるめども立っていません。
 
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「このよーに考えて良い」と断定するよりも、「このよーに考え」た結果、質問者さんには、新たに見えてきたことと見えなくなってしまったこととの二つがある、と考えた方がより正確であるように思われます。



「あらゆる形の思考も有機体の生化学反応なる物理現象に他ならない」は、「思考」という、無限の因果・因縁の連鎖でもある一現象の《一属性》に対する説明としてなら、確かに「こういう言い方もできるかな」程度に受け止められなくもありません。

が、私としては、むしろ人間の「思考」が言語なくして成立し得ないことに着目した方が、より「思考」の本質的、中枢的な側面を浮き彫りにしてくれるように思われてなりません。
われわれが「思考」している間、脳・神経細胞内ににどんな「生化学反応なる物理現象」が起きているにせよ、とにかくそこにはいろんな《概念》が入れ替わり、立ち替わりしながら、めまぐるしく生滅を繰り返していることだけは否定しようがないでしょうから。

しかも、《概念》は《言語》なくしては存立し得ないとしたら、ある意味、言語そのものが人間の「思考」を根本的に規定しているとは考えられませんか。

たとえば、今年の干支にちなんで、「タツノオトシゴ」という言葉(概念)を例に挙げるなら、ある漁師が漁の最中にこれまで見たことのない、魚とは違う奇妙な生き物と遭遇し、帰宅後にこの生き物が何かを漁師仲間に説明しようとしたものの、なかなか分かってもらえず、あれこれ「思考」した挙げ句、苦しまぎれに「たとえば『タツノオトシゴ』のようなものだ」と言ったとすると、こうして「タツノオトシゴ」という言葉が誕生しただろうと考えるしかないですよね。

以上は、立派な人間の「思考」にほかなりませんよね。
そして、これを一般に《比喩》と称してもきました。

質問者さんにしても、《未知》の何ものかに直面したとき、自分が持ち合わせているのは《既知》の言葉でしかないだけに、《既知》の言葉で《未知》の何ものかを表現することがウソでしかないのはお分かりですよね。
で、より《未知》の何物かをより正確に、より写実的に言い表そうとして、「思考」した結果、たとえばこのの漁師の場合、「タツノオトシゴ」という《比喩》を生み出さずにはいられなかったのではないでしょうか。

ということで、「あらゆる形の思考も有機体の生化学反応なる物理現象に他ならない」という質問者さんお示しの命題は、以上のような、誰もがごく普通の日常生活で直面する出来事に対し、はたしてどういう意義・価値を有するのか?と問われてくるのではないでしょうか。
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「心は物質の属性」=唯物論と、


「宇宙は心の中に生じる」=唯心論は、
その極限における量子性において合一となる。
全ての存在は、感受表面の量子相互作用
パターンによる広がりの予測に還元され、
その「感受表面」も、「予測」としての空間に
広がりを有する事で、仮説性を絶対化する。
その自我仮説(経験=時の流れ=時間)と
時空仮説(予測=広がり=空間)の相補分化
において、無=無限不確定性は相補性を
持つようになる(不確定性原理=そこにおける
無の射影(仮説的有を無に還元する)が量子性)
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精神も物質の一部だと思います。



しかしその物質というのが現在多くの人間が捉えている概念とは大きく違った存在であるはずです。
あらゆる物質は何らかの変化のときに意識(または感覚)が生じているというのが私の予想です。
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あんたの論理だと、人間は完ぺきで自らに関して理解の及ばないところはない。


すなわち神に等しき完全である。
そう言う事になる。
それでいて始めて完成する論理である。
私はそれを支持しません。
何故なら私は神に愛され切っており彼女の愛に包まれて過ごしています。
一方で彼女の愛に溺れており、彼女なしには生きていけない。
したがって神の介助なしには生きていけない。
神様に反抗したいのならいくらでもしろ。
君に対して神の声を代弁し、ご宣託を述べよう。

そのキモイ顔はもう2度と見たくないんだ。
もう君に限ってはどこぞでのたれ死んでも知った事じゃないよ。
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あらゆる精神活動、哲学を含めあらゆる形の思考を行う人間もアミノさんから変化した動物の一種という糞袋にほかならない。


そのよーに考えることもま違いではない。
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