No.5ベストアンサー
- 回答日時:
御質問の意図は少し理解できましたが、「太子」について調べようとした場合、
たとえば
・『全訳漢辞海/三省堂/2010.01』
「太子」項目
(1)皇帝の定めた皇位継承者。一般に嫡長子がなる。周秦のころは世子とも称した。
後漢代以降、皇太子と称され、世子は親王の子に限られる。
(2)[国]聖徳太子のこと。
「皇太子」項目
天子の定めた皇位継承者。一般に、嫡長子がなる。
後漢以降、太子は皇室にのみ用いられ、親王継承者は世子と称した。
・『漢語新辞典/大修館書店/2001.04』
「太子」項目
もと、天子及び諸侯の長男。漢代は、天子の長男を皇太子、諸王の子を太子という。
「皇太子」項目
天子の位をつぐ皇子。
などと、漢語辞典の内容を書き込む程度の事は出来ますが、
それを飛鳥・奈良時代など我が国の古代史と関連付けて「太子」を捉えるとなると、
太子、大兄、皇太子制などについて飛鳥浄御原令(689年)、大宝律令(700・701年)などの
律令とも絡めて調べる必要があるのでしょうが、当時の記録となると御存知のとおり
めぼしい記録は『古事記(712年)』『日本書紀(720年)』など律令施行以降のものですから
記録人物の存否は別としても、呼称の一つ一つに注意を払いつつ検証しないことには
前に進めず、何より記紀等の評価にしても御存知のとおり専門家の間でも見解に幅があり、
たとえばネット検索範囲内の断片に過ぎないとはいえ、下記URLでは
聖徳太子研究の最前線>記事一覧
http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/arcv
◇「天王」を手がかりとして「太子」について考えてみる:
内田昌功「東晋十六国における皇帝と天王」
(2011-09-13 11:19:42 | 論文・研究書紹介)
http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/69deb14b33 …
◇「太子」という呼称をめぐる問題:
本間満「景行記の三太子伝承について」
(2011-11-01 09:32:19 | 論文・研究書紹介)
http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/90d1067005 …
専門家ですら一朝一夕ではない様子ですし、
関連項目であろう「大兄」についても、
たとえば下記URLのように色々問題がある様子も伺えます。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000245861
『成城文藝 139/成城大学/1992.07』(36-49頁)
◇「六・七世紀の「大兄」/篠川賢」
http://www.seijo.ac.jp/pdf/falit/139/139-02.pdf
なので素人の私からオススメ出来るとすれば、既読ならばm(_"_)mですが、
古事記考証研究書『古事記伝/本居宣長/1798年』あたりですが、
何かヒントが得られるかもしれません。
雲の筏>『古事記傳』の現代語訳について
http://kumoi1.web.fc2.com/CCP050.html
たとえば上記のうち
◇<『古事記傳』26>の2段落目あたりなどを足がかりとして…
http://kumoi1.web.fc2.com/CCP126.html
以上 またまた見当違いの場合は笑って許して下さい^^
再度のご教示、ありがとうございます。
石井公成氏のブログ「聖徳太子研究の最前線」を読みました。
研究者が「太子」という呼称について論及されているのですね。
研究者が関心を持つ問題に、素人の私も興味を持った訳ですから、そのことだけでも嬉しくなりました。
◇「太子」という呼称をめぐる問題:
http://blog.goo.ne.jp/kosei-gooblog/e/90d1067005 …
私は、ただ単に「太子の意味は何だろう」と思っただけです。
太子を辞書で引くと「皇太子のこと」と書いてあったので、それなら他にも「○太子」と呼ばれた人はいっぱいいるはずだが、あまり聞いたことがないと思い、質問しました。
ご親切な回答を頂いたお蔭で私の疑問は解消しました。
No.4
- 回答日時:
『角川日本史辞典/2004.6(電子辞書版)』によれば、
・「太子」
(1)皇太子のこと。
ただし『古事記』景行天皇段には兄弟の皇子を含む3太子がみえ、
律令制の皇太子とは異なる「日嗣(ひつぎ)の御子(みこ)」である。
(2)長子のこと。
(3)聖徳太子のこと。
なお「皇太子」は、皇位継承者に定められた皇子で、
日嗣御子(ひつぎのみこ)・儲君(もうけのきみ)・儲弐などのほか、
居所にちなんで東宮・春宮(とうぐう)・昭陽とも言います。
現制では天皇の長子は生まれながらにして皇太子ですが、
明治の初めまでは立太子礼を経て初めて皇太子になることができました。
皇太子制の沿革をみると、大化前代には複数の皇位継承者を立てる大兄(おおえ)があった
ともいわれ、「大兄」とは大王(おおきみ)<天皇>または大王たりうべき皇子の長子で、
兄弟継承と並存して、6世紀の勾(まがり)大兄(安閉天皇)から7世紀半ばの中大兄
(天智天皇)に至るまで存続、一夫多妻なので複数の大兄が存在し不安定のため、
大后(皇后)を定め、皇位継承者を1人にしぼる太子(皇太子)の皇位継承制度が7世紀半ば
過ぎに確立したようで、嫡長子を皇嗣とする皇太子制が成立したともいわれています。
しかし平安時代以降、必ずしも嫡長子が皇嗣とはならず、
藤原氏など外戚の権力によって皇太子が決定されたこともあり、
また南北朝期~江戸中期など皇太子が立てられなかったこともあって、
1683(天和3)に皇太子制が再興した後は、まず皇嗣とする儲君に治定し、
ついで立太子礼を行うのを例とし、この制は大正天皇を儲君とするまで存続。
なお皇孫・皇弟で皇嗣に定められた時は皇太孫・皇太弟といいますが、
現制では皇太弟は認められていません。
以上の事から「皇太子」の制度化以前と以後では、
皇位継承者の位置付けが異なること、制度化以後でも必ずしも嫡長子と限りませんので、
御質問の「ただし、「皇太子」は除きます。」の御意図が単に表記上の事を
おっしゃっているのか、それ以外なのか?ではありますが、
実在か否かは別として、我が国で記録上に残る聖徳太子以外の「〇太子」の
カキコミをさせていただきます。
まず冒頭『角川日本史辞典』「太子」(1)の
「『古事記』景行天皇段には兄弟の皇子を含む3太子がみえ、
律令制の皇太子とは異なる「日嗣(ひつぎ)の御子(みこ)」である。」に関しましては、
◇底本岩波古典文学大系本(訂正 古訓古事記)「古事記(原文)の全文検索」頁の
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_11.html
古事記 中卷-4 景行天皇、倭建命、成務天皇
9行目/…若帶日子命與倭建命、亦五百木之入日子命此三王、負太子之名。…
この部分を指すようですが、連記の後の「太子」に過ぎませんから
「〇太子」に該当しないとお叱りを受けるかもしれませんね^^
続いて
◇同前「古事記(原文)の全文検索」頁の
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_15.html
古事記 下卷-2 允恭天皇
(2行目/…、木梨之輕王。)
9行目/又爲木梨之輕太子御名代、…
12行目/…、定木梨之輕太子所知日繼、…
19行目/…、背輕太子而、歸穴穂御子。爾輕太子畏而、…
26行目/…、捕其輕太子、…
30行目/故、其輕太子者、流於伊余湯也。…
ここでは記紀第19代天皇允恭天皇第一皇子「木梨之輕太子」「輕太子」登場。
同じく
◇同前「古事記(原文)の全文検索」頁の
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_16.html
古事記 下卷-3 雄略天皇
2行目/…生御子、白髮命。次妹若帶比賣命。<二柱>故、爲白髮太子之御名代、…
記紀第21代雄略天皇第三皇子「白髮太子」=記紀第22代清寧天皇。
ただし、◇古事記 下卷-4 清寧天皇 1行目では「白髮大倭根子命」の表記。
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_17.html
また同様に、
◇底本岩波古典文学大系本(卜部兼方・兼右本)「日本書紀(原文)を全文検索」頁の
http://www.seisaku.bz/nihonshoki/shoki_13.html
日本書紀巻第十三 雄朝津間稚子宿禰天皇 允恭天皇
(18行目/二年春二月丙申朔己酉、…皇后生木梨輕皇子・…)
(85行目/廿三年春三月甲午朔庚子、立木梨輕皇子爲太子。…)
91行目/…、木梨輕太子、…
以上のとおり『古事記/碑田阿礼(誦習)・太安万侶(撰録)/和銅五(712)年完成』上で
確認出来る「〇太子」は「木梨之輕太子」「白髮太子」、
『日本書紀/舎人親王等撰/養老四(720)年成立』上では「木梨輕太子」で、
両方に登場するのは「木梨之輕太子」=「木梨輕太子」だけのようです。
なお「木梨之輕太子」は文の断片だけでも末路が…なので、
たとえば下記URLでも参考にして下さい。
◆『山梨英和大学紀要 7/山梨英和大学/2008』(1-26頁)
「『古事記』木梨之軽太子の譚/石田千尋」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007130792
こんなところですが…またまた見当違いの場合は笑って許して下さい^^
ご回答ありがとうございます。
「厩戸王」を「聖徳太子」に作り変えていくには、「太子」という称に何らかの特別な意味があるのではないか、と思って質問しました。
「太子」という称が、『懐風藻』が成立した奈良時代までに、ほとんど使用されていないのであれば、「聖徳王」より「聖徳太子」とネーミングした方が、「聖徳太子」を喧伝するのに、権威づけに効果的だったのかな、とつまらぬ想像をしています。
「木梨之輕太子」=「木梨輕太子」の「太子」は、有力な大王位継承者という意味のようですね。
毎回、詳しく、そしてレベルの高い回答を頂いて恐縮しています。
『角川日本史辞典/2004.6(電子辞書版)』による「皇太子」の説明はとても参考になりました。ご教示に感謝します。
No.3
- 回答日時:
たい‐し【太子】
#皇位を継承する皇子または王子。はるのみや。ひつぎのみこ。もうけのきみ。皇太子。東宮。皇嗣。
#中国古代の諸侯の嫡男。
#聖徳太子の略。
[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
ですので、我が国で言えば、天皇になった人は全員が 皇「太子」 でした。
聖徳太子の「太子」も「皇太子」の意味です。
推古天皇の跡を継ぐべき皇子という立場でした。
中国は「王」も太子(王太子)を経て王になりましたから、中国にも太子はたくさんいました。
聖徳太子は、(実在の方かどうか争いがあるのはおいといて)天皇にならないまま没しましたので、「太子」のままです。
また、非常に賢明だったことで有名であり、また子孫が絶滅させられた悲劇の主人公ですので、一般に「太子」というと聖徳太子を指すことになっています。
ちなみに、黄門様も似たようなもので、黄門も中納言の別称(唐名)ですのでたくさんの黄門様がいたのですが、ただ「黄門様」というと水戸光圀を指します。
日本でなくて良ければ、「○○太子」で、国語辞典に載る程度には有名な人はいましたよ。二人だけあげておきます。
善施太子(ぜんせたいし) ・・・ 日本人なら絶対知っている人の別名。
祇陀太子(ぎだたいし) ・・・ 上の人の協力者。
そのほかは、やはり皇帝になれずに殺されたり自害していて(皇帝になっていれば当然○○帝と呼ばれるはず)、かつ、文化や宗教面その他に功績を残した人が多いような感じです。
いとく太子、 しょうかい太子、 しょうめい太子、 れい太子 など。
ご回答ありがとうございます。
いとく太子、 しょうかい太子、 しょうめい太子、 れい太子 など、調べてみますと、たいそう興味深いです。
「いとく太子」については、大変参考になりました。
「皇太子」のことだ、と単純に考えてすむ話かも知れませんが、
「太子」に何か特別な意味があるのでは、と想像している私にとっては、大変よいヒントを頂きました。
No.2
- 回答日時:
漢の武帝の子「戾太子」これは一例で皇帝の子にはたくさん出てきます。但し日本人ではなかなか見つかりません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3% …
『聖徳太子という名称は生前に用いられた名称ではなく、没後100年以上を経て天平勝宝3年(751年)に編纂された『懐風藻』が初出と言われる』
ご回答ありがとうございます。
皇太子を表すという意味以外に「太子」の名は、(唐で)何か特別な意味をもっていたのではないか、と思って質問しましたので、中国の例は参考になりました。
No.1
- 回答日時:
太子とは皇太子のことですからこれを除くなら明太子くらいしかありません。
明太子さんは鱈のたまごさんです。http://baike.baidu.com/view/57499.htm
『皇位継承がすでに確定した者または帝王の子を太子と言う。』
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