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最近小泉総理の靖国神社参拝でひともめしているようですが、公明党の代表が
懸念を示すとき、憲法20条3項における政教分離に反するからやめろ、みたいな
事を言っていたと思います。じゃあ自分のところはどうなの?創価学会が支持母体
じゃあないんかい!もちろん私は『政教分離』原則は正しいことだと考えています。
だからこそ公明党なんて合法的な存在理由がないんじゃぁないでしょうか?

A 回答 (18件中11~18件)

宗教も人間の思想の一部である以上、政治への意思表明等は認められてしかるべきであると思います。

ただ、ありえないとは思いますが、日本人の宗教心が以上に高くなり、政党がすべて宗教がらみになり、多数派による少数派への圧迫が起きるとそれは問題であると考えます。
また、いくら思想の一部であると考えても、直接の宗教原理を国民に対して押し付けることは容認しかねます。

靖国参拝ですが、閣僚等を一個人として考えた場合、毎年行っている人であれば、立場がどうであれ行くことは自然であると考えられます。しかし、ほとんど行かないような人が、閣僚になった途端に、私人または公人として参拝することは、明らかに不自然な行為であり、疑問を呈したくなります。閣僚であるから行くということであれば、閣僚と靖国とを結び付けていると考えられ、私自身は認められない考え方であると思います。

なんだか、まとまらない回答になりましたが、最後に私は、基本的に宗教に対し、ポジティブに考えておらず、税制優遇等に対し批判的な立場ということをご承知いただきたいとおもいます。
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>YUZURUさん


創価学会は、すでに、戸田第二代会長の頃に法人格を取っています。
創価学会の報道は特に
マスコミの情報を鵜呑みにするのは危険だと思います。

政教分離論について。憲法21条の観点から述べましょう。
憲法21条の、「表現の自由」の一環の問題としても、宗教団体
が政治的な活動をするというのは尊重されるべきだと思います。
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mamuku-さん、失礼しました。


宗教法人登録されたんですかぁ、知らない事とは言え
失礼いたしました。

破門騒動の際、テレビのニュースで宗教法人登録は、
しないと、創価学会広報から発表されたと報道されて
いたものですから、てっきりしてないものと思って
おりました。
情報が古かったですね・・・謝!、謝!。
(教祖は、池田さんかな?、本山は、信濃町だったりして)

とすると、公明党さんの政教分離論は、矛盾をしている
ような気がしてきました。
公明党さんの言い分は、言い分として、potato-pieさんの
主張の方が、一般論だと思う方に、とりあえず1票!
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YUZURUさん


創価学会は宗門(本山)から破門されましたが、
宗教法人です。これは周知の前提だと思われますが・・・
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創価学会の方の反撃が怖いのですが・・・・


そもそも、創価学会って、宗教法人では無いと思うのですが、間違ってますでしょうか?
確か、創価学会は、本山から破門になった(創価学会の人から言わせると違うのでしょうが・・)と思います。
したがって、現在は、宗教法人では、無いと記憶しています。

という事で、創価学会という、仲良し倶楽部が、政党を形成しているって事で、たまたま?、日蓮の説いた仏教の経典を自分達なりに解釈している人が、集まっている集団では、ないでしょうか?

政教分離の”教”の解釈は、宗教法人かどうか?じゃないでしょうか?、したがって、宗教法人ではない、集団が政党になっていたとしても、政教分離に矛盾していないんじゃないでしょうか?

もちろん、宗教的な色彩が限りなく濃い集団であることは、周知の事実でしょうが・・・
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 公明党は結党当初、創価学会と一心同体であり、公明党が政権を掌握した暁には当時、創価学会と仲の良かった日蓮正宗を国教にすると定めていました。

しかし、1970年代初頭に藤原弘達明治大学教授が「創価学会を斬る」という本を出版しようとしたとき、創価学会は自民党などに働きかけ、それを妨害しようとしました。しかし、その行為は世論の批判を浴びたため、公明党は創価学会とは建前上、独立した政党として再出発しました。ですから、公明党は靖国神社問題でも大きなことがいえるのです。今の公明党の綱領には創価学会を国教にするといったようなことは書いていないと思いますが、もし、小泉首相が公人の立場で創価学会本部を訪れ、池田大作氏を表敬訪問すると言ったら、公明党はどう反応するでしょう。この時、公明党の政教分離度の真価が問われると思います。
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まず、政教分離について・・・


本来、
宗教とは人が人として生きていくための根本でありバックボーンであると思います。
人が生きていく上で必要不可欠な空気のような状態にあることがベストだと思います。
自然体で向き合えて、普段は気がつかない、気にもとめない、
しかし、人としての倫理観、道徳観、行動論理の根源になるものだと思います。
その時、『政教分離』は意味を成さないと思います。
しかし、
今の日本の状態においては『政教分離』なんていう不思議な言葉が必要なのかもしれない。

靖国参拝について・・・
私は日本の国の為に尊い犠牲を払った人に対し、
日本国民として礼をつくすことは当たり前だと思います。
私は、
右翼でもないし、国粋主義者でもない、ましてや戦争を美化する気もありません。
力(暴力)で相手を服従させようとする戦争は悪であり、
戦争に善い戦争などない!と思っています。
その当時、自分の意思にかかわらず
国のために犠牲とならざるをえなかった人に対して
その国民が礼をつくすことは当たり前だとおもいます。
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法的な問題は感情論ではなく、論理的に、



公明党は創価学会が支持母体ですが、
創価学会の「宗教的主張」を政界に持ち込んでいるわけではありません。

宗教を行うのが「創価学会」、政治を行うのが「公明党」、
この様に線を引いてちゃんと分けておくことが「政教分離」であり、
「政府(あるいは総理)」自身が「靖国神社参拝」を行うのは、
分離されていない状況なワケです。

公明党は創価学会と言う宗教的な存在に支えられているために、
「靖国神社参拝」と言う宗教的儀式に敏感に反応しますが、
宗教をほとんど意識しない(意識せずに宗教的儀式を行う)人々には
「靖国神社参拝」が「政教分離」に反するという認識は薄いのでしょうね。

私個人は神社への参拝は宗教儀式というより習慣だと思っていますので、
「政教分離」に反するとは思いません。
しかし、靖国神社は戦争を美化し、国家の犠牲になった人々の一部を
(彼らの意志と無関係に)宗教的に祭り上げる
とても不道徳で不遜な宗教組織だと思っていますので、
これを参拝することは人間性、人格に問題があると思います。
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