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日本の文化は中国から様々な影響を受けていますが

中国は儒教の国なのに何故、中国から日本に仏教が広まったのでしょうか?

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A 回答 (12件中1~10件)

簡単な理解


中国、朝鮮、日本でも、儒教も、仏教も伝わった。
儒教と仏教は排斥しあったことが多い。(そうでないときもあるけれど)
日本へは、最初は朝鮮から、続いて中国から、仏教が伝わった。
中国から直接仏教の新しい教えを取り入れるようになったのは、朝鮮経由だけでなく、中国の先進的なものを直接入手するネライもあった。
仏教も、儒教も、ベースは国家事業とか、国策としての導入が基本で、鎮護国家、制度、技術、文物の導入に関連していた。
儒教にも、儒教建築や儒教指導者の持っていた知識技術はあったけれど、思想や考え方などが中心だった。 一方、当時の仏教はもっぱら繁栄を目指す儀式などが多く、お守り、降雨祈祷、病気平癒、護国興隆、極楽往生などの効果を期待していた日本側の希望にぴったりだった。 仏教寺院や仏像、仏具の豪華絢爛荘厳さも、あこがれや尊敬などを集めるのに最適だった。 儒教も荘厳でスゴイところはあったけれど、お守り、降雨祈祷、病気平癒、護国興隆、極楽往生などの効果を期待するのには、向いていないので、流行らなかった。
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回答有難うございます。

当時の日本に合わなかったのですね。

お礼日時:2012/04/19 19:27

「教」という字がついているので、一見、宗教っぽいですが、儒教は宗教じゃありません。

儒教は民主主義とか社会主義とかと同じ政治思想の一種です。

たしかに、むかしの中国は儒教の国といえますが、儒教は政治思想ですから、それは「アメリカは民主主義の国だ」とか「ソ連は社会主義の国だ」といったような意味で「儒教の国」なのであり、宗教的には、道教の国といったほうが適切だと思います。

また、日本は宗教的には仏教や神道の国ですが、政治思想としては、儒教を国家公認の正統なものとして、奈良時代から江戸時代まで、それなりに重んじています。当時、学問といえば、ほぼ儒教のことを意味するといってよく、学問の神様として知られる菅原道真も儒教の学者ですし、忠義とか孝行といった儒教道徳も仏教と同じように日本人の間に広まっています。
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お礼日時:2012/04/19 19:28

儒教を採用するということは、中国の皇帝が一番偉いということになります。


仏教を採用した頃の日本

6世紀後半に仏教公伝
589年 隋 中国統一
663年 白村江の戦い
720年 日本書紀成立
752年 奈良の大仏開眼

俺達は日本だ!
という中国文化圏からの独立の過程にあります。

仏教であれば、中国にとっても外来宗教なので、中国の皇帝が一番偉いということにはなりません。
そういう選択が、国家宗教の選択理由になります。

参考
ハザール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B6% …

南方からのイスラーム、西方からのキリスト教に対して、ユダヤ教を採用しています。
イスラームは 宗教も政治もカリフが世界で一番偉い
キリスト教も 宗教も政治もローマ皇帝が世界で一番偉い(東ローマ帝国が直接の相手になりますので、日本人の意識している、ローマのカソリックではありません)
で、ユダヤ教なら、害がないだろうということだそうだ
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回答有難うございます。

お礼日時:2012/04/19 19:29

弘法大師空海が唐に渡った頃は、


都長安では様々な宗教が活動しておりました。

儒教、道教は無論、仏教も
キリスト教もあったしゾロアスター教なんてのも。
宗派の百花繚乱ですね。

仏教の中でも密教が流行っていた頃で、
空海は外国人だったのに数ある弟子を追い越して、
師匠から後継者として全ての秘術・秘宝を受け継ぎ、平安京へ持って帰りました。
真言宗です。
日本こそ密教の本流なのです。
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回答有難うございます。

お礼日時:2012/04/19 19:29

中国が儒教の国と言う判断はどこから来ているんでしょうか?


そこがよく分からないのですが、

日本の仏教について書きます。
日本に仏教が伝えられたのは、古墳時代末期の欽明天皇7年の頃=538年だという説が有力だそうです。

その後、飛鳥時代に入り聖徳太子が現れた時代は、「飛鳥仏教」と呼ばれています。
日本に伝わった仏教はその時代(中国での)の最新の宗派のものが伝わったそうです。
ですから、奈良時代になると南都六宗の1つになる「法相宗」がいち早く伝わったと書かれています。

日本の仏教は、最初は国家鎮護や貴族自身の繁栄を祈念するもので、僧侶が官僚そのものでした。
宗派が確立されるまでは、いろいろな宗派の仏教を勉強するのが仕事=修行でした。

ここで言わなければならないのは、中国での仏教の進化は、インド仏教の原典を訳すことが中心でありましたが、漢訳した時点で解釈をめぐり、インド仏教の原典からの意識的か無意識的にか逸脱をしだしたと言うことです。

また、「施餓鬼供養」などという、独自の仏教経典・仏教物語をも作ったのです。これは中国の儒教や道教を取り入れたものであり、仏教を変質をさせています。
これも仏教の土着化と言えば言えます。

つまり、日本の仏教は、そのような中国仏教を、漢訳された原典を和訳した訳ですから、ますますの逸脱が行われていると言うことです。

中国が儒教の国と言うのは疑問ですが、日本が仏教国かと言えばそうであるともそうでないとも言えます。
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回答有難うございます。

お礼日時:2012/04/19 19:31

日本に儒教が伝播したとき、その思想的に受け入れられなかったモノが二点ほどあります。


1点目。
儒教では支配者は徳があるので天から世の中の支配を任せられていると考えます。
逆に言うと世の中の乱れは支配者の徳が低下したためであると考えられ、支配者の交代があった場合、それは前任の支配者の徳が無くなったためであるとされます。
中国では王朝の交代が何度もあり、その度に前王朝の悪行三昧が宣伝されてます。これは世間に「前王朝はこんなに悪いことをしていたから徳がなくなったのですよ」と訴えることで新王朝の正当性を訴えているのです。
これは儒教の思想が残っている現在の韓国において、政権が変わるたびに前政権の大統領やその家族が逮捕されることが頻発することに名残が見られます。
しかし日本では天皇家が絶対支配者でした。徳があるから支配者であるという考え方ではなく、支配者であるから支配者である、という考え方です。
そのため儒教の考え方が受け入れられなかったのです。

2点目。
儒教の思想では支配者は徳による天下泰平をもたらす象徴であり、実際の政治は優秀な官僚にて行われます。このため在野から必要な優秀な人材を官僚として登用しました。人材を集める方法として公平な採用試験を制度化しました。これが科挙です。(実際には裕福な家庭でないと勉強できなかった時代ですが…)
科挙は儒教の思想から派生したものです。
しかし当時の日本は、官僚も家柄(つまり血縁)で独占されていたのです。たとえば関白は五摂家と呼ばれる家柄の出身者しかなれませんでした。
このため。官僚層からも儒教の教えは受け入れがたいものでした。だって自分たちの地位が危なくなりますからね。

上記のとおり、支配者とそれを支える官僚の両者によって受け入れがたい思想だったのでで、浸透しなかったワケです。

しかし江戸時代、戦国時代の下克上による世の乱れを秩序ある世の中に変えていくための手段として儒教が見直されます。
武士階級に広まった朱子学は儒教の一派であり、徳川家が保護した思想者により広められます。今の日本に残る儒教的思想は朱子学がベースになってます。
ちなみにこの朱子学が、その後数百年を経過し尊皇攘夷運動につながっていきます。
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回答有難うございます。

お礼日時:2012/04/19 19:32

 仏教が,大雑把に言えばインド→中国→日本というルートで広まってきたのは確かですが,インドの仏教ははるか昔に廃れてしまい,ヒンドゥー教に取って代わられています。


 中国には,仏教の寺院もたくさんあり,現在でも仏教が廃れたわけではありませんが,道教など他の宗教もありますし,日本と違って国家の支配原理として仏教が活用されることはあまりなかったので,神道と融合して独自の発展を遂げた日本仏教の伝来元としては違和感が生じる状態になったのかもしれません。歴史的には何ら不思議なことではありません。
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回答有難うございます。

お礼日時:2012/04/19 19:33

>日本の文化は中国から様々な影響を受けていますが


中国は儒教の国なのに何故、中国から日本に仏教が広まったのでしょうか?

 歴史的に中国を儒教国家とするのは、実は微妙である
というのは、政治体制としては、儒教を主体にすることは漢民族王朝では見られなくないが、
実際には、道教的な為政者が概して多い
 儒教的文化は確かに根付いている部分はあるが、国政においては古代周王朝を規範する道教・老荘思想な政治家がかなり多いのである
 したがって、『中国を儒教の国』とするのはあまり適切ではないだろう

日本も儒教文化的側面が強いが儒教が政治基盤にないよう(例外は江戸時代中期以降)に、中国も精査すると儒教国家とはいい難いことを指摘しておきたい

なお、日本の仏教伝播の歴史は、まだ確定的なことは言えない
ただし、日本の仏教が朝鮮の百済王朝経由であることは間違いないようである。
では、百済の仏教は中国由来なのか?という問題についてはまだまだ不明瞭な部分が多い
系統としては、北伝仏教(大乗仏教)に属するのが日本の仏教ではあるが、日本原初の仏教が、北伝・南伝のどちらであったのか?という疑問はまだ解決を見ていないのが現状である

以上のようなことから質問に回答することが困難である
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

困難なのですね。

お礼日時:2012/04/19 19:34

仏教伝来当時の中国北部の王朝「北魏」は、


皇帝が篤く仏教を信奉していました。

歴史教科書に良く載っている「雲崗石窟」の磨崖仏は、
この王朝時代のものです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E9%AD%8F
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回答有難うございます。

当時の皇帝は仏教信者だったからですか。

お礼日時:2012/04/19 19:37

中国は儒教の国だと思うのは中国に行ったことがないからです。


中国は仏教の国です。

現代中国人で論語を読んでいる中国人はほとんどいません。
儒教は思想であって宗教ではありません。
信仰するものがないんです。
だから中国人の大部分の宗教は仏教です。

日本も仏教です。
江戸時代は武士道を成り立たすために儒学を用いましたが、
日本のそれも思想であって宗教は仏教なんです。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

お礼日時:2012/04/19 19:40

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Q儒教の国なのに、何故中国・韓国には売春婦が多いの?

中国も韓国も儒教の国で、女性の品行に対して、

大変厳しいお国柄のようですが、何故、売春婦が多いのですか?

それに、韓国の場合、日本女性の振りをして、海外で売春し、摘発されたりしていますが、

どういう理由でそういう事をされるのでしょうか?

以前アメリカで、韓国の売春組織が、売春婦たちを車椅子に乗せて、

身体障害者として、入国させていると、アメリカのメディアが批判していましたが、

何故、そこまでして、自国の女性の体を売るのでしょう?

また、彼女らの稼ぎが、国のGDPの5%も占めるそうですが、それも関係しているのでしょうか?

しかしながら、日本女性に成り済まして、売春するのだけは、勘弁して頂きたいですね。

ソース→http://blogs.yahoo.co.jp/x1konno/22866059.html
http://sarahctr.iza.ne.jp/blog/entry/1655859/

Aベストアンサー

韓国は、外貨獲得目的で国営のキーセン(ソープランド)が大々的に行われていましたからね。 90年代ぐらいから東南アジア、ロシアから売春婦を連れてくるのをやり過ぎて問題になって、21世紀に入って全面閉鎖/禁止になったと思います。
ついこの間までは「韓国旅行=売春ツアー」のイメージだったので、うっかり「韓国旅行」なんて口にしたら、おっさん連中に意味ありげにニヤニヤされたもんです。

儒教だけど、体売るのには大らかなんでしょうw もしかしたら儒教ってものがそういうものなのかもしれませんし。

海外にある、寿司屋や日本食レストラン、実は韓国人経営ってことがほとんどなので、まあ売春でも日本人のフリするのに躊躇はないでしょうね。

不思議で仕方ないのですが、あれだけ日本人を軽蔑しているのに、何故日本食のレストランを営業したり、日本人のフリしたりすることができるのでしょうかねえ?
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まあ「ディスカウント ジャパン」キャンペーンの一環、国策なのかもしれませんね。日本人のフリをするのは。これほど効率の良いネガティブキャンペーンは中々ないですよ。なんせ韓国人の行動を見て、外国人は「日本人!?」と思ってしまうのですからw

いずれにせよ、韓国も中国も、すべての原因は「日帝!」って言うのでしょうね。売春も。
あの人達は、右向いても左向いても、何やってもどうせ全て日本のせいですから。

そういうのも儒教の思考体系の一つなのかもしれませんねw

韓国は、外貨獲得目的で国営のキーセン(ソープランド)が大々的に行われていましたからね。 90年代ぐらいから東南アジア、ロシアから売春婦を連れてくるのをやり過ぎて問題になって、21世紀に入って全面閉鎖/禁止になったと思います。
ついこの間までは「韓国旅行=売春ツアー」のイメージだったので、うっかり「韓国旅行」なんて口にしたら、おっさん連中に意味ありげにニヤニヤされたもんです。

儒教だけど、体売るのには大らかなんでしょうw もしかしたら儒教ってものがそういうものなのかもしれませんし。
...続きを読む

Q日本に仏教が広まったわけ

教養の一環として質問させてください。
仏教が日本に広まったのは政治的な理由であることは
昔々の歴史の授業で習いましたが(^^)
仏教を国教にしようとしたことでどんなメリットがあったのでしょうか?また、自然信仰だった日本人が仏教を受け入れられたのはなぜでしょうか?

Aベストアンサー

「メリット」
仏教を取り入れるメリットは中国追随型の国家にする所にあったと思います。

崇仏派の藤原鎌足は幼少時代から中国発の学問取得に熱心で、
政治制度を中国型にすることに生涯を費やしたと言っても良いです。

当時の中国は唐。中国では、唐の前の随から
仏教が国教のような存在になり、唐代は最も仏教が進化した時代です。
中国の政治スタイルを学び取り入れるためには、
仏教を欠かすことはできませんでした。

当時、日本は白村江で新羅と唐の連合軍にボロ負けした後で、
遣唐使も中断していました。
朝廷とその周辺には朝鮮半島派と中国派がおり、
かなりの政治闘争があったのですが、その勝者が
藤原鎌足を中心とする一派です。


「普及」
天皇が受入れ、貴族がそれに追随したので、
権力の中枢に近づくためには仏教が必要だったこともあり、
いわゆるトップダウン型の普及があったことは確かですが、
下々の者達が仏教を受入れたのは単純です。

信仰は仏教的な言葉で言えば現世利益のためにやるもので、
他の宗教を信仰していてもそれは同じことです。
既存の宗教より強い効力があれば、そちらに乗り換えるのは普通のことです。

仏教の場合、治水事業や病気治療の技術を持った僧が
全国各地を回り、明らかな現世利益を施したので、
急速に普及しました。
この方法論はいつの時代にもどの宗教でも登場していますが、
たぶん最初は行基あたりだったでしょう。

現世は苦労しても来世で、というのは信仰が普及した後に受入れられた思想だと思います。

「メリット」
仏教を取り入れるメリットは中国追随型の国家にする所にあったと思います。

崇仏派の藤原鎌足は幼少時代から中国発の学問取得に熱心で、
政治制度を中国型にすることに生涯を費やしたと言っても良いです。

当時の中国は唐。中国では、唐の前の随から
仏教が国教のような存在になり、唐代は最も仏教が進化した時代です。
中国の政治スタイルを学び取り入れるためには、
仏教を欠かすことはできませんでした。

当時、日本は白村江で新羅と唐の連合軍にボロ負けした後で、
遣唐使も中断...続きを読む

Q儒教(中国、韓国、日本)について教えてください

先日、中国には同性愛の風習がなかったか質問させていただきました。
その後図書館へ行きまして、自分でも少~しだけ調べてみました。
中国人は快楽主義的な人種だったようですね?

儒教の教えなのですが、簡単に教えていただけないでしょうか?
東洋史は高校でまじめに?やったのが最後で、大学ではサボっていました。
(サボれる出席確認方法だったのです!)
まじめに勉強しておけばよかったのですけど。

儒教の内容を簡単で結構ですので、教えてください。
それから、中国、韓国、日本の儒教のあり方、それぞれの国の人間は、どのように儒教に
従ってきたのか、あるいは従ってこなかったのか。

韓国人が「儒教の優等生」のようなことを教えていただきました。
中国人が放蕩すぎたため、儒教が生まれたというようなことも…。
日本人は儒教の影響を韓国人ほど受けなかったのでしょうか?

何でも構いません。
お奨めの本などありましたら、ぜひ一読したいので、教えてくださいませ。

Aベストアンサー

>儒教の教え
「仁」と「礼」を人が守るべきものと教えています。仁は一言でいえば「あなたが欲しない事を他人にしてはいけない」という事です。
礼は節度を守り身分ごとに応じた生き方をする事を求めます。(ホントは五常五倫なんだけど、多分その辺は#1さんの参考URLに出てます)

中国での儒教→秦の始皇帝の治世後期では冷遇/迫害されました(焚書坑儒、抵抗の抗でなく、坑=生き埋めです)始皇帝は法家(韓非子など)の影響により厳しい法律で中国全土を支配する事を目指しましたので、法で縛り難い儒教(例えば親が盗みをした事を子が隠すのは儒教的には孝で○だけど法家ではXのように)は都合が悪かったのです。
その後、漢の高祖(農民出身)が中国統一を果たしたのですが、彼の配下の多くは野盗出身や漁師出身など学の無い者が多く宮廷内は行儀が悪かったのです。そこで叔孫通という儒学者によって礼が導入され、その後の宮廷内部は見違えるようになり、高祖本人が「はじめて皇帝って偉いんだな~と実感したよ」と言ったと伝えられています。(史記)
以降儒教は中国皇帝の統治に無くてはならないものになりました。同時に多くの科挙合格を目指す者には儒教は必須科目になったのです。(これは結局清代まで続きます)

日本での儒教は貴族や僧侶のように漢字の読める一部の知識人のものでした。戦国時代末期、前田利家が大名になった後に儒者の講義を聞き感銘を受け、他の大名に「こんな面白くて為になる本があるんだって初めて知った」と論語を勧めています(それぐらいマイナーだったのです)
徳川政権になり儒教は武士階級を中心に広がります。礼は上下の身分を越えることを嫌いますから、下克上を望まない政権側としては儒教が広まった方が都合が良いのです。(儒教と言っても朱子学ですが)
しかし日本国内にほとんど孔子廟が無い事からも儒教が民間にまでは浸透しなかった事が分かります。(中国には沢山あって文化大革命の時に多くが破壊の標的とされました)

>日本人は儒教の影響
儒教には文を重んじ武を軽んじる傾向があります。日本では武士階級が鎌倉時代以降歴史を牽引していますが、彼らの基は「武」そのものです。と、なれば相性は悪いでしょうね。日本は何でも自国流に改造して受け入れます(文字だってそうです)。よって、色々な影響は受けたでしょうがオリジナルとはかなり異なった受け入れ方をしているのでしょう。忠臣蔵だって中国のオリジナル儒教では発生しにくいですよ(でも日本人って忠臣蔵大好きですよね)

>お奨めの本
論語と史記をいきなり読んでもアレですんで、中国の故事成語集などから入るのがベターかと。で出典が論語のモノを見つけていくと全体像が見えるかも知れません。

P.S.論語には女性蔑視の考えも散見されますがお怒りになりませんように。
折角ご興味をもたれたのなら宦官制度から中国・韓国・日本を眺めると新たな発見があるかもしれませんよ。

>儒教の教え
「仁」と「礼」を人が守るべきものと教えています。仁は一言でいえば「あなたが欲しない事を他人にしてはいけない」という事です。
礼は節度を守り身分ごとに応じた生き方をする事を求めます。(ホントは五常五倫なんだけど、多分その辺は#1さんの参考URLに出てます)

中国での儒教→秦の始皇帝の治世後期では冷遇/迫害されました(焚書坑儒、抵抗の抗でなく、坑=生き埋めです)始皇帝は法家(韓非子など)の影響により厳しい法律で中国全土を支配する事を目指しましたので、法で縛り難い儒教(...続きを読む

Q日本文化における中国の影響

日本文化における中国の影響について質問させて頂きます

古代、日本は中国の文化(思想・技術など)に大きな影響を受け、
現在の日本文化の礎が築かれたと私は考えています
もちろん、土着的な文化もあったと思いますが、当時の国力差から考えると、
中国文化の方が先進的で、より魅力的であったのではないでしょうか

よって、日本文化は中国の文化に大きな影響を受けている以上、
日本特有の文化といえども、その起源には何かしら中国文化の影響力やが残っている場合が多いといえます
この場合、日本文化とはどこからどこまでの範囲を指すのでしょうか?

グローバル化に伴い、「わび」「さび」の日本文化が称賛されることが多くなり、
日本人自身にも、日本文化への表面的な回帰も見られます
しかし、合理化が進む我々の実生活の中で、これらの日本文化に基づいた生活を送っている人は、
少ないと思います(どちらかというと日本びいきの外国人のほうが多い気がします)

やや話がずれてしまいましたが、日本文化における中国文化の影響、
そして、日本文化とは一体何を指し、他の文化と区別する意味は一体何のためなのか、
教えていただければと思います

近年、ネットを中心に、中国や韓国を忌避する傾向が強くなり、
日本の文化は、日本固有な崇高な文化であり、中国や韓国といった国々からの影響は少なかった、
という意見も少なからず見られます

しかし、私としては、中立的な立場で、日本文化はどこから到来し、どのように発展してきたか、
歴史的事実として興味があり、このような質問をさせて頂きました
盲目的な日本文化への賛美や懐古にはやや疑問も感じます
私としては、そのなぜその文化を賛美したり、懐古するのか、
その文化的背景や根拠を知りたいのです

散文となりましたが、ご回答よろしくお願いします。

日本文化における中国の影響について質問させて頂きます

古代、日本は中国の文化(思想・技術など)に大きな影響を受け、
現在の日本文化の礎が築かれたと私は考えています
もちろん、土着的な文化もあったと思いますが、当時の国力差から考えると、
中国文化の方が先進的で、より魅力的であったのではないでしょうか

よって、日本文化は中国の文化に大きな影響を受けている以上、
日本特有の文化といえども、その起源には何かしら中国文化の影響力やが残っている場合が多いといえます
この場合、日本文化とはど...続きを読む

Aベストアンサー

>日本文化における中国文化の影響、
そして、日本文化とは一体何を指し、他の文化と区別する意味は一体何のためなのか、
教えていただければと思います


「文化」というのは、そもそもの元をたどればオリジナルは決して多くはありません。せいぜい古代の4台文明ぐらいが文化の発祥といえるぐらいでしょう。後は、アメリカ大陸のマヤ民族やネイティブ・アメリカンあたりが独自の文化でしょうか。

そうなると、中国の周辺である、日本や朝鮮半島・モンゴル・ベトナムは中国の文化圏ですし、タイやインドも影響を受けている、と言えます。しかしベトナムならベトナムの文化がありますし、モンゴルにも日本にも「独自」と言われる文化があります。

文化がその当時の先進的な国から伝わってくるさい、必ず起きる変化があります。それは流入-受容-改良です。
 流入とは、日本が遣隋使を送ったように求めて輸入するものもあれば、中国の漢民族が満州族に征服された清の時代の辮髪のように、強制的に文化を押し付けられる場合もあります。
 そして、その流入から2世代から3世代経つ頃には、その文化が一般的になり疑問を感じないようになったころに「受容」が完成すると言えます。
 しかし、元々他の地域の他の文化ですから、そのままでは利用しにくく、受容したもののそれを自分たちの文化や気候・生活スタイルなどに合わせて「改良」していくようになります。

そしてこの「改良」がひとつの形になったときが、その民族や地域の文化の形ができた、ということになるのが一般的です。

たとえば日本の場合、飛鳥時代から平安時代まで大陸の文化を輸入し、受容しつづけてきました。法律は律令制を倣い、宗教は仏教、文字は漢文と当時の大国である隋や唐を手本に受容し続けたといえます。まあ、仏教はインドから隋が受容したものですが・・

ところがこれをそのままにしておくと、日本の風土に合わないものが出てきます。たとえば律令制などはすぐに良くない影響がでました。そもそも律令制を維持するためには、国内の優秀な人材を集め活用するために科挙が一緒にくっついてくるはずなのですが、日本の場合すでに天皇を頂点とした貴族階層があり、彼らが行政を握っていましたので、科挙で庶民を活用することはできなかったのです。

そのため、法律的に可能な部分だけ律令を取り入れ、制度的に受け入れられない部分は日本の風土に合わせたものに変革しました。
これは明治憲法などでも同じことがおきており、そもそも憲法を作るときに西洋各国の憲法から国家元首の権力の強いワイマール憲法を参考にしたと言われています。
つまり流入と受容そのものに、取捨選択があるのです。

また文字についても、輸入した文字をそのまま利用してる民族はほとんどありません。たとえば世界最古の文字と呼ばれる楔文字はシュメール人が開発したものですが、シュメール人はこれをひらがなのように音節文字として利用していました。これを受容したアッカド人は中国語と同様、音節と意味が一体になっている表語文字として利用できるように工夫し、さらにアッカド語を受容したヒッタイトでは音節文字として利用したために、日本語の漢字・仮名の書き分けというか、万葉仮名の書き分けのような複雑な法則で記されることになったようです。
アルファベットを使っている西洋諸国でもドイツのウムラウトのように独自の文字を足したり、記号を利用したりして自国語を表記するのに改良しています。

この「楔文字」ひとつとっても、発明したシュメール・表語文字にしたアッカド・さらに複雑に受容したヒッタイトのように、それぞれの民族の文字といえるほどに変化しています。これがそれぞれの文化になるわけで、「楔文字だからぜんぶシュメール文化」という乱暴な区分けはできないのです。


これらの法則にしたがって、中国文化を受容し改良した日本をどこで区分けするかと言う点については、大体平安時代が区切りとなってその後は日本文化としての改良になっている、といえるでしょう。そして明治維新前後の西洋文明の受容があり、その改良は現在も続いているといえます。

個別に中国文化から日本文化に切り替わった時点を見てみると
・政治権力 5世紀には中国の皇帝に朝貢し、その威光を借りて権力に正当性をつけていたが、100年ほど朝貢が中断した後、再開された遣隋使では、有名な「日出ところの天子・・」という文章があり、この時点で大和朝廷が、大陸の後ろ盾がなくても国の権力を収めていることが伺えます。
 このときの隋の煬帝は返書で「皇帝問倭皇 使人長吏大禮・・・」と倭皇(王ではない)と認めており、政治権力としては日本の文化的独立が6世紀には成立していた、と言えさらにその王朝が現在まで存続していることを考えれば天皇制と天皇の勅許で政権を開く権力構造は「日本文化」と認定しても良いと思います。

・政治制度 日本の王朝は6世紀に成立したとして、しかし遣隋使を派遣することで仏教や法律・建築学・天文学そしてその他の学問を吸収し始めたわけですから、この時点で日本の文化がすべて独立していたと見ることは無理があります。
 政治制度については、この時点から律令法を学び始め、平安時代に大宝律令として完成を見ます。この大宝律令には律令を支えるはずの科挙がなく、またそれ以外にも換骨奪胎したものが多くありましたので、中国の法律を学びながらも日本の風土に合う改良がくわえられていたと言えます。この程度では「文化」とはいえませんが、それから30年程度で「墾田永年私財法」ができ、律令の本筋から離れていきます。
これを「改良」というかはともかく、日本的な風土に合わせた変化とこの法律がやがて武士の発生を促したことを考え合わせれば、8世紀の中庸には日本的な法律文化が形成され始めていた、といえるでしょう。
なお、この墾田永年私財法の法的概念はその後の日本の法律に強く影響を与え、現在でも土地収用に時間と費用がかかる原因になっています。「文化」というのそれぐらいの影響があって初めて「独自の文化」といえるのではないでしょうか。

・宗教 7世紀の大化の改新については一定の疑問があるものの、嵩仏派の蘇我入鹿一派が勝利し、仏教受容に動いたことは間違いなさそうです。これにより日本は「国策」として仏教を輸入しついでに学問も輸入していきます。仏教の受容から1世紀経った8世紀ごろから、各地で神宮寺が建てられるようになっていきます。つまり神社に付随したお寺を建てると言う方法です。
 これには国策となった仏教と、各地の豪族がそれまで信仰していた地域の神とを習合させるものであり、この結果日本は神と仏が同列に並ぶ宗教体系を得ることになりました。この改良を「神仏習合」と呼ぶのですが、これ以降の日本の宗教観は世界のどことも似ていない独自の文化になっていきます。
 しかし、習合自体はそれほど珍しいことではなく、たとえば古代ローマは多神教で各地に道祖神の祠が立っていたものを、ローマがキリスト教を国教化した後、道祖神をキリスト教の聖人になぞらえて、祠を維持したという例もあります。これはキリスト教でもイタリアにしかない独特の文化でしょう。

・学問 まず文字については、万葉仮名からひらがな・かたなかが開発され日本語を表記する形式が整った時点で「日本文化」と言うべきでしょう。その後、源氏物語などの宮廷文学も生まれています。
 それ以外の学問に関しては平安時代までに大学寮が設置され、数学や天文学・薬学・法学などを学べるようになりましたが、基本的には大陸の書物を中心にしていたようです。
 それが武家政権の鎌倉幕府以降は、もともと庶民である武士階級を中心に学校が開かれるようになり(足利学校など)必要なことを教えるようになっていきました。しかし、江戸時代まで四書五経が中心でしたので、江戸時代の中庸、和算の発達などの例外を除けば、学問が独自の文化として定着したかについては、学問ごとに見るしかないのかも知れません。
 しかし、逆に面白いのは雅楽や宮廷作法などの平安時代までに大陸から輸入されたものが、大陸では長い間に消失し、日本にだけ古来の姿で残っている、ということです。(韓国にもありますが、遺産としてです)
これを日本文化とみるか、大陸の遺産と見るかは難しいところです。

これらをみてみると、どの国、地域でも文化が周辺の大国から流れてくるのは間違いの無い事実でしょう。しかし、それをそのまま受容している国家や民族というのはほとんどなく、いずれその地域の風土や生活スタイル・道徳観などと触れ合って、変容していくものです。
その変容が一定のスタイルとしてその民族に世代を超えて伝えられるようになったときが「文化」なのだと思います。

現代でもアニメーションなどは外国で開発された手法であるのに、すでに受容してから100年以上経ち、手塚治や富野 由悠季・宮崎駿などの天才たちを通して日本的なアニメになっています。これは明らかにディズニーアニメとは違いますし、他の国でまねしても同じものが作れるわけではありません。
アニメ自体が日本的な手法や考え方、そしてそれらを産業として支える仕組みによって、独自のものになっているからです。

こういうのを「オリジナルの文化」っていうんじゃないでしょうか。

>日本文化における中国文化の影響、
そして、日本文化とは一体何を指し、他の文化と区別する意味は一体何のためなのか、
教えていただければと思います


「文化」というのは、そもそもの元をたどればオリジナルは決して多くはありません。せいぜい古代の4台文明ぐらいが文化の発祥といえるぐらいでしょう。後は、アメリカ大陸のマヤ民族やネイティブ・アメリカンあたりが独自の文化でしょうか。

そうなると、中国の周辺である、日本や朝鮮半島・モンゴル・ベトナムは中国の文化圏ですし、タイやインドも影響を...続きを読む

Qインドから中国に伝わった仏教について

仏教がインドから中国にどのように伝わったか教えてください。伝わったことで中国にはなにか影響とかあったのでしょうか?それから後世どんな感じで発展したのでしょうか?

Aベストアンサー

経路について。
1・1)仏図澄・鳩摩羅什に代表される「西域僧」による仏教東漸。
1・2)法顕・玄奘・義浄に代表される中国僧による仏教移入。
2・1)北回り(西域経由)でのいわゆる大乗仏教。または北伝仏教。
2・2)南回り(海路経由)での上座部仏教。または南伝仏教。

重要なことは、いわゆる阿含系経典(中村元『ブッダの言葉』など)も大乗系経典(『法華経』・『浄土三部経』)も、歴史的成立順とは無関係にインドから中国へと導入されたということです。そのため中国では「教相判釈」と呼ばれる経典解釈学が成立しました。この解釈上の立場によって、どの経典を重視するかの立場が発生し、現在いうところの宗派が発生したと理解していいでしょう。もっとも中国における宗派というものは学派というほどで、日本における宗旨の違いほど厳密なものではありません。
中国の仏教を史的に概観すると、隋唐時代をエポックとしてその前後に分けて考えることができます。それ以前は貴族たちの趣味的な援助を受けての導入期、隋唐時代は国家的な援助を受けての発展期、それ以降は個人の宗教としての成熟期、となるでしょうか。(ここでの「○○期」の用語には学術的背景はありません。筆者の気分です。)
言い換えるならば、隋初に天台智顗による『法華経』を中心とした教相判釈が確立したことをもって中国独自の仏教が完成し、唐代に密教が移入された後、「会昌の廃仏」をもって仏教の興隆が終った、とみなすことができるということです。以降、中国の仏教は禅と浄土との流れにまとまっていきます。
以上、インドから中国にどのように伝わったかについてでした。仏教の中国への影響や、後世の発展の詳細については省略させてください。

経路について。
1・1)仏図澄・鳩摩羅什に代表される「西域僧」による仏教東漸。
1・2)法顕・玄奘・義浄に代表される中国僧による仏教移入。
2・1)北回り(西域経由)でのいわゆる大乗仏教。または北伝仏教。
2・2)南回り(海路経由)での上座部仏教。または南伝仏教。

重要なことは、いわゆる阿含系経典(中村元『ブッダの言葉』など)も大乗系経典(『法華経』・『浄土三部経』)も、歴史的成立順とは無関係にインドから中国へと導入されたということです。そのため中国では「教相判釈」と呼...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q紀元前と紀元後をなぜ分けるの?

タイトル通りの疑問なのです。当たり前すぎなことなのかもしれませんが、教えてくださいお願いします。どういういきさつで分ける必要になったのでしょうか?
またいつから分ける様になったのですか?

Aベストアンサー

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれた年を紀元とすることにしました。
これが、現在我々が使っている西暦の始まりです。
何故西暦0年が存在しないかと言うと、西暦が作られた6世紀半ばのヨーロッパは、まだ数学が発達していなかったためか、「0」の概念が無かったのです。
そのため、「西暦0年」ではなく、「西暦1年」から始まったのです。これは平成0年がないのと同じですね。
だから、紀元1年より前の年をあらわすには、0がないので当然ながらマイナスを使えず、「紀元前」とするしかないわけです。
この西暦は、まず教会で用いられ、それがヨーロッパの一般人に定着するのはそれから数世紀経ってからで、 実際に世界的に使われるようになったのは、18世紀になってからです。
日本に至っては、明治以降、つまり19世紀に入ってから、やっと使い始めました。

つまりは、西暦に関するご質問ですね?

いま現在、我々が使っている西暦は、イエス・キリストが生まれた年を紀元(はじまり。すなわち西暦1年)としています。(ところが後日、実際には何年か違うらしいことがわかった。)
この西暦を考え出したのは、数学と天文学に通じていたローマの修道院長、ディオニシウスで、6世紀半ばのことです。
それまでは、日本の元号のように、何皇帝の何年というような呼び方をしていました。
しかし、それでは年数の計算が不便なので、ディオニシウスは、キリストが生まれ...続きを読む

Q歴史に関わる仕事を教えてください!

私は高2です。私は歴史が大好きで、将来は歴史に関わる仕事をしたいと考えています。でも歴史に関わる仕事にはどんな仕事があるのかを具体的に知りません。歴史が直接関係しなくても、歴史的な建物とか遺跡とか世界遺産とかにも興味があります。そういうことに関係する仕事を知っている方がいたら教えてください!!

Aベストアンサー

考古学関連の大学出身者です。
歴史、といっても幅が広いのですが…。

■遺跡や考古学に興味があるなら
遺跡の【発掘を担当する技官】=市役所など、教育委員会で発掘の指揮をとる。歴史学や考古学を学べる学科がよいです。【博物館の学芸員】という仕事もありますが、こちらはほとんど募集がありません。
なお、文書として記録が残っている時代を調べるのが歴史学。モノを頼りに調べるのが考古学です。


■歴史学に興味があるなら
発掘はしません。古文書などは読みます。歴史学だけを専門に仕事をするのは難しいので、【歴史関係の出版社】なんてのはどうでしょう?
より高度な専門知識があれば、【博物館の学芸員】なんて仕事もありますが、やはり募集はほとんどありませんです。


■歴史的な建造物が好きなら
建築学部、建築学科などで「建築史」を学んで、建築史の得意な【建築士】になるという方法もあります。もちろん理系ですから、建築構造なども学ぶことになるでしょう。古民家の活用や復元を専門としている建築事務所や会社もありますから、古建築の知識を活用できるでしょう。


■保存修復という仕事
歴史的遺物(発掘品や美術品など)を【保存修復する職人(技師)】のような仕事もあります。西洋絵画の修復、仏像などの修復、発掘出土品の保存修復などの仕事があります。修復だけでなく、【科学的に分析する研究者】もいます。
保存修復のための学科(大学や大学院)、または専門学校もあります。私はコレ関係の学科出身です。


■博物館の展示に興味があるなら
【展示業者】の中には、丹青社や乃村工藝社のように博物館の展示を得意とする業者もありますから、このような展示業者に就職するものある意味「歴史に関するしごと」といえるかもしれません。デザイン関係の学科や、博物館学を勉強するのがいいと思います。プランナー・デザイナーという肩書きが持てれば、博物館での展示を演出することができます。もちろん、博物館ばかりではないですけれど。

また、博物館に展示する【展示用模型を制作する会社】もあります。レプリカを作ったり、家屋や地形などの模型を作ったりします。こちらは、歴史というよりは模型職人ですね。かなりガテン系です。


■歴史を教える
【歴史の先生】これも歴史に関する仕事かもしれませんが、教えるのは歴史だけではないですよね(^^)

私が思いついたのはこんな感じかなぁ。参考になりますか?


参考URLは「東北芸術工科大学」という大学です。保存修復と美術関係の大学です。
最近、保存科学や修復関係の大学が増えてますね。

参考URL:http://www.tuad.ac.jp/guide/gakubu.html

考古学関連の大学出身者です。
歴史、といっても幅が広いのですが…。

■遺跡や考古学に興味があるなら
遺跡の【発掘を担当する技官】=市役所など、教育委員会で発掘の指揮をとる。歴史学や考古学を学べる学科がよいです。【博物館の学芸員】という仕事もありますが、こちらはほとんど募集がありません。
なお、文書として記録が残っている時代を調べるのが歴史学。モノを頼りに調べるのが考古学です。


■歴史学に興味があるなら
発掘はしません。古文書などは読みます。歴史学だけを専門に仕事をするの...続きを読む

Q孔子による女性差別

孔子の教えの中の”男女七歳不同席”という言葉は女性を差別する意味が込められていると聞きました。このほかにも儒教の中で女性差別を助長するような言葉があれば教えてください。

Aベストアンサー

こんにちは。

儒教は男性中心で女性蔑視はかなり激しいですよね。
「女は夫を主君とうやまえ。夫は天であるから、夫にさからったら天罰をうける」なんて、あからさまに言っちゃってるし・・・

有名な儒教の教えの中に、女性が必ず守るべき道徳として「三従・七去」という教えがありますが、三従の教えとはご存知かもしれませんが、「幼い内は父に、嫁したら夫に、老いれば子に従え」というものですね。

七去の教えはあまり聞かないですが、「やきもちを焼く女、夫の親に従わない女、産まず女、淫乱・淫倫な女、たちの悪い病気を持つ女、人の物を盗む女、口が立ち親類との仲が悪い女は、夫から離縁を言い渡されても仕方が無い」というものです。

盗んだり淫乱だったりは、男だろうが女だろうが悪いものは悪いだろうし、子供が産めないのも病気を持ってるのもその人のせいじゃなかろうに、どこまで手前勝手な話だ!と、高校時分に始めて読んだときは憤慨しましたが、最近は、そうでも言って無理やりにでも自分たちの立場を固めておかないと危ういと思ったんでしょうね。
実際、当の孔子様も、なかなか娶れず、せっかく迎えた妻にも結婚生活はわずかで逃げ出されちゃったそうですから、「さもありなん。」と思ったりします。

ご参考になれば幸いです。

こんにちは。

儒教は男性中心で女性蔑視はかなり激しいですよね。
「女は夫を主君とうやまえ。夫は天であるから、夫にさからったら天罰をうける」なんて、あからさまに言っちゃってるし・・・

有名な儒教の教えの中に、女性が必ず守るべき道徳として「三従・七去」という教えがありますが、三従の教えとはご存知かもしれませんが、「幼い内は父に、嫁したら夫に、老いれば子に従え」というものですね。

七去の教えはあまり聞かないですが、「やきもちを焼く女、夫の親に従わない女、産まず女、淫乱・淫...続きを読む

Q仏教の“神”について

仏教において神は存在しますか?
私は以前から仏教とは覚りを啓き、仏に近づくためのもので、無神教だと捉えてきたのですが、先日講義の中で教授が、「帝釈天、韋駄天、弁財天などはヒンドゥー教から取り込まれ、仏教においても天部・神」とおっしゃっていました。
先入観からなかなか鵜呑みにできず、質問させていただきました。御存知の方がいらっしゃいましたら御教授いただけませんでしょうか。お願いします。

Aベストアンサー

まず、宗教上で信仰・崇拝・理想とされる対象を便宜上「神」と呼ぶだけであって、バラモン教、仏教やヒンズー教のデーヴァやヤクシャなどの神々とユダヤ教・キリスト教・イスラームの創造主。神道のカミは本来は異なる概念です。
 問題は、キリスト教的な創造主まで「神」と一律に翻訳してしまったが為に、東洋思想や日本の信仰体系における神と混同されるようになったことです。東洋的な神は「絶対者」ではなく、“人間と異なる力を有する存在”ぐらいの意味でいいかと思います。

「仏教は無神論」というのは、キリスト教的な人格神的な絶対的創造主を想定せず、あくまでも自身がダルマ(法)に目覚めることを目標とする教えであるところから打ち立てられた認識です。
 つまりキリスト教的神学、西欧的宗教学で仏教を捉えたときに言い出されたことであって、仏教自身が無神論であるとはいってません。いわばキリスト教中心史観とでもいいましょうか。

仏教はバラモン教への批判という面があり、バラモン教における「固定化された神話体系」・「人格的な想創造神」を批判します。しかし、「創造神」としてバラモン教の神々は批判しますが、「護法神」としての神々まで否定しません。
初期仏典の『スッタニパータ』にもインドラ(帝釈天)やブラフマン(梵天)や「神性を有するもの」などの護法神は登場します。それはバラモン教における崇拝対象としてでなく、仏教の護法神として再構築された神々です。
またバラモンという名称も「固定化された神話世界に基づき祭祀を行う者」「定型化された身分としての神官」という意味では批判的に扱われますが、同時に「人々を導く優れた宗教指導者」という意味でも使われています。

特に密教ではダルマ(法)が具体的に顕現する、その形態の一つとして帝釈天・梵天・四天王・阿修羅・夜叉・竜王を捉えます。ですから同じブラフマンであっても、仏教とバラモン教ではその位置づけ、性格、認識が異なるのです。

日本に仏教が伝来し、広まるに従って日本の神祇も護法神として信仰に取り込まれます。特に中世期では仏・菩薩が日本人を救済するのにふさわしい姿として神祇として顕現するという「本地垂迹」信仰が拡大します。

>>お経に神が登場するんですか!
経典に登場する神々は天人・竜王・夜叉・阿修羅などのインドの鬼神です。当然ですが仏典はインド語を漢訳したものですから、日本の神祇は登場しません。
ただし、日本人の僧侶が記した論書には神祇の名が上がることはあります。

経…仏教の教えをしましたもの。
論…経に基づき、その教えを解釈・考察したもの。

まず、宗教上で信仰・崇拝・理想とされる対象を便宜上「神」と呼ぶだけであって、バラモン教、仏教やヒンズー教のデーヴァやヤクシャなどの神々とユダヤ教・キリスト教・イスラームの創造主。神道のカミは本来は異なる概念です。
 問題は、キリスト教的な創造主まで「神」と一律に翻訳してしまったが為に、東洋思想や日本の信仰体系における神と混同されるようになったことです。東洋的な神は「絶対者」ではなく、“人間と異なる力を有する存在”ぐらいの意味でいいかと思います。

「仏教は無神論」というのは...続きを読む


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