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実名の平岡公威でなく、三島由紀夫という筆名にしたのも両親への配慮だった。デビューが旧制中学時代で恩師らの判断だった。編集会議をしたのが三島駅辺だったから姓を「三島」に、近くに見える富士山から「ゆき」を発想したという。

以上の文章では、「恩師らの判断」は何についての判断か。
A、平岡公威が作家になる判断
B、筆名にした原因の判断
C、筆名の発想の判断

文の構造から見ると、「デビューが恩師らの判断だった」のようですが、答えが何番かどう考えても分からないです。
どうぞ、よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

#2さんが適確に回答なさっておられますね。



この「で」は、
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …

[1]-7 動作・作用の原因・理由を表す。「受験勉強―暇がない」「君のおかげ―助かった」
という用法に該当します。

まだ中学生(16歳の少年)だったので、外部の雑誌に本名で掲載するのは避けたほうが良い、と学習院の恩師であった清水文雄が判断して筆名を使うことにしました。
清水は、そのときのデビュー作「花ざかりの森」が掲載された「文芸文化」の編集委員も務めていました。

このあたりの経緯は、猪瀬直樹の「ペルソナ」の記述を元にすると、大体以下のようになります。
三島由紀夫は当初、母の紹介で祖父の友人である川路柳紅に原稿を見せていたのですが、川路は三島を評価しませんでした。
そんな中、学習院の講師(恩師)だった清水文雄に見せた「花ざかりの森」が評価され、清水が編集委員を務める「文芸文化」にデビュー作として4回にわたって掲載されました。
その際、「文芸文化」の編集会議が修善寺の旅館で行なわれたわけですが、清水をはじめとする編集委員たちによって、「三島ゆきお」という筆名が提案されたのです。
三島本人は平岡公威という本名でのデビューを望んだのですが、清水は教師という立場でそれを諦めさせました。
「では、由紀雄という漢字名にしたい」と三島が言うと、「雄」の字が印象として重いので「夫」にしたほうが良い、と清水が助言し、「三島由紀夫」という筆名が誕生したわけです。
つまり、デビューを決めたのも、筆名を発想したのも、決定したのも、「恩師ら」を含む編集委員たちだったので、事実関係としては A B C どれもが正解ということになるでしょう。
ただ、あくまで構文上では、#2さんが適確に回答なさっておられるように、B が正解です。
    
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この回答へのお礼

詳しいご説明ありがとうございました。助かりました:)

お礼日時:2012/05/09 21:36

書き換えてみますね。



デビューが旧制中学時代(なの)で、実名の平岡公威でなく、(三島由紀夫という)筆名にしたのも、恩師らの判断で、両親への配慮だった。
三島由紀夫という筆名は、編集会議をしたのが三島駅辺だったから姓を「三島」に、近くに見える富士山から「ゆき」を発想したという。

文が冗長ですね。短くしたかったんでしょう。

デビューが旧制中学時代(なの)で恩師らの判断だった。
と、なので ならば、まだ分かりやすかったかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。書き換えたらすごく分かりやすくなりました!

お礼日時:2012/05/09 21:37

>デビューが旧制中学時代で恩師らの判断だった。



何を言ってるのかわからない悪文ですね。それを問題にして、解けとはあまりに無体なといいたくなります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました:)

お礼日時:2012/05/09 21:38

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