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yahoo知恵袋で以下の内容のことを質問したのですが、回答が1件も来なかったのでokwaveで質問させていただきます。

★印の文中の【 】内の表現は受け身の言い方で合っていると思うのですが、客体的な言い方でもあるかどうかの疑問が湧いたのです。

★何らかのきっかけで『動くな』『目を開けるな』『食べるな』『飲むな』『書くな』『起きるな』『ペンをとじるな』『裏返すな』『黙れ』『頭が回らない』『わからないようにしました』『金縛り』『(体を)銅像のように固められた』『制限が入る』『止める』『ねる』『ん《故人の名》』『みんなで《中学の時のクラスメイト(女)の名》』などの言葉が【発見された】感じがし、静止状態に至ったり頭の働きが鈍くなったということなのです。

ここで質問です。
【発見された】という表現は客体的表現でもあるので合っているかどうかと、もし【発見された】という表現が客体的な言い方だとしたら、主体的な言い方に置き換えた表現も教えて下さい。
1つだけでなく、いくつか表現を教えてくれると嬉しいです。

A 回答 (39件中21~30件)

#18です。



必要なことだけに絞って書きます。

1.
>このような感じで書けばいいということかどうか、確認の回答お願いします。

前回も申し上げましたが、例をひとつだけに絞って、質問形式で文章にしてください。
「~した時」もひとつに絞ってください。
その後、わかりやすい文かどうか判断し、もしわかりづらければ、わたしがわかりやすいように書き換えてあげます。

2.
>「今までやったのを治す」は、今まで心身が辛いとかいろんな出来事があったけど、それを動かす(操る)という事柄が浮かんだということだと思うのです。

「治す」という言葉は「もとの良好な状態に戻す」という意味ですが、そういう意味で使っていますか。
それであれば、「今まで経験した嫌な出来事を無かったことにする」という表現にするとわかりやすいのですが、どうでしょうか。

3.
>「発見したのを治す」というのは多分何らかによって勝手に自分の頭の中にインプットされたものが勝手に浮きあがり、それはまるで発見された感覚だと言うことだが、それを最後まで操るようなことだと思うのです。

「最後まで操る」という意味が不明です。
「発見された感覚」ーー誰に(何に)発見されたのですか。

4.
>でもこういうことが起きている時に、「発見しない」「全部治すって何だ」という言葉が勝手に浮かび上がり、どういう意味かと言うと、“何らかによって勝手に自分の頭の中にインプットされたものが勝手に浮きあがり、それはまるで発見された感覚だと言うことだが、それが自分の中で解除されるような感じが起き、まるで発見された感じが意識に上らなくなるということだと思うのです。
「全部治すって何だ」という言葉が浮かんでしばらくすると自分の中で「全部ほっとく」という言葉に切り替わったことがあったと思うのです。

最初は「発見された」という感覚があって、後にその感覚が消えた、ということですね。
最初は「治す」ということを強制されたように感じたが、後に「治さなくてもいい、ほっとく」という感覚になった、ということですね。

5.
(A)ベッドで横になっていて、耳鳴りがきっかけで動作(耳栓をしてない状態で片方だけヘッドホンで耳を覆っていて、もう片方は覆ってなかったが、もう片方を覆おうとした)ができなく、まるで動作が禁止された感じがあった 

>耳鳴りによって起きたことだから、「動作が他の何者かに禁止された感じがあった」ということについて僕はおかしいと思ったのですが、ハコブルさんはどう思うか知りたいです。
これはつまり主体性を保てなかった=自由に動作ができなかったということだと思うのです。

では、「動作が耳鳴りによって禁止された感じがあった」ということですね。
自分の耳鳴りによって禁止された、ということは「他人に操られた」という感覚はないのですね。

6.
(B)これがしばらく続いて家の犬が吠えた。すると自分の中で「止めるな」という言葉が勝手に浮かび、それもまるで操られたような感じだった。

>たぶんこのことも自分の脳内で起きた自発的作用だと思いました。
誰か=人間ではなく、犬だと思うのです。

なるほど。それであれば、
『これがしばらく続いて家の犬が吠えた。それがきっかけとなり、自分の中で「止めるな」という言葉が勝手に浮かんだ。まるで犬に操られたような感じだった。』
のようにすれば、非常にわかりやすい文になります。
どう思いますか。
何を止めるな ということなのかについて具体的説明は必要になりますが。

7.
>知恵袋で回答が来ないことについて:暴かれたというのはまるで何らかに発見された感じだと思うのです。
勝手に浮かび上がった=まるで何らかによって発見された感じだと思います。
掘り出すというのはしっくり来ない気がします。

わかりました。
ただ、暴かれる、発見される、という感覚が脳内で起こっている、という感覚は、一般的には理解されづらいものです。
ですから、この言葉だけではなく、そのときの状況や印象を、ある程度詳しく説明する必要があるでしょうね。
  

この回答への補足

実は6/6(水)に精神科の診察で主治医に見てもらいたいレポートの内容なのですが、添削して欲しいのです。
診察は15分の限られた時間内におさめるように、質問は最大2つと医師に言われているし、一太郎で作るレポートはせいぜい1ページくらいにおさめるように言われています。
添削お願いします。
 ~~~~~~ここから~~~~~~
幻聴と耳鳴りおよび自分の中で起きる出来事について辛さを感じたりしたことがありました。
エビリファイ・PZC・ロナセンを毎日飲んでいても症状などがおさまる気配がなく、毎日辛い生活を送っています。

(1)
今年2月の診察で『何らかの理由で自我障害が起きた』『何らかの理由で自分の内面にあったものが外面に引き出された感じがあった』などのことを医師に伝えたところ、作為体験であり、実例をご存知だということを医師から聞きました。
しかし僕は作為体験だとは思いません。
何らかの理由は自分の中で生じたものだと思うのです。
つまり、自分の中で日芽生えたことが原因で前回の診察で言った何らかのきっかけ(=幻聴・耳鳴り・テレビ・他人の言動など)で禁止用語(例:「動くな」)などの自分の中の記憶が勝手に浮かび、静止に至ったりしたということなのです。 
 今まで自分の中で浮かんだ否定的な言葉が反対の言葉に変換された感じがあった(=例えば「言わない」が「言う」、「なくならん」が「なくなる」など) 要は「言ってはならなかった」のが「言っても良い」という感じに切り替わったということだと思う このことも自分の中で生じた何らかの理由によるものだと思ったのです。
 静止は毎日高校(専門学校)に通っていたときも起きていましたが、自分の中で生じた何らかの理由で起きたかどうかはわかりません。
 僕は小学高学年の時、クラスメイトの子の言動がきっかけなのか、自分の中の記憶「電卓」が勝手に浮かび、それを「発見された」というふうに自分が思ったことがあったのです。
 喫茶店で働いているときも、去年の前半まで自分の中の記憶などが勝手に浮かび上がり、まるで発見されたような感覚を強く感じたが、その後は「発見しない」という言葉が浮かび上がり、発見されたような感覚がなくなったり、減ったりしました。
 浮かび上がった内容は小・中学の時のクラスメイトの子の名前や先生の名前などです。
 また怖い夢で叫んだ時に家族の人が部屋に来て僕の様子を見に来て去るまでの間に「○○って何だ」(○○=全部治す、数学科用など)という言葉が勝手に浮かび上がることがあり、それはまるで発見されたという感覚だと思うのです。
 去年の11月の診察で聞いた「頭のイヤな感じに伴い、脳内が操られる感じ(作為体験)」のようなことも自分の中で生じた何らかの理由で起きたと思うのです。

(2)
それと僕は、相談サイトで「文字を書く・ごはんを食べる・ジュースを飲む・起きる・寝るなどの日常の動作や体を動かす運動ができるのは、自分自身の記憶したことが元になっている」という回答を得たのです。
実を言うと自分は、以前も言ったように寝過ぎや頭を使う機会が少なくなったなどで昔よりも頭の働きが鈍くなったことを感じたことがあったのです。
僕は何らかのきっかけ(=幻聴・耳鳴り・テレビ・他人の言動など)で日常の動作でも何でも停止したことがあった、要するに病的な解釈で言う「制限が入った」「止められた」ということだと思うのです。
このような症状がどういうメカニズムで起きるか知りたくなりました。
【質問:相談サイトで得たことが妥当かどうかと、動作などが停止するのがどういうメカニズムで起きるかを詳しく教えて下さい。】
 ~~~~~~ここまで~~~~~~

補足日時:2012/06/03 19:50
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この回答へのお礼

お礼に対する回答ありがとうございます。

1に関して.
#18の回答の
 ●~~~~~~
僕は以下の表現をさらに言い換えたいと思ったのです。
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで暴かれた感じだった」
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで引き出された感じだった」
★「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」


★印の表現はいくらかわかりやすいです。
次の3点に気をつけて書き換えると、もっとわかりやすくなるでしょう。
・どんなきっかけなのか具体的に例を挙げる。
・どんなときに起きたのか具体的に例を挙げる。
・誰によって[暴かれた/引き出された/操られた]のか、具体的に例を挙げる。
  ~~~~~~~~
以上のことに対する返答を書いたのです。

2に関して.
「今まで経験した嫌な出来事を無かったようにする」という訳ではないと思うのです。
「もとの良好な状態に戻す」という意味では使ってません。
たぶん自分の中にインプットされていた「治す」を含む言葉が何らかによって(=テレビとか幻聴・耳鳴り・喫茶店で働いている時職員の言動などで)勝手に浮かんだということです。

『今まで自分の中で浮かんだ否定的な言葉とは反対の主体性を保つ意志の言葉が勝手に浮かんだ(=例えば「言わない」が「言う」、「なくならん」が「なくなる」など) 要は「言ってはならなかった」のが「言っても良い」という感じに切り替わったということだと思う』
『統合失調症の症状で言う頭のイヤな感じに伴い、脳内がまるで操られる感じに陥ったこと』
『統合失調症の方が良く言うまるで何かが操られたような感じ』

これらを途中で放っておくのではなく、やり通すということだと思うのです。

3に関して.
最後まで操る=途中で放っておくのではなく、やり通すということだと思う。
誰に(何に)発見されたか=喫茶店の職員さんの言動などによって発見されたなど

4に関して.
「まるで発見されたような感覚」が強くて、後に「まるで発見されたような感覚や思い込み」が減ったということだと思います。

>「治す」ということを強制されたように感じたが、「後に治さなくてもいい、ほっとく」という感覚になった、ということですね

自分の中で「治す」という言葉が浮かんだきっかけなのか、「治す」ということを強制されたように感じたということだと僕は思います。
「全部治すって何だ」という言葉が浮かんでから、「全部ほっとく」という言葉に切り替わっただけだと思うのです。「ほっとく」という感覚になった訳ではないと思うのです。

5に関して.
たぶん他人に操られた感覚はなかったです。
「耳鳴りがきっかけで動作ができなかった」のは主体性を保てなかったことで、受身・病的な解釈に変えると、「禁止された」「制限が入った」ということです。
これを考えて「耳鳴りがきっかけで動作ができなかった」の別の表現をいくつか知ってたらハコブルさんに教えて欲しいと思ったのです。

6に関して.
「まるで犬に操られたような感じ」というか、僕は“「(体の動きを)止めるな」という言葉が勝手に浮かんだ”ということで、その言葉が浮かんだ直後からしばらくの間、ベッドに横になっていて、ベッドの中で体の動きを止めようとしたが、体の動きが止まらなく、その後に犬の様子を見に行ったのです。
そしたらひもが自転車にからまっていたという流れの出来事が起きたのです。
犬が吠えた後にベッドに横になっていたのは15分とか30分とか長い間ではなかったのです。たぶん1分くらいかと思います。


僕は「受動的な感覚の主体的表現」を「客観的な認識の主体的表現」に言い換えたいと思ったことがありました。
例えば「脳の中身すべてが(人の不快な声によって)動かされている感じ」「頭の中で問いが浮かぶことに対して、まるで他の何者かが勝手に答えを返してくる感じがした」は受動的な感覚の主体的表現。
「脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ」「頭の中で問いが浮かぶことに対して、何らかのきっかけ(=職員の言動や耳鳴り・幻聴など)で勝手に答えがひらめく」は客観的な認識の主体的表現だと思うのです。
ハコブルさんに教えていただきたいことがあるのですが、「受動的な感覚の主体的表現」と「客観的な認識の主体的表現」の言葉の意味が知りたいのです。
「受動的な感覚の主体的表現」は例えば何か。
「客観的な認識の主体的表現」は例えば何か。
例をいくつか挙げて欲しいと思ったのです。

補足に書きたいことがあるので、それもごらん下さい。
お礼・補足に対する回答を再度下さい。

お礼日時:2012/06/03 19:13

#17です。



>現在はエビリファイ夕2錠(1日12mg)、PZC朝2錠・夕3錠(1日20mg)、ロナセン朝1錠夕1錠(1日8mg)決められた量で服用しています。
主治医が処方した通りに飲んでいるということです。

わかりました。
ただ、気分が悪くなったり、なにか好ましくない変化があれば、細かく医師に伝える必要はあると思います。
時によっては処方の変更が必要な場合もあるでしょうから、その判断材料にしてもらうためです。

>幻聴と耳鳴りは統合失調症以外の疾患でも起きるのですが、すでに上に書いた症状があるので統合失調症や高機能自閉症の診断は否定できないと言うことです。
ハコブルさんは以上についてどう思うか、知りたいです。

この方面にかけても専門家ではありませんので、医師の言うことに素直に従うのが一番よいのではないでしょうか、ということぐらいしか言えません。
いずれにしても、症状名がなにかということははっきり言って関係ありません。
辛い症状を改善することが目的でしょう。
そのためには、言い換えたりしないで自分の感じたとおりのことを医師に話す必要があります。

>実は、「頭の中の記憶が暴かれた感じがした」と言う表現と「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった感じがした」という表現を総括すると、「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで暴かれた感じだった」「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで引き出された感じだった」と表現できると思ったのです。
「何らかのきっかけ」で、例えば幻聴・耳鳴りが不快な時にそう言うことが起きたとか、喫茶店で働いている時にそう言うことが起きたなどと表現しないとわからないということだと思いました。

表現する目的が、自己満足ではなく相手に伝えることなのであれば「総括」してはいけません。
起きたことを素直に時系列で書けばよいのです。
その内容を読みやすくするための添削であれば、いくらでも回答が得られると思います。

>僕は以下の表現をさらに言い換えたいと思ったのです。
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで暴かれた感じだった」
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで引き出された感じだった」
★「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」


★印の表現はいくらかわかりやすいです。
次の3点に気をつけて書き換えると、もっとわかりやすくなるでしょう。
・どんなきっかけなのか具体的に例を挙げる。
・どんなときに起きたのか具体的に例を挙げる。
・誰によって[暴かれた/引き出された/操られた]のか、具体的に例を挙げる。

>『何らかのきっかけで「治す」の主の言葉が頭の中で勝手に浮かび、それはまるで発せられた感じだった』ということなのだと思うのです。
何を治すか、それはつまり「治す」と言う主の言葉が勝手に頭に浮かぶ→自分の中でごく普通に起きることや世の中などを何らかが操ったりするということだと言うことだと思うのです。

これは意味が却ってわかりづらくなっています。
「治す」というのは、あくまで「○○を治す」という意味です。
「○○」が何なのか不明なのでわかりづらいです。
また、「主の言葉」という日本語はありませんから意味不明です。説明が必要です。

>ベッドで横になっていて、耳鳴りがきっかけで動作(耳栓をしてない状態で片方だけヘッドホンで耳を覆っていて、もう片方は覆ってなかったが、もう片方を覆おうとした)ができなく、まるで動作が禁止された感じがあった 

この文はわかりやすいですね。「まるで動作が他の何者かに禁止された感じがあった 」のように表現するともっとわかりやすくなります。

>↓
これがしばらく続いて家の犬が吠えた。すると自分の中で「止めるな」という言葉が勝手に浮かび、それもまるで操られたような感じだった。

「それも誰かが操っているような感じだった」のほうがわかりやすいでしょう。

>↓
「止めるな」が浮かんだ後、ベッドの中で自分の意志で体の動きを止めようとしたが、それができなかった。これもまるで操られたような感じだった。

どんな「体の動き」ですか?
また、それまでの文で、動いていた状態が出てこないので、いきなり「止めようとしたが」と書いても整合性が取れません。

>このような出来事が起きたということなのです。
(A)の文章を(B)の文章に変えるということは#8でハコブルさんが述べたように受動態表現を動作の主体が自分である能動態表現あるいは客観的表現に言い換えたいということだと思うのです。

どの部分が受動態で、どの部分が能動的表現か、また、どの部分が客観的表現か、ということを理解していますか?
無理に総括して言い換えようとするのはよくありません。

>【質問】
回答が来なくてすごくイライラします。

『日本語』カテゴリに質問があります。

(1)「受動的な感覚の主体的表現」と(2)「客観的な認識の主体的表現」について、どういうものか教えて下さい。

(1)は例えば「頭の中の記憶が暴かれた感じがした」という表現で(2)は「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった感じがした」でしょうか?
↑↑
この質問に対する回答をどうしてくれないんだバカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
>ハコブルさんはこれについてどう思うか知りたいです。
僕は#14のお礼で述べた『「受動的な感覚の主体的表現』から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈』という部分をもう少し分かりやすく説明すればいいと思う』という回答が来たので、それで上記の質問をしたということなのです。
それでも回答が来なかったので、イライラしてイライラの質問(「バカ」という言葉を使った質問)をしたということです。

まず、具体的の意味がわかっていません。
たとえば、何度も申し上げたと思いますが、「記憶が暴かれた」という表現は普通しないので意味が通じません。
意味が通じないことを言い換えてくれと言われても言われたほうは困るでしょう。
ですから、「暴かれた」とはどういう意味かを説明する必要があります。
しかし、それよりも、類語辞書を使ってもう少し分かりやすい言葉がないか考えてみましょう。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%9A%B4%E3%81 …
わたしは「掘り出す」などがいいかな、という気がしますけどね。
いずれにしても状況をもう少し詳しく書く必要があるでしょう。
何か例を書いてくれれば、わかりやすい質問文に添削してあげます。
ただし、例はひとつだけです。  
また、先のほうで述べた留意事項にもとづいて詳しく書いてください。
ただ、読みづらくなるので同じことは何度も書かないようにしてください。
  
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

1.
>>僕は以下の表現をさらに言い換えたいと思ったのです。
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで暴かれた感じだった」
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで引き出された感じだった」
★「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」

>★印の表現はいくらかわかりやすいです。
次の3点に気をつけて書き換えると、もっとわかりやすくなるでしょう。
・どんなきっかけなのか具体的に例を挙げる。
・どんなときに起きたのか具体的に例を挙げる。
・誰によって[暴かれた/引き出された/操られた]のか、具体的に例を挙げる。

きっかけ、とき:幻聴・耳鳴りのせい、喫茶店の控え室で休憩をしていた時および喫茶店の厨房で働いていた時に起きた(厨房で働いていた時は職員なども一緒に厨房で働いていた)、テレビのせい、自分の部屋で寝ていてヘルパーさんがそばで電話していた時に起きた、家族の人に怒られたり文句を言われたりした時、犬が吠えた時(その時は犬が吠えたせいかと思う)など
誰によって:これは自分の脳の中での自発的な作用かと思う。きっかけ、ときを参考すればわかるかと思う。
何を暴かれた・引き出されたのか:中学校の時の校長先生の名前、「バッチンだよ」の幻聴の言葉、エクボたりゅうへい、さばえく、人の名前(=小学・中学の時のクラスメイトの子の名前など)、怒られる少し前に見た人の顔が目に焼き付いて長く見えたもの(残像ではないと思う)

このような感じで書けばいいということかどうか、確認の回答お願いします。

>>『何らかのきっかけで「治す」の主の言葉が頭の中で勝手に浮かび、それはまるで発せられた感じだった』ということなのだと思うのです。
何を治すか、それはつまり「治す」と言う主の言葉が勝手に頭に浮かぶ→自分の中でごく普通に起きることや世の中などを何らかが操ったりするということだと言うことだと思うのです。

>これは意味が却ってわかりづらくなっています。
「治す」というのは、あくまで「○○を治す」という意味です。
「○○」が何なのか不明なのでわかりづらいです。
また、「主の言葉」という日本語はありませんから意味不明です。説明が必要です。

「主の言葉」は以下の●印の言葉には「治す」という言葉が全部ついてますよね。そういうことです。
●「関係なく治す」「今までやったのを治す」「全部治す」「ブログに書いたこととは関係なく治す」「人に聞いてもらったけどそれとは関係なく治す」「○○さんがやったのを治す」「夜やったのを治す」「幻聴が不快で動作が止まったのも治す」「ついてるのも治す」「目を開けさせたのも治す」「発見したのも治す」など

また「○○を治す」の「○○」というのは、
健常者や病気の人にはごく普通に起きること、世の中などだとおもうのです。
これが「全部治す」ということだと思うのです。

「関係なく治す」や「ブログに書いたこととは関係なく治す」というのはブログに自分の(頭の)中で心身が辛いとかいろんな出来事があったり、医師にそのようなことを伝えたが、それとは関係なく動かすという事柄が浮かんだということだと思うのです。
「今までやったのを治す」は、今まで心身が辛いとかいろんな出来事があったけど、それを動かす(操る)という事柄が浮かんだということだと思うのです。
「発見したのを治す」というのは多分何らかによって勝手に自分の頭の中にインプットされたものが勝手に浮きあがり、それはまるで発見された感覚だと言うことだが、それを最後まで操るようなことだと思うのです。

でもこういうことが起きている時に、「発見しない」「全部治すって何だ」という言葉が勝手に浮かび上がり、どういう意味かと言うと、“何らかによって勝手に自分の頭の中にインプットされたものが勝手に浮きあがり、それはまるで発見された感覚だと言うことだが、それが自分の中で解除されるような感じが起き、まるで発見された感じが意識に上らなくなるということだと思うのです。
「全部治すって何だ」という言葉が浮かんでしばらくすると自分の中で「全部ほっとく」という言葉に切り替わったことがあったと思うのです。

(A)ベッドで横になっていて、耳鳴りがきっかけで動作(耳栓をしてない状態で片方だけヘッドホンで耳を覆っていて、もう片方は覆ってなかったが、もう片方を覆おうとした)ができなく、まるで動作が禁止された感じがあった 

>この文はわかりやすいですね。「まるで動作が他の何者かに禁止された感じがあった 」のように表現するともっとわかりやすくなります。

耳鳴りによって起きたことだから、「動作が他の何者かに禁止された感じがあった」ということについて僕はおかしいと思ったのですが、ハコブルさんはどう思うか知りたいです。
これはつまり主体性を保てなかった=自由に動作ができなかったということだと思うのです。

(B)これがしばらく続いて家の犬が吠えた。すると自分の中で「止めるな」という言葉が勝手に浮かび、それもまるで操られたような感じだった。

>「それも誰かが操っているような感じだった」のほうがわかりやすいでしょう。

たぶんこのことも自分の脳内で起きた自発的作用だと思いました。
誰か=人間ではなく、犬だと思うのです。

(C)
「止めるな」が浮かんだ後、ベッドの中で自分の意志で体の動きを止めようとしたが、それができなかった。これもまるで操られたような感じだった。

>どんな「体の動き」ですか?
また、それまでの文で、動いていた状態が出てこないので、いきなり「止めようとしたが」と書いても整合性が取れません。

耳鳴りがきっかけである動作ができなかったり、止まったりして自らの主体を保てなかったが、家の犬が吠えたことがきっかけで「止めるな」という言葉が浮かび、それに従った感じだと思うのです。
「どんな体の動きか?」に関して、ベッドの中で自分の意志で体の動きを止めようとしたが自らの主体を保てなく、体の動きを止められなかったことだと思うのです。
ベッドの中で自分の体の動きなどを止めるという動きだと思います。

知恵袋で回答が来ないことについて:暴かれたというのはまるで何らかに発見された感じだと思うのです。
勝手に浮かび上がった=まるで何らかによって発見された感じだと思います。
掘り出すというのはしっくり来ない気がします。
暴かれた=発見されたのは上のほうにきっかけ、とき、何が暴かれたか書いたので読んでみて下さい。

以上についてを回答下さい。

お礼日時:2012/06/03 07:23

#16です。



1.
実はyahoo知恵袋に、以下の質問をしたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(1)「受動的な感覚の主体的表現」と(2)「客観的な認識の主体的表現」について、どういうものか教えて下さい。

(1)は例えば「頭の中の記憶が暴かれた感じがした」という表現で(2)は「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった感じがした」でしょうか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それで質問に対する回答が来なくて、イライラしたこととどうして来ないかを質問したら、「質問の意味がわからないからでしょう」と言う回答が来たのです。
僕が思うことですけど、
(1)「頭の中の記憶が暴かれた(受動的)感じがした(主体的)」
(2)「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった(客観的)感じがした(主体的)」
だと思ったのですが、ハコブルさんは(1)(2)について正しいと思うかどうか知りたいです。

fall1024ta さんの考え方自体は正しいと思います。
ただ、これは他の人にとって、fall1024ta さんの感じ方をある程度知っていないと理解は難しいと思います。
「○○的」という表現はわかりづらいので具体的に説明したほうが良い、と言ったのはそのためです。
なぜかというと、たとえば、「頭の中の記憶が暴かれる」という感覚を普通の人は持たないからです。
つまり、理解できません。
ですから、「暴かれた状況」について、少し注釈する必要があります。
記憶というものは、自分が 自分の頭の中に 自分で したものです。
ですから、他人に暴かれるということはあり得ません。

普通の人は、
・(自分の)記憶が蘇った。
・(そのことを)思い出した。
・(あることが)閃いた。
などのように考えます。
なので、「他人に暴かれたような気がして辛い」ということまで含めて、具体的な状況説明をしないと理解されづらいと思います。

2.
>実は#7のお礼でも述べたようなことを言いますけど、
(例)
※『「治す」の主の言葉が頭の中で≪発せられたりした≫感覚があった』
→『「治す」の主の言葉が頭の中に≪浮かんだ≫』について。
『「治す」の主の言葉が頭の中で発せられた(受動的)+感覚があった(主体的)』
『「治す」の主の言葉が頭の中に浮かんだ(主体的)』で合っているかどうか知りたいです。

たとえば、このような説明のしかたがわかりづらいのです。
「治す」って、何を?
という疑問を読んだ人は最初に感じますよ。
ですから、「感覚があった」とか言われても何のことを言っているのか、意味が通じないのだと思います。
もう少し丁寧に状況を説明する必要があるでしょう。
例をひとつに絞って、状況を少し長く説明するようにしてみてはどうでしょうか。

>この文章からわかることは「言われた(受動的)」を「呼び起こした」に書き換えたことが言えるのです。
(A)と(B)の文章を読み比べて思うことを詳しく教えて下さい。
(例えば受身の主体形の文を客観的な主体形の文に書き換えたなど)

非常にわかりづらい文章です。
わたしは何度かやりとりしていますから、かろうじてわかるような気もしますが、自信はありません。
(A)の場合、「(体の動きを)止めるな」と言う言葉」が頭に浮かんだあと、どうなったのか?
という点の説明がありません。
時系列で順番に起きたこと、感じたことを書くのが一番わかりやすいと思います。
(B)の場合は何を言っているのかさっぱりわかりません。

3.
>僕はこのような感じで文章を言い換えたい気持ちが強いのです。
身の回りの人にもこういうことはあるかどうか聞いて気持ちをスッキリさせたい感覚が強いですし、医師にも一太郎でレポートを書いて伝えたいという気持ちがあったのです。

それは前から言っていましたね。
ですから、わたしは基本的には言い換えに積極的にはなれないのです。
嘘を言っていると医師は治療できなくなります。
「それは統合失調の症状ではありませんからもう病院に来なくてもいいですし、薬も飲まなくていいです」
と言われてもいいのですか?
受動的か主体的かが問題なのではなく、「辛く感じること」が一番大変なことなのではないですか?
それを改善するためには嘘を医師に言ってはいけません。
「受動的ではなく主体的だ」と自分の感覚を偽るのは意味がありません。
「受動的だという感覚は論理的ではない。だから受動的だと感じることはおかしなことなのだ」のように、現状の自分に対して正しい認知をすることが大事です。

「受動的だと感じる自分がおかしい」と論理的に納得できれば辛さは無くなるはずです。
おかしいと納得できれば治せば良いのですから素直に治療に専念できるでしょう。
しかし、納得できないので抵抗が生じています。
それで、「受動的だと感じるが、それは自分がおかしいからではない」と言いたいために、主体的表現に固執するのだと思います。
医師の言うことに素直に従って適切な薬の服用を受けるのが現在では最善の方法ではないでしょうか、と言うしかありません。
決められた量の薬を服用していますか?
信頼できる医師を探すことも含めて検討してみるとよいでしょう。
信頼がないと何事もうまくいかないからです。
人間というのは誰しも、多かれ少なかれみんなおかしな存在なんです。
ですから、おかしいこと自体は悪いことじゃないんです。

3.
「まるで操られた(受動的)ような感じがして(主体的)唾液が飲み込めなかったりした(主体的)ことがあった(客観的)」

このことについてですけど、自分の中では、以下のようなことが起きていたと思うのです。
※操られている感覚が脳内に湧いた
※主体性をうまく保てていないという感じがした
※主体性を保てていないような感覚に陥った
これらが唾液が飲み込めなくなったりしたきっかけだと思うのです。

自分の症状を客観的によく捉えていると思います。

4.
>#16のお礼の3について、
「まるで操られた(受動的)ような感じがして(主体的)唾液が飲み込めなかったりした(主体的)ことがあった(客観的)」
要するに主体性を保てなかったということ。
頭の中で起きたことだと思うのですが、合っているかどうか知りたいです。

そうですね。
わたしとしては、「操られた」であれば「受動的=主体性を保てなかった」だと思うのです。
しかし「ような感じがした」という表現の場合、「感じがする」というのは主体性を持った行為だと捉えたい気持ちがあるわけです。
そして「~ことがあった」と客観的な認識に至っていますから、全体として主体的な感覚と考えることが可能だと思います。
「頭の中で起きたこと」であることは間違いありません。
「自分の脳の中での自発的な作用」と言い換えてもよいでしょう。
他の誰かが操っているわけでは全くありません。
  
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>決められた量の薬を服用していますか?

現在はエビリファイ夕2錠(1日12mg)、PZC朝2錠・夕3錠(1日20mg)、ロナセン朝1錠夕1錠(1日8mg)決められた量で服用しています。
主治医が処方した通りに飲んでいるということです。

>「それは統合失調の症状ではありませんからもう病院に来なくてもいいですし、薬も飲まなくていいです」
と言われてもいいのですか?

僕は幻聴と耳鳴りが気になってイライラして暴れることが多くあったりしたし、普通の人とは変わっているので精神科や障害発達センターに通院するようになったのです。
また幻覚としてはっきり見える訳ではないのですが、「視線かどうか判断できないものがつばが飛ぶような感じで落ちたりする感覚がある」ことを医師に伝えたら「統合失調症の症状です」と医師はおっしゃいました。
それに「耳鳴りが始まったときからだと思うが、耳鳴りに属するものか判断できないものが他の感覚器(鼻や口・目など)で受けたかのような感覚がある」ことも医師に伝えたら、「病気の症状です」と医師はおっしゃいました。
僕は、誰にでも起きることに辛さや苦痛を感じたりしますし、病気の症状もあるので統合失調症や高機能自閉症の診断は否定できないと思いました。
薬を途中でやめると再発リスクが高まることも聞いたことがあるのです。
幻聴と耳鳴りは統合失調症以外の疾患でも起きるのですが、すでに上に書いた症状があるので統合失調症や高機能自閉症の診断は否定できないと言うことです。
ハコブルさんは以上についてどう思うか、知りたいです。

>受動的か主体的かが問題なのではなく、「辛く感じること」が一番大変なことなのではないですか?

僕はあまり本を読んだり言葉を知らないので、受動的な表現も主体的な表現もすべて他人に求めているのです。
他人に求めて他人から言い換えなどを得たことを参考に医師などに伝えたいという気持ちがあったのです。

実は、「頭の中の記憶が暴かれた感じがした」と言う表現と「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった感じがした」という表現を総括すると、「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで暴かれた感じだった」「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで引き出された感じだった」と表現できると思ったのです。
「何らかのきっかけ」で、例えば幻聴・耳鳴りが不快な時にそう言うことが起きたとか、喫茶店で働いている時にそう言うことが起きたなどと表現しないとわからないということだと思いました。

僕は以下の表現をさらに言い換えたいと思ったのです。
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで暴かれた感じだった」
★「何らかのきっかけで頭の中の記憶が勝手に浮かび、それはまるで引き出された感じだった」
★「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」

『何らかのきっかけで「治す」の主の言葉が頭の中で勝手に浮かび、それはまるで発せられた感じだった』ということなのだと思うのです。
何を治すか、それはつまり「治す」と言う主の言葉が勝手に頭に浮かぶ→自分の中でごく普通に起きることや世の中などを何らかが操ったりするということだと言うことだと思うのです。

心理学カテゴリで回答をくれた方から教わったことについてですけど、
(A)受動的な感覚の主体的文章を(B)客観的な認識の主体的文章に書き直したことが言えると思うのです。

ベッドで横になっていて、耳鳴りがきっかけで動作(耳栓をしてない状態で片方だけヘッドホンで耳を覆っていて、もう片方は覆ってなかったが、もう片方を覆おうとした)ができなく、まるで動作が禁止された感じがあった 

これがしばらく続いて家の犬が吠えた。すると自分の中で「止めるな」という言葉が勝手に浮かび、それもまるで操られたような感じだった。

「止めるな」が浮かんだ後、ベッドの中で自分の意志で体の動きを止めようとしたが、それができなかった。これもまるで操られたような感じだった。

このような出来事が起きたということなのです。
(A)の文章を(B)の文章に変えるということは#8でハコブルさんが述べたように受動態表現を動作の主体が自分である能動態表現あるいは客観的表現に言い換えたいということだと思うのです。

実は先日yahoo知恵袋で質問したことに対する回答が何件か来たのですが、質問・回答を書いておきます。

【質問】
回答が来なくてすごくイライラします。

『日本語』カテゴリに質問があります。

(1)「受動的な感覚の主体的表現」と(2)「客観的な認識の主体的表現」について、どういうものか教えて下さい。

(1)は例えば「頭の中の記憶が暴かれた感じがした」という表現で(2)は「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった感じがした」でしょうか?
↑↑
この質問に対する回答をどうしてくれないんだバカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

【回答】
(1件目)
回答がないのは、質問の意味がわからないからでしょう。

(2件目)
1、俺は他人に頭の中を覗かれている
2、他人は俺の頭の中を覗いている


一度、違うカテゴリーで質問をしたほうが良いと思いますよ。
回答がつくと思います。

(3件目)
↑の方、お優しい。。

どうして回答がないか。
わかる人がいなかった、質問が難しかった、回答するのがめんどうだった、回答するのがめんどうな質問だった、質問の仕方が悪かった・・・。

ネットの世界ですからね、あなたの思う通りにはいかないですよ。。。
最後の一行で知っていても答える気なくしますよね。。。
どうしても知りたいなら学校の先生に聞きなさいよ。

(4件目)
答えたことはなかったが、あんたの投稿は何回か ザッとではあるが見ていた。


然るべき場所へ行って診てもらいなさい。

(5件目)
「受動的な感覚の主体的表現」と「客観的な認識の主体的表現」

こういう抽象的な単語を並べてわかったようなことを書いたつもりになっているくだらない言葉遊びに付き合うバカはいないということでしょうね。

ハコブルさんはこれについてどう思うか知りたいです。
僕は#14のお礼で述べた『「受動的な感覚の主体的表現』から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈』という部分をもう少し分かりやすく説明すればいいと思う』という回答が来たので、それで上記の質問をしたということなのです。
それでも回答が来なかったので、イライラしてイライラの質問(「バカ」という言葉を使った質問)をしたということです。

お礼日時:2012/06/02 05:15

#15です。


1.
>日本語教師の方に確認の質問をするということなのかどうかで合っているかどうか知りたくなりました。

そういう意味です。

>でも日本語教師の方は忙しくて返事を返せないことがありました。
日本語教師が管理する掲示板に3月の終わりに質問した方がいて、回答を日本語教師が書いたのが5月の前半だったのです。

fall1024ta さんが質問したければする。
したくなければしない。
ということです。
自分で決めてください。

2.
>それと、『「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈』の「解釈」という表現をここで使うのはおかしいかどうか知りたくなりました。
自分は『「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたということで合っているか』どうかを質問したのです。

大して違いはないと思いますが、後者のほうがわかりやすい表現です。

3.
>「唾液の飲み込む動きを止められた感じがした」は#14の回答で「受動的な感覚の主体的表現」とハコブルさんが言ったことについてでまた疑問に思ったことがあります。
これはつまり「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」ということだと思うのですが、こういう表現も「受動的な感覚の主体的表現」と言えるかどうか知りたくなりました。

「唾液の飲み込む動きを止められた(受動的)感じがした(主体的)」という意味ですね。
「まるで操られた(受動的)ような感じがして(主体的)唾液が飲み込めなかったりした(主体的)ことがあった(客観的)」ということになると思います。
前回も言いましたが、こうした「○○的」というのはわかりづらい表現になる場合が多いと言えます。
特に、fall1024ta さんの言っている内容はややこしい事柄なので、具体的に説明しないと伝わりづらいでしょう。
無理に○○的と表現するのは好ましくありません。
ただ、今回の場合、○○的と表現するのが良い点は、fall1024ta さんにとって「受動的」なのはどの部分なのか、を明確にすることができることです。
頭の中で受動的なことが現実的に行われることはありませんから、「唾液の飲み込む動きを止められた」「操られた」ということは実際には起こっていないのだ、と認知する手助けになるでしょう。
しかし、他者に説明する場合には、状況を少し詳しく説明しないと理解されづらいかもしれません。
「○○的」のようにまとめてしまうのは得策ではないと思います。
  

この回答への補足

まだ言いたいことがあります。

#16のお礼の3について、
「まるで操られた(受動的)ような感じがして(主体的)唾液が飲み込めなかったりした(主体的)ことがあった(客観的)」
要するに主体性を保てなかったということ。
頭の中で起きたことだと思うのですが、合っているかどうか知りたいです。

補足日時:2012/05/31 15:36
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

1.
実はyahoo知恵袋に、以下の質問をしたのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(1)「受動的な感覚の主体的表現」と(2)「客観的な認識の主体的表現」について、どういうものか教えて下さい。

(1)は例えば「頭の中の記憶が暴かれた感じがした」という表現で(2)は「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった感じがした」でしょうか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
それで質問に対する回答が来なくて、イライラしたこととどうして来ないかを質問したら、「質問の意味がわからないからでしょう」と言う回答が来たのです。
僕が思うことですけど、
(1)「頭の中の記憶が暴かれた(受動的)感じがした(主体的)」
(2)「頭の中の記憶が勝手に浮かび上がった(客観的)感じがした(主体的)」
だと思ったのですが、ハコブルさんは(1)(2)について正しいと思うかどうか知りたいです。

2.
実は#7のお礼でも述べたようなことを言いますけど、
(例)
※『「治す」の主の言葉が頭の中で≪発せられたりした≫感覚があった』
→『「治す」の主の言葉が頭の中に≪浮かんだ≫』について。
『「治す」の主の言葉が頭の中で発せられた(受動的)+感覚があった(主体的)』
『「治す」の主の言葉が頭の中に浮かんだ(主体的)』で合っているかどうか知りたいです。

「心理学」カテで回答をくれた方から教わったことですけど、
(A)
「(体の動きを)止めるな」と言う言葉が犬が吠えたことがきっかけで勝手に頭に浮かんだのは何がきっかけかというと、何か(=耳鳴りなど)がきっかけで体が静止状態に陥ったりしていたのが、作業所である喫茶店で働いていて、静止状態の逆のこと(=動作が継続して体の動きを自分で止めることが難しかった)が起きたのに、また静止状態に陥るのを否定したことを≪言われた≫感じがしたということ。

(B)
「犬が吠えたことで『(体の動きを)止めるな』という言葉が頭に浮かんだ。なぜ『止めるな』という言葉が浮かんだのかを振り返ってみると、以前から不快な刺激によってしばしば静止状態に陥っていたのだが、先日、働いている時に自分の体が勝手に動きすぎて止まらなくなった。それはまるで『止めるな』という指示に自分の体が従っているようなものだった。そしてまた、夜に犬が吠えたときにも自分は『止めるな』という言葉を心の中で≪呼び起こした≫のだが、この場合の『止めるな』は自分の体が勝手に止まらないよう、自分の動作を保つためのものだった。」

この文章からわかることは「言われた(受動的)」を「呼び起こした」に書き換えたことが言えるのです。
(A)と(B)の文章を読み比べて思うことを詳しく教えて下さい。
(例えば受身の主体形の文を客観的な主体形の文に書き換えたなど)

僕はこのような感じで文章を言い換えたい気持ちが強いのです。
身の回りの人にもこういうことはあるかどうか聞いて気持ちをスッキリさせたい感覚が強いですし、医師にも一太郎でレポートを書いて伝えたいという気持ちがあったのです。

3.
「まるで操られた(受動的)ような感じがして(主体的)唾液が飲み込めなかったりした(主体的)ことがあった(客観的)」

このことについてですけど、自分の中では、以下のようなことが起きていたと思うのです。
※操られている感覚が脳内に湧いた
※主体性をうまく保てていないという感じがした
※主体性を保てていないような感覚に陥った
これらが唾液が飲み込めなくなったりしたきっかけだと思うのです。

お礼日時:2012/05/31 15:34

#14です。



1.
>ハコブルさんは「悪いことを書くわけではないので名前を載せても構わないでしょう」とおっしゃってますが、マリスカという名前は僕は別に載せても載せなくても良いと思いました。
それで良いかどうか確認が知りたいです。

「載せても構わないでしょう」というのは、「fall1024taさんが載せたいのであれば、載せても構わないでしょう」という意味です。
載せなければならないということはありません。

2.
>「ある」を「あ」と圧縮するのは興味深く思ったということを日本語教師はおっしゃっていたのです。

日本語教師がおっしゃった「一文字になる感覚をおかしいと言ったのはそれ以外に無いから」というのをわかりやすく教えて欲しいです。

『「ある」を「あ」と変換するのを興味深く思った』ということです。
日本語教師の人にとって「一文字に変換」も「一文字に短縮」も「一文字になる」も殆んど同じ意味です。
ですから、「一文字に短縮するのがおかしい」は「一文字になる感覚がおかしい」と同じ意味になるわけです。
確認してみるのが一番良いでしょう。

3.
>このことに対する回答が1件来たのですが、
質問の意味が少し分かりづらいですね。
『「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈』という部分をもう少し分かりやすく説明すればいいと思います。

という回答が来たのです。
このことについてハコブルさんはどう思いますか?
どういうことを言っているか、わかるなら詳しく教えて下さい。

回答が来ない理由は、#8の5、及び #14の4でも述べましたが、具体性に欠けるということです。
●「泣くな ○○先生」という言葉が職員の言動によって勝手に浮かび、まるで発見された感じ
●頭の中に問いが浮かぶことに対し、犬が吠えたことがきっかけで問いに対する答えを思わされた感じ
この回答者さんは、「発見された感じ」とか「問いが浮かぶ」ということに関して、もう少し具体的に説明しないとわかりづらいですよ、と言っているのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

1.
>「一文字に短縮するのがおかしい」は「一文字になる感覚がおかしい」と同じ意味になるわけです。
確認してみるのが一番良いでしょう

日本語教師の方に確認の質問をするということなのかどうかで合っているかどうか知りたくなりました。
でも日本語教師の方は忙しくて返事を返せないことがありました。
日本語教師が管理する掲示板に3月の終わりに質問した方がいて、回答を日本語教師が書いたのが5月の前半だったのです。

2.
それと、『「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈』の「解釈」という表現をここで使うのはおかしいかどうか知りたくなりました。
自分は『「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたということで合っているか』どうかを質問したのです。

3.
「唾液の飲み込む動きを止められた感じがした」は#14の回答で「受動的な感覚の主体的表現」とハコブルさんが言ったことについてでまた疑問に思ったことがあります。
これはつまり「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」ということだと思うのですが、こういう表現も「受動的な感覚の主体的表現」と言えるかどうか知りたくなりました。
それと、(1)「受動的な感覚の主体的表現」と(2)「客観的な認識の主体的表現」についてどういう意味なのか、わかりやすく知りたいです。

お礼日時:2012/05/31 09:04

#12です。



1.
>これについて別に載せないでも大丈夫か、教えて下さい。

前回も書きましたが、別に悪いことを書くわけではないので名前を載せても構わないでしょう。
ただ、これはわたしの考えですから、最終的にはfall1024ta さんの責任で載せてください。

2.
>日本語教師の人が「一文字になる」感覚をおかしいと言ったと思うのはなぜだとハコブルさんは思うのですか?
これについてもう少しわかりやすく教えて下さい。

それ以外に無いからです。
わたしの「短縮」というのは、fall1024ta さんの「一文字になる感覚」を言い換えただけです。

>自分では全ての言葉が一文字に変換されたと思ったりしたのです。
なぜハコブルさんは「ある」が「あ」、「鳴らすな」が「な」と変換されたのを短縮と言ったのか教えて下さい。

「短縮する」というのは短くするという意味だからです。

3.
>ネット上でやりとりしている人にハコブルさんからの回答について聞くのも大丈夫でかどうか知りたいです。

はい、全く問題ありませんよ。

4.
例えば(1)『(何らかのきっかけで)唾液を飲み込む動きを止められた感じがした』『脳の中身すべてが(人の不快な声によって)動かされている感じ』を(2)『(何らかのきっかけで)唾液が飲み込めなくなった、主体を保てなかった』『脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ』に関して(1)(2)はいずれも主体的表現になっていると思うのです。
(1)は何者かにやられた感じを表し、(2)はそうではない感じを表すと思うのですが、これってどういう表現をどんな表現に言い換えたものか教えて欲しいです。

「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」といったところですかね。
どちらも主体的ですが、後者のほうが主体性の強い表現でしょう。
ただ、前者はあくまで「感じがした」という点を十分に自覚している場合の話ですから、その点には留意してください。
いずれにしても、話の内容自体がややこしい事柄なので、「○○的表現」のような表現では相手に伝わらないと思います。
(1)(2)のように素直に例を挙げて述べるほうがずっとわかりやすい文が書けるでしょう。
  
    
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

1.
ハコブルさんは「悪いことを書くわけではないので名前を載せても構わないでしょう」とおっしゃってますが、マリスカという名前は僕は別に載せても載せなくても良いと思いました。
それで良いかどうか確認が知りたいです。

2.
「一文字に変換された」をハコブルさんは「短縮」と言ったのですね。
短縮というのはハコブルさんがおっしゃるように短くするという意味ですが、前にも述べたように一文字に変換された言葉(例えば「ねずみ」が「ね」、ラーメンが「ラ」など)は他人に通じないために短縮できないと日本語教師はおっしゃったのです。
例えば「おはようございます」を「おはよっす」および「こんにちは」を「ちわ」は圧縮(短縮)した言葉と言えるようです。これを日本語教師がおっしゃったということなのです。
(1)音韻数を少なくした語の例をあげますと、
「それでは」→「それじゃ」、「ところ」→「とこ」、「持っている」→「持ってる」、「それは」→「そりゃ」、「だけれど」→「だけど」、「~というのは」→「~って」
(2)省略して短くした語の例をあげますと、
「マクドナルド」→「マック」、「パトロールカー」→「パトカー」、「パーソナルコンピューター」→「パソコン」、「空のオーケストラ」→「カラオケ」、「原子力発電所」→「原発」
などがあると言うことを聞きました。

「ある」を「あ」と圧縮するのは興味深く思ったということを日本語教師はおっしゃっていたのです。

日本語教師がおっしゃった「一文字になる感覚をおかしいと言ったのはそれ以外に無いから」というのをわかりやすく教えて欲しいです。

3.
「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に書き換えたものなのですね。
これについてですけど、yahoo知恵袋に以下の質問をしたのです。
  ~~~~~~~~~~~~~
正直な回答を書く自信がある方に質問です。
以下の★印の文章は「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈で合っているかどうかを教えて下さい。

★脳の中身すべてが(人の不快な声によって)動かされている感じ
⇒脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ

もし合っているのなら、●印の「受動的な感覚の主体的表現」を「客観的な認識の主体的表現」に書き直して下さい。
1つだけでなく、いくつかの表現を箇条書きで回答下さい。

●「泣くな ○○先生」という言葉が職員の言動によって勝手に浮かび、まるで発見された感じ
●頭の中に問いが浮かぶことに対し、犬が吠えたことがきっかけで問いに対する答えを思わされた感じ
  ~~~~~~~~~~~~~
質問して1時間経っても回答が来なかったので、僕は以下のような質問を投げかけました。
  ~~~~~~~~~~~~~
回答が質問して1時間経ったのになかなか来ない
なぜかわかりますか?
  ~~~~~~~~~~~~~

このことに対する回答が1件来たのですが、
質問の意味が少し分かりづらいですね。
『「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたという解釈』という部分をもう少し分かりやすく説明すればいいと思います。

という回答が来たのです。
このことについてハコブルさんはどう思いますか?
どういうことを言っているか、わかるなら詳しく教えて下さい。

お礼日時:2012/05/30 04:38

#12です。



ちょっと補足修正します。
わたしの回答について専門家の方に尋ねるのは全く問題ありませんが、言葉遣いには気をつけたほうがいいですね。
答えてもらうのが当たり前だと思っているのでなければ、
「どう思うか」ではなく「どう思われますか」
「妥当か」ではなく「妥当でしょうか」
のように敬語を使うのが常識です。
答えてもらうのが当たり前だと思っているのであれば、そのお考えは直すようになさったほうがよろしいでしょう。
わかっているとは思いますが、念のため。
   
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#11です。



1.
>最初に言いたいことがあります。
ハコブルさんが『国語』カテゴリで質問した内容とそれに対する回答はブログに書いても良いかどうか確認が知りたいです。
そのまま書いて大丈夫か、それとも要約して書いたほうが良いかどうか教えて欲しいです。

どちらでもお好きなようになさってください。
全く問題はありません。

>ハコブルさんに回答をくれた方のネームをブログに載せるのは中には嫌がる人がいるんですね。
では、下記の★印の載せ方は失礼なのか大丈夫なのか知りたいです。
  ★ハコブルさんに回答をくれた方
  ★マリスカさん(ローマ字ではなく、カタカナ)
もし失礼なら、どういうふうに書いたほうがいいか、いくつか箇条書きで教えて欲しいです。
自分で判断するのは難しく思ったりしました。

他の方に関することなのでわたしが答えるのもおかしな話ですが、「マリスカさん」がいいかもしれませんね。
もし嫌なら、ブログでコメントするでしょうから、そのときに謝って削除すれば良いでしょう。
基本的には、悪いことを書くのでなければ構わないような気はします。

2.
>僕は、日本語教師から回答をもらう前はハコブルさんの回答を本当だと信じていましたが、日本語教師から回答をもらってからハコブルさんの回答ではなく日本語教師の回答を本当だと信じるようになった訳です。

それは非常に賢明なご判断です。
わたしは素人なので間違うこともあります。

>「ある」が「あ」、「ねずみ」が「ね」、「きつね」が「き」のように一文字に短縮したのでは意味が通じなくなるので、短縮できない。
「こんにちは」が「ちわ」はそのグループだけで通じる言い方なので短縮できるということを日本語教師はおっしゃったのです。
以上のことがハコブルさんが「短縮」と言ったのが間違ったことだと思ったという訳です。

fall1024ta さんは自分で、
『「ある」「ねずみ」「きつね」という自分の頭の中などにインプットされていた言葉が「あ」「ね」「き」と一文字に頭の中で勝手に変換されるということが起きたのです』
と言っています。
これが「一文字に短縮された」ということです。
その日本語教師の人が言ったのは、「一文字になる」という感覚がおかしいと言ったのだと思います。
わたしが短縮という言葉を使ったからではないでしょう。
fall1024ta さんは、この点を勘違いしていると思います。

3.
>これに関して、例えば文字を書く・ごはんを食べる・ジュースを飲む・起きる・寝るなどの日常の動作や体を動かす運動ができるのは、自分自身の記憶したことが元になっているのだと思ったのですが、そうなのかどうか知りたいです。

そうです。

>例えば自分は文字を書こうとすると、何らかのきっかけで、「書くな」という言葉が勝手に浮かび(=他人には聞こえない感じで発したという感じで、まるで発見された感じと言える。)、文字を書くという行為が制限された感じがした。→このことも自分自身の記憶したことが元になっているという解釈で合っているかどうか知りたいですし、もしその解釈が合っているのなら、どういうメカニズムでこういうことが起きるかも知りたくなりました。

そうですね。
先生にお聞きになってください。

4.
>これに関しては、例えば昔you tubeで聞いた音楽がここ最近頭の中で再生されるという感じだと思いましたが、そうなのか知りたいです。

そうです。

>うるさく感じたというのは、音がうるさく感じたのかということではなくて、うっとうしいということだということで合っているかどうか知りたいです。

そのとおりです。

5.
>動作の主体が自分である能動的表現、あるいは客観的表現に言い換えたいということですけど、自分は単に「発見された感じ」と書くのではなく、「○○の言葉が勝手に頭に浮かび、それはまるで発見された感じであった」と書いたほうが望み通りの回答が得られるということだと思いました。
そうなのかどうか知りたいです。

そうでしょうね。
「○○の言葉が勝手に頭に浮かび、それはまるで何者かに発見された感じであった」
のように書くとなおわかりやすいでしょう。

>他にも、「頭の中で浮かぶ疑問に対し、何らかによって答えが勝手にひらめく感じがし、それはまるで何らかによって答えが戻ってくる感じがした」と書いてこれの別の言い換え表現を書いてくださいと書けば望み通りの回答が来るかどうかも知りたいです。

「頭の中で浮かぶ疑問に対し、まるで他の何者かが勝手に答えを返してくる感じがした」のように書くともっとわかりやすくなります。
ただ、望みどおりの回答が来るかどうかは保証できません。

>しかし《A》の表現はおかしいと思うのですが、それ以外の表現は合っているかと思うのです。
《A》『「動くな」という言葉が[幻聴・耳鳴りによって]発見された』
《B》『「動くな」という言葉が[職員の言動によって]発見された』
《C》『「動くな」という言葉が[幻聴・耳鳴りによって]発見された感じがした』
《D》『「動くな」という言葉が[職員の言動によって]発見された感じがした』

幻聴・耳鳴りによって発見された(感じがした)ということで、それは自分の脳内で起こっていることだと言うことを思いました。
正しい解釈はハコブルさんがご存知かどうか知りたいです。

個人の感覚なので、他人が「おかしい」と言ってもしかたありません。
おかしいことでも人は感じることができます。
「論理的であるか否か」で判断する必要があります。
たとえば、「幽霊を見た」というのは論理的な認識ではありません。
しかし、「幽霊を見たという感じがした」は個人の感覚なので、他人がおかしいとかおかしくないとか言っても仕方ないでしょう。
《A》『「動くな」という言葉が[幻聴・耳鳴りによって]発見された』
《B》『「動くな」という言葉が[職員の言動によって]発見された』
どちらも個人の感覚を表現しているのですから、その表現自体はおかしくありません。
しかし、表現されている内容、認識自体は論理的ではない(=おかしい)と言えます。
「>自分の脳内で起こっていること」という認識があるのであれば、「発見された」という断定ではなく「発見された感じがした」と表現するほうが妥当でしょう。

>それと、専門の人に質問する際、以下のような聞き方は失礼か大丈夫かどうか知りたいです。
★(今までハコブルさんから回答をもらったことについて)どう思うか。
★(今までハコブルさんから回答をもらったことについて)妥当か。

全く問題ありません。
ご随意にどうぞ。
  
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

1.
ハコブルさんとのやりとり内容を5月29日更新の記事に書きましたが、
以下の感じで書きました。

★「言い聞かせる」について、marisukaさんという方に教えてもらったことをお伝えします。
⇒「言い聞かせる」について、教えてもらったことをお伝えします。
★文法的には使役表現とは言えないのですが、「言い聞かせる」という言葉自体が「すでに使役の要素を持っている」とmarusukaさんはおっしゃいます。
⇒文法的には使役表現とは言えないのですが、「言い聞かせる」という言葉自体が「すでに使役の要素を持っている」とおっしゃいます。
上記の文章(10件目の回答内容)の後に、
『文法的には使役表現とは言えないのですが、「言い聞かせる」という言葉自体が「すでに使役の要素を持っている」とおっしゃいます』に関しては、これはハコブルさんに回答をくれた方がそのようにおっしゃったということです。
と書きました。

今のところ、#9 に対するお礼の補足内容および#11の回答内容の一部は載せてません。
#11の回答内容の一部=「marisukaというネームをブログにそのまま載せるのは良いでしょうか」という質問内容に対する回答です。

これについて別に載せないでも大丈夫か、教えて下さい。

2.
>>「ある」が「あ」、「ねずみ」が「ね」、「きつね」が「き」のように一文字に短縮したのでは意味が通じなくなるので、短縮できない。
「こんにちは」が「ちわ」はそのグループだけで通じる言い方なので短縮できるということを日本語教師はおっしゃったのです。
以上のことがハコブルさんが「短縮」と言ったのが間違ったことだと思ったという訳です。

>fall1024ta さんは自分で、
『「ある」「ねずみ」「きつね」という自分の頭の中などにインプットされていた言葉が「あ」「ね」「き」と一文字に頭の中で勝手に変換されるということが起きたのです』
と言っています。
これが「一文字に短縮された」ということです。
その日本語教師の人が言ったのは、「一文字になる」という感覚がおかしいと言ったのだと思います。
わたしが短縮という言葉を使ったからではないでしょう。
fall1024ta さんは、この点を勘違いしていると思います

日本語教師の人が「一文字になる」感覚をおかしいと言ったと思うのはなぜだとハコブルさんは思うのですか?
これについてもう少しわかりやすく教えて下さい。
一文字言葉に変換されたというのは、自分の体の中(頭の中など)以外の新聞やパソコンの文章など外部に潜在していた読み方なども一文字言葉に変換されたと感じたと思ったのです。
我々はあらゆるもの(新聞や文章など)に名前をつけて考えたり覚えたりすると医師から聞いたのですが、外部に潜在していた読み方というのは、我々が外部につけた読み方などがあらゆるものに潜在していて(くっついていて)それも一文字に変換されたということなのです。
自分では全ての言葉が一文字に変換されたと思ったりしたのです。
なぜハコブルさんは「ある」が「あ」、「鳴らすな」が「な」と変換されたのを短縮と言ったのか教えて下さい。

3.
要するに「(今までハコブルさんから回答をもらったことについて)どう思われますか」「(今までハコブルさんから回答をもらったことについて)妥当でしょうか」と聞くということなんですね。
これに関してですけど、身近な人(主治医や職場の人など)に聞くだけでなく、ネット上でやりとりしている心理療法家などに聞きたいという訳なんです。
ネット上でやりとりしている人にハコブルさんからの回答について聞くのも大丈夫でかどうか知りたいです。

4.
例えば(1)『(何らかのきっかけで)唾液を飲み込む動きを止められた感じがした』『脳の中身すべてが(人の不快な声によって)動かされている感じ』を(2)『(何らかのきっかけで)唾液が飲み込めなくなった、主体を保てなかった』『脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ』に関して(1)(2)はいずれも主体的表現になっていると思うのです。
(1)は何者かにやられた感じを表し、(2)はそうではない感じを表すと思うのですが、これってどういう表現をどんな表現に言い換えたものか教えて欲しいです。

再度回答下さい。

お礼日時:2012/05/29 12:19


#8に関して。

1.
>それに関しては「受け止め方による」とのことでした。
誰にでもあることについて、操られる・変換される・暴かれる・言い聞かせられるように感じることがどれくらいの頻度で生じるかは人によって違うと思うのですが、そうなのかどうか知りたいです。
それについて詳しくわかりやすく知りたいと言うふうに思いました。

どれくらいの頻度=(1)しょっちゅうある、(2)たまにある、(3)あまりない、(4)全くない

操られる感じが(1)しょっちゅうあって辛く感じたりするのは統合失調症の人に良くある症状だと思いました。

わたしが言ったのは、
『自分の頭の中に浮かんだ言葉が、まるで他人が言っているような感覚で認識されることは、誰にでもある』という意味です。
頻度については、他人のことはわかりませんが、わたしの場合は、(2)たまにある でしょうかね。
特にテレビのコマーシャルなどの同じ言葉の繰り返しなどが、頭にこびりつくことがあります。
たとえば以前、「パイロット♪パイロット♪」というペンの宣伝がありましたが、この歌がふとした時に何度も頭に浮かんでうるさく感じたことはありました。
そのコマーシャルソングを歌っている人の声で、頭の中に再現されるわけです。
しかし、それは、その歌の記憶が自分の中で蘇るだけであって、そのコマーシャルソングを歌っている人に操られているという感じではありません。
ですから、
「操られる・変換される・暴かれる・言い聞かせられる」という感覚とは違うと思います。

>操られる感じが(1)しょっちゅうあって辛く感じたりするのは統合失調症の人に良くある症状だと思いました。

そうなのかもしれませんね。
しかし、全ては自分自身の記憶したことが元になっているだけです。
操られているわけではありませんから、そのことを良く認識なさることが大事です。

2.
>「(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」「(他の誰かによって)言い聞かせられたのと似ていると感じた」「まるで(他の誰かによって)言い聞かせられたように感じた」
などは主体的表現と思います。
「感じる」というのが主体性を持った行為だからです。
「他の誰かによって変換された」「他の誰かによって暴かれた」
などは主体的表現とは言えないと思います。
自分の意志や感覚に基づいた行為が含まれていないからです。

>自分の意志や感覚に基づいた行為が含まれていないというのは、「~ように感じた」という表現が入ってないからだと思いました。
そうなのかどうか知りたいです。

一応、そういうことですが、それよりも受身の感覚だからです。
「変換された」は受身。
「(変換された)ように感じた」は主体的。
「ように感じた」だけであり、事実ではない、ということを認識することが大事です。

>「他の誰かによって変換された」「他の誰かによって暴かれた」は客観的表現で、「他の誰かによって変換されたように感じた」「他の誰かによって暴かれたように感じた」は主体的表現だと思ったのですが、この解釈で合っているかどうか確認を教えてもらいたいです。

そのように書いたと思いますが。

3.
まとめてみると、
『静止が解除された』:受身表現、他動詞
『静止が解けた』:客観的表現、自動詞
このような解釈で合ってるか確認を教えて欲しいです。

そうです。

4.
「暴かれた」:客観的表現、受身表現
「暴かれた感じがする」:主体的表現
このような解釈で合ってるか、確認を教えて欲しいです。

このように短い言葉を抜き出して規定すると、たぶん間違いにつながるように思います。
「政治家がスキャンダルを暴かれた」も「わたしの頭の中の記憶が暴かれた」も国語的には客観的な受身表現と言えます。
ただ、後者は、暴かれたという内容が事実とは言えないので、内容としては客観的表現とは言えないと思います。
難しい問題も含んでいそうですが、客観的の意味を再確認なさってみてください。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%AE%A2%E8%A6 …

5.
>唾液の動きを操られたという話について、
『(自分の意志ではない何かに)僕が口の中で唾液の飲み込む動きを止められた』というのは主体文にすると『何らかのきっかけで唾液を飲み込めなかった(感じがした)』ということだと思いました。
でも僕は『何らかのきっかけで唾液を飲み込めなかった(感じがした)』という別表現を知りたくなりました。

『(自分の意志ではない何かに)僕が口の中で唾液の飲み込む動きを止めら
れた』
『何らかのきっかけで唾液を飲み込めなかった(感じがした)』
この2つを比べてみて、言い換え文を何個か箇条書きで教えて欲しいです。

特に思い浮かびません。
類語辞書を使い方を説明しますから、自分で考えてください。
まず、言い換えたい言葉をボックスに入力する→「類語」にチェックを入れる→「に一致する」を選択→「辞書検索ボタン」を押す。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%AD%A2%E3%82 …
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E9%A3%B2%E3%82 …

>僕の中で起きていたことは例えば幻聴・耳鳴りがきっかけでまるで操られた感じがして唾液を飲み込む行為がまるで制限されたことが時々あったけど、それが喫茶店で働いていてまるで操られた感じがしたと思うが、それがきっかけになって唾液が飲み込めるようになったと思うのです。 

なぜ幻聴や耳鳴りがするのか。
そのメカニズムを先生に聞いてみたことはありますか。
脳内神経物質の化学的作用によるものだと思われますが、その仕組みを聞いて納得できれば、操られているわけではないことが理解できるかもしれません。

6.
他者にやられた・動かされた・治された・操られた感じがした主体の文から自分の意志が行ったという主体の文に言い換えたい気持ちが強いことについて

★動作の主体が自分である能動的表現、あるいは客観的表現に言い換えたい
☆このことについてわかりやすく知りたいです。

a.
「他者に治された」を
「自分が治した」のように能動的に言い換えたい。
という意味。

b.
「他者に動かされた」を
「自然に動いた」のように客観的に言い換えたい。
という意味。


#9に関して

>文法では使役とは言えないということなんですね。

そのようです。

>marisukaというネームをブログにそのまま載せるのは良いでしょうか?
それも教えて下さい。

ご本人ではないので何とも言えません。
たぶん、問題ないと思いますが、中には嫌がる人もいます。
他の人のことはわたしにはわかりませんから、ご自分で判断なさってください。


#10に関して。

>ハコブルさんと僕とのやりとりで間違ったことをハコブルさんから聞いたことは1度だけではなく、何回かあったかもしれません。

そうですね。
専門家ではないので間違えることは時々あります。

>文法に疎いというのは、文法についてあまり詳しくないと言うことだと思いました。

そのとおりです。
文法について専門的に勉強したことがありません。

>僕が以下の☆印の文章を言い換えてほしいので書いたことがありました。

☆例えば自分の中にあったかもしれないが「(関係)ある」「鳴らすな」という言葉が何らかの理由で、「あ」「な」というふうに耳鳴りによって変換された状態で発せられて出てしまったように感じることがありました。

で、☆印の文章をハコブルさんは以下の感じに言い換えてくれましたよね?
1月の時のやりとり内容ですけど・・・。

★自分の中にこびりついていた「(関係)ある」「鳴らすな」という言葉が、耳鳴りがきっかけで「あ」「な」のように短縮された形で(声に出さないで)発せられてしまったように感じることがありました。
「(関係)ある」「鳴らすな」のように全てを発することを制止されたような感じで、何かに操られているような気がしました。

このようなことを日本語教師の掲示板で伝えたところ、「ある」を「あ」と縮約するのは少し無理があると思う、なぜならば他の人にはそれが理解できないからであること つまり一文字に短縮したのでは、やはり意味が通じなくなるとのことでした。

これが間違った回答だと気づき始めたきっかけだと言えるのです。
このことについてどう思うかも教えて下さい。

なぜ「間違った回答」だと思ったのか教えてくれますか?
  

この回答への補足

補足します。
前の投稿(#5あたり)を読んで思ったことですけど、
『「動くな」という言葉が[他の誰かによって]発見された』が客体的表現で、
『「動くな」という言葉が[他の誰かによって]発見された感じがした』は主体的表現だという考えが浮かんだのです。

しかし《A》の表現はおかしいと思うのですが、それ以外の表現は合っているかと思うのです。
《A》『「動くな」という言葉が[幻聴・耳鳴りによって]発見された』
《B》『「動くな」という言葉が[職員の言動によって]発見された』
《C》『「動くな」という言葉が[幻聴・耳鳴りによって]発見された感じがした』
《D》『「動くな」という言葉が[職員の言動によって]発見された感じがした』

幻聴・耳鳴りによって発見された(感じがした)ということで、それは自分の脳内で起こっていることだと言うことを思いました。
正しい解釈はハコブルさんがご存知かどうか知りたいです。

それと、専門の人に質問する際、以下のような聞き方は失礼か大丈夫かどうか知りたいです。
★(今までハコブルさんから回答をもらったことについて)どう思うか。
★(今までハコブルさんから回答をもらったことについて)妥当か。

補足に対する回答も下さい。

補足日時:2012/05/28 06:11
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この回答へのお礼

お礼を書いたことに対する回答をありがとうございます。

1.
最初に言いたいことがあります。
ハコブルさんが『国語』カテゴリで質問した内容とそれに対する回答はブログに書いても良いかどうか確認が知りたいです。
そのまま書いて大丈夫か、それとも要約して書いたほうが良いかどうか教えて欲しいです。

ハコブルさんに回答をくれた方のネームをブログに載せるのは中には嫌がる人がいるんですね。
では、下記の★印の載せ方は失礼なのか大丈夫なのか知りたいです。
  ★ハコブルさんに回答をくれた方
  ★マリスカさん(ローマ字ではなく、カタカナ)
もし失礼なら、どういうふうに書いたほうがいいか、いくつか箇条書きで教えて欲しいです。
自分で判断するのは難しく思ったりしました。

2.
「(関係)ある」「鳴らすな」という言葉が何らかの理由で、「あ」「な」というふうに耳鳴りによって変換されたという表現を「短縮された形で・・・」と言い換えてくれたことに関して、どうして間違えた回答だと思ったのか。

日本語教師から聞いた話ですけど日本人に日本語を教える→中国人に日本語を教えるという勉強をしていると聞きました。
日本語教師は日本語を勉強している専門家でハコブルさんより日本語の知識が優れていると思ったのです。
僕は、日本語教師から回答をもらう前はハコブルさんの回答を本当だと信じていましたが、日本語教師から回答をもらってからハコブルさんの回答ではなく日本語教師の回答を本当だと信じるようになった訳です。
医師に「一文字に短縮された実例をご存知か」質問しても「一文字に変換が起きた実例をご存知か」質問したのですが、「知りません」と医師は答えました。

自分の中で、例えば「ある」「ねずみ」「きつね」という言葉を他人には聞こえない感じで発したとします。
その後、家の外で車の音がしてそれが聞こえました。
すると、「ある」「ねずみ」「きつね」という自分の頭の中などにインプットされていた言葉が「あ」「ね」「き」と一文字に頭の中で勝手に変換されるということが起きたのです。
それは自分の中で生じた何らかのことが関連づいて起きたと思うのです。
一文字に変換されただけでなく、モトに戻ったこともありました。
それは病的な感覚で言うとまるで他者によって動かされている感じだと思うのです。

話を戻しますと、「ある」を「あ」に縮約するのは非常に興味深く感じたと日本語教師はおっしゃったということです。
「ある」が「あ」、「ねずみ」が「ね」、「きつね」が「き」のように一文字に短縮したのでは意味が通じなくなるので、短縮できない。
「こんにちは」が「ちわ」はそのグループだけで通じる言い方なので短縮できるということを日本語教師はおっしゃったのです。
以上のことがハコブルさんが「短縮」と言ったのが間違ったことだと思ったという訳です。

3.
操られる感じがしょっちゅうあって辛く感じたりするのは統合失調症の人に良くある症状だと思ったことについて
>そうなのかもしれませんね。

統合失調症の症状は様々で、他者に操られる感じのする作為体験などがあると言うことを聞いたことがあります。

>しかし、全ては自分自身の記憶したことが元になっているだけです。
操られているわけではありませんから、そのことを良く認識なさることが大事です。

これに関して、例えば文字を書く・ごはんを食べる・ジュースを飲む・起きる・寝るなどの日常の動作や体を動かす運動ができるのは、自分自身の記憶したことが元になっているのだと思ったのですが、そうなのかどうか知りたいです。

例えば自分は文字を書こうとすると、何らかのきっかけで、「書くな」という言葉が勝手に浮かび(=他人には聞こえない感じで発したという感じで、まるで発見された感じと言える。)、文字を書くという行為が制限された感じがした。→このことも自分自身の記憶したことが元になっているという解釈で合っているかどうか知りたいですし、もしその解釈が合っているのなら、どういうメカニズムでこういうことが起きるかも知りたくなりました。

4.
>テレビのコマーシャルなどの同じ言葉の繰り返しなどが、頭にこびりつく
>ペンの宣伝がありましたが、この歌がふとした時に何度も頭に浮かんでうるさく感じた

これに関しては、例えば昔you tubeで聞いた音楽がここ最近頭の中で再生されるという感じだと思いましたが、そうなのか知りたいです。
うるさく感じたというのは、音がうるさく感じたのかということではなくて、うっとうしいということだということで合っているかどうか知りたいです。

5.
実は自分は本を読む機会が少ないのです。
動作の主体が自分である能動的表現、あるいは客観的表現に言い換えたいということですけど、自分は単に「発見された感じ」と書くのではなく、「○○の言葉が勝手に頭に浮かび、それはまるで発見された感じであった」と書いたほうが望み通りの回答が得られるということだと思いました。
そうなのかどうか知りたいです。

他にも、「頭の中で浮かぶ疑問に対し、何らかによって答えが勝手にひらめく感じがし、それはまるで何らかによって答えが戻ってくる感じがした」と書いてこれの別の言い換え表現を書いてくださいと書けば望み通りの回答が来るかどうかも知りたいです。

「脳内が操られた感じがした」と短く書くだけでは通じなく望み通りの回答が得られないということも浮かびました。

7.
主治医の先生になぜ幻聴や耳鳴りがするかどうかのメカニズムは質問したことがないです。
脳内神経物質の化学的作用によるものというのは、統合失調症だとドーパミンが多すぎたり少なすぎることによって、症状が変わってくると思ったのです。
統合失調症でドーパミンの分泌が過剰なことによって幻聴や耳鳴りが起きるということも思いました。

再度回答下さい。

お礼日時:2012/05/28 04:58

#9です。



「言い聞かせる」について、marisuka さんという方に教えてもらったことをお伝えします。
詳しいことをお知りになりたければ、こちらの#4及び#5のご回答を参照なさってください。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7495543.html
結論から言うと、「言い聞かせる」は文法的には使役用法とは言えないようです。
わたしが間違っていましたのでお詫びして訂正いたします。申し訳ありません。
また、以下に若干補足させていただきます。

一般的な使役というのは、ウィキにあるように「○○させる」「○○せる」という形です。
たとえば、「停止させる」「歌わせる」など。
これは、「他者に[停止する]という行為をさせる」「他者に[歌う]という行為をさせる」という意味で、「【他者に】○○という行為をさせる」という構造になっています。

「言い聞かせる」の場合は、「他者に[言い聞く]という行為をさせる」という意味ではありません。
ですから、文法的には使役表現とは言えません。
ただ、文法的には使役表現とは言えないのですが、「言い聞かせる」という言葉自体が「すでに使役の要素を持っている」とmarisuka さんはおっしゃいます。
つまり、「自分の言うことを相手に聞かせる」というのが「言い聞かせる」の意味。
「聞かせる」というのは「聞く」の使役表現ですが、この「聞く」に対応する「言い聞く」という言葉はありません。
使役の要素を含んだ「言い聞かせる」という言葉になって、はじめてひとつの動詞として成立しているわけです。
「言い聞かせる」は文法的には使役用法とは言えず、下一段活用をする通常の動詞である。
ただ、「聞かせる」という意味で、使役の要素を含んだ動詞である。
このように言って良いのかもしれません。
      
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この回答へのお礼

ハコブルさんと僕とのやりとりで間違ったことをハコブルさんから聞いたことは1度だけではなく、何回かあったかもしれません。
文法に疎いというのは、文法についてあまり詳しくないと言うことだと思いました。

僕が以下の☆印の文章を言い換えてほしいので書いたことがありました。

☆例えば自分の中にあったかもしれないが「(関係)ある」「鳴らすな」という言葉が何らかの理由で、「あ」「な」というふうに耳鳴りによって変換された状態で発せられて出てしまったように感じることがありました。

で、☆印の文章をハコブルさんは以下の感じに言い換えてくれましたよね?
1月の時のやりとり内容ですけど・・・。

★自分の中にこびりついていた「(関係)ある」「鳴らすな」という言葉が、耳鳴りがきっかけで「あ」「な」のように短縮された形で(声に出さないで)発せられてしまったように感じることがありました。
「(関係)ある」「鳴らすな」のように全てを発することを制止されたような感じで、何かに操られているような気がしました。

このようなことを日本語教師の掲示板で伝えたところ、「ある」を「あ」と縮約するのは少し無理があると思う、なぜならば他の人にはそれが理解できないからであること つまり一文字に短縮したのでは、やはり意味が通じなくなるとのことでした。

これが間違った回答だと気づき始めたきっかけだと言えるのです。

このことについてどう思うかも教えて下さい。
#8、9、10のお礼・補足欄に対する回答を下さい。

お礼日時:2012/05/27 13:53

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