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yahoo知恵袋で以下の内容のことを質問したのですが、回答が1件も来なかったのでokwaveで質問させていただきます。
★印の文中の【 】内の表現は受け身の言い方で合っていると思うのですが、客体的な言い方でもあるかどうかの疑問が湧いたのです。
★何らかのきっかけで『動くな』『目を開けるな』『食べるな』『飲むな』『書くな』『起きるな』『ペンをとじるな』『裏返すな』『黙れ』『頭が回らない』『わからないようにしました』『金縛り』『(体を)銅像のように固められた』『制限が入る』『止める』『ねる』『ん《故人の名》』『みんなで《中学の時のクラスメイト(女)の名》』などの言葉が【発見された】感じがし、静止状態に至ったり頭の働きが鈍くなったということなのです。
ここで質問です。
【発見された】という表現は客体的表現でもあるので合っているかどうかと、もし【発見された】という表現が客体的な言い方だとしたら、主体的な言い方に置き換えた表現も教えて下さい。
1つだけでなく、いくつか表現を教えてくれると嬉しいです。
No.29
- 回答日時:
>幻聴と耳鳴りが、梅雨入りしてから梅雨入りする前より不快になったり我慢できなくなったということがあれば医師にそのまま言えばいいことかと僕は思いました。
:
それが一番よいと思います。
エビリファイは減らしたままですか。
それであれば、離脱症状という可能性もあると思いますが、いずれにしても医師に相談するのがよいでしょう。
個人的には、減らす方向で安定できれば理想的なのだと思いますが。
しかし、いずれにしても、ある程度の期間を経ないと検証はできないでしょうから、その意味でも医師との緊密な連絡が必要だと思います。
>例えばエビリファイを飲んで薬の効果がなかなか出ないがリスパダールに変えると薬の効果が発揮されたということが試行錯誤だということだと思いましたが、そうなのかどうか知りたいです。
:
試行錯誤と言ったのは、あくまで治療法が確定できていないので色々な方法があるはずだ、ということです。
個人個人に合った治療法があると思うので、最適な薬や分量を手探りしながら治療していくのでしょう。
リスバダールはかなり強い薬のようですね。
今まで使っていないとすれば良心的な先生ではないかという気がします。
ただ、PZCが若干上限値に近づいているようですね。
効果がないからといって増やしたり、強い薬を使うようにしたりするのは、素人考えでは好ましくないような気がします。
ネットで検索した範囲では、今お使いの3種の薬は基本的に副作用の弱いものでしょう。
これらの総量はあまり変えないで、量の配分を若干変えてみるなどの対応はしないものなのでしょうか。
推測であれこれ言うのは良くないのでしょうが、ちょっとそういうことも思いました。
専門家ではないので、確定的なことは言えませんし、わたしの回答は全て個人的な見解にすぎません。
その点はご了承願います。
>心理療法家がマインドフルネスを行うことを提示してくださりましたが、それが論理的思考かと思いました。
マインドフルネス瞑想などを意味してます。
薬では現れない効果も現れると聞いたのですが、マインドフルネス瞑想を行っている間に耳鳴りと幻聴が不快で我慢できないかもしれなくて、それが辛く感じるかもしれない気がしました。
:
瞑想というのは良さそうな気がしますが、それについて知らないのでなんとも言えません。
>薬では現れない効果も現れるという治療法はいくらでもあったら、それはどういうものかをいくつか教えて下さい。
:
論理的思考というのは、認知行動療法のようなものの一環として述べました。
たとえば、「操られている」と感じて体が動かなくなったような時、「操られるということはあり得ないのだ!」と論理的に考えることによって、気分が若干落ち着く、というような状態になることを期待してのことです。
回答見ました。お礼が大変遅くなりました。
>エビリファイは減らしたままですか。
それであれば、離脱症状という可能性もあると思いますが、いずれにしても医師に相談するのがよいでしょう。
:
離脱症状ではないと思います。
エビリファイは飲み始めは1錠(6mg)でした。
平成21年11月にエビリファイを5錠で、上限値まで飲んでましたが、長くは続けませんでした。
先月(5月)エビリファイが2錠だったのが、幻聴や耳鳴りなどがかなり辛いために今月3錠に増えましたが、6月10日の日に3錠で飲んでいたら耳鳴りや幻聴などが治まらなくて、さらには動作が止まったり体が固まったり、元気がなくなったりしたので、5月の処方に戻したという訳です。
PZCとロナセンを服用する前は、スルピリド、その前はセロクエル、リスパダールという感じでした。
耳鳴りや幻聴がかなり辛いことは医師にも何度か言ったことがあります。
それで薬が増えたりする場合もあります。
>総量はあまり変えないで、量の配分を若干変えてみるなどの対応はしないものなのでしょうか。
:
エビリファイとPZCにロナセンを加え始めた頃総量を変えたことがあります。
どれかの薬をいきなりやめたりすると、かえって悪化するからだと思います。
それと
>「操られている」と感じて体が動かなくなったような時、「操られるということはあり得ないのだ!」と論理的に考えることによって
:
ということですが、論理的思考という意味がわかりません。
単純で簡単な言葉で教えて下さい。
それと僕はのどがかわいたり、食べたくなって昔から食べる飲む量が多いのですが、それは薬の副作用と思ってましたが、職場の人から借りた本には、統合失調症などでこういうことが起きると書いてありました。
No.28
- 回答日時:
>これについて僕は1冊ノートなどを用意し、そこに詳しく記録するということだと思いました。
:
そういうことです。
ただ、そのまま見せると読む先生は大変でしょうから、先生に正確に伝えるために記録をとる、という意味です。
伝えるときには例をなるべく(ひとつかふたつに)絞って伝えるようにするのが良いでしょう。
幻聴がどの程度の頻度でいつ起きるのか、などという情報も必要でしょう。
たとえば、良く眠れたとき・眠れなかったとき、食べ過ぎたとき・ダイエットできたとき、などによって状況の変化があるようなら、そういうことも含めて記録しておくと役立つように思います。
>エビリファイが幻聴などを抑える薬だけど、幻聴などをひどくするということだと思いました。
:
エビリファイについて詳しいことはわかりませんが、あくまで薬の一般的な効能について述べました。
数パーセントという低い割合で、薬によっては逆に作用することもある、ということです。
エビリファイに関してそうであるかどうかはわかりません。
ただ、この薬は糖尿病の因子を持っている人には糖尿病性昏睡などが起こる可能性がある、とも言われています。
高血糖にならないように十分注意が必要ですし、「喉の渇き、多尿、多食、脱力感」などがあった場合は直ちに先生に伝えることが大事です。
このように、薬を飲んだあと、どのように影響しているか、という点については、なるべく正確に先生に伝える必要がある、ということです。
>あと全体的に思ったことは、人間の体は薬を飲んで必ず症状がおさまったりするわけではなく、薬を飲んでいると症状がひどくなる方向にいくことも有り得るようになっているということを思いました。
:
素人なのでなんとも言えませんが、たしかに絶対に効く薬というのは少ないのかもしれません。
また、この疾患に対して薬事療法が始まったのはわずか60年ほど前です。
医療者も試行錯誤の段階ではないかという気がします。
その意味でも、薬を飲んだ後の状態を正確に伝えることが大事だと思うわけです。
>例えばエビリファイを飲み始めて間もない頃に幻聴などが少し楽になったけど、最近は薬の耐性のせいで幻聴などが辛くなったことも有り得るかどうか疑問に思いました。
:
たしかに、耐性ということはあるかもしれませんね。
素人考えでは可能な限り少ないに越したことはないと思いますが、実際に辛いとそうも言っていられないこともあるのでしょう。
ただ、論理的な思考を心がけることによって、少しでもその辛さを減らすことができるようになれば、結果的に薬も少なくて済むでしょうから、そうなれば良いなあ、と思います。
再度ご回答ありがとうございます。
お礼の返信が遅くなりました。
ここ最近幻聴と耳鳴りおよび様々なことが自分の中で起きてかなり辛いです。
精神的に辛いとも言えばいいと思うのですが、辛いです。
それが原因もあってお礼を書く気がしませんでした。
幻聴と耳鳴りが、梅雨入りしてから梅雨入りする前より不快になったり我慢できなくなったということがあれば医師にそのまま言えばいいことかと僕は思いました。
>この疾患に対して薬事療法が始まったのはわずか60年ほど前です。
医療者も試行錯誤の段階ではないかという気がします。
:
この疾患=統合失調症だということかと思いました。
試行錯誤というのは、試してみて成功することもあれば失敗することもあることだと思いましたが、そうなのかどうか知りたいです。
例えばエビリファイを飲んで薬の効果がなかなか出ないがリスパダールに変えると薬の効果が発揮されたということが試行錯誤だということだと思いましたが、そうなのかどうか知りたいです。
>論理的な思考を心がけることによって、少しでもその辛さを減らすことができるようになれば、結果的に薬も少なくて済むでしょうから
:
論理的な思考について、わかりやすい回答を下さい。
プラス思考(前向きな思考)ということですか?
心理療法家がマインドフルネスを行うことを提示してくださりましたが、それが論理的思考かと思いました。
マインドフルネス瞑想などを意味してます。
薬では現れない効果も現れると聞いたのですが、マインドフルネス瞑想を行っている間に耳鳴りと幻聴が不快で我慢できないかもしれなくて、それが辛く感じるかもしれない気がしました。
薬では現れない効果も現れるという治療法はいくらでもあったら、それはどういうものかをいくつか教えて下さい。
No.27
- 回答日時:
#26です。
前回色々お伺いしたのは、つらいことのあった日の出来事をなるべく詳しく記録しておき、それを先生に見せるのがよいのではないか、と思ったからです。
比較的副作用の少ない薬を使っているようですが、あくまで個人差があるでしょう。
逆の作用をする場合もあるはずですから、今の薬を使っている結果については詳しく報告したほうがよいと思います。
そのためには、自分の意見を挟まないで事実だけをなるべく正確に記述するほうが良いでしょう。
エビリファイを半分にしたようですが、薬の効果は2週間ぐらいしないとわからないものも多いと思います。
先生に連絡して確認をとったほうが良いでしょう。
逆に、同じ処方でなかなか改善されないようなら、量だけでなく、薬そのものを変えることはできないかという点に関しても相談してみてよいと思います。
いずれにしても、辛さが少なくなった、逆に辛さがひどくなった、など症状の変化についてはきちんと記録して見せる必要があります。
たとえば、エビファイは不眠という副作用が出る場合もあるようですが、少なくしてから眠れるようになったのか、変わらなかったのか、など。
あるいは、眠れるようになったが、別の症状がひどくなった、などなど。
操られた感覚については、先生は何度も聞いているでしょうから、同じことばかり繰り返しても意味はおそらくないでしょう。
症状の変化、という事実についてのみ先生に報告し、その点について一緒に検討し合うようにするのが良いと思います。
この回答への補足
例えばエビリファイを飲み始めて間もない頃に幻聴などが少し楽になったけど、最近は薬の耐性のせいで幻聴などが辛くなったことも有り得るかどうか疑問に思いました。
補足日時:2012/06/13 15:05回答ありがとうございます。
>つらいことのあった日の出来事をなるべく詳しく記録しておき、それを先生に見せるのがよい
:
これについて僕は1冊ノートなどを用意し、そこに詳しく記録するということだと思いました。
>逆の作用をする場合もあるはずだから
:
エビリファイが幻聴などを抑える薬だけど、幻聴などをひどくするということだと思いました。
あと全体的に思ったことは、人間の体は薬を飲んで必ず症状がおさまったりするわけではなく、薬を飲んでいると症状がひどくなる方向にいくことも有り得るようになっているということを思いました。
思ったことに対し、どう思うか、回答下さい。
No.26
- 回答日時:
#25です。
1.
>話題を1つずつ話していったほうが、頭の整理にもなると聞きました。
:
全くおっしゃるとおりと思います。
例についてもひとつ(どうしても必要なら2つまで)に絞るのが好ましいでしょう。
2.
>「○○がきっかけで唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」
ことは合っていると思います。
:
安心しました。
>家族の方は一時的に動作が止まるのは誰でもあると聞きましたが、
:
「家族の方」という表現はまちがいです。
自分の身内に敬語を使ってはいけません。
単に「家族は」でいいです。
>僕は「何らかのきっかけで動作が止まる」のが長く続いたり、「頭の中で音楽が再生されるのや、頭の中で言葉が浮かんでいたが、何らかのきっかけでそれらが停止した」ことがあったのです。
こういうことが昨日(10日)あったのです。
:
どんな音楽でしたか。
どんな言葉でしたか。
また、それはどのような順番で浮かんだり、停止したりしたのでしょうか。
事実だけを教えてください。
>おそらく薬の量が多すぎたせいだと家族に言われました。
なので夜の薬をやめました。
「唾液が飲み込めなかったりした」のも結構長く続いていました。
:
薬をやめてから後は、どうなりましたか。
また、今日の薬はどうしましたか。
そして、今日の調子はどうでしょうか。
回答見ました。
6月10日、どんな音楽で、どんな言葉で、どういう順序で思い浮かび停止したかどうかは全部はパッと浮かびません。
その日はノートにメモすることすらできなかったのです。
J-POPの邦楽などが流れていました。
「マルマルモリモリ」という薫と友樹、たまにムックの曲をカラオケサイトで停止が起きたりする以前に視聴していたので、それが自分の中で流れていたことでしょう。
薬をやめてから後は、動作が止まることが減りました。
エビリファイを先月処方された量に戻しました。
6mg減らしたというわけです。
「治す」という言葉がついた事柄が浮かび、その通りにまるで治されたような感じもあったかもしれません。
「全部治す」「日本も治す」「外国も治す」「目で見ろも治す」などの言葉です。
全部はパッと浮かびません。
エビリファイを減らしても耳鳴りや幻聴は治まりませんし、昨日(11日)は喫茶店から帰ってきてから耳鳴りや幻聴が我慢できない音声になって聞こえたことがありました。
今も辛いです。
どんな動作かということですけど、目がパチッと開いていて、下を向く動作をしようとしたけど、途中で固まった感じだったり、ハコブルさんとのやりとり内容を印刷して冊子にしたものを手に持った状態で寝ころんでいて姿勢を変えれなくてそれがしばらく続いた後に耳鳴りがきっかけで勝手に体が動いてしまったというわけなのです。
動作も固まり、体も固まり、辛い状況でした。
No.25
- 回答日時:
#24です。
1.
Aについて話しているときにそれを放っておいて・・・、ではなく、Aについて質問されたとして、自分はAの質問に対して答えるのだが、Aについて話している時にBの話をし始め、そして話がいつの間にかBの話になってしまうということです。
:
「Aについて話している時にBの話をし始め、そして話がいつの間にかBの話になってしまう」というのが、
「Aについて話しているときにそれを放っておく」
ということです。
いずれにしても大事なことは、必然性(必要性)がないのに「Aについて話している時にBの話をし始める」と相手が感じてしまう、ということだと思います。
それが実際にどうなのかに関しては、対話している当人でないとわからないことが多いものです。
他人の会話のことについて、一方だけの言い分を聞いてあれこれ論評するのはフェアじゃありませんし、なにより興味がありません。
2.
自分は「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」という表現を#8でハコブルさんが述べたように、能動的表現、あるいは客観的表現に言い換えたいということなのです。
以上を踏まえて「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」を言い換え、その言い換えは何表現か(客観的表現か能動的表現かなど)教えて下さい。
:
要するに、受動的な表現をしないで表現したい、ということですね。
それであれば、
「操られた」という受動的な感覚はおかしいと思うので、そうではない表現で「唾液が飲み込めなかった」ということを表現してもらえませんか?
のように質問するとわかりやすいかもしれません。
つまり、「操られたのではない」を言い換えるとどうなるか?
ということでしょうから、
「○○がきっかけで唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」
のようになると思います。
>#24の回答が来てからお礼を書いたのに回答が来なくてどうして回答が来ないのか、疑問に思いました。
:
他にやることがあったからです。
回答ありがとうございます。
昨日は調子が悪くてパソコンを起動して返事を返すことすらできませんでした。
1.
「Aについて話している時にBの話をし始め、そして話がいつの間にかBの話になってしまう」というのが、
「Aについて話しているときにそれを放っておく」
ということです。
:
A関連の時を話している時にBの話をし始め、Aについて放っておく
これについて思いましたが、A関連の時を話している時はB関連の内容の話を投げかけないことだと自分は思います。
話題を1つずつ話していったほうが、頭の整理にもなると聞きました。
2.
「○○がきっかけで唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」
ことは合っていると思います。
家族の方は一時的に動作が止まるのは誰でもあると聞きましたが、
僕は「何らかのきっかけで動作が止まる」のが長く続いたり、「頭の中で音楽が再生されるのや、頭の中で言葉が浮かんでいたが、何らかのきっかけでそれらが停止した」ことがあったのです。
こういうことが昨日(10日)あったのです。
おそらく薬の量が多すぎたせいだと家族に言われました。
なので夜の薬をやめました。
「唾液が飲み込めなかったりした」のも結構長く続いていました。
No.24
- 回答日時:
#23です。
>今までのハコブルさんの回答で、複数の話をしていたとハコブルさんは考えるかどうかが知りたいです。
:
関連があれば複数の話をすることもあります。
心理療法家の人が言ったのは、Aについて話しているときに、それを放っておいてBの話を持ち出すのはよくない、という意味だと思います。
Aの話をするために必要であれば、それに関連することとしてBを持ち出すのは別に構わないでしょう。
>今後質問を立てた際は複数のことを話さないということは大切だと思ったのです。
:
そうですね。
わたしが以前から言っているのは、例をたくさん挙げない、ということです。
なるべくひとつに絞ることが大事でしょう。
>実は、「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」ということについて思いましたが、
(1)まるで操られたような感じがして=無意識にそうなった
(2)唾液が飲み込めなかったりしたことがあった
:
(1)は前者は受身ですが、後者は客観的な認識の表現だと思うのです。
⇒
(1)まるで操られたような(受身)
(2)感じがして(主体的)
(3)唾液が飲み込めなかったりしたことがあった(客観的)
という感じですかね。
回答読みました。
1.
心理療法家とのやりとりの話についてですが、説明不足だった箇所があったように思いました。
正確に言うと以下のような内容のことを指摘されたのです。
★比喩的に言うと、ミカン関連の話をしていて、心理療法家がミカンの種について質問したとし、僕はミカンの種について答えるのだが、種関連で違う果物の種の話をし始め(スイカの種、ブドウの種など)、そして話がいつの間にかスイカやブドウになってしまう流れの出来事が起きたということ。
ハコブルさんのおっしゃることは違います。
Aについて話しているときにそれを放っておいて・・・、ではなく、Aについて質問されたとして、自分はAの質問に対して答えるのだが、Aについて話している時にBの話をし始め、そして話がいつの間にかBの話になってしまうということです。
2.
僕が言いたかったのは、
(1)まるで操られたような感じがして=無意識にそうなった
(2)唾液が飲み込めなかったりしたことがあった
↓
(1)は前者は受身ですが、後者は客観的な認識の表現だと思うのです。 について、(2)の内容もしくは(1)(2)の内容を説明したのではなく(1)の内容だけ説明したのです。
自分は「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」という表現を#8でハコブルさんが述べたように、能動的表現、あるいは客観的表現に言い換えたいということなのです。
以上を踏まえて「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」を言い換え、その言い換えは何表現か(客観的表現か能動的表現かなど)教えて下さい。
No.23
- 回答日時:
#22です。
ちょっと修正。
《あ》頭の中で○○という言葉が無意識に浮かんだようだった。
《い》頭の中で○○という言葉を無意識に発したかもしれない。
《う》無意識に体が動いた・無意識に行動していた・無意識に言葉が出た。
などのほうが表現としては自然でわかりやすくなるでしょう。
ご回答読みました。
実は、ヤフー掲示板で心理療法家とやりとりが続いているんですが、
僕がした話が脱線しているということを指摘されました。
要は、ミカン関連の話をしていて、心理療法家がミカンの種について質問したとし、僕はミカンの種について答えるのだが、種関連で違う果物の種の話をし始め、そして話がいつの間にかその話に変わってしまうという流れの出来事が起きたということです。
心理療法家さんに1つずつ話題を解決するまで話し、それから別の話題を話すことを言われました。
今までのハコブルさんの回答で、複数の話をしていたとハコブルさんは考えるかどうかが知りたいです。
今後質問を立てた際は複数のことを話さないということは大切だと思ったのです。
回答に対するお礼は1つだけにします。
実は、「まるで操られたような感じがして唾液が飲み込めなかったりしたことがあった」ということについて思いましたが、
(1)まるで操られたような感じがして=無意識にそうなった
(2)唾液が飲み込めなかったりしたことがあった
:
(1)は前者は受身ですが、後者は客観的な認識の表現だと思うのです。
ハコブルさん、これについて正しい解釈かどうかが知りたいです。
No.22
- 回答日時:
#21です。
1.
>これがどういうメカニズムでこういうことが起きるかはわからないとおっしゃってました。
静止という名前はつけているが、メカニズムは知らないとのことでした。
:
静止にしろ、静止の解除にしろ、「自分の意志に反する言動」というものは存在します。
つまり、○○したい、と思っても、必ず○○をするわけではありません。
全く逆のことをわざわざ言ったりやったりすることもあるのが人間です。
これは、無意識という領域が人間の心(脳)にはあるからです。
無意識の領域に記憶されていることは意識できません。
ですから、その記憶に基づいて行なわれる言動の理由について理解したり説明したりすることは難しいのです。
これはあくまで心理学的な解釈です。
物理的には神経伝達物質の化学作用になると思いますが、脳科学はいま発展途上です。
遠い将来か近い将来かはわかりませんが、いずれそのメカニズムも解明されることでしょう。
>でも赤ちゃんは何を元に動作(ハイハイしたり、産声を上げたりなど)をするのかがわからないので詳しく教えて欲しいと思いました。
:
いわゆる「先天的」に備わっている能力でしょう。
>某サイトに以下のことが書かれてました。
★赤ちゃんは周囲の物や大人がする動作を目で見て、耳で言葉を聞くことを繰り返すうちに、記憶の力が発達することと合わせて、物と言葉をつなげて記憶したり、動作と言葉をつなげることができるようになってきます。
以上についてハコブルさんの考えを教えて欲しいと思いました。
:
わかりやすい説明だと思います。
難しいことは知りません。
2.
>>「○○された自分」という感覚は「○○した自分」とワンセットになっているという意味。
意識する、認識するというのは、こういう構造になっている、ということです。
○○の箇所に「変換」という文字が必ず入るわけではありません。
:
○○には例えば「発見」「操作」「命令」「制限」「禁止」などだということかと思いました。
そうなのかどうか知りたいです。
⇒
むろん、それも含まれます。
3.
《A》
「脳の中身すべてが動かされている感じ」:受動的な感覚の主体的表現
「脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ」:客観的な認識の主体的表現
《B》
「昼ご飯を食べることが禁止された感じ」:受動的な感覚の主体的表現
「昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたし」:客観的な認識の主体的表現
>上記の《A》と《B》の表現は「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたものだと思うのです。
:
そうですね。
ただ、
「昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたし」:客観的な認識の表現
「昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたしたと感じた」:客観的な認識の主体的表現
のようになると思います。
>例えば
《あ》頭の中で言わされた感じがした
《い》頭の中で発せられた感じがした
《う》まるで操られたような感じがした
この3つは「受動的な感覚の主体的表現」だと思うのですが、これを「客観的な認識の主体的表現」に置き換えることができるなら、どういう表現になるかを回答下さい。
:
前にもお話ししたと思いますが、大前提として、
「頭の中で言わされた」は主体的表現ではない、ということがあります。
「頭の中で言わされた感じがした」は、「言わされた」のではなく、『「言わされた」と感じただけだ』という主体的な認識が伴っているので主体的表現と言ってもよい。
こういうことです。
《あ》頭の中で言った感じがした
《い》頭の中で発した感じがした
《う》まるで自分自身を操ったような感じがした
No.21
- 回答日時:
#20です。
>『変換された(感じがした)自分』と『変換した自分』はワンセットになっている。
:
これについて、どこで知った情報かが知りたいです。
本を見て知ったのなら、何という名前の本で知ったか、書いてください。
⇒
本に載っているわけではありません。
単に、このように考えることができる、という意味です。
「○○された自分」という感覚は「○○した自分」とワンセットになっているという意味。
意識する、認識するというのは、こういう構造になっている、ということです。
○○の箇所に「変換」という文字が必ず入るわけではありません。
人それぞれの感覚ですから色々あるでしょう。
>★『ごはんを食べようと意識する自分』には『ごはんを食べようと思わされた自分』が必ずワンセットになって伴っている
:
これについて詳しく説明を下さい。
:
⇒上で述べたのと同じ意味です。
このように考えることができる、という論理の問題です。
能動的自分がいれば、必ず受動的な自分がいるはずでしょう。
「歩こう」と考える自分は、「歩こう」と考える自分によって、「歩こう」と考えさせられた自分でもあるわけです。
大事なことは、「どちらも同じ自分」という点です。
「違う」と考えるのは統合失調の最大の特徴です。
>★『歩いている自分』には『歩こうと思わされた自分』で、どちらも同じ自分
:
作為体験というのは、『歩こうと思わされた自分』のことである。
こういうことで合っているかどうかも知りたいです。
⇒
そうだと思います。
「作為体験」というのは「させられ体験」と呼ばれることもあります。
ネットで検索すれば、もっと詳しいことがわかるでしょう。
>(1)~(3)の出来事と静止および静止が解けたのは関連づいていたと言えるのです。
でも『思わされた』のではなく、自分の意志で起こしたことだと思うのですが、ハコブルさんも同じ意見だと考えるかが知りたいです。
:
同じ意見です。
>また(1)~(3)の実例をご存知かどうかも知りたいです。
:
知りません。
>ハコブルさんがご存知ではないのなら、医者が良く知っている分野かもしれませんね。
:
必ず知っているとは限りませんが可能性としてはあるでしょう。
>最後に、#19のお礼に対する回答を忘れていますよ。
:
作為体験を理解すれば納得いくはずなので、いちいち回答しませんでした。
ご所望なのでとりあえず以下でお答えしましょうか。
>「受動的な感覚の主体的表現」と「客観的な認識の主体的表現」の言葉の意味が知りたいのです。
「受動的な感覚の主体的表現」は例えば何か。
「客観的な認識の主体的表現」は例えば何か。
例をいくつか挙げて欲しいと思ったのです。
:
についてですね。
これは、質問者さんが挙げた例を私がまとめた表現ですね。
その例以外にも知りたいということでしょうか。
前者は「何かに追いかけられているように感じた」
後者は「その花が美しいとわたしは感じた」
などですかね。
回答ありがとうございます。
1.
昨日(6日)精神科の診察に行ってきました。
ハコブルさんに僕が「例えば文字を書く・ごはんを食べる・ジュースを飲む・起きる・寝るなどの日常の動作や体を動かす運動ができるのは、自分自身の記憶したことが元になっているのだと思ったのですが、そうなのか知りたい」と質問したら、「そうです」と答えましたよね。
それを医者に言ったんです。
そしたらこのような回答に賛成で、先生もそう思うと医者はおっしゃいました。
つまり「記憶したことで、それを使って動いている。」「記憶が元になって動いている。」ということです。
実は自分は記憶したことが元になって動作ができたりするのですが、その反面、何らかのきっかけ(=幻聴・耳鳴り・テレビ・他人の言動など)で日常の動作や運動をする機能が停止したことがあり、要するに病的な解釈で言う「制限が入った」「止められた」ということだと思うということを医者に伝えたのです。
これがどういうメカニズムでこういうことが起きるかはわからないとおっしゃってました。
静止という名前はつけているが、メカニズムは知らないとのことでした。
でも赤ちゃんは何を元に動作(ハイハイしたり、産声を上げたりなど)をするのかがわからないので詳しく教えて欲しいと思いました。
某サイトに以下のことが書かれてました。
★赤ちゃんは周囲の物や大人がする動作を目で見て、耳で言葉を聞くことを繰り返すうちに、記憶の力が発達することと合わせて、物と言葉をつなげて記憶したり、動作と言葉をつなげることができるようになってきます。
以上についてハコブルさんの考えを教えて欲しいと思いました。
2.
>「○○された自分」という感覚は「○○した自分」とワンセットになっているという意味。
意識する、認識するというのは、こういう構造になっている、ということです。
○○の箇所に「変換」という文字が必ず入るわけではありません。
:
○○には例えば「発見」「操作」「命令」「制限」「禁止」などだということかと思いました。
そうなのかどうか知りたいです。
3.
「受動的な感覚の主体的表現」と「客観的な認識の主体的表現」の言葉の意味を教えてくださり、ありがとうございます。
受動的は「~られた」、客観的は「~があった」という表現ですよね?
で、疑問が湧いたことですけど、関係付いている「受動的な感覚の主体的表現」と「客観的な認識の主体的表現」について
いくつか例をあげて書きます。
《A》
「脳の中身すべてが動かされている感じ」:受動的な感覚の主体的表現
「脳機能のすべてがまるで自由にならず、意図しない状態へと勝手に変わる感じ」:客観的な認識の主体的表現
《B》
「昼ご飯を食べることが禁止された感じ」:受動的な感覚の主体的表現
「昼ご飯を食べる意欲や動作に不調をきたし」:客観的な認識の主体的表現
上記の《A》と《B》の表現は「受動的な感覚の主体的表現」から「客観的な認識の主体的表現」に置き換えたものだと思うのです。
それ以外の受動的な感覚の主体的表現を、客観的な認識の主体的表現に置き換えるのは無理があるかどうかが知りたいです。
例えば
《あ》頭の中で言わされた感じがした
《い》頭の中で発せられた感じがした
《う》まるで操られたような感じがした
この3つは「受動的な感覚の主体的表現」だと思うのですが、これを「客観的な認識の主体的表現」に置き換えることができるなら、どういう表現になるかを回答下さい。
No.20
- 回答日時:
まず、先生に提出するレポートは自分の言葉で書くほうが良いでしょう。
文面や用語の使い方、その変化などを元にして先生は治療方針を決めるはずだからです。
他人が書き換えるのは治療の妨げになるだけで好ましくないと思います。
ただ、(1)に関してアドバイスすると、例が多すぎるので可能な限り少なくする、というぐらいでしょうか。
『幻聴と耳鳴りおよび自分の中で起きる出来事について辛さを感じたりしたことがありました。
エビリファイ・PZC・ロナセンを毎日飲んでいても症状などがおさまる気配がなく、毎日辛い生活を送っています。』という部分と、(2)に関してはそのままでも良いと思います。
文法的な間違いも特に無いようですし、内容がわからなければ先生はその場で確認するでしょう。
その作業も治療の一環になると思います。
その時間を増やすためにも、例をなるべく少なくすることをお勧めします。
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さて、今回はじめてお使いになった、≪作為体験≫という言葉についてですが、非常に重要なことなので、わたしとしてはこのことに関してのみ、重点的に感想を述べて回答に変えさせていただきます。
>しかし僕は作為体験だとは思いません。
何らかの理由は自分の中で生じたものだと思うのです。
:
作為体験というのは、このように自分の中で生じるものを言います。
他の例もほぼ同じ事を言っているので、以下の例に絞って述べてみましょう。
> 今まで自分の中で浮かんだ否定的な言葉が反対の言葉に変換された感じがあった(=例えば「言わない」が「言う」、「なくならん」が「なくなる」など) 要は「言ってはならなかった」のが「言っても良い」という感じに切り替わったということだと思う このことも自分の中で生じた何らかの理由によるものだと思ったのです。
:
「切り替わった」というのは非常にわかりやすい表現ですね。
他人に変換された(切り替えられた)のではなく「自分の中で生じたものだ」とfall1024taさんはおっしゃりたいのでしょう。
それはそのとおりだと思います。
ただ、ここからが大事です。
「変換された感じがあった」ということは、
(ア)変換された(感じがした)自分
と、
(イ)変換した自分
が想定されていることになります。
そして、人間の認識、あるいは意識の構造というのは、そういうものです。
たとえば、「ごはんを食べよう」と意識する自分には、「ごはんを食べようと思わされた自分」が必ずワンセットになって伴っているわけです。
ここまでは誰でも同じです。
しかし、
(ア)変換された(感じがした)自分
と、
(イ)変換した自分
は、『どちらも同じ自分』なのです。
たとえば、「歩いている自分」は、何らかの理由、または何らかのきっかけで「歩こうと思わされた自分」ですよね。
しかし、どちらも同じ自分でしょう。
自我が発達している人は、主体的に考えますから、「わたしは歩いている」と認識します。
しかし、何らかの原因で自我が脆弱な人は、精神的に自立できていないので主体的に考えることが難しいため、「わたしは(わたしのなかの自分によって)歩かされている」と受動的に認識しがちです。
つまり、正常な自我というのは、
『(ア)変換された(感じがした)自分=(イ)変換した自分』
のように無意識的に認識していますが、
脆弱な自我の人は、
『(ア)変換された(感じがした)自分≠(イ)変換した自分』
と感じてしまいます。
「認識する主体」というものが必ず「認識される自分」を伴うのは当然です。
つまり、一人の自分の中に「認識する主体」と「認識される自分」がいる(ある)のは論理的に正しい事実だと言えます。
「ご飯を食べる自分」は「ご飯を食べようと決心させられた自分」でもあるわけです。
この両者を別物だと考えることはできますが、しかし、これはあくまで構造的な視点にすぎません。
自分の中に能動性が生じる場合、結果として受動的な事柄も同時に生じる、というだけのことなのです。
「変換された自分」と「変換した自分」は「全く同じ自分」です。
どちらも同じ自分なのに、別のもう一人の違う自分を想定してしまうために、操られているように感じる。
自分の中で起こる、こういった感覚を作為体験と言うわけです。
これが辛さの原因なのでしょう。
散歩してますか。
ときどきは体を動かしてくださいね。
ハコブルさん、#20の回答に目を通していて思いました。
『変換された(感じがした)自分』と『変換した自分』はワンセットになっている。
:
これについて、どこで知った情報かが知りたいです。
本を見て知ったのなら、何という名前の本で知ったか、書いてください。
★『ごはんを食べようと意識する自分』には『ごはんを食べようと思わされた自分』が必ずワンセットになって伴っている
:
これについて詳しく説明を下さい。
★『歩いている自分』には『歩こうと思わされた自分』で、どちらも同じ自分
:
作為体験というのは、『歩こうと思わされた自分』のことである。
こういうことで合っているかどうかも知りたいです。
医師に伝えるためのレポートは既に書きました。
でもレポートに書いてない内容で、医師に伝えたいことがまだありました。
実は自分の中で以下の流れの出来事があったのです。
(1)『動くな』『動くな動くな動くな動くな』という禁止用語が浮かび、気になり、頭から離れない状態だった
↓
(2) (1) がきっかけで禁止用語『動くな』ではなく、『動くんだぱも』『動くんだなも』などの言葉を他人には聞こえない感覚で発した
↓
(3)ところが喫茶店で働いていて職員の言動をきっかけに禁止用語をまるで言わせられたような感覚が起きた
(1)と(2)は6年前に起きた出来事です。2006年の時なので僕が18歳の頃です。
それで、(1)の出来事が起きたことが原因で、何らかのきっかけで禁止用語『動くな』などが勝手に浮かび上がり(=まるで「発見された」感覚)静止に至ったことがあったという訳です。
それは『動くんだぱも』などの用語を発しても、静止に至ったのです。
(1)~(3)の出来事と静止および静止が解けたのは関連づいていたと言えるのです。
でも『思わされた』のではなく、自分の意志で起こしたことだと思うのですが、ハコブルさんも同じ意見だと考えるかが知りたいです。
また(1)~(3)の実例をご存知かどうかも知りたいです。
ハコブルさんがご存知ではないのなら、医者が良く知っている分野かもしれませんね。
最後に、#19のお礼に対する回答を忘れていますよ。
そちらの回答も下さい。
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