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恒公蜀に入り、三峡の中に至る。部伍の中に、猿の子を得たる者有り。その母岸に縁ひて哀号し、行くこと百余里にして去らず。遂に船に跳び上がり、至ればすなはち絶ゆ。その腹中を破り視れば膓皆寸寸に断つ。公之を聞きて怒り、命じてその人をしりぞく。

A 回答 (2件)

この恒公の話の出典は 『世説新語』黜免篇2


  http://ctext.org/shi-shuo-xin-yu/chu-mian/zh
断腸の思い[はらわたがちぎれるほどの悲しくいたましい思い]の由来とされます。

現代語風にやってみます:
 桓公蜀に攻め入り三峡に至る、部下に猿の子を捕える者あり。
 その母岸に沿いて泣き叫び、百余里進むも去らず。
 遂に跳んで船に上がり、そのまま息絶える。
 その腹を割いてみるに、腸は皆寸断しあり。
 公このことを聞くや怒り、その人を罷免せしむ。
*これ以上は解釈か翻訳になるのでこの程度でいかがですか。
*前提知識:
・この話の舞台は、長江の上流現在有名な観光地“三峡”辺りを攻めのぼっている時。
・三峡一帯は両岸が迫って川幅が狭い。
・当時この一帯は猿が多く居り、古典漢詩詞に頻繁に登場する。
・当時の距離単位 里 は現代の数百メートル。

原文と読み下しがあります。
 http://kanbun.info/koji/dancho.html
詳細解説はこちら。
 http://rienmei.blog20.fc2.com/blog-entry-285.html
 現代語訳は【解釈】の項を参考に。

日本国語大辞典によれば、日本古典における用例として、
 *俳諧・猿蓑〔1691〕序「我翁行脚のころ、伊賀越しける山中にて、猿に小蓑を着せて、誹諧の神を入たまひければ、たちまち断腸のおもひを叫びけむ」*不如帰〔1 ... 
ともあります。

ご質問にある読み下しには、現代語の気配が混入しています。上記のサイトをご参考に。

*学校の課題のような気もしますが、既に片づきましたか。
それならば猶更ですが、正しい知識に触れておきましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございますm(__)m

まさにその通り、学校の課題です。まだ終わってません 汗


これを参考に終わると思います!

ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/03 12:22

    自身ないですけど



    「恒公(人名)が、蜀(地名)に入り、三峡(川の両岸が迫っている地名)の中に来た。部下の中に子猿を捕えた者がいた。
    母(猿)は、岸に沿って、悲しそうに泣き、百何里の航行を続けてもまだついてきた。とうとう(自分の子猿のいる)船に飛びあがって、(船に)ついたと同時に息が絶えた。
    その(母猿の)腹の中を裂いてみると、腸がずたずたに切れていた。恒公はこれを聞いて怒り、人に命じて(子猿を捕獲した)者を解雇した。」

 と言った意味かと
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます\(^^)/

参考にさせて頂きます。

お礼日時:2012/06/02 17:47

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