アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 NHK大河ドラマの「平清盛」の「平家納経」の回を見ました。
 そこで不思議に思ったのは,平家の一門が納経する先が厳島神社でしたが,なぜ,お経を神社に納めたのでしょうか?
 私の理解では,お経は仏教のもののはずで,それをお寺に納めるというのならば分かるのですが,神道のはずの神社に納めるというのは,どうも腑に落ちません。
 これが神仏習合と言われるものなのでしょうか? だとしても,違う宗教のものを納めて,神社側もそれを受け取るというのは,かなり不思議な気がします。
 平安時代は,このあたりは,どのように考えられていたのでしょうか? お寺と神社の区別はされていなかったのでしょうか? 神社にお経を納めてもよかったのでしょうか? ご存知の方,ご教示をよろしくお願い致します。

A 回答 (6件)

奉納とは、神様に対する貢物なのです。

戦勝祈願、安産祈願、家内安全、学業成就、子宝祈願、五穀豊穣、大漁祈願、一族繁栄、商売繁盛、千客万来、悪霊退散といった具合に古来から日本人は人智の及ばない領域への神の力添えを願ってきました。おかげさまで魚がたくさん取れました。今後もなにとぞよろしくお願いします。そういう信仰が神道なのです。人々はできる範囲のことで精一杯の宝物を神社に捧げてきました。感謝の気持ちや祈願の気持ちを表現し神様に少しでも喜んでもらうためです。

それが平家納経の意味です。そこは天下の平家ですから、お酒一本奉げた程度では全然喜んでもらえません。それは庶民でもできることだからです。平家にしか奉げられない宝物はなんだろうか。平家ならではの宝物はなんだろうか。それがお経だったわけです。

余談ですが、日本将棋連盟は2007年、伊勢神宮に棋譜を奉納したことがあります。棋士が神様に奉げられるものは棋譜しかありません。また棋譜を奉げられるのは棋士しかいません。心血を注いで対局した記録が棋譜なのです。そういうものを奉げることで神様に感謝の気持ちを伝えられる。それも信仰のうちです。

それが神道なのです。

神道と仏教は対立しません。神道と仏教は車の両輪のようにどちらも日本人に必要なものなのです。
神道は、人智の及ばない領域への神の力添えを願う宗教なのに対し、仏教は日本人に生き方を教える宗教です。心の持ち方、暮らし方を教えるのが仏教です。
神道と仏教は役割がぶつからず、矛盾せずに両立することができるのです。だから欽明天皇は日本人には仏教が必要だと考えたし、古来より神道と仏教は平和的に共存することができたのです。

そういう基本認識が平清盛にもあったから、お経を奉納しても神様は喜んでくれるだろうと考えることができました。お経を貢物、宝物として献上した。そういう意味なのです。
    • good
    • 6
この回答へのお礼

なるほど。納経の意味が分かりました。ありがとうございました。
BAにさせて頂きます。

お礼日時:2012/08/07 14:52

高々お経と考えでしょうが、お経に訳された暗号と採れるかもしれぬ。


うちは、曹洞宗ですが、お寺の若き住職さん達は、いつも読み上げているお経を翻訳しました。
その中で三事例をあげ、檀家に説明した。
1つは、素粒子物理学、神はいるけど手に取ることができない
1つは、臓器移植について
最後は、忘れた。
まるでタイムマシンで現在の人が過去へいったような説明を受けているかのような説明でした。

平家は、真言宗と聞いています。
もしかしたら、富士高天原王朝に関する訳が見つかるかも?
    • good
    • 1
この回答へのお礼

そういう見方もあるわけですね。勉強になります。
ありがとうございます。

お礼日時:2012/08/07 14:54

清盛の時代は既に神仏習合でしかもほぼ神社の多くは寺の管理下にありました。


皇學館の先生によれば、自然崇拝を主にしていた神道には理論武装した仏教の侵略を止めることが出来なかったとしています。
その結果仏教に取り込まれる形になってしまい、神道の神々も本地垂迹として仏の化身という解釈になりました。
ですから多くの神社では読経を行うことも本尊として仏を祭ることも普通にしていたわけです。
平民でも神社に祈願に行き、読経をするということがあります。
日照りの時、弁財天社(これも仏教が影響する神社)に籠もり読経を続けて雨が降ったという地方の逸話もあります。
一説では厳島神社は中国貿易のため、中国の観音信仰の聖地-普陀山(普陀落山)を模したとも言われています。つまり貿易船が出航の時に無事を願い、帰航したときに無事を感謝する目印でもあったとしています。
これに倣って造られたのが厳島神社だとしています。
そのため本尊は宗像三神・弁財天・観世音菩薩でした。この観音像は普陀山から伝わったとも言われています。

が、明治時代に行われた神仏分離令の際、廃仏毀釈による打ち壊しを恐れて十一面観音像を大聖院に移動し、神社となったということだそうです。
政令は神仏分離令でしたが、地方の役人や住民の一部、或いは中央に取り入ろうとする小役人が廃仏毀釈として寺の打ち壊しを始めたからのです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

なるほど。わかりました。
さまざまなエピソードを挙げて頂き,勉強になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2012/08/07 14:53

大和時代、日本に仏教が入ってきた当初は、異国の宗教として非常に弾圧があったそうですが、平安時代にもなれば、仏教は宗教というよりもファッション、流行、教養のようなものになっています。



もともと「八百万の神」というほどに、色々な神を祭り、主神以外にも合祀を行う神社の性格と、土地の神様を仏の使いとして取りこめる仏教の性格では、互いを攻撃する必要性がなかったのでしょう。
そもそも、日本神道のトップであるはずの天皇家が仏教を国教として、国家鎮護の祈祷を依頼しているあたりで、神社には仏教に対する抵抗は少なかったと思います。
質問者さまがお考えのように、これが神仏習合と呼ばれます。

また、流行りのように「末法思想」がひろまっていたために、経典や説教というのは、娯楽に近かったようです。
平清盛よりは結構前になるのですが、清少納言が枕草子の中で「説教する僧侶は美男がいい。顔を見ている間は話を聞こうと言う気になる」と身も蓋もない感想を述べたりしています。
それに、この頃には、僧侶は基本的に寺で学問を学び、政治的な活動をしていて、宗教活動らしい宗教活動は行っていません。それに反発してか、空也のように民衆に根差す仏教が発生し始めますけれど。


ちなみに、現在のように、お寺が葬式を行い、地域の人が檀家となるのは江戸時代のお話です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど。わかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/07 14:50

>なぜ,お経を神社に納めたのでしょうか?



明治期の神仏分離令までは、真言宗御室派に属する大聖院が厳島神社の別当職として神社の祭を掌っていました。
つまり、お寺が神社を管理していた訳ですね。
お寺の境内に、神社が存在した訳です。
今でも、厳島神社境内には多宝塔・五重塔などの仏教に関する建物が残っています。
明治までは、お寺ですから納経を行っても不思議ではありません。
似た例で、讃岐の金毘羅さんが有名です。
元は、象頭山金光院松尾寺の境内に「金毘羅さん」が存在していました。
(金光院松尾寺が、金毘羅さんの別当職)
金光院松尾寺の坊さんが、真言宗のお経を唱えていたのです。
神仏分離令が出た翌日、坊さんは一斉に神主に変身。
金光院松尾寺の境内(土地・建物全て)美術品・書物など全てを、金刀比羅宮と名前を変え金刀比羅宮の所有としました。
貼付画像の山門。どう見ても、神社でなくお寺ですよね?

>これが神仏習合と言われるものなのでしょうか?

そういう事です。
本地垂迹説が信じられていて「絶対的存在としての仏や菩薩。その化身である神という形を取る」事で神仏の調和の理論的裏づけとしています。
つまりは、仏・菩薩が神の姿になって人々の前に現れるという思想です。
結果、坊さんは神さんも祭祀するのです。

>違う宗教のものを納めて,神社側もそれを受け取るというのは,かなり不思議な気がします。

神社が受け取っているのではありません。
お寺(大聖院)が、受け取っているのです。

>お寺と神社の区別はされていなかったのでしょうか?

歴史的な寺・寺院では、区別はありません。
但し、天神さん・御霊神社など「祟りを鎮める為に建立した神社は、お寺と区別」しています。
祇園祭で有名な、八坂神社も「分離令までは、お寺」でした。
例外的に、お寺が力ずくで神社を支配下に治めた場合もあります。
春日大社と興福寺は、元々独立した存在でした。
が、天暦元年(974)。興福寺の坊さんによって春日大社で読経が始まります。
以後、興福寺が管理する春日大社となります。
神仏分離令が出ると、興福寺の坊さんは「一夜にして、春日大社の神職に変身!」します。
「平家納経はなぜ神社に?」の回答画像2
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど。ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/07 14:48

たとえば 春日大社と興福寺


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E6%97%A5% …
「。11世紀末から興福寺衆徒らによる強訴がたびたび行われるようになったが、その手段として、春日大社の神霊を移した榊の木(神木)を奉じて上洛する「神木動座」があった。」

神仏習合というやつで、明治以降に無理やり分離される前は、どこもいっしょ

厳島神社も
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%B3%E5%B3%B6% …

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%A1%98% …
いっしょ
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ありがとうございました。
 資料を挙げて頂き,勉強になりました。

お礼日時:2012/08/07 14:48

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!