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私の質問に興味をお持ち頂きありがとうございます。
私は先日インド旅行に行って参りまして、多くの物乞いがいる事に驚きました。
そこでふと疑問に思ったのが、「お金を渡そうかなあ。どうしようかな」という事です。

皆さんならどうしますか?答えと、答えの理由を知りたいです。

A 回答 (13件中1~10件)

たくさんいる場合、渡しません。


理由は、全員に等分して上げる事が出来ないから。

でも、何とか、仕事をしようとしている人を見ると、
つい、上げたくなってしまいます。
ある時、自分が観光バスの中にいたら、
バスの外から子供たちが必死に、ティッシュを売っていました。
一番小さい子は、すごく小さくて、大きな子供の間から手を伸ばしても、
隠れちゃうくらい小さいんです。
売れなかったら、帰って家で怒られるんだろうなと思い。
一番小さい子にだけ、ティッシュは、もらわずに、お金だけ上げました。

私のではありませんが、もっと、すごい手口も知っています。
その物乞い達を、一瞬の間、牽制させる方法。
出来るだけ遠くに、お金を投げる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうなんですよね、子供を見るとあげたくなってしまいます。

お礼日時:2012/08/06 23:56

渡しますし、渡しました。



ですが、相手を選びます。
インドではありませんが、物乞いが組織化されていて、
本来の物乞いでは無い人が多いと、現地の人に聞き
ました。
仕事が無い、のではなく、物乞いの方が楽に稼げる
からだそうです。

私が渡す理由は、お年寄りに席を譲るタイミングを
逃した時の後味の悪さに似ています。
後悔するより、自分が納得するためにする、という
感覚です。

ただ、組織化している偽物乞いに、渡す後悔も嫌です
ので、人を選びます。
異常に痩せている、見成りのチェック…等。

それと、一人に渡すと、たくさんに囲まれる可能性の
無いことです。
安易な同情心から、安全を確保できなくなるのも問題
です。
立ち止まって、財布を出すのもいけません。
それように、少額をいくつか分けて、ポケットにしの
ばせます。

一緒にツアーに行った人が、物乞いを、可哀そう可哀
そうと、言うばかりの人が居ました。
可哀そうなら、渡してはどうですか?そうでないなら、
偽善者ぶらない方が良いですよと、聞いていて腹が立ち、
思わず言ってしまいました。

日本も、そういう時代がありましたし、明日は我が身の
時代です。高慢な態度は、失礼だと思いましたね。

ですので、渡す時には、今日一日あなたが食にありつけ
幸せを感じますようにと、心で思いながら渡します。

それで、間違えた相手、偽物乞いに渡したとしても、
自分が納得するので、そこから先は、旅行先での
買い物の鉄則を作っているのですが、それと同じ
気持ちで居るようにしています。
気に入ったら、値段で納得すれば即買う、そして、
他で見つけても値段を見ない。
旅行先は、二度と訪れない可能性の方が高く、買う
のを躊躇して、やっぱり欲しかったで、それを探す
のに時間を費やすのももったいないですし、時間も
無いです。
そして、同じ物を見つけて、値段を見てしまって、
買った値段より安いと、がっかりして次から買う
のを躊躇する…で、帰宅して、荷物を開くと、
なんで買ったんだろう?と、思うものばかり…

ですので、物乞いにお金を渡す時にも、この人にと、
決めたら渡す。後は、正しかったんだろうか?と、
気に留めないことです。
帰国して、自分の中での思い出が、後悔ではなく、
納得した旅になりました。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます!
私も、物乞いに対して高慢な態度は取るべきでないと考えます
なぜなら彼らは好きで物乞いをやっているわけではないから
結局のところ私も含め多くの人は、物乞いの幸せを考えられる程の器量が無いという結論なのでしょうか…

お礼日時:2012/08/06 23:54

物乞いが少なくないという観点から、俺ならば渡しません。


例えが悪いですが、物乞いが恵んでもらっている現場を他の物乞いが見た場合、
俺も俺もと寄ってくる可能性があります。そうなると、余計に動きが取れませんから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます
それもその通りですね!

お礼日時:2012/08/06 23:51

日本でなら、渡しません。


私が中学、つまり昭和20年代、上野でもたくさんの傷痍軍人の物乞いが居りました。
でも当時は被扶養者のみぶんでしたから、渡しません。
今、大人になっていますが、私の収入は一定の目的のものであり、その範囲をこえるものではありません。
私は自分が、人様にそういうお恵みをするほどのものではないことを痛感しております。
で、相当に困っているひとがあれば、役所に連絡相談します。
友人が借用に来たとしたら、明確にお付き合いを絶ちます。考え違いも甚だしいので。
友人ではないが知人が借用にきたことがありましたが、断りました。
そして彼女は地域の古い区議さんの奥さんに数百万円借りました。
奥さんは誰にも言いませんでしたが、機会があって話題となりました(会議ですね)。
返ってこないことを知って、貸しましたということでした。

インドは物乞いが多いそうです。
私は、対応しません。
真の聖者、行者さんには、むしろもらってもらいます。
物乞いにきた場合は対応しません。
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この回答へのお礼

なるほど。
一つの考え方として、大変参考になりました!
ありがとうございました

お礼日時:2012/08/06 23:50

「慈善は、相手のため(物質的な損得)ではなく、自分のため


(精神的な充足=愛他心)である」である、というのが資本主義的
生産性優先へのアンチテーゼです。
西欧は物質主義だと思われがちですが、実際はお金持ちは慈善
事業に普通にお金を出します(宗教的モチベーションですが)。
それは、貨幣制&即物主義の欠陥への補正であり、決して不自然
な事ではないでしょう(人類は全体で1つの生命体=助け合い)。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2012/08/06 23:41

タイでの経験です。



タイでは、乞食を職業にしているそうです。
朝、大勢でバスに乗ってバンコクにやってきて、物乞い行為をや
る。
なるだけ、可哀そうな風景を演出するため、赤子を連れて行く。
赤子のいない人のために赤子の貸出も行う。
その日の上がりの何分の1かは、バスを運行した親分に渡す。

こんな按配だったと記憶しております。
もっと酷い話も聞きましたが、書かないでおきます。

要は、物乞いは可哀そうさを演出し、旅行者はその演技に代金を
支払う、ということですね。

背景には、貧困ゆえの何でもありの世界観があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
そんなのもあるんですね…
気をつけます。

お礼日時:2012/08/06 23:48

 


ここに回答寄せてる皆さん誰も分かっておらんよーなのでゆーておきます。

インドで物乞いに金を渡すとき感謝すべきはどちらの側になるか。

インドで物乞いに金を渡すとき感謝すべきは金をもらう物乞いのほーではなく、

金を渡す側のほーが物乞いに感謝せねばならんゆー理屈になっとるのである。

従って物乞いのほーは金をもらっても感謝などせず、金を渡したほーに対し金をもらってやったから感謝せーとこーゆー理屈なんである。

そんな事も知らんで「お金を渡そうかなあ。どうしようかな」などと見当違いのことを訊いて、これに答える皆も同じであるがアホらしくて開いた口がふさがらんわ。


 
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この回答へのお礼

開いた口が塞がらないとおっしゃりますが、恐らくあなたの言う善悪論、どっからか引っ張ってきたものですよね
自分の頭で考えず思考停止している人間に呆れられても、私は痛くも痒くもありません
あしからず

お礼日時:2012/08/06 23:47

渡しません。



なんで苦労して稼いだ金を、他人に
渡さねばならないのですか。
渡す理由がありません。

かわいそうだというなら、それは
その国の責任であって、私の責任
ではありません。

まして、インドなどは、世界有数の
金持ちがひしめいている国です。
なんで外国人が渡さねばならないの
でしょうか。
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この回答へのお礼

貧乏な国は富める国に搾取されます
政治の常識です
全てがインド政府の責任ではないと私は考えますが…

お礼日時:2012/08/06 23:44

海外では乞食もいろいろで、



涙ながらにただひたすら困窮を訴えるのは未亡人だ。
亭主を戦争で亡くしただの、子供が不治の病だのと
人間一般の義理人情に訴えかける、割には肉付きが良く血色も良好だ。

めくらや足なえ、不具奇形は道端に敷物をして器を前に座っている。
中には補償が不十分な戦役帰還者もこれに混じる。
たいていは夕方になると敷物を丸め自分の足でスタスタと歩いて帰る。

労働の対価を得ているので乞食とは言えないが
占断とか祈祷とか霊験あらたかなガラクタを売り物にする輩もいる。
頼みもしないのに靴磨きや車のウィンドウを拭いてくれる奴もいる。
前よりも汚れるのは気のせいだろうか。

一番厄介なのはくそガキどもだ。
雪のちらつく路傍で悲しそうな眼をして震える小さな手を差し出す。
俺は小便たれが大嫌いなので小銭を渡したが最後、
どこからともなくワラワラとガキの群れがたかりに来る。
中には「お前、さっき上げたよな?」みたいなのまでいる。



以上、何だかんだで全部恵んでまいりました、今晩はtaco8chです。
何、大したことじゃありません。
まさか全財産寄付しようってわけじゃあるまいし、
もともと海外で大金持って外出したりはしませんから。
ホテルまでの帰りのタクシー代とたばこ代さえ財布に残るなら。
幸い大けがもなしで生きて帰って来れました。
たぶん乞食の祈祷のおかげでしょう。

どうしても気が向かないときは、
ポケットを裏返して口をヘの字にして見せれば、
大人しく諦めて消えてくれます。
彼らは無一文には興味がないからです。

マハラジャでもない俺が小銭を恵んだからと言って、
俺の懐具合や乞食の希望のない人生に
わずかばかりも変化を与えるものではありません。
いわんやその国の経済状況をや。
彼らにしてみれば自尊心を削っての乞食なのでしょうから、
あなた乞う人、俺恵む人、
ここはひとつお互いビジネスライクにいきましょうじゃあ~りませんか。

劣弱者への同情と哀憐を演じるさもしい利己的満足と、
昨今は中国にその座を譲ったとはいえ
元祖アジアの成金の日本人の虚栄心を
こちょこちょとくすぐるその快感が、俺はこの上なく好きです。
いっひっひ。



インド製のお金を少しばかりインド人に返してやっても
お釈迦様の罰は当たらないんじゃないか?
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結婚してインドに住んでいますが、普段から、なるべく上げる様にしています(特に、お年寄りや、障害者)。

上げる時、彼らは、私にではなく、『あ~神様有り難うございました。』っと、神に対して感謝の言葉を述べます(私の居住地はイスラム圏)。
彼等の為に寝泊まり出来る施設を作ってあげたり、一緒に仕事を探してあげたり、私の家に住まわせてあげたりなんて、私の力量では、とても出来ませんから、小銭を与えるだけで、彼等が神に感謝してくれるなら(それだけ嬉しかったという事ですよね?)大した犠牲には感じません。
因みに、彼等は、お釣りもくれるので、小銭を切らしていても大丈夫です。
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この回答へのお礼

神様に感謝するんですか!
そうですよね、ささいな助けになればこちらも嬉しいし向こうも嬉しいです。
お釣りをくれる物乞いは初めて聞きました
回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/07 13:24

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