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大学受験を控えている高校生です。

いじめの考察と対応について小論文を書いてみました。
厳しいアドバイスで結構です。
よろしくおねがいします。 

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 何匹ものひよこを狭いケージに閉じ込めると、大きいひよこは小さいひよこをつつく「いじめ」を始め、時には死にも追いやってしまうという。人間社会をみてみると、今の日本社会は閉塞感に包まれていると誰でも思うに違いない。いつの時代でもいじめはあったというが、今日のいじめの陰湿さはこれまでにみないほどである。実際、去年の中学生の自殺の原因となった、同級生によるいじめは極めて卑劣なものであった。いじめには諸原因あることが明らかになってきているが、その根本的原因はなにかを見極め、それを改善する事でいじめの影響は縮小できると考える。

 いじめの最大の原因は、いじめる側にあるのは間違いないが、なぜいじめてしまうのか、それをまずは考えなければならない。コミュニティの空洞化や核家族化、勉強のストレスに過激なゲームの影響もあるだろう。このような状況下では、相談でき、頼れるような人がいない子供は決して少なくないだろう。つまり子供は、心の拠り所がないからいじめにはしってしまうのではないだろうか。その上、いじめにおいてはそれ止める役目にあるはずの学校が機能していないのは、教育委員会や校長、教員を包括した体制のいじめに対しての仕組みに問題があるからだろう。教育委員会は、いじめのない学校を「良い学校」とし、その学校の校長や教員も評価する。つまり、いじめの告発や撤廃をするか否かは学校内で、自己利益と一緒に秤にかけられてから決定されるのである。これでは、いじめの実態は把握されにくく、教員らが気づいても彼らが見てみないふりができてしまう。その結果、「無視」されてしまった生徒を自殺へと追い込んでしまうのであろう。

 これより、主として二つの点を改善することが求められる。第一に子供の心の拠り所をつくることで、いじめ自体が起こるのを防ぐことができるだろう。たとえば、学校にカウンセラーをおいてみてはどうだろうか。専門家なら、生徒や状況の理解も早く、生徒も安心して相談できるだろう。これより、学校側も的確な対策も立てられるに違いない。第二に、いじめへの体制の刷新も重要である。いじめが起こってしまった場合に、先生がほかの教員や校長、そして教育委員会に迷うことなく相談できる仕組みが望ましいだろう。そこでは、学校側がいかにいじめをなくすことができたかなど、いじめの有無ではなく、いじめへの姿勢が評価されるべきだ。したがって、学校や校長、教員が自己利益といじめを話して考えられる環境を整えなければならない。

 いじめはいじめられた方の心にも、いじめた方の心にも一生傷が残ってしまう。今日のように複雑化した社会からいじめを完全になくすことは非常に難しい課題かもしれないが、子供の閉塞感などの心情がすぐにいじめにつながらないよう防ぐことはできるはずだ。もしいじめが起きた場合でも、体制が整っていれば学校は整然と対応することができる。これまで起きてしまった自殺の原因を深くまで突き止めることで、さらに適切な改善策をたてることができると考える。

A 回答 (4件)

いじめの防止策として、学校を取り巻く教育メカニズムの改善を謳っていますが、そもそもいじめを引き起こす生徒は、「家庭教育」と「学校教育」からこぼれ落ちた結果の喪失感がひとつの原因のような気がします。


家庭教育で救えない生徒は学校教育で救えるのか?という疑問が湧きますが、学校での改善策にのみ焦点を当てていると大きな落とし穴があるような気がします。
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この回答へのお礼

読みが甘かったみたいです。
勉強になります。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/24 19:32

前の「格差」添削について複数の丁寧な回答をもらっているのに、それを放置して次を出すのは礼儀に欠けますね。



小論文の学習を勘違いしていませんか。「持論の披瀝の場」ではないのです。小論文ではテーマとともにその記述の「条件」が与えられるのが普通です。~をふまえて○○と××の語句を交えて述べよとか、△△を読んで凸凹との関連を考慮しつつ何字以内で述べよとか、□□について、事例をいくつ挙げて述べよとか。

あなたの記述も半分以下に圧縮できる内容です。そして主張ははっきり言えばありきたりでぼんやりしている。例えば「今日のいじめの陰湿さはこれまでにみないほどである」って「今日」と「これまで」の境界はどこにあるのでしょう。制約の中で制限時間内でコンパクトに論旨をまとめることこそが小論文であるのに、この間延びした文章ではどんな設問に対する記述なのかもわからず、評価のしようもない。

「学校や校長、教員が自己利益といじめを話して考えられる環境を整えなければならない」にはおそらく致命的な(までに誤読を誘う)誤字があります。「話して」は「離して」(「切り離して」の意)誤りでしょう。まあ入試本番は手書きでしょうからこの手の変換ミスはないでしょうけど。「学校や校長、教員」という併記のしかたも変です。

テーマに少し触れておくと「隠ぺい体質」「マニュアル化したステレオタイプな対応」にこそ問題があると思いますけどね。「体制が整っていれば学校は整然と対応することができる」のでしょうか。個々のいじめとは「整然と対応しうる」性質の問題なのでしょうか。

この回答への補足

↓どこの国でも、、は、体制が整っているところでも、という意味です。

補足日時:2012/08/24 19:33
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この回答へのお礼

すみませんでした。これから気を付けます。

確かに、どこの国でもいじめはありますよね。
もっと深く考えたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/24 19:32

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7651897.html

返事もしない、書いたら書きっぱなし、これじゃ伸びません。
闇雲に書けばいいわけではありません。
前回からの進歩も全く無いと見ます。
ちゃんと小論文の教材をやっているのでしょうか。

あなたが受けるところですから、きっとアンポンタン大学ではないのでしょう。
であればあるほど、今のあなたのやり方では厳しい、と見ます。
名前と受験番号が書ければいい、
字が書ければいい、
何らかの文章が書ければいい、
何らかの意味があればいい、
それなりに新聞情報等を知っていて欲しい。
下に行くほど選別が厳しくなっているわけですが、一番下でもアホ大学です。
おそらくは、それじゃぁ慶應レベルなら届かないでしょう。よくは知りませんけど。
それで届くとするなら、慶應もアホ大学に成り下がった、ということです。残念ながらその可能性はあります。
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この回答へのお礼

すみませんでした。
これから気を付けます。

お礼日時:2012/08/24 19:29

 先ずこの文章の最大の問題点。


(1)「いじめ」に関する『定義』がなされていない。
 このため「ひよこ」と「現代社会が持つ閉塞感」の関係が不明である。昨年に発生した事件は「いじめの問題」を端的に示してはいるが、それが全ての「いじめ問題」に共通するともいえない。
 
(2)論点としての根拠が不明、もしくは全く独善的解釈であるといえる。
 ではなぜ「いじめの原因」が「コミュニティの空洞化や核家族化、勉強のストレスに過激なゲームの影響もある」と指摘できるのか。そして「つまり子供は、心の拠り所がないからいじめにはしってしまうのではないだろうか」との問題に置き換えることが可能であるのか。これらの根拠が一つとして示されていない。
 全く同じ環境と条件があったとして、同じ結果が生じるとの説明がなされていない(客観的データに基づいての自分の考えを提示できていない)。

(3)「学校」と「学校を監督する制度(教育委員会および各都道府県の学事課・学務課)」と二つのシステムの関係に対するアプローチの仕方。
 両者の関係などの説明がなされないままに、両者の機能不全状態を唐突に持ち出すことは、「始めに結論ありき」として我田引水の形でこのテーマに対する叙述を終えようとしているとの姿勢が明確である。それは「論文」と呼ぶには隔たりがある。

(4)第一パラグラフの文末に示されている「いじめには諸原因あることが明らかになってきているが、その根本的原因はなにかを見極め、それを改善する事でいじめの影響は縮小できると考える」の文章を質問者は不自然に感じないのだろうか。一方で「複合的問題としてのいじめ」の性質を扱いながら、その一方で「根本的原因は何か」として「いじめに核心的部分がある」との書き方をしている。その結果「この問題点を解決できれば、いじめを減らすことができる」とのこじつけに近い結論に至っている。この点は「論旨曖昧」として採点から除外され、或いは減点の対象となりうる。

(5)全体の流れとして、第一パラグラフ(筆者の意見)→第二パラグラフ(問題点の観察)→第三パラグラフ(提言ともいえない想像)→第四パラグラフ(筆者の感想)をとり、一見合理的構成をなしているように見えるが、実際には論旨不明・我田引水そしてそれを展開するだけの説得性を欠く。

(6)「言葉の使い方」が一貫していない。第二パラグラフ及び第三パラグラフに表れる「自己利益」との内容が不明であり、報道ソースで使用させている「自己保身」とはどの様に異なり、あるいは「自己利益」との言辞に置き換えることでメリットがあるのか。そしてこの言葉を使った上での致命的な問題点が「学校や校長、教員が自己利益といじめを話して考えられる環境」との一文にある。これは「学校や校長、教員が自己利益といじめを離して考えられる環境」の誤記である。誤字脱字は致命的である。

(7)全体的印象として、NHKのニュース解説に登場する解説委員の「説明」的色彩が強く、また学校秀才にありがちな「当たり障りのない模範解答」であり高みの見物に終始しているかのような印象を受ける。また内容的には箸にも棒にもかからないポロポロなものとしか評価のしようがない。
 システムとしての「学校」はいってみればハードウェア的存在とソフトウェア的運用によって構成される組織である。質問者は「学校にカウンセラーを置いてみてはどうだろう」と一見もっともらしい提案?をしているが、そのカウンセラーは既に配置されている。にもかかわらずそれが機能していないことが問題であり、その部署に問題が上げられるまでの間に働く圧力か問題の温床ともなっていることを質問者はニュースや新聞で見聞していないことがわかってしまう。
 このような問題があります、との提起に対し、「私ならこうする」との提言を「論理的に」提示することが大切である。そのためには「問題の所在と意味」→「一般の認識」と「自分の認識」との対比→「自分の認識に対する反論に対する反証」→「提言」などの基本的「展開」を意識して書くことが、質問者には欠落している。
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この回答へのお礼

確かに、、と思いながら読ませていただきました。
詳しくありがとうございました。

お礼日時:2012/08/24 19:22

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