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日本語の質問です。

よく、「~することが出来る」という言葉を見かけますが、
これを述語として考える場合、文法的に正しい日本語でしょうか?

以前、「よく使われる表現であるが、文法的には間違っている」と
ご教授頂いたのですが、憲法の条文にも この表現が使われていたので
本当に間違っているのか気になりました。

宜しくお願いします。

A 回答 (3件)

文法的には、どこも間違ってはいません。


以前にいただいたご回答はどのような理由で文法的に間違いだとおっしゃるのでしょうか。

「~する」は動詞の連体形なので、後ろに「こと」があっても間違いではありません。
「こと」は名詞なので、主語になれます。「が」が続いても間違いではありません。
「できる」は動詞なので、述語になれます。
何が間違いなのでしょうか。

ただ、「これを述語として考える場合」にはムリがあります。二文節以上なので「述部」です。そこはまた、主語とは、述語とはという別の問題です。

また表現の仕方としては、微妙なところもあります。
「することができる」は「~eる」と言い換えられる場合があります。たとえば「泳ぐことができる」は「泳げる」でいい場合があります。この二つをどう使い分けるかについては、それぞれに意見や論拠もあるでしょう。ですが、両方とも使えるということは、両方とも文法的に誤りではないということです。

使い方さえ間違わなければ、正しい日本語と言えます。
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I can play the piano.-私はピアノを弾くことができる。

することができる=can。故に、これは助動詞?
なんて考えませんよね。
日本文法でいうと、「弾く」は動詞の連体形であり、それは「こと」にかかり、「ピアノを弾くこと」、が主格。「が」が、主格を表す格助詞と言えます。ちなみに、ここでいう、「私は」の「は」は係助詞であり、ここでは、題目提示の役割。すなわち、私について言えば、ということを表すため、「私」は主語ではない。
すると、述語は?「出来る」です。
(私について言えば)、あること(ピアノを弾くこと)が、できる。
修飾する言葉を取り除いたら、「こと」が「できる」、となるわけです。
「することができる」、全てを述語としてとらえようとするから、ややこしくなる。

文法的に間違っているというのは、英語の表現をそのまま日本語にしようとしたら、「~すること」はto不定詞の名詞的用法を用い、それができるというのだから、be able toにしなくてはいけない、といったことでしょうか。canはあくまで可能の助動詞だから、「~れる」「~られる」を用いなければならないとか。
日本文法として、決して間違ってるとは言えませんが、純粋な日本文では、「~することができる」なんて表現は、あまり見かけませんものね。英語を翻訳するときに、直訳した結果でしょうか。
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 言葉は生き物ですので、日々変化を続けています。

流行語のように短い命で消滅する言葉も数多くあります。古くは間違いだとされている「誤った言葉」でも、使う人が増えて多数派になった時点で「正しい言葉」に変わってしまいます。

 自然科学では例え正解が一人しかいなくても、証明できればそれが「正しい」科学になります。しかし、言語は多数決で決まるものなのです。多数派が「正しい」言葉になるものなのです。
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