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「が」と「は」の違いについてーその8 番外編
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11275874.html
上記質問 #58の回答内容がよくわからないのですが、どなたか教えていただけませんか。
この回答者の方は、それまでのやり取りで、

(ア)私の万年筆は
(イ)私の持っている万年筆は
これらは共に『「の」は格助詞で、所属・所有の認識』であるという点で同じである。
しかし、
(ア-1)⇒(特殊性)の認識とは関係ありません。
(イ-1)⇒特殊性の認識を表しています。

という趣旨の発言をしておられます。
(※因みに「特殊性」とは、「他人の万年筆ではなく」という意味での特殊性です)
つまり、
(ア-2)私の万年筆は 外国製です。
という場合の「万年筆」は特殊性の認識ではないが、
(イ-2)私の持っている万年筆は 外国製です。
という場合の「万年筆」は特殊性の認識である。

とおっしゃっておられる。

・矛盾したことを言ってませんか?

とお尋ねしたところ、
『どこが矛盾に見えるのですか。
ピントがずれていますね。
顔を洗って眼鏡を変えた方が良いでしょう。』
というご返事が戻ってきました。

彼の言っている内容は、本当に矛盾してないのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • #1お礼欄からの続きです。

    《どんな表現対象についても、「が」と「は」に関係なく個別性(普遍性・特殊性)は存在する。》

    というのが私見の骨子。
    アスナロウさんからは「根拠を挙げた論理的反論」が特に提出されてないので、たぶん合っているのだと思われます。(笑)

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/07 19:48
  • 上欄からの続き。
    #1お礼欄の内容を一部修正させてください。

    ×
    しかし、三浦つとむは、(ア-2)(イ-2)のように「は」を使う場合、個別性ではない、と言います。
    個別性⇒「が」の専売特許。
    普遍性・特殊性⇒「は」の専売特許。
    というわけです。


    しかし、三浦つとむは、
    (ア-1)(イ-1)のように「が」を使う場合、普遍性・特殊性は存在していない、と言います。
    同時に、
    (ア-2)(イ-2)のように「は」を使う場合、個別性ではない、と言います。
    個別性⇒「が」の専売特許。
    普遍性・特殊性⇒「は」の専売特許。
    というわけです。

      補足日時:2019/09/07 19:53
  • #17の下記について一言も返事が無いのはなぜ?
    わからないなら、そう言ってください。
    別に恥ずかしいことじゃない。
    無視や詭弁で胡麻化すことこそ恥じるべき。

    1.
    三浦においては、
    (ア-1)人が死ぬ。早く救急車を。(個別性)
    (イ-1)人は死ぬ。いやでも死神は訪れてくる。(普遍性)
    だが、

     A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)
    では、
    a 肯定判断――バラは赤い。 b 否定判断――バラは青ではない。 c 無限判断――バラは象ではない。
    というように「ハ格」が個別性として使われている。

    2.
     B 反省の判断 (Urteil der Reflexion)(特殊性の判断)
    c 全称判断――人間なるものは死すべきものである。
    は普遍性の判断ではないのか?
     D 概念の判断 (Urteil des Begriffs)(普遍性の判断)
    と何が異なるのか?

    No.21の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/09 22:33
  • 『固有性』という用語がいきなり出てきたので特殊性のことかと思ったわけですが、違うのですね。
    では、固有性とは何かを【個別・特殊・普遍に絡めて】説明してください。
    そして、『マサルという固有性』を用いて解説できる例文をひとつ挙げてください。

    No.24の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/17 22:08

A 回答 (24件中1~10件)

>『固有性』という用語がいきなり出てきたので特殊性のことかと思ったわけですが、違うのですね。



漢字読めないの。
固有名詞を知らないの?

>つまり、マサルは普遍性と固有性(特殊性)を同時に含み持つ個別性として存在しているのではあるが、普遍性と固有性(特殊性)を同時に表わすことはできない。

同時に主語が表すことができないということですか?

要は、語も主語も普遍性と固有性(特殊性)も味噌も糞も一緒に同一平面でしか理解できていませんね。

「が」であろうと、「は」であろうと、それに【関係なく】個別性(普遍性・特殊性)は存在するのは当たり前なのですね。
であれば、
《「は」にも、個別性(普遍性・特殊性)が存在するのは当たり前》ですよね?

と意味不明な質問を執拗に繰り返すのと同じです。

「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんが叱っています。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>要は、語も主語も普遍性と固有性(特殊性)も味噌も糞も一緒に同一平面でしか理解できていませんね。

理解したいので下記の質問をしました。
よくお読みの上ご回答いただけますか?

『固有性』という用語がいきなり出てきたので特殊性のことかと思ったわけですが、違うのですね。
では、固有性とは何かを【個別・特殊・普遍に絡めて】説明してください。
そして、『マサルという固有性』を用いて解説できる例文をひとつ挙げてください。

お礼日時:2019/09/14 23:28

No.22 のお礼に答えて



>a.
・マサル(という秋田犬)はザギトワの愛犬だ。⇒普遍性。
・(タロウやジロウは違うが、)マサルはザギトワの愛犬だ。⇒固有性(特殊性)。
ということですね。

違います。

・マサル(という秋田犬)はザギトワの愛犬だ。⇒特殊性

チワワや他の秋田犬ではなく、マサル(という秋田犬)という犬の特殊性の認識

・(タロウやジロウは違うが、)マサルはザギトワの愛犬だ。⇒名前の特殊性(固有性ではない。)

固有と特殊は異なる概念

>同時に主語として認識すること

主語は表現された文の成分の呼び名で、「同時に主語として認識する」こととは何を言わんとしているのか不明です。

>普遍性と固有性(特殊性)

固有と特殊は異なる概念

>《まさにこの特殊と普遍の同一性が述語にほかならないからである。》という表現は適切ではない

<個別、つまり同時に特殊かつ普遍ということであり、まさにこの特殊と普遍の同一性が述語にほかならないからである>で、述語の問題で、「は」「が」とは別の文脈です。
文脈を無視した、「恣意的な切り取りは慎みましょう」ということです。

>《まさにこの特殊と普遍の統一されたものとしての個別性が述語にほかならないからである。》

トートロジーです。

b.
・紫式部は源氏物語の作者だ。
紫式部という作家は人間であり、作家という職種の普遍性を具え、同時に紫式部という固有性を具えています。

この「は」は作家の特殊性の認識を表わすものです。
固有名詞の固有とは何かが全く理解できていません。
チャランポランな用語理解、使用は慎みましょう。

>・紫式部(という作家)は源氏物語の作者だ。
という普遍性として解釈するほうが自然ではありませんか?

「は」という語の意義を問題にしているのに、いつの間にか文の意味とごたまぜになるところに、言語実体観の限界が露呈しています。

物言えば唇寒し秋の風
芭蕉

ようやく、秋ですね。
読書の秋です。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

1.
>・マサル(という秋田犬)はザギトワの愛犬だ。⇒特殊性
チワワや他の秋田犬ではなく、マサル(という秋田犬)という犬の特殊性の認識

(友人同士でテレビを見ながら)
a.マサルって秋田犬、どうしてあんなに有名なの?
b.マサルはザギトワの愛犬だ。

こうしたシチュエーションを思い浮かべるとわかりやすくなるでしょう。
ここに『チワワや他の秋田犬ではなく、』という意図は無いことがお分かりになるはず。

2.
>・(タロウやジロウは違うが、)マサルはザギトワの愛犬だ。⇒名前の特殊性(固有性ではない。)
固有と特殊は異なる概念

『固有性』という用語がいきなり出てきたので特殊性のことかと思ったわけですが、違うのですね。
では、固有性とは何かを個別・特殊・普遍に絡めて説明してください。
そして、『マサルという固有性』を用いて解説できる例文をひとつ挙げてください。
いきなり新たな用語を用いたのですから、きちんと説明する責任がある。

3.
><個別、つまり同時に特殊かつ普遍ということであり、まさにこの特殊と普遍の同一性が述語にほかならないからである>で、述語の問題で、「は」「が」とは別の文脈です。
文脈を無視した、「恣意的な切り取りは慎みましょう」ということです。
>トートロジーです。

アスナロウさんは本当に文脈が読めないのですね。
同情を禁じ得ません。
そこは、主語について述べている箇所なんですよ。

ご自分が示した牧野訳(鶏鳴双書25)でも、『主語の持つ具体的な全体性というの』について主題提示されていることが明白ですよね?
※なぜなら、主語の持つ具体的な全体性というのはやたらに色んな物をまとめたというのではなく、【個別、つまり同時に特殊かつ普遍ということであり】、まさにこの特殊と普遍の同一性が述語にほかならないからである※
文章は数回読み返す習慣をつけるとよろしいでしょう。

お礼日時:2019/09/11 16:21

No.21 のお礼に応えて



>「特殊かつ同時に普遍であること」なんかできるわけないよね?

現実の個物を見ましょう。
マサルという秋田犬は犬であり、秋田県という犬種の普遍性を具え、同時にマサルという固有性を具えています。

「特殊かつ同時に普遍であること」の事実を理解できませんか。

現実を正しく理解しましょう。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>マサルという秋田犬は犬であり、秋田犬という犬種の普遍性を具え、同時にマサルという固有性を具えています。

a.
・マサル(という秋田犬)はザギトワの愛犬だ。⇒普遍性。
・(タロウやジロウは違うが、)マサルはザギトワの愛犬だ。⇒固有性(特殊性)。
ということですね。
おっしゃるとおりでしょう。
ただ、わたしが申し上げているのは、
・マサル(という秋田犬)は~
という意味と、
・(タロウやジロウは違うが、)マサルは~
という側面を同時に主語として認識することはできない、ということ。

むろん、マサルという【個別性】を具えているのは当然です。
つまり、マサルは普遍性と固有性(特殊性)を同時に含み持つ個別性として存在しているのではあるが、普遍性と固有性(特殊性)を同時に表わすことはできない。
この意味で、《まさにこの特殊と普遍の同一性が述語にほかならないからである。》という表現は適切ではない、と申し上げている。
《まさにこの特殊と普遍の統一されたものとしての個別性が述語にほかならないからである。》
とでもすれば、だいぶ修正できる。

b.
お説によるなら、

・紫式部は源氏物語の作者だ。

紫式部という作家は人間であり、作家という職種の普遍性を具え、同時に紫式部という固有性を具えています。

と言うこともできますね?

・(小野小町や清少納言ではなく、)紫式部は源氏物語の作者だ。
という固有性(特殊性)ではなく、
・紫式部(という作家)は源氏物語の作者だ。
という普遍性として解釈するほうが自然ではありませんか?

お礼日時:2019/09/10 18:03

#19 のお礼について



>『特殊と普遍の同一性』などあり得ないでしょう。

個別、つまり同時に特殊かつ普遍ということであり、まさにこの特殊と普遍の同一性が述語にほかならないからである

で、「同時に特殊かつ普遍ということ」の「特殊と普遍の同一性」ということです、恣意的な切り取りは慎みましょう。誤解に導きます。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「同時に特殊かつ普遍ということ」

という内容を、
>「特殊と普遍の同一性」

と表現することはない、と申し上げている。
そんな日本語あり得ません。
「特殊かつ同時に普遍であること」なんかできるわけないよね?
「特殊性・普遍性を同時に含むこと」はできるが。

>恣意的な切り取りは慎みましょう。誤解に導きます

恣意的な解釈は慎みましょう。
そして、正しい日本語の勉強から始めましょう。

お礼日時:2019/09/09 22:24

№18です。



★ (№18お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  >2. 主語は否定的な〔☆ 何らかの規定として提示する話し手たるわれ自
    身との〕自己関係

という意味がよくわかりませんが、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 《否定的な自己関係》というのが わたしには分かりにくかったので 自分の
解釈を差し挟みました。

《規定する》ということは 規定した内容以外のものを否定するゆえ 主語が特定
され提示されたということは その範囲が狭められたことを意味する。そういう意
味で《否定的》なのかなと。




あとはですね。12についての:
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
個別性は、特殊性or普遍性という視点から捉えられる。
つまり、あらゆる個体・属性は特殊性&普遍性という側面を常に具備している。
どちらの側面として認識するかは、シチュエーションを背景とした話者または聞き
手の恣意性に委ねられる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ この事態の確認が――ヘーゲルについても――成ったなら よいと思っていま
した。


つまり 例文における分析にまでは突っ込んだかたちで受け留めていませんでした。


分析された事項については おおむね述べられたところのとおりに受け留めます。
つまり 上の12の事項の応用ですよね。


わたしが なおまだピンと来ていないことがらは ハ格やガ格の用法にかかわらせ
た形でこの個別・普遍・特殊を分析する理論立てですね。見守ります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>《規定する》ということは 規定した内容以外のものを否定するゆえ 主語が特定
され提示されたということは その範囲が狭められたことを意味する。そういう意
味で《否定的》なのかなと。

なるほど~納得です。
すっきりしました。
しかし、「否定的な自己関係」という表現をするヘーゲルの必要性が、どうにも腑に落ちませんね。(笑)

お礼日時:2019/09/09 22:18

No.18 の参考に応えて



>▲ (G.ヘーゲル:《個すなわち特殊と普遍が同一となったもの》) ~~~
一七〇(『小論理学』 第三部 概念論 A 主観的判断 b 判断 1952/1978 改版 松村一人訳))

なお、「一七〇」は「一七一」の誤りですね。

これは、悪評高い松村一人訳の誤りの典型ですね。

牧野訳(鶏鳴双書25)では、次のようになっています。

なぜなら、主語の持つ具体的な全体性というのはやたらに色んな物をまとめたというのではなく、【個別、つまり同時に特殊かつ普遍ということであり】、まさにこの特殊と普遍の同一性が述語にほかならないからである(第一七〇節参照)。

松村訳も掲げておきましょう。

というのは、主語の具体的な総体性は、けっして無規定の多様性を意味せず、それは〔【個】すなわち特殊と普遍が同一になったものであり〕、そして述語はまさにこうした統一にほかならないからである(一七〇節)。

違いが判るかな?■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

統一のほうが適切なように感じますけどね。
『特殊と普遍の同一性』などあり得ないでしょう。
どちらの側面から見ても個別性という同一の概念に含まれる、という意味でしょうが、その意味での同一性は適切とは言えない。

お礼日時:2019/09/09 18:55

№15での《ヘーゲルの・判断の種類》を楯にしたアスナロウ氏の議論 これに


対するハコブル氏の論駁に BRAVO ! と言って敬意を表しつつ 取りあえずヘ
ーゲルの次の立論を 問い求めの参考として引用します。


▲ (G.ヘーゲル:《個すなわち特殊と普遍が同一となったもの》) ~~~

一七〇

1. われわれはさらに主語および述語をもっと立ち入って考察してみよう。

2. 主語は否定的な〔☆ 何らかの規定として提示する話し手たるわれ自身と
の〕自己関係であるから 確固とした根柢であって 

3. そのうちに述語がその存立を持ち 

4. 観念的に存在している

5. (すなわち述語は主語に内属している)。

 ☆ これは 端的に言って 文が論理的な意味関係( S-V-O 文型)の単一層
   から成る場合の分析だと見られる。
  
   そしてその場合であっても 主語と述語との支配関係は 《内属》がぎゃ
   くになると見ることもできる。

   述語の繋辞ないし動詞が 主語あるいは目的語を確定するという見方もで
   きるはずだ。文の成分はみな 述語の述格の支配するところと成り その
   格(意味)関係において主格も対格もみな 述格へと収斂して行く。

   次項(6)の見方が出来るにもかかわらずである。次の次からの項目(7
   以降)に見るがごとし。


6. そして主語は一般にかつまた直接に具体的なものであるから 述語の特定
の内容は主語の多くの規定性の一つにすぎず主語は述語より豊かで広いものであ
る。

7. 逆に述語は普遍的なものであるから 独立に存立し 或る主語が存在する
かどうかには無関係である。

8. それは主語を越えて進み 主語を自分のもとに包摂し 主語よりも広いも
のである。

9. 述語の特定の内容のみが両者の同一をなすのである。

 ☆ 述語なら述語という語の持つ個別性が そのまま文の中で用いられている
   か あるいは普遍性としてか もしくは特殊性という側面が取り立てられ
   ているか。

   これらの《述語の特定の内容》のいづれの場合にも 主語と〔の格関係を
   つうじて〕意味内容じょうの同一を成す。




一七一

10. 主語 述語 および特定の内容あるいは同一性はまづ 関係のうちにあ
りながらも 異なったもの 分離するものとして判断のうちに定立されている。

 ☆ 別々のものを取り出して来て 話し手の判断――たる文表現――のうちに
   同一と規定する。


11. しかしそれらは本来すなわち概念上同一なものである。

12. というのは 主語の具体的な総体性は けっして無規定の多様性を意味
せず それは個すなわち特殊と普遍とが同一になったものであり

13. そして述語はまさにこうした統一にほからないからである。

・・・
『小論理学』 第三部 概念論 A 主観的判断 b 判断 1952/1978 改版 
松村一人訳)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>2. 主語は否定的な〔☆ 何らかの規定として提示する話し手たるわれ自身と
の〕自己関係

という意味がよくわかりませんが、
3~6は主語の「内属判断」で、
 A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)
について述べているように受け止めました。
たとえば、
a 肯定判断――バラは赤い。

そして、7・8は「包摂の判断」で、
 B 反省の判断 (Urteil der Reflexion)(特殊性の判断)
たとえば、
a 単称判断――この人間は死すべきものである。

>9. 述語の特定の内容のみが両者の同一をなすのである。

個人的に、ここは同一判断を言っているのかな、という気がしました。
・鯨は哺乳類である。
においては、
鯨は哺乳類に包摂される。(鯨<哺乳類)
が、哺乳類であるという一点において
鯨=哺乳類である。
いや、しかし、ここの解釈に自信はありません。

>12. というのは 主語の具体的な総体性は けっして無規定の多様性を意味
せず それは個すなわち特殊と普遍とが同一になったものであり

個別性は、特殊性or普遍性という視点から捉えられる。
つまり、あらゆる個体・属性は特殊性&普遍性という側面を常に具備している。
どちらの側面として認識するかは、シチュエーションを背景とした話者または聞き手の恣意性に委ねられる。

>13. そして述語はまさにこうした統一にほからないからである。

他の類を意識的に想定しているシチュエーションでは、鯨は特殊性。
・(マグロは魚類だが)鯨は哺乳類である。
意識していなければ普遍性。
・鯨(という生き物)は哺乳類である。
のように、主語を特殊的側面から認識するか、普遍的側面から認識するかに拘わらず、述語は常に特殊性&普遍性を統一したものとして示される。

という意味かなと。
ここも違うかもしれませんね。
あくまで感覚として。

お礼日時:2019/09/09 18:34

>「包摂の判断」である点では同じでは?



どんな判断なの?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「包摂の判断」である点では同じでは?
⇒どんな判断なの?

 B 反省の判断 (Urteil der Reflexion)(特殊性の判断)
この人間<死すべきもの
 C 必然性の判断 (Urteil der Notwendigkeit)(特殊性の判断)
バラ<植物

であることぐらい分かりませんかね???
で、下記について一言もご返事が無いのはなぜ?
わからないなら、わからないと素直に白状しましょう。
あなたがなんでも知ってると思ってる人は一人もいないから、別に恥ずかしいことじゃないですよ。
無視したり詭弁を駆使して胡麻化そうとすることこそ恥じましょう。

1.
三浦においては、
(ア-1)人が死ぬ。早く救急車を。(個別性)
(イ-1)人は死ぬ。いやでも死神は訪れてくる。(普遍性)
だが、

 A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)
では、
a 肯定判断――バラは赤い。 b 否定判断――バラは青ではない。 c 無限判断――バラは象ではない。
というように「ハ格」が個別性として使われている。

2.
 B 反省の判断 (Urteil der Reflexion)(特殊性の判断)
c 全称判断――人間なるものは死すべきものである。
は普遍性の判断ではないのか?
 D 概念の判断 (Urteil des Begriffs)(普遍性の判断)
と何が異なるのか?

お礼日時:2019/09/09 16:09

>だから、せめて、なぜ『阿保な寝言』であるのかという根拠を、あなたが「論理的に」話せる能力があれば、問題は可決するんですがねえ。



論理的に理解する能力無しに何が解決するのですか。
唯物弁証法の論理を知らない相手に対して。
先は、長いですね~。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>論理的に理解する能力無しに何が解決するのですか。
唯物弁証法の論理を知らない相手に対して。

いえいえ、わたしは基本的に中学生にもわかる論理で話を展開しています。
あなたが、それを読解できないだけです。
『唯物弁証法の論理』をもって、相手に理解させることができない、という点について、少しお考えになってみると良いですよ。

何の論理だろうと(同意するしないは別にして)説明内容に納得がいけば謙虚に拝聴するが、あなたの場合、破綻した論理を平気で振り回すので、その説明自体が何を言っているのかわからないというのが現状なわけです。
『唯物弁証法の論理』云々ではなく、日本語表現と論理的プロセスを身につけているか否かの問題なのだと思いますね。

お礼日時:2019/09/08 23:20

>普遍性・特殊性・個別性に絡めて紹介してくれにゃ、意味わかるわけないだろっ!



ものには順序というものがあろう。

ヘーゲル先生に目を通したこともないご仁に何を言えば判るのじゃ。

>>「普遍性の認識」「普遍性の表現」のほかに「普遍性の判断」「普遍的概念」もあるんですね。もう何がなんだか。 

などというおっさんに何を言っても無駄なのは判るよね。

でも、

A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)
B 反省の判断 (Urteil der Reflexion)(特殊性の判断)

が三浦のいう、

(ア-1)(事故に遭った重傷者を目の前にして)人が死ぬ。早く救急車を。
(イ-1)(如来でも死を免れることはできないという意味で)人は死ぬ。いやでも死神は訪れてくる。
という例を挙げ、
※「人が死ぬ。」というのは「人は死ぬ。」に比べて小さなせまい部分を扱った認識で、この個別的で具体的な認識が「人は死ぬ。」という大きなひろい部分を扱った認識に、普遍的で抽象的な認識にふくまれることで、認識が立体的に発展していくわけです。※
と述べている。

のに対応している位は理解できたのかな?■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>ものには順序というものがあろう。
ヘーゲル先生に目を通したこともないご仁に何を言えば判るのじゃ。

個別性・普遍性・特殊性の話が順序として先なのだから、ヘーゲル先生でもなんでも構わんが、個別性・普遍性・特殊性に絡めて話を出さなきゃおかしいよね?
ものには順序というものがあろう。

>のに対応している位は理解できたのかな?

いや、無理っぽいですね。
下記のような疑問が解決されていませんので。

1.
三浦においては、
(ア-1)人が死ぬ。早く救急車を。(個別性)
(イ-1)人は死ぬ。いやでも死神は訪れてくる。(普遍性)
だが、

 A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)
では、
a 肯定判断――バラは赤い。 b 否定判断――バラは青ではない。 c 無限判断――バラは象ではない。
というように「ハ格」が個別性として使われている。

2.
 B 反省の判断 (Urteil der Reflexion)(特殊性の判断)
c 全称判断――人間なるものは死すべきものである。
は普遍性の判断ではないのか?
 D 概念の判断 (Urteil des Begriffs)(普遍性の判断)
と何が異なるのか?

3.
 C 必然性の判断 (Urteil der Notwendigkeit)(特殊性の判断)
 これは主語についてその実体性が規定される。 a 定言判断――バラは植物である。 b 仮言判断――もし太陽がのぼれば、昼である。 c 選言判断――肺魚は魚であるか、又は両棲動物である。

B 反省の判断 (Urteil der Reflexion)

C 必然性の判断 (Urteil der Notwendigkeit)

「包摂の判断」である点では同じでは?
つまり、いちいち分ける必要があるのか?

お礼日時:2019/09/08 23:12

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