「が」と「は」の違いについてーその8 番外編
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11275874.html
上記質問 #58の回答内容がよくわからないのですが、どなたか教えていただけませんか。
この回答者の方は、それまでのやり取りで、
(ア)私の万年筆は
(イ)私の持っている万年筆は
これらは共に『「の」は格助詞で、所属・所有の認識』であるという点で同じである。
しかし、
(ア-1)⇒(特殊性)の認識とは関係ありません。
(イ-1)⇒特殊性の認識を表しています。
という趣旨の発言をしておられます。
(※因みに「特殊性」とは、「他人の万年筆ではなく」という意味での特殊性です)
つまり、
(ア-2)私の万年筆は 外国製です。
という場合の「万年筆」は特殊性の認識ではないが、
(イ-2)私の持っている万年筆は 外国製です。
という場合の「万年筆」は特殊性の認識である。
とおっしゃっておられる。
・矛盾したことを言ってませんか?
とお尋ねしたところ、
『どこが矛盾に見えるのですか。
ピントがずれていますね。
顔を洗って眼鏡を変えた方が良いでしょう。』
というご返事が戻ってきました。
彼の言っている内容は、本当に矛盾してないのでしょうか?
A 回答 (24件中11~20件)
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No.14
- 回答日時:
なお、山本義隆『重力と力学的世界―古典としての古典力学』 (現代数学社;1981/01)、『磁力と重力の発見〈1~3〉古代・中世 /ルネサンス/近代の始まり』(みすず書房; 2003/5/23)も必読じゃ。
後者は、「毎日新聞「第57回毎日出版文化賞 受賞図書」「朝日新聞「大佛次郎賞」 2004年1月29日」を受賞し、英訳も出ているのを知らんのか?
しっかりせい!
■
ご回答ありがとうございます。
>も必読じゃ。
:
メンドくせえ~。
>後者は、「毎日新聞「第57回毎日出版文化賞 受賞図書」「朝日新聞「大佛次郎賞」 2004年1月29日」を受賞し、英訳も出ているのを知らんのか?
:
知らんね。(笑)
>しっかりせい!
:
はいはい。-_-;
No.13
- 回答日時:
#9 のお礼に応えて
>参考書ばかり買ってられないっつうの!
阿保か。
内容も理解しないで、餓鬼の屁理屈を並べてどないすんのや。
然るべき、図書館でも行って読むか、借りてこいや。
もっとも三浦先生レベルになると立ち読みで理解されたそうだが、呆けでは如何ともじゃ。
せっせと、図書館へ通わんかい!
大学の図書館はある程度充実しているので、大いに利用せいや。
それなしに、阿保な寝言をしょうもなしにぶちゃけくさって!
■
ご回答ありがとうございます。
>阿保か。
内容も理解しないで、餓鬼の屁理屈を並べてどないすんのや。
然るべき、図書館でも行って読むか、借りてこいや。
:
そういう面倒臭いことはなるべくしたくないわけよ。
>それなしに、阿保な寝言をしょうもなしにぶちゃけくさって!
:
だから、せめて、なぜ『阿保な寝言』であるのかという根拠を、あなたが「論理的に」話せる能力があれば、問題は可決するんですがねえ。
なにしろ、他人の発言に対する読解力が無い上に、論理的に持論を発信するという基礎力に欠けているため、やけくその罵詈雑言を吐き続けるしか能がないわけですよ。
そんな自分を棚にあげて他人のことを四の五の言ってる姿は滑稽ですらありますな。(笑)
No.12
- 回答日時:
あ!
言い忘れましたが、ヘーゲル大先生のお言葉にエンゲルスが熱学の発展を例に、そのお言葉の真理性に感嘆しているところです。
これを読めばいかにも無味乾燥ではあるが、また一見したところ判断のかかる分類はところどころいかにも勝手気ままにつくりあげたように見えるところがあるかも知れないが、かかる類別の内面的な真理性と必然性とは、ヘーゲルの『大論理学』における天才的な展開を徹底的に研究する者には、誰にとっても明白となるであろう。しかしながら、かかる類別が思惟法則においてのみでなく、自然法則においてもまたいかに立派に基礎づけられているか、ということに対して、われわれはいまここに別の領域からごく有名な一つの例を掲げよう。
摩擦が熱を創(つく)り出すということ、このことは、すでに有史前の人類によって、彼らがおそらくは十万年もさらに以前に摩擦火を発見したとき、またさらにそれより以前において冷えた身体の局所を摩擦によって温めたときから、実際的に知られていた。しかしながら、このときから、摩擦は一般に熱の一源泉であるということが発見されるまでに、幾千年を経て来たことかは誰がこれを知ろうか。ともあれこうして、かかる時代、すなわち人間の頭脳の充分な発達の結果、摩擦は熱の一源泉であるという判断、いいかえれば定有の判断を、しかも肯定判断を下しうる時代が到来した。
さらに幾千年を経て、ついに一八四二年にマイエル、ジャウルおよびコールディングはこの特殊な事象を、このときまでに発見されたこれと類似の他の諸事象との関係に基いて、すなわちそれのもっとも手近かな一般的諸条件に基いて研究し、そして判断を下のように定式化した――一切の力学的運動は摩擦を媒介として熱に転化せしめうるものである。われわれが対象の認識においてかかる定有の肯定判断から、かかる反省の全称判断にまで進みうるには、かくも多くの時間と膨大な経験的認識を要したのであった。
しかしながらいまや事情は急速に発展した。すでに三年後にはマイエルは、すくなくとも本質的な点では反省の判断を、それが今日もなお妥当性を有する段階にまで高めることができた。すなわち――
いかなる形態の運動も、それぞれの場合に特定された諸条件の下において直接もしくは間接に他のあらゆる形態の運動に転化することが可能でもあり、必然でもある、と。――これは概念の判断、しかも必然判断であり、判断一般の最高形式である。
したがってヘーゲルにあっては判断それ自体の思惟形式の展開として現れたところのものが、われわれにおいてはこの場合、運動一般の性質に関する・われわれの経験的基礎の上に立つ・理論的知識の展開として現れている。このことたるやまさしく思惟法則と自然法則とは、それらが正しく認識されさえすれば必然的に相互に合致するものであることを示している。
われわれは第一の判断を個別性の判断として理解しうる。すなわち摩擦が熱を創り出すという個別的な事実が記録される。第二の判断を特殊性の判断として理解しうる。すなわち運動の特殊な形態、たとえば力学的運動は、特殊な事情の下において(摩擦によって)ある他の特殊な運動形態、たとえば熱に転化するという性質を示している。第三の判断は普遍性の判断である。すなわちいずれの運動形態も他のあらゆる運動形態に転化する可能性を有し、かつまた転化せざるをえないものとして示された。この形態をもってこの法則はその最高の表現に到達したわけである。(エンゲルス『自然弁証法』)
ということです。
判るかな~?
■
ご回答ありがとうございます。
別にヘーゲルが間違っているとは言っとらんわけよ。
普遍性・特殊性・個別性に絡めて紹介してくれにゃ、意味わかるわけないだろっ!!っつってるだけで。
判るかな~?
No.10
- 回答日時:
No.3のお礼には
>「が」と「は」の違いについてーその8 番外編(2)
>の質問文冒頭に、およその経緯をお示ししておりますのでご参考まで。
とあります。
当方が見る限り、あれは三浦氏の考えをまとめたものでしょう。
当方が疑問視しているのは、〈A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)〉には「は」と「が」の話(念仏コメント中に登場する「話し」と〝同義〟です)などまったく出てきません。
〈A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)〉に使われているのは「は」ですし。
そこで、〈無理のある思いつき〉と思ったのです。
No.6のお礼を見るに、やはり常人には理解できないもの、ということでよろしいでしょうか。
ご回答ありがとうございます。
> 当方が見る限り、あれは三浦氏の考えをまとめたものでしょう。
:
ここは、『〈個別性の「が」〉ってどこから出てきたのでしょうか。』という疑問に応じた箇所ですね。
〈個別性の「が」〉と言っているのは三浦氏だけですが、どうしてそう思うようになったのか、という推論を述べていますのでご参照下さい、と申し上げたわけです。
>〈A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)〉に使われているのは「は」ですし。
:
とのことですが、(ヘーゲルが)そういう意味で言っているのかどうか、私にはわからない、ということです。
> No.6のお礼を見るに、やはり常人には理解できないもの、ということでよろしいでしょうか。
:
いや、おそらく、お互い、解説者に恵まれないだけではないかと。(笑)
No.9
- 回答日時:
#6 の応答い答えて
>さっぱり意味がわかりません。
分かるように、しっかり勉強して下さい。
参考書目も色々挙げたので、しっかり読破し異説を建てるのは結構ですが、餓鬼の屁理屈では臭いだけの屁です。
なお、具体例として挙げられている熱学の発展については、山本 義隆 『熱学思想の史的展開―熱とエントロピー』(現代数学社 ;1987/01)他を参照下さい。
エンゲルスの『自然の弁証法 』(菅原 仰 (翻訳);国民文庫,1970/3/31)なども簡単に触れていますが。
これらで熱学思想の展開を具体的に理解し、弁証法的な発展の例を理解する必要があります。■
ご回答ありがとうございます。
>山本 義隆
:
って、あの東大全共闘議長の?
へえ~。
いずれにせよ、読んだ内容をかいつまんで説明できるスキルを身につけてくれると助かるんですがね。
いちいち、参考書ばかり買ってられないっつうの!
とリンダがぼやいてる。
単なる逃げ口上としか聞こえないわけよ。
論点ずらずためのね。
実際、返答に困るような場面に限って、あれ読め、これ読めが始まるんだから。(大笑い)
同じ手口を何回も使わずに、少しは進歩してください。
No.6
- 回答日時:
#2 です。
>☆ 取りあえず思ったことは 《普遍性》という表現は 《共通的付帯性》と呼んだほうが いいのでしょうか。あるいは 《一般性》とか。
なかなか良いセンスですね。
ただ、それを対象世界の中にどのように位置付けるかが重要です。
中世普遍論争では、実在論、概念論、唯名論として、実在か、概念に過ぎないのか、単なる名称かが神の問題、三位一体論とからみ混沌とし近代へと向かいます。
この解決を理解しないと「は」と「が」の意義も理解できません。
>当方が何か根本的に誤解しているのでしょうか。
と頓馬なコメントも寄せられていますが、誤解もなにも、その前提も理解できていないという体たらくでは、箸にも棒にもかかりません。■
ご回答ありがとうございます。
以前示していただいた大論理学。
ハ・ガの違いに即して論じているわけでもないし、さっぱり意味がわかりません。
そもそも、個別性・普遍性・特殊性の関連性について、まったく触れていないのだから、これほど粗雑な提示の仕方も無いですよね。
関連付けた説明ができるなら、同意するしないは別にして、いくらかは理解が進むことでしょう。
もっとも、相当の知見と論理を駆使しないと難しいのでしょうけど。
いずれにせよ、他人が理解できないといって悦に入っているようでは下司の誹りは免れない。
理解できるように説明できない自らの不明を恥じるべきだ。
とリンダが言ってましたので、お伝えしておきます。
A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)
これは判断のもっとも単純な形式であり、直接的な判断である。この判断においては、個々の事物についてある一般的な属性が肯定的もしくは否定的に立言されるから、「内属の判断」でもある。「述語はその基礎を主語に有(も)つところの非自立的存在という形式を持つ」のである。それは三つに分類される。 a 肯定判断――バラは赤い。 b 否定判断――バラは青ではない。 c 無限判断――バラは象ではない。
B 反省の判断 (Urteil der Reflexion)(特殊性の判断)
これは主語について一つの関係規定が立言される。述語は主語に内属するものではなく、「包摂の判断」である。 a 単称判断――この人間は死すべきものである。 b 特称判断――若干の人間は死すべきものである。 c 全称判断――人間なるものは死すべきものである。
C 必然性の判断 (Urteil der Notwendigkeit)(特殊性の判断)
これは主語についてその実体性が規定される。 a 定言判断――バラは植物である。 b 仮言判断――もし太陽がのぼれば、昼である。 c 選言判断――肺魚は魚であるか、又は両棲動物である。
D 概念の判断 (Urteil des Begriffs)(普遍性の判断)
これは主語が「一つの真実の判定」として、一般的本性にどの程度に一致するか否かが立言される。 a 実然判断――この家は悪い。 b 蓋然判断――家がこれらの性状を有するなら、良い。 c 必然判断――これこれの性状の家は、良い。
No.5
- 回答日時:
№2です。
(あ) ★ (№1お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1.まず、ある言葉に対して「個別性」という概念を想起なさってみてください。
「個々別々」という意味ですから、我々が「何か」を表現しようとする場合、その「何か」
を表わす言葉は必ず「個別性」という概念を持っていることになります。
因みに「単数」という意味ではなく、辞書の項目となり得るという意味での個別性、と言
えば良いかもしれません。
「万年筆」などですが、「この万年筆」などにも個別性があると言える。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ そのように言えるとわたしも思います。
(い) ★ (同・補足欄) 《どんな表現対象についても、「が」と「は」に関係なく
個別性(普遍性・特殊性)は存在する。》
(う) ☆ 個別性としてあるものが すでにシチュエーションの有る無しやどんな情況
かに関係なく 普遍性を持つと思います。
(え) そして 特殊性は シチュエーションに応じて その個別のものが帯びると思い
ます。
(お) この(う)(え)の見方で 次の捉え方をわたくしも同じくすると思います。
(か) ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2.
同じ「万年筆」という個別性であっても、下記の【】内のように、シチュエーションが異
なると「普遍性」「特殊性」という異なる認識を我々はしていることになる。(当然です
が【】内は口にされません)
(ア-1)「万年筆【というもの】がショーケースに並んでいる」⇒万年筆という個別性
について、普遍性の側面を捉えて認識している。
(イ-1)「【私の持っている】万年筆が無くなった」⇒万年筆という個別性について、
特殊性の側面を捉えて認識している。(他の人のではないという意味で特殊性)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3.
(き) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
1で申し上げたように、『「何か」を表わす言葉は必ず「個別性」という概念を
持っている』と思います。
なので、ガ格だけでなく、以下のようにハ格についても使える。
(ア-2)「万年筆【というもの】は便利だ」⇒万年筆という個別性について、普遍性の
側面を捉えて認識している。
(イ-2)「【私の持っている】万年筆は捨てた」⇒万年筆という個別性について、特殊
性の側面を捉えて認識している。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(く) ☆ 前項までの見解と同じ内容だと思います。次の議論が 問題なんですね。
(け) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しかし、三浦つとむは、
(ア-1)(イ-1)のように「が」を使う場合、普遍性・特殊性は存在していない、と
言います。
同時に、
(ア-2)(イ-2)のように「は」を使う場合、個別性ではない、と言います。
個別性⇒「が」の専売特許。
普遍性・特殊性⇒「は」の専売特許。
というわけです。
(こ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これは、彼の完全な勘違いであることを、
「が」と「は」の違いについてーその8 番外編(2)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11275874.html
で問うている次第。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(さ)☆ (あ)から(お)までの考え方として (こ)を支持します。
☆ 基本は このように言ってみれば単純(分かりやすい)であるのに わたしが躊躇す
るような引っ掛かりがあるとすれば それは 次のような部分問題です。(でした)。
① 三浦理論を知りません。さわり(かどうかも 分かりづらいです)を読んだ限りで
なおはっきりとは捉えがたいと感じています。
② 語にかんして個別性と普遍性また特殊性を捉える問題を扱ったことがあまりありませ
ん。特にそのことを ハ格・ガ格のハタラキに関連づけるという切り口に ピンと来てい
ません。
③ ヘーゲルの論理学との関連――回答№3など――も なおわたしには はっきりしま
せん。
④ 何を隠そう (こ)の【Q:「が」と「は」の違いについてーその8 番外編(2)】
の趣旨説明を読んだとき この三浦仮説の是非を問うという主旨を捉え切れていませんで
した。
☆ そして いまこの地点からあらためて出発します。
ご回答ありがとうございます。
エールと受け止め、さらに精進してまいる所存。
ただ、あくまで一素人の私見であることを再度申し上げておきます。
なにかお気づきになりましたら、またお願いします。
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#1お礼欄からの続きです。
《どんな表現対象についても、「が」と「は」に関係なく個別性(普遍性・特殊性)は存在する。》
というのが私見の骨子。
アスナロウさんからは「根拠を挙げた論理的反論」が特に提出されてないので、たぶん合っているのだと思われます。(笑)
上欄からの続き。
#1お礼欄の内容を一部修正させてください。
×
しかし、三浦つとむは、(ア-2)(イ-2)のように「は」を使う場合、個別性ではない、と言います。
個別性⇒「が」の専売特許。
普遍性・特殊性⇒「は」の専売特許。
というわけです。
〇
しかし、三浦つとむは、
(ア-1)(イ-1)のように「が」を使う場合、普遍性・特殊性は存在していない、と言います。
同時に、
(ア-2)(イ-2)のように「は」を使う場合、個別性ではない、と言います。
個別性⇒「が」の専売特許。
普遍性・特殊性⇒「は」の専売特許。
というわけです。
#17の下記について一言も返事が無いのはなぜ?
わからないなら、そう言ってください。
別に恥ずかしいことじゃない。
無視や詭弁で胡麻化すことこそ恥じるべき。
1.
三浦においては、
(ア-1)人が死ぬ。早く救急車を。(個別性)
(イ-1)人は死ぬ。いやでも死神は訪れてくる。(普遍性)
だが、
A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)
では、
a 肯定判断――バラは赤い。 b 否定判断――バラは青ではない。 c 無限判断――バラは象ではない。
というように「ハ格」が個別性として使われている。
2.
B 反省の判断 (Urteil der Reflexion)(特殊性の判断)
c 全称判断――人間なるものは死すべきものである。
は普遍性の判断ではないのか?
D 概念の判断 (Urteil des Begriffs)(普遍性の判断)
と何が異なるのか?
『固有性』という用語がいきなり出てきたので特殊性のことかと思ったわけですが、違うのですね。
では、固有性とは何かを【個別・特殊・普遍に絡めて】説明してください。
そして、『マサルという固有性』を用いて解説できる例文をひとつ挙げてください。