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 国文法に関する質問です。
 たとえば、
 ・美しい 花が たくさん 咲いた。
という文で、ある参考書(『現代日本語の文法』など)では、「たくさん 咲いた」という部分を連文節と考え、「述部」としています。しかし、別の参考書(『くわしい国文法』など)では、それぞれの文の成分を「たくさん→修飾語」、「咲いた→述語」としています。
 また、学校の教科書でも、「述部」と考えるもの(Aの教科書とする)と、「修飾語」+「述語」と考えるもの(Bの教科書とする)があるようです。
 (1)こういう場合、どちらにより妥当性があるといえるのでしょうか?
 (2)さらに、もし仮に、Aの教科書を使っている生徒が、「たくさん 咲いた」を「修飾語」+「述語」と成分分析すると、間違いとされるのでしょう   か? 逆の場合もまた同じように、間違いとされるのでしょうか?
 よろしくお願いします。
 

A 回答 (3件)

#1です。


前回は、よく調べもせず、
>この文における「たくさん さいた」を連文節と考える教科書は一冊もありません。
などとぬけぬけと書いてしまいました。過去、中学生向けの文法書を何冊か書いてきた人間として、汗顔の至りです。また、こういった重大な事柄を教えてくださった質問者の方に心より感謝いたします(正直、私は思い上がっていました。きちんと勉強してからお答えしなければならなかったのは私の方です。)。

東書のHP、プリントアウトして読みました。
結局、問題は、
連用修飾語(部)が述語(部)と連文節になるか、
ということですよね。
この点について、改めて全五社の教科書を見てみました。
連文節になる、と明記しているのはやはり東書だけです。
光村、学図、三省堂は、次のように成分分けをしていることから見て、連文節にはならない、という立場に立っているといえるでしょう。(前にも書きましたが、学図では”文節の働きを「~語」、成分〔最終的な成分〕を「~部」”としており、他四社は”一文節を「~語」、連文節を「~部」”としています。)
●光村「青い鳥が(主部) かごの中で(修飾部) 美しく(修飾語) 鳴く。(述語)」(中一教科書199ページ)
●学図「おや(独立部) 生徒は下校したと思っていたのに(接続部) どうして(修飾部) 君は(主部) そんなところに(修飾部) 一人で(修飾部) 残っているのかね。(述部)」(中三教科書284ページ)
●三省堂「テニスをしたので(どうして)、左のひざが(何が) ほんの少し(どのくらい) 痛い。(どんなだ)」(中一教科書123ページ)

判断が難しいのは教出です。(中三教科書208ページ)
●ハルオがピアノを演奏し、アキコが歌を歌った。
この文を、教科書では、最終的に「ハルオがピアノを演奏し」と「アキコが歌を歌った。」の並立の関係としています。重文ですから、その説明は妥当です。ただ、そこまで至る過程として、「ハルオが」と「ピアノを演奏し」、及び「春子が」と「歌を歌った。」の関係を、それぞれ「主述の関係」としているのです。それが、最終的に、並立の関係の一方を構成する部分になるので、結果的に連文節となることを意味しているのか、あるいは、「ハルオがピアノを演奏し(た)。」と「アキコ
が歌を歌った。」というように、各自一文を構成している場合も、「ハルオが」と「ピアノを演奏し」、及び「春子が」と「歌を歌った。」を主述の関係と捉えるのか、判然としません。

教出の作成者の中で、「国語的側面」を代表しているのは、北原保雄先生と田近洵一先生だと考えられます。教科書奥付の著作者一覧を見ればそう判断できます。まず、加藤周一、木下順二という名誉職的なお二人の名がきます。続いて、詩人の小海英二さん、そして北原、田近両先生の合わせて三人の方の名が載っていて、その後に、二八名の方の名が五十音順に並んでいるからです。
北原先生は、専門的な著作(「日本語文法の焦点」教出)の中では全く違ったお考えを述べられていますが、そのお名前で出されている教出の副教材(「表現と理解のための国文法」教出)では、次のように書かれています(もちろん実際に書いたのは私のような立場の人間でしょうが。)。(同書16ページ)

>○駅まで 走って いく。 
○ここまで 走って くる。
もし、次のように連用修飾語の位置を入れかえることができれば、「いく」「くる」は補助の文節ではありません。
○走って 駅まで いく。
○走って ここまで くる。
「いく」「くる」が補助の文節ならば、「走っていく(くる)」がひとまとまりの連文節にならなくてはならないからです。<

以上から考えれば、やはり北原先生は、位置的に述語(部)と分離できる成分は、述語(部)と連文節にはできない、という立場で”学校文法”をとらえちぇいらっしゃるということになると思います。
また、田近先生の立場は、ご存じの「くわしい国文法」にある通りといっていいでしょう。

ただし、北原、田近両先生をいただきながらも、なおはっきり連用修飾語〔部)は述語(部)とともに連文節を構成しない、と断言しないということは、教出編集部にどこか割り切れないものがあるからなのかもしれません。

以上から、一応の結論。
東書の場合は例外的に、連用修飾語が述語(部)と連文節を構成するという立場に立っているが、光村、学図、三省堂は、連用修飾語(部)は常に独立して成分となり、述語と連文節となって一つの成分とはならないという立場に立っている。教出は、いずれの立場に立っているのか旗幟鮮明とは言いがたいが、光村グループに近いと考えられる。

問題はここから先です。どちらの立場がより合理的なのか。
ただ、その前に、かなり以前の光村の指導書で、連文節を構成するものを列挙しているので、それをご紹介します。
(1)並立の関係にあるひとまとまり。(文例省略)
(2)補助の関係にあるひとまとまり。(文例省略)
(3)連体修飾語が被修飾語と結びついた一まとまり。
(4)連用修飾語に連用修飾語が係る一まとまり。
 例【現場を 見に】 行く。 【本を 買いに】 出かける。
(5)接続の働きをする一まとまり。
 例【雨が降ったから】~。・【近くまで来たのに】~。
(6)呼びかけを表す一まとまり。
 例【聴衆の皆さん】
(7)助詞「の・と」などを含む一まとまり。
 例【僕が知りたいのは】~。・午前中に作ってみたいと】(思う)

以上のように連文節をとらえる立場は、次のような考えに基づいているといえます。
A光村ほかの考え方
まず、日本語の文の骨格をなすのは述語であるということ。他言語では文の骨格を「主語-述語」に求めるのに対し、日本語では、叙述性を持ち、統語的に文をまとめるのは述語であり、他の要素は述語との相対的な関係において意味を持つ、とされているといえるようです。つまり、「花が たくさん 咲いた。」という文の場合、まず「咲いた」という述語が措定され、「何が」咲いたのかという観点から「花が」が、「どのように」咲いたのかという観点から「たくさん」が、位置づけられます。それらの要素が「咲いた」という叙述性を持った述語において統合され、文としての意味が完結されるということであり、その立場に立てば、「花が」と「たくさん」の語順は、大きな問題ではありません。つまり、「花が」と「たくさん」という成分は独立して述語「咲いた」に係るのであり、最終的に文として表している意味は、「花が」と「たくさん」の語順とは無関係に一つである、ということです。

それは、わかりやすい説明ではあります。しかし、やはり、「花が たくさん 咲いた。」と、「たくさん 花が 咲いた。」とでは、意味が違う……。

ここで一つ問題提起しておきたいのですが、それは連文節とは何かとい
う定義に関する基本的な問題です。光村その他では、原則連続した形でしかありえない文節、と定義されていると思います。「花がたくさん咲いた。」という文で「たくさん咲いた。」を連文節とするのであれば、その文は、「たくさん花が咲いた。」という文とは、成分分析という観点から見て、全く異なった構造を持ったものとなるはずです。(この単純かつ肝心な問題点に関して、東書は明確な答えを出していないように思います。)

意味的には、私も「花が たくさん 咲いた。」と「たくさん 花が 咲いた。」とでは違いがあると感じざるを得ません。つまり「花が」という主語(ないしは主格)に対し、それを意味的に受ける成分は、単に「咲いた」ではなく、「たくさん 咲いた」と考えた方が実態に合っているように感じます。

ここから先は、いわゆる学校文法口語派の範囲を超えた分野であると考えます。上でちょっと触れた北原先生の専門書や、橋本進吉先生、時枝誠記先生、また学校文法を体系づけられた永野賢先生、そしてご指摘いただいた中村先生の『現代日本語の文法』をよく読んで、改めてよく考えてみたいと思います(中村先生が右文から出されている『先生のための古典文法Q&A100』は、私のネタ本の一つです。中村先生が口語文法に関して本を出していらっしゃったとは知りませんでした。迂闊だった!)。

下記参考URLは、飯間さんという学者さんのサイトで、連文節(成分)をどうとらえるかについての難しさについて述べられています。僭越ながら、その最後の部分で飯間さんが追記なさっているところは、私が指摘し、氏と何回かやりとりした結果が反映されています。

ぜひ、あらためてご質問なり、ご批判なりいただきたいと思います。tseringさんのような方は、私にとって宝ですから。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~qm4h-iim/k990730.htm
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この回答へのお礼

 毎回丁寧な回答ありがとうございます。
 今は、質問したいことがいろいろあるので、混乱しています。
 kyouzaiya-kさんの回答をよく読んで、また質問したいと思います。
 飯間さんの著書を読みました。興味深かったです。

お礼日時:2007/06/06 23:35

こんにちは。

5/27のご質問ではご丁寧なお返事を有難うございました。

1.ご質問にある『現代日本語の文法』『くわしい国文法』も、両方とも間違っていません。
まず、述語と述部とは違うものと区別して下さい。

(1)述語:
1)主語の表すものの動作・作用・性質などを述べた語

2)『くわしい国文法』に書いてあるように、述部の中の、連用修飾語で修飾されている活用動詞が述語となります。

3)つまり述語は単分節です。

(2)述部:

1)主部を受け、述語を核とする、主部の表すものの動作・作用・性質などを述べた連文節。

2)『現代日本語の文法』に書いてあるように、連用修飾語+述語の連文節になります。

(3)この論理で例文を分解しますと、

主部:美しい 花が(連体修飾語+主語)
述部:たくさん さいた(連用修飾語+述語)

主語:花が
述語:さいた

つまり、主部・述部は連文節で表される句の部分、主語・述語は単文節で表される単語を表します。

2.以上を踏まえて
ご質問1:
<こういう場合、どちらにより妥当性があるといえるのでしょうか?>

「現代日本~」の方は述部で解説し、「くわしい~」の方は述語で解説していますから、それぞれ視点が違い、どちらも妥当性があることになります。

ご質問2:
<さらに、もし仮に、Aの教科書を使っている生徒が、「たくさん 咲いた」を「修飾語」+「述語」と成分分析すると、間違いとされるのでしょうか? 逆の場合もまた同じように、間違いとされるのでしょうか?>

間違いにはなりません。修飾語+述部(X)と書けば間違いです。述部=連用修飾語+述語になるからです。

以上ご参考までに。
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この回答へのお礼

 丁寧な回答ありがとうございました。Parismadamさんの回答を、自分なりにまとめてみました。
 (1)述語と述部を区別すること。
 (2)述語は、単文節であり、述部は、複数の文節からなること。
 (3)「たくさん 咲いた」を「修飾語+述語」とみなす考えも、述部とみなす考えも、両方とも根拠があること。
 (4)「たくさん 咲いた」を成分分析するとき、「修飾語+述語」としても、述部としても、間違いにならないこと。
 (5)しかし「修飾語+述部」としては、ならないこと。なぜなら、述部は複数の文節から構成されるからである。「咲いた」は一文節である。
 たとえば、中学生に成分分析を教えるときに、「たくさん 咲いた」を「連用修飾語+述語」と教えるべきか、「述部」と教えるべきか、さらには両方教えるべきか、困ってしまいます。
 ありがとうございました。勉強になりました。また、見かけられましたら、よろしくお願いします。

お礼日時:2007/05/31 08:37

>美しい 花が たくさん 咲いた。


この文における「たくさん さいた」を連文節と考える教科書は一冊もありません。よって、ご質問の前提自体に事実誤認があることになります。
「たくさん 咲いた」を連文節と考える学説の有無については、今、即答することはできません。ただ、存在するとして、それを簡単に否定することもできません。
問題を整理すると、
1「連用修飾語+述語」を連文節(述部)としている教科書は一冊もない。手元の五社の教科書の例文をすべて調べた上でそのように結論づけることができる。
2学説として「連用修飾語+述語」を連文節と考える立場があるかどうかについては不明。仮にあったとして、その妥当性を軽々に云々することはできない。
3学校文法(教科書文法)でどのように考えられているかということ(1)と、どういう学説があるかということ、また各学説の妥当性(2)とは、切り離して考えるべきである。
となります。
『現代日本語の文法』という参考書について、私はよく知らないのですが、著者名・発行元を教えていただけないでしょうか。

仕事(某模試を作成中です。)が立て込んでいて、今回は詳しく考察することができません。仕事が一段落した後、まだ質問が閉じられていなかったら改めてご回答申し上げたいと思います。

この回答への補足

 お礼のところに書いた光村図書に関することは、間違えでした。新しい教科書ガイドには、「修飾部」+「述部」になっていました。すみませんでした。
 東京書籍のホームページでは、やはり述部でした。 
 これからは、きちんと勉強してから、質問をしたいと思います。

補足日時:2007/05/31 13:02
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございました。
 kyouzaiya-kさんは、模試作り屋さんだったとは!
 たとえば、光村図書の教科書ガイドの149ページ以下に、(1)という文だけでなく、(2)という文も記載しています。記号や線を変えました。
(1)         主部      述語
   わたしは、 涼しい 風が 吹くのを 感じた。
   「主語」   「    修飾部     」 「述語」
(2)             並列        補助
   わたしは、 トルコや イスラエルに 行って みたい。
          「    修飾       」 「 被修飾   」
   「主部 」  「    述部                 」
という成分分析をしています。自動詞の場合は、述部になり、他動詞の場合は「修飾部+述語」になるのでしょうか?
(2)を次のように分析する教科書や参考書もあると思います。
(3)わたしは、トルコや イスラエルに 行って みたい。
   [主語 ]  [ 修飾部         ] [  述部   ]
 さらに、東京書籍のホームページを見ますと、Q&Aに「にこにこ 笑う」のような場合は、連文節と考えて、述部とみなしているようです。
 教科書ガイドやホームページでは、教科書の文法を反映していないと考えられるのでしょうか?
 『現代日本語の文法』は、正しくは『学校で教えてきている現代日本語の文法』会田貞夫、中野博之、中村幸弘 右文書院(平成16年)

お礼日時:2007/05/31 08:13

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