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「が」と「は」の違いについてーその8 番外編
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11275874.html
上記質問 #58の回答内容がよくわからないのですが、どなたか教えていただけませんか。
この回答者の方は、それまでのやり取りで、

(ア)私の万年筆は
(イ)私の持っている万年筆は
これらは共に『「の」は格助詞で、所属・所有の認識』であるという点で同じである。
しかし、
(ア-1)⇒(特殊性)の認識とは関係ありません。
(イ-1)⇒特殊性の認識を表しています。

という趣旨の発言をしておられます。
(※因みに「特殊性」とは、「他人の万年筆ではなく」という意味での特殊性です)
つまり、
(ア-2)私の万年筆は 外国製です。
という場合の「万年筆」は特殊性の認識ではないが、
(イ-2)私の持っている万年筆は 外国製です。
という場合の「万年筆」は特殊性の認識である。

とおっしゃっておられる。

・矛盾したことを言ってませんか?

とお尋ねしたところ、
『どこが矛盾に見えるのですか。
ピントがずれていますね。
顔を洗って眼鏡を変えた方が良いでしょう。』
というご返事が戻ってきました。

彼の言っている内容は、本当に矛盾してないのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • #1お礼欄からの続きです。

    《どんな表現対象についても、「が」と「は」に関係なく個別性(普遍性・特殊性)は存在する。》

    というのが私見の骨子。
    アスナロウさんからは「根拠を挙げた論理的反論」が特に提出されてないので、たぶん合っているのだと思われます。(笑)

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/07 19:48
  • 上欄からの続き。
    #1お礼欄の内容を一部修正させてください。

    ×
    しかし、三浦つとむは、(ア-2)(イ-2)のように「は」を使う場合、個別性ではない、と言います。
    個別性⇒「が」の専売特許。
    普遍性・特殊性⇒「は」の専売特許。
    というわけです。


    しかし、三浦つとむは、
    (ア-1)(イ-1)のように「が」を使う場合、普遍性・特殊性は存在していない、と言います。
    同時に、
    (ア-2)(イ-2)のように「は」を使う場合、個別性ではない、と言います。
    個別性⇒「が」の専売特許。
    普遍性・特殊性⇒「は」の専売特許。
    というわけです。

      補足日時:2019/09/07 19:53
  • #17の下記について一言も返事が無いのはなぜ?
    わからないなら、そう言ってください。
    別に恥ずかしいことじゃない。
    無視や詭弁で胡麻化すことこそ恥じるべき。

    1.
    三浦においては、
    (ア-1)人が死ぬ。早く救急車を。(個別性)
    (イ-1)人は死ぬ。いやでも死神は訪れてくる。(普遍性)
    だが、

     A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)
    では、
    a 肯定判断――バラは赤い。 b 否定判断――バラは青ではない。 c 無限判断――バラは象ではない。
    というように「ハ格」が個別性として使われている。

    2.
     B 反省の判断 (Urteil der Reflexion)(特殊性の判断)
    c 全称判断――人間なるものは死すべきものである。
    は普遍性の判断ではないのか?
     D 概念の判断 (Urteil des Begriffs)(普遍性の判断)
    と何が異なるのか?

    No.21の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/09 22:33
  • 『固有性』という用語がいきなり出てきたので特殊性のことかと思ったわけですが、違うのですね。
    では、固有性とは何かを【個別・特殊・普遍に絡めて】説明してください。
    そして、『マサルという固有性』を用いて解説できる例文をひとつ挙げてください。

    No.24の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/09/17 22:08

A 回答 (24件中21~24件)

<「が」と「は」の違いについてーその8 番外編(3)>



で、矛盾していないことを述べました。

この辺が理解できない、不勉強な過去の遺物は置いていきま~す。

>なぜか信奉者は具体的な説明はまったくしてくれません。

説明しても分かりそうもない人はおいてきま~す。

分かるように学習してから出直して下さい。

過去のゴミ屋敷、ガラクタの振返り、辞書の解釈の並べ替えにばかり精を出しても進歩はありません。■
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

><「が」と「は」の違いについてーその8 番外編(3)>

で、矛盾していないことを述べました。

そうですか、ありがとうございます。
どれどれ・・・。

お礼日時:2019/09/07 23:26

当方が何か根本的に誤解しているのでしょうか。


「個別性」「普遍性」「特殊性」という分類は、適確な定義さえあれば、話し合いをする価値があると思います(個人的にはあまり興味はありませんが)。
 ただ、それを「は」「が」の問題に絡めるのが、そもそもおかしいのでは。
 大元にあるのは、下記ですよね。当方の腰は砕けたまんまです。
 なぜか信奉者は具体的な説明はまったくしてくれません。

===========引用開始
 しかもこれが「分かり易い解説」ですか。
 素朴な疑問なんですが……。
〈A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)〉は3つに分類できるんですよね。
 その分類とは下記なんですよね。
a 肯定判断――バラは赤い。
b 否定判断――バラは青ではない。
c 無限判断――バラは象ではない。

 ゲップが出るほど繰り返されている
〈「が」は、対象の個別性の側面を捉え、「は」は対象の普遍性、特殊性の認識を表わす〉などというのはどこに行ってしまうのでしょう。
 訳のわからない伝言ゲームの結果、どこで何がゆがんだのでしょう。

 さらに言うと、異端の文法においては、「普遍性の認識」「普遍性の表現」のほかに「普遍性の判断」「普遍的概念」もあるんですね。もう何がなんだか。 
===========引用終了

 元々の「個別性の判断」は「が」とまったく関係がありません。
〈個別性の「が」〉ってどこから出てきたのでしょうか。まさか「個別性の判断」と「個別性の認識」はまったくの別物なのでしょうか。

 当方が思うに、三浦氏が思いつきで〈「が」は、対象の個別性の側面を捉え、「は」は対象の普遍性、特殊性の認識を表わす〉とあてはめたけど、無理のある思いつきだった、というだけのことでは。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>〈A 定有の判断 (Urteil des Daseins)(個別性の判断)〉は3つに分類できるんですよね。
 その分類とは下記なんですよね。
a 肯定判断――バラは赤い。
b 否定判断――バラは青ではない。
c 無限判断――バラは象ではない。

個人的には、これに関しての知見を持っていません。
つまり、よくわかりません。

>〈個別性の「が」〉ってどこから出てきたのでしょうか。

「が」と「は」の違いについてーその8 番外編(2)
の質問文冒頭に、およその経緯をお示ししておりますのでご参考まで。

お礼日時:2019/09/07 22:30

こちらでも よろしくおねがいします。



まづ 個別性・普遍性また特殊性について考えるとき ポルピュリオスの議論
は たいへん参考になるかと思います。

わたしもあらためて確認したいと思いました。それをまづ掲げさせてください。

▲ (ポルピュリオス:『イサゴーゲー』) ~~~~~~~~~~~~~~
  
類とは何か 
差異とは何か 
種とは何か 
特性とは何か 
付帯性とは何か

を知ることは・・・定義を下すためにも また総じて区分と論証の仕事に対し
て これら(五つのもの)の考察は有益でありますから・・・手短に いわば
入門書(イサゴーゲー)風に・・・試みましょう。
・・・

1 類(ゲノス)について
・・・
種を異にする複数のものに対して 何であるか〔という問いに対する答え〕の
中で 述べ帰せられるものが 類である。例えば 動物がそうであると。

 ☆ 《述べ帰せられる》というのが 馴染みの薄い表現ですが 相当すると
  いった意味でしょうか。


というのは 述べ帰せられるもののうちで あるものは一つのものだけについ
て述べられる。例えば ソクラテスやこの人やこのものなどだけについて述べ
られる。

 ☆ このくだり 分かりづらいのですが 個別性にかかわるのでしょうか。
  そうだとすると それは 《ひとつのもの》という数にも関係している
  と ここでは 見ているようです。


しかし他のものは 複数のものについて述べられる。例えば類や種や差異や特
性や付帯性は 特定の何かにではなく 〔多数のものに〕共通的に帰せられる。


類とは例えば《動物》 
種とは例えば《人間》 
差異とは例えば《理性的》 
特性とは例えば《笑える》 
付帯性とは例えば《白い》《黒い》《坐っている》

である。


このように類は一方において 複数のものに帰属せしめられ述べ帰せられると
いう点で ただ一つのものだけに対して述べ帰せられるものとは異なるもので
あるし
 
他方において 複数のものに対して述べ帰せられるものに比較するならば
 
まづ種とは なるほど種も複数のものに対して述べ帰せられるのではあるが 
しかし種において異なるものにではなく数(* 個・個体)において異なるも
のに対して述べ帰せられるという点で 異なっている。

例えば人間は種であって ソクラテスやプラトンに述べ帰せられるが この両
者は種において相互に異なるのではなく 数において異なるのである。
 
また動物は類であって 人間や牛や馬に述べ帰せられるが これらは単に数に
おいてだけでなく 種においても相互に異なっている。


次に特性と比較すると 特性はただ一つの種――つまり特性がそれの特性であ
るところの種――と この種の下の個に対して述べ帰せられる。〔例えば《笑
える》は人間という種だけと 個々の人間に対して述べ帰せられる〕のに反し

 
類は一つの種にではなく 複数の異なる種に対して述べ帰せられるという点で 
類は特性と異なる。


さらにまた差異および共通的付帯性と比較するならば この二者が種を異にす
る複数のものに対して述べ帰せられるけれども しかし《何であるか》〔とい
う問いへの答え〕の中で述べられるのではないという点で 類はこの二者とも
異なる。
 
というのは この二者が述べ帰せられる当のものが――今言ったように――
《何であるか》の中でではなく むしろ《どのようなものであるか》の中で 
述べられるからである。

例えば《人間とはどのようなものであるか》という問いに対して 《理性的な》
とわれわれは答えるし また《からすはどのようなものか》に対して《黒い》
と答える。
 
このばあい《理性的》は差異で 《黒い》は付帯性である。

他方《人間とは何であるか》と問われたばあいは 《動物》とわれわれは答え
る。動物は人間の類であった。




かくして類は 複数のものについて述べられるという点で ただ一つの個体だ
けに述べ帰せられるものから区別され 
 
また種を異にする複数のものに述べ帰せられるという点で 種としてあるいは
特性として述べ帰せられるものから区別され 
 
さらに《何であるか》の中で述べ帰せられるという点で 差異および共通的付
帯性から区別される。
 
この両者は 両者が述べ帰せられるところのそれぞれのものが《何であるか》
の中でではなく 《どんなものであるか》 あるいは《どのような状態のもの
であるか》の中で述べ帰せられるのである。
 
したがって 上であたえられた類の粗描は 少しも余計なものを含まず また
欠けたところもないのである。

  
2. 種(エイドス)について
・・・

 ☆ ――と つづくようです。

 
(水地宗明訳)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ 取りあえず思ったことは 《普遍性》という表現は 《共通的付帯性》と
呼んだほうが いいのでしょうか。あるいは 《一般性》とか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

こちらは素人なのであくまで個人的解釈ですが、

・生物>動物>類(>種)>特定の何か

のように分類しているかに見えます。
左辺側は右辺側に対して常に普遍性であり、逆に右辺側は左辺側に対して常に特殊性。

他の類を意識的に想定しているシチュエーションでは、鯨は特殊性。
・(マグロは魚類だが)鯨は哺乳類である。
意識していなければ普遍性。
・鯨(という生き物)は哺乳類である。

他の生物を意識的に想定しているシチュエーションでは、動物は特殊性。
・(植物は移動しないが)動物は移動する。
意識していなければ普遍性。
・動物は(基本的に)移動する。

>☆ 取りあえず思ったことは 《普遍性》という表現は 《共通的付帯性》と
呼んだほうが いいのでしょうか。あるいは 《一般性》とか。

明解な解釈と同意できます。
辞書的には、
「普遍」
【宇宙・世界の全体にかかわっていること。また、特殊・個物に対して、ある部類に属するすべての事物に共通する性質。】(明鏡国語辞典)
という語釈があります。

お礼日時:2019/09/07 23:22

別に矛盾〝は〟してないのでゃ。


 そもそも「特殊性の認識」というものの定義が不明なんですから。
 勝手に使っている人がそういうものだと主張するのなら、矛盾〝は〟していないのでしょう。
 他者には矛盾して見えたとしても、関係ありません。

 いくらやり取りしても時間のムダです。
 仮に完全に論破したところで、性懲りもなく同じことを繰り返すだけです。
 世間は下記のように判断しています。
【本質坊主の念仏コメントに対する世間の評判】2018-12-30
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12429517796.html
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>別に矛盾〝は〟してないのでは。
 そもそも「特殊性の認識」というものの定義が不明なんですから。

なるほど、その視点がありましたか(笑)
たしかに、それは言えてる。
ただ、せっかくの機会ですので、特殊性の認識について若干私見を。

1.まず、ある言葉に対して「個別性」という概念を想起なさってみてください。
「個々別々」という意味ですから、我々が「何か」を表現しようとする場合、その「何か」を表わす言葉は必ず「個別性」という概念を持っていることになります。
因みに「単数」という意味ではなく、辞書の項目となり得るという意味での個別性、と言えば良いかもしれません。
「万年筆」などですが、「この万年筆」などにも個別性があると言える。

2.
同じ「万年筆」という個別性であっても、下記の【】内のように、シチュエーションが異なると「普遍性」「特殊性」という異なる認識を我々はしていることになる。(当然ですが【】内は口にされません)

(ア-1)「万年筆【というもの】がショーケースに並んでいる」⇒万年筆という個別性について、普遍性の側面を捉えて認識している。
(イ-1)「【私の持っている】万年筆が無くなった」⇒万年筆という個別性について、特殊性の側面を捉えて認識している。(他の人のではないという意味で特殊性)

3.
1で申し上げたように、『「何か」を表わす言葉は必ず「個別性」という概念を持っている』と思います。
なので、ガ格だけでなく、以下のようにハ格についても使える。
(ア-2)「万年筆【というもの】は便利だ」⇒万年筆という個別性について、普遍性の側面を捉えて認識している。
(イ-2)「【私の持っている】万年筆は捨てた」⇒万年筆という個別性について、特殊性の側面を捉えて認識している。

しかし、三浦つとむは、(ア-2)(イ-2)のように「は」を使う場合、個別性ではない、と言います。
個別性⇒「が」の専売特許。
普遍性・特殊性⇒「は」の専売特許。
というわけです。
これは、彼の完全な勘違いであることを、
「が」と「は」の違いについてーその8 番外編(2)
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11275874.html
で問うている次第。

以下、補足欄へ。

お礼日時:2019/09/07 19:47

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