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求刑を上回る判決のことを「尻上がり判決」と言うそうですね。
私は裁判の公平性の上で違和感を感じていましたが、この前質問を出したところ、私のように疑問視す人もいたものの、意外と支持する意見が多かったでした。

求刑より重い判決 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7750343.html

さらに、突き詰めて追質問を出してみました。

求刑より重い判決 、一般庶民の考え http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7764587.html


どうやら、裁判官にはカリスマ性があるらしく、裁判の主人公はあくまでも裁判官であり、検察は裁判官の助手か あるいは裁判官に伺いを立てる部下に近い印象を受けました。

また、マスコミも政治家や検察を叩くことはあっても、裁判官に批判の矛先を向けることは珍しいです。

裁判官って神様みたいな存在なんでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

まあ、裁判官も人の子ですから、全知全能の神と崇めるは、言い過ぎですね。



裁判では、人の人生をも左右できる裁量の大きさは、凄いですが。
所詮、人間ですよ、間違いもしたりの。

国会議員選挙と併せて、裁判官の否決投票制度もありますよね。

<<また、マスコミも政治家や検察を叩くことはあっても、裁判官に批判の矛先を向けることは珍しいです。
これは、いえますね、マスコミも、この辺は慎重なのでしょう。

裁判官の汚職とかが顕在化すれば、格好の記事になりますがね。

中立公正な立場と云いながら、裁判官とて、冤罪を見逃すことだって過去に事例もありますよね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>まあ、裁判官も人の子ですから、全知全能の神と崇めるは、言い過ぎですね。
しかし、過去の二つの質問からも 一般庶民は裁判官には絶大な信頼を置いている人が多いことが分かります。また、一般庶民も裁判官に期待しているのは 検察と被告の中立的な立場に立って公正な審判することではなく、検察を後見することみたいですから。

>国会議員選挙と併せて、裁判官の否決投票制度もありますよね。
形ばかりで、実際、これで罷免された裁判官っていないんですよね。

>これは、いえますね、マスコミも、この辺は慎重なのでしょう。
マスコミも、一応、裁判官は立てざるを得ないんでしょうね。

>中立公正な立場と云いながら、裁判官とて、冤罪を見逃すことだって過去に事例もありますよね。
裁判官の買収を疑う人も少数です。また、最近起きたパソコンの遠隔操作の冤罪事件も 冤罪が判明しないでそのまま裁判に突入し、尻あがり判決が出ても 一般庶民の多くは賛同するんでしょうね。

お礼日時:2012/10/29 21:49

最終です。


まず、ANo.11のお礼の部分についてですが、
私は今までの回答では、質問に沿って、裁判官について、裁判官は神みたいなものとは思わないし、裁判官が法に基づいた判断を行うのに、検察や弁護士の意見は聞いても、面目は考慮する事では無いだろうと書きました。
検察については、検察が面目や面子に拘っている事実があると思うか、また、拘っているとしてどう思うかについては書いておりません。

補足の部分、 猪野亨氏のブログをどう思うかについては最初の質問に入っておりませんし、私は読んだこともありませんでした。
こういうものは、ザッとでも一通りは浚って読まない限り、迂闊な事は書けません。
私はちょっと見、興味は惹かれなかったので回答者として不適だと思います。
回答は御容赦下さい。
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ANo.4と9です。


なぜか話を曲解されると感じます。
まず、「面目」ですが、問題は量刑の公平性が担保されるかであって、「面目」なる、真に恣意的なものを、その判断の要素に加えて考える事こそ不公正というものです。
少なくとも日本人は事実や公正を曲げてまで面子に拘るような国民性ではありませんし。
問題は面目や面子でなくて法に基づいて妥当な判断が出来るかどうかなのです。
どうも質問者は、公平性を求める割には、世間一般の感情とか、面目とか、皮肉な現象とか、恣意的な要素を持ち出して論じようとしますね。

また、検察や弁護は補佐役では無くて、裁判官と同等の立場です。
しかし、加害者の被害者それぞれの側の利益に立って主張しますので、どうしても判断を担う別の立場が必要です。
その立場の存在が無いと結論が出せません。
さらに裁判官の判断が公正であるために三審制があり、例えば最高裁では裁判官も複数にする事まで行います。
そしてその裁判官も、法律の範疇からは逸脱出来ないという制約に縛られています。
それ程に法治による公正を目指しても、全ての人が納得は出来ないでしょうし、法律や証拠や事実確認に不備があれば判断が狂う時もあるわけです。
そういう事まで問題視するのであれば、答えの無い論争が延々続くだけです。

この回答への補足

>少なくとも日本人は事実や公正を曲げてまで面子に拘るような国民性ではありませんし。
日本人を買いかぶっていると思いますよ。ところで、 mapphiさんは 猪野亨氏という弁護士のブログの内容についてどう思いますか?

補足日時:2012/10/30 23:21
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この回答へのお礼

再再度ありがとうございます。

>まず、「面目」ですが、問題は量刑の公平性が担保されるかであって、「面目」なる、真に恣意的なものを、その判断の要素に加えて考える事こそ不公正というものです。
「面目」というのは無視できないと思います。私たちははっきりいって、検察の面目なんてどうでもいいんです。しかし、検察もそうだけど警察も真実の追求よりも面目を守ることを優先するため、冤罪は出るし、司法が歪むんだと思います。

http://openblog.meblog.biz/article/12019512.html

掲示板の悪戯書きなんかに 140人も投入するべきじゃない。そんなのはただの「警察のメンツのため」であって、「市民を守るため」ではないからだ。

>問題は面目や面子でなくて法に基づいて妥当な判断が出来るかどうかなのです。
いや、検察が面目や面子でなく妥当な判断ができるなら、フロッピー改竄事件も起きていませんよ。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK2202Y_S0A9 …


>そういう事まで問題視するのであれば、答えの無い論争が延々続くだけです。
いや、答えの無い論争が延々続いても 問題視を続ける必要はあると思います。
政治だって同じじゃないですか? 問題提起を止めたら 腐敗に拍車をかけることになると思います。

お礼日時:2012/10/30 23:15

“補足する”って、回答者さん側から質問としてのコメントを出さないとできないみたいですね。


なんか、変にコメント数が増えて申し訳ないですが、ちょっと補足します。


“仮に量刑として死刑が妥当なら、検察いらないのでは?”
ということでしたが、裁判官・弁護士・検察の関係性を考えると、検察も必要だと思うんですが、
どうしていらないと思ったのでしょうか?
結果的に決まった量刑が死刑であって、そこに至るまでの段階では、
死刑になるかどうかはわからないわけで(ちょっと意味不明な文章になってます?)、
死刑が妥当だからと言って、検察がいらないわけではないと思います。
それに、死刑に不服だと、再審請求しますし、そういうときはまた検察とかいるんじゃないでしょうか?

裁判所では、極端に言うと、
刑を軽くしてほしい人と刑を重くしてほしい(刑罰を与えてほしい)人との間での
話し合い(戦い)の場だと認識してるので、検察も必要だと思います。
申し訳ないです、あんまりうまく説明できないです。

尻上がり判決があるからこそ不思議に思うんでしょうか?
称賛することも確か過去にあった気がしますが、
裁判官は別に称賛のことは気にしてないんじゃないかと思います。
過去の判例でそんな事例があったから求刑よりも重くなったのかもしれませんし、
多少は裁判官自身の良心にもとづき、なおかつ公平さを欠くことのないような場合に関しては、
そのようなことが起きるのではないでしょうか。


なんかグダグダですいません。では、失礼します。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

>“仮に量刑として死刑が妥当なら、検察いらないのでは?”
ということでしたが、裁判官・弁護士・検察の関係性を考えると、検察も必要だと思うんですが、
どうしていらないと思ったのでしょうか?
mapphiさんは裁判官の独立性を挙げていましたので、pdp05984とは少し違うようですね。
刑事裁判の99.9%は有罪判決だという事実をご存知ですよね。hekiyuさんは他の質問で
検察の存在意義について 警察との分離性を挙げていましたが、私はむしろ 裁判官と検察の癒着に問題があると思います。

>称賛することも確か過去にあった気がしますが、
今年起きた 大阪市平野区で発達障害者(アスペルガー症候群)が姉を殺害した事件では
世論的にも賛否両論に分かれましたね。

>裁判官は別に称賛のことは気にしてないんじゃないかと思います。
私もそう思いますが、裁判官だって私情が入ることはあると思います。
熊本の3歳女児殺害事件にしても ひょっとしたら 裁判官の心情的には死刑にしたいと思った思ったかもしれませんが、司法の秩序を荒らさない意味では妥当な判決だったと思います。

お礼日時:2012/10/30 21:53

ANo.4です。


私は、尻上がり判決については問題が無いと思っています。

検察は被害者側の立場で、弁護側は加害者の立場で、事実に照らして法律上の扱いを申し立てるわけです。
それを中立な立場で裁判官が判断するわけですが、この場合中立というのは両者から独立しているという事であって、両者の中間に立つと言う意味では無いと考えているからです。

その立場から見た場合、
検察主張より重い量刑が妥当という場合もありましょうし、
弁護側の主張より軽い量刑が(主張が無罪で無い場合に限りますが)妥当という場合もあると考えます。
普通、検察側と弁護側の主張が両極端になる場合が殆どなので、大概は裁判官の判断がその中間ぐらいになってしまうだけの事と思います。

また、日本の裁判での有罪の率が高いのは、刑事事件の場合、日本の検察は起訴にかなり慎重で、ほぼ有罪と考えられるいう場合以外は起訴に踏み切らないのが理由だと考えています。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

>私は、尻上がり判決については問題が無いと思っています。
そうすると、一審や二審だと 裁判官は検察だけでなく 被告側の弁護士の面目を潰すことになり、被告側の弁護士が上訴した時に 被告側の弁護士と検察の思惑が一致するという皮肉な現象も起きることもあります。

>それを中立な立場で裁判官が判断するわけですが、この場合中立というのは両者から独立しているという事であって、両者の中間に立つと言う意味では無いと考えているからです。
なるほど、そうすると 検察も弁護士も裁判官の補佐役に過ぎず、極端な話、 時代劇の裁きみたいに 裁判官一人でも裁けそうな気がしますが。ところで、#5さんのお礼で紹介した 猪野亨氏という弁護士のブログはお読みいただけましたでしょうか?

お礼日時:2012/10/30 21:30

”裁判官にはカリスマ性があるらしく、裁判の主人公はあくまでも裁判官であり、


 検察は裁判官の助手か あるいは裁判官に伺いを立てる部下に近い印象を受けました。”
      ↑
前にも書きましたが、現代の刑事訴訟は、当事者主義を
採っておりまして、そこでは検察官も被告と同じ、
当事者の一人に過ぎません。
裁判では、当事者同士を争わせ、どちらに理があるかを
公平な立場にある裁判官が判断する、という方式になって
おります。

だから、検察官と裁判官の間には一線が引かれている訳です。
検察官も裁判官も同じ公務員ですが、訴訟においては立場が
質的にことなるのです。
検察官は、被告に不利なことだけを主張する一当事者にすぎ
ません。
しかし、裁判官は違います。
訴訟の命である公平性を一身に背負っている立場にあります。
その為、裁判官には、司法独立の原則の下、除斥、忌避、回避
などの厳しい任命資格が科せられているのです。

尚、裁判の主人公は被告です。

”マスコミも政治家や検察を叩くことはあっても、裁判官に批判の矛先を向けることは珍しいです。”
       ↑
検察は、訴訟では当事者の一人に過ぎませんので、批判も自由にできます。
しかし、裁判官は、裁判の公平を担保する最大の存在なので、マスコミも
遠慮する訳です。
裁判官を叩いたのでは、国民に不公平な裁判所というイメージを与え
裁判制度そのものの存在を疑わせることになりかねないからです。

”裁判官って神様みたいな存在なんでしょうか?”
       ↑
マスコミが遠慮する反面、日本の裁判官は、公平さ維持の為に
かなりの努力をしています。
例えば、民事訴訟ですが、原告の家で検証してもお茶などは
飲まないようにしています。
うっかり飲んでしまったら、被告の家でも必ず飲みます。
勿論お歳暮など受け取りません。
間違って子供が受け取ったりした場合には理由状を添えて
返却します。
厳しい人は、妻の親からの贈与も受け取りません。
それほど神経を使って仕事をしています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>前にも書きましたが、現代の刑事訴訟は、当事者主義を
採っておりまして、そこでは検察官も被告と同じ、
当事者の一人に過ぎません。
この質問も前回の質問同様、法律上の建前論よりも“一般庶民”の general opinionについてスポットを当てようと思いました。

>その為、裁判官には、司法独立の原則の下、除斥、忌避、回避
などの厳しい任命資格が科せられているのです。
弾劾裁判のことですか? これも形だけで事実上殆ど機能しているように思えませんが。

>裁判官を叩いたのでは、国民に不公平な裁判所というイメージを与え
裁判制度そのものの存在を疑わせることになりかねないからです。
これは私が#2さんのお礼で書いた 「マスコミも、一応、裁判官は立てざるを得ないんでしょうね。」の主要な理由になりますね。

>マスコミが遠慮する反面、日本の裁判官は、公平さ維持の為に
かなりの努力をしています。
尻上がり判決もそうですが、日本の刑事裁判の99.9%が有罪というのも 日本の裁判官の公平さを疑う要因になります。 ところで、熊本の3歳女児の殺人事件でも 松尾嘉倫裁判長も
感情的には死刑にしたいと思ったかもしれないし、被害者の女の子の遺族には納得が行かなくとも 、検察の求刑通りに無期懲役の判決を出したことは よく言えば公正な 悪く言っても無難な判決を出したと思います。

お礼日時:2012/10/30 17:49

はじめまして


ちょっと堅苦しい話で悩んでますか?
裁判官の判決は絶対です。神様かどうかわかりませんが裁判官の言ったことに従う~それが法治国家の争い事の最終解決の手段なんです。
それでも裁判官も人の子なのでいかに裁判官を味方につけるかが関係者の腕の見せ所になりますね。
残念ながら正義が必ず勝つ世界でもないのは皆さん承知の通りですね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/10/30 17:28

申し訳ないです、追加です。

量刑についてですが、過去の判例に基づいて、
似たものがあればそれを参考にする場合もあるということも、知っておいて下さい。
そういった判例を元に、弁護士・検察の言い分も考え、
そして、事実と認められるモノ(いわゆる証拠。通常は物的証拠が優先だったかと思います)をも考えた上で、
じっくりと考えた上で決められてるのが普通です。
それでも変に思われる部分があったりもするんでしょうけど、
判決文読むときはちゃんと簡単に説明した上で判決下してるんじゃないでしょうか?
相談者さんは、裁判(特に判決下すとき)のを見たりしたことないですか?
もしも見てないのでしたら、一度見に行かれることをおすすめします。
(とか言いながら、自分は見たことないけど・・・)

では、今度こそ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>相談者さんは、裁判(特に判決下すとき)のを見たりしたことないですか?
いや、裁判を傍聴したことは過去に2,3回あります。しかし、尻あがり判決はないですね。
この質問を出したのも尻上がり判決に疑問を持ったのが切っ掛けですから。

そう言えば、熊本の3歳女児殺害事件でも 加害者に無期懲役の判決が下りましたね。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121029-00000 …

もし、裁判官が尻上がり判決で死刑の判決を出していたら、裁判官を称賛する人も多いでしょうね。
仮に量刑として死刑が妥当だとしても、そうだとしたら 検察が要らなくないですか?

お礼日時:2012/10/29 22:40

初めまして。

たまたま最新の所を見てたら気になったので回答します。
まぁ、すっきりする回答にならないかもしれませんが・・・

結論から言って、裁判官とはいっても、“神様みたい”ではないです。
ネットで意味とかを改めて探してみたら、以下のサイトにいろいろ書かれてありました。
もしかしたらもう知ってるかもしれませんが、一応。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%81%E5%88%A4% …(ウィキベティア)

ここの下の方にも書いてあるように、
あくまでも中立の立場で公正な裁判をする立場であると言う前提があるので(実際そうでないといけない)、
一見すると絶対的な存在のように見えるかもしれませんが、
そんなことはないですよ。なぜなら判決に不服があれば再審もできる場合があるし、
それで判決が覆る場合もある。良くも悪くも。もちろん、覆らない場合もある。

ましてや、裁判官とはいえ我々と同じ人の子、
重々考え悩んだ末の判決ではないかと思います。
陪審員もきついですが、
その職業柄もっともっと重い責任を裁判官は背負ってるんじゃないでしょうか。
そういったことをわかってるからこそ、批判を向けることはないんじゃないでしょうか?
まぁ、当事者だったら、批判言う前に再審請求するでしょうし。

後、検察や弁護士のことを少し誤解なさってるようですが、
あの二人の存在 つまり、被害者と被疑者両方の言い分を話して聞かせることは、
重要なことなんですよ。(本人達が言い合ってすむなら裁判沙汰にすらならなかったでしょうし)
“裁判官は中立の立場で公正”でなくてはいけないのですから。
なので“部下”というよりは、“代弁者・代理人”という感じではないかと思います。
少なくとも部下ではまずあり得ません。それじゃあ、“中立”とは言えないんですから。
あくまでも、弁護士・検察官・裁判官は別々の存在でなくてはいけないので。
まぁ、何かのきっかけで、弁護士と検察が協力することがあったとしても、
裁判官は、少し離れた場所から客観的に見る存在ではないかと思います。

とりあえず、以上です。長文だしわかりにくかったらごめんなさい。では、この辺で。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>後、検察や弁護士のことを少し誤解なさってるようですが、
あの二人の存在 つまり、被害者と被疑者両方の言い分を話して聞かせることは、
重要なことなんですよ。(本人達が言い合ってすむなら裁判沙汰にすらならなかったでしょうし)
“裁判官は中立の立場で公正”でなくてはいけないのですから。
なので“部下”というよりは、“代弁者・代理人”という感じではないかと思います。
少なくとも部下ではまずあり得ません。それじゃあ、“中立”とは言えないんですから。
あくまでも、弁護士・検察官・裁判官は別々の存在でなくてはいけないので。
まぁ、何かのきっかけで、弁護士と検察が協力することがあったとしても、
裁判官は、少し離れた場所から客観的に見る存在ではないかと思います。
私もそう思っています。ただ、#4さんもそうですが、この質問の趣旨を十分にご理解いただけていないようです。ところで、わたしは 尻あがり判決には違和感を感じていましたが、一般庶民の大半は私とは考えが違い、そのように捉えているように思えました。
私と同じような疑問は 猪野亨氏という弁護士も ブログで書いています。http://inotoru.dtiblog.com/blog-entry-135.html

お礼日時:2012/10/29 22:30

裁判の公平性に疑問があると言いながら、いつも検察の求刑以下の量刑にするべきなんてのは、検察を神様扱いしてませんか?


裁判官も法体系の内側にいる存在であって、法律以上の量刑を出すことは出来ません。
高速道で飲酒した挙句、なん落ち度も無い親子を潰して殺したトラック運転手の量刑は非常に軽いものでした。
その後の法律が変わって重い量刑を課すことができるようになりましたが、別に裁判官が法律を作ったわけでは有りませんよね?
作ったのは立法権を持つ国会です。
じゃあ、国会議員は神様ですか?
違いますよね。
国会議員を選んだのは国民です。

この回答への補足

先ほどは無礼なお礼 詫び申し上げます。mapphiさん自身は尻上がり判決に対しどうお考えですか?

補足日時:2012/10/29 22:19
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

mapphiさんはやや対戦的な回答がお好きなようですね。

はい、この質問はどちらかと言えば、Noを期待した質問ですが、その結果、mapphiさんの回答も反論的なようで同調的にも取れるし、皮肉にも 意見がはっきりしたようでスタンスが曖昧な回答になってしまいましたね。

お礼日時:2012/10/29 22:16

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