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この無限なる時間の流れの中において、過去でも未来でもない今現在なる一瞬の時間を捕捉することは確率的に考えてゼロであり、不可能なはずである。
にも関わらず我々は常に今現在を捕捉し経験できているのは何故か。
考えてみると不思議である。

そこで1つ仮定してみた。
我々が一瞬の時間と見做す今現在は実は一瞬ではなく、どの時間も今現在で在り続けていると。
つまり時間には過去も未来も無いのでありどの時間も、全ての一瞬一瞬が常に今現在として現在進行中であると考えるのである。
果たして異常であろーか。
 

A 回答 (5件)

修行者たちは、一日一度の粗末な食事し摂っていないのに、何故あんなに生き生きとしているのでしょうか。

との問いに、釈迦は
彼らは、過去を悔いる事も、未来を憂うることもなく。今、だけに生きているから、生き生きとしているのだ。と答えた。
世界は変化してゆく過程として、常に、今、ある。今、しかない。それがそれが世界の在り方、起こり方、である。と言うのが。諸行無常、ということです。


果たして異常であろ-か。 
考えるられる、ようになった?正常になってきたんじゃないでしょうか?
前段は相変わらずです、何も考えてはいない、思いついた言葉を並べているだけですよね。
この無限なる時間の中で?
今、しかない、実体のない、変化=時間 がどうして、無限、と結びつくのでしょう。
一瞬の時間を捕捉する?
意識する、認知する、の意味?写真を撮る事が出来る、というような意味?
いずれにせよ。実体のない、存在しない、時間、を捕捉することは出来ません。
時間認識は、なんらかの、変化、差異、を時間、と認識しているのです。
外界にも、自己の体内にも、何の変化、差異、も起きていなければ、時間、を意識することはありません。夜、眠ってしまえば、一瞬にして、朝、なのでは。
 確率的に考えてゼロであり?
 何を確率的に考えるのでしょう。今を限りなく小さな時間単位と考えるなら。
微分的に考えるなら、ゼロ、に近づく。
考えて見ると不思議である。
不思議なのは、あなたの、時間概念が不思議だからでは

時間、とは何か、説明すると(私の理論を?)長くなりすぎるので、結論だけを述べると。

変化がなければ、時間はない、
変化=時間 である。
時間にも二つある、
時間=時間 では、概念としても、存在にならないから。

変化×(1/変化)=1 として、あるいは、変化の逆数としてのもう一方の変化するもの。が存在しなければならない。それが、あなたがかんがえているような、時間、となります。

実体のない変化と表裏一体となるものであり。存在にはなないが、繰り返すことによって固定された
変化、を基準、もの差し、として、変化を計測することが出来る。
地球の自転を一日、公転を一年と決め、れば、変化の度合い、差異を、数量的に把握することが出来る事になります。あなたの時間が年の不思議さ、は元々の、変化=時間 である事を忘れて。
人間が決めた、時計、分、秒、だけを、時間、だと考え。一様に流れ、存在するものだ思っている事です。
距離/時間=速度 と小学校で習った筈ですが。
それなら、時間=距離/速度 となる。
つまり。距離を速度で割ったものが。時間である。距離も速度も時間も、同じもの、等価なものである。
となるのでは。

解るかな。わかんねえだろうな。そんなギャグが昔ありましたね。
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今回の質問は、ゼノンの有名な《アキレスとカメ》のパラドクス(?)に通じますね。


《時刻》と《時(間)》を混同して使っていませんか?
点と直線が違うように、時刻と時の流れは別のものですよ。



~~~~~~
我々が一瞬の時間と見做す今現在は実は一瞬ではなく、どの時間も今現在で在り続けていると。
つまり時間には過去も未来も無いのでありどの時間も、全ての一瞬一瞬が常に今現在として現在進行中であると考えるのである。
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これが《連続》ということです。
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人の道が立ち入る領域じゃないぞ。



あれだけ口を酸っぱくして教えたにもかかわらず、
全く耳を貸すことなく、世界は確実に存在すると言い張っていたじゃないか。

いまさら、なにを言い出しているのか・・・・

>果たして異常であろーか。

異常じゃないけど、その頑固さは岩だね。
柔軟さがない。
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相互作用の遅延効果において、遠くのものは昔の姿である。


一方、感受の実体は感受表面における量子相互作用であり、
その五感の相関した経験の蓄積における、先行感覚(光、音)
に対する生理的経験の予測=未来とそて、空間的広がりは
生じている。
つまり、存在が定位している空間とは、過去であり未来でも
あるのだ。
一方、そうした“想像”の根拠であるべき「感受表面」=現在が、
そうした時空的広がりを有している事において、本質的実体に
おける存在性(現在)は否定される。

そこにおいて、無=無限不確定性の潜在としての自我仮説
(記憶=時間的流れ=過去=超光速)と時空仮説(予測=空間的
広がり=未来=光速下)の相補分化は可能になる(非光速性
=階層現象表面的定性化)。
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そのとおりです。

わたしたちは今を生きるしか能はありません。過去は過去でしかなく私たちの記憶の中に不完全にとどまっているように見えますが錯覚かもしれません。未来は前方に見えているように思えますがじつはがけっぷちにあって何もないのかもしれません。実際に何も約束された確定的なものはなく、一瞬あとに皆うっ死んでしまうかもしれないのですから。
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