親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

罪を憎んで人を憎まずとは、犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには
事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという教え。

↑ことわざ辞典の引用です。
もともとは孔子の言葉でもあり、聖書にもある言葉だそうです。


意味がわからないのは 「犯した罪は憎むべき」という部分です。
推測ですが、罪を憎むべきというのは、罪とされる「出来事」を憎むべきという解釈で
合ってますか?

また、なぜ孔子や聖書ではこんな戒めを言ったのでしょうか?
なにを意図しているのかわりません。

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A 回答 (7件)

NO3です、お礼コメントありがとうございます。


「罪」の大小は今回の場合あまり意味がありませんね、なぜなら「特定の罪」という考え方ではないからです。
「罪」になる「事象」は様々あります、ですが「特定の罪」にしてしまっては「ことわざ」としての意味がない。
特定の罪であるならば、「重罪を憎んで・・・」とか「殺人を憎んで・・・」とかになってしまいますね。
今回の「ことわざ」の場合、特定しない事で「全ての罪」に対して意味を持つと考えられます。
「「憎むべき」という言葉は「許されるべきではない」に置き換えられるものなんですか?」・・・
今回は「便宜上」、「許されるべきではない」という表現を使いました。
「憎むべき」という表現を考えれば、「感情的」な面が強い言い方ですね、私としては「その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから・・・」という考え方を考慮し、「感情的でない」表現を選びました。
こんなもんですがど~でしょうか。
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 「罪」があるのは誰のせいでもない。


 本来「悪」は有ってはならないもの。
 しかし実際には「悪」があって「罪」が成り立つ。
 それあに諍うことはかなり難しい。
 しかし大抵の「人」はそれをやっている。
 不幸にも「悪」に立ち向かえず「罪」を犯したならば
 その人そのものの問題ではなく
 「悪」があるから。

 だから
 やった当人を憎まずに「事象」のみを憎むべきであって
 その「事象」は「罪」そのものの結果であるからそれを憎むのが原則論。

 と、考えてみました。

 人は誰でも生まれた時から「罪」を背負っていると考えます。
 弱肉強食化にあって自然界の頂点に立っていると誤解しているところもおろかですが、致死率は100%とこれが唯一許された事。敵にはむかう牙も持たず、毒も持たず、自分で捕食出来るまでに膨大な時間がかかるのは霊長類でも人だけです。
 しかも、もったいなくも大きな脳を持ち、生かせずにいるのも愚かな事。
 ただ、涙を流し、許しを請うだけの、叫びをもっているだけ。

 一番弱いから人なんでしょうね。

 この問題は大学の哲学でやりました。
 割とよく出る案件です。

 結局は「そうとでも思わなければ人間として社会が形成されない」ってことでしょうか。
 だから「目には目を、歯には歯を、」の思想になるんじゃないかと・・・・・。

 私にわからないのは「右の頬を打たれたら左も差し出せ」です。
 どうせやるなら徹底的にやれ!ってことなのかしら?
 毒を食らわば皿まで・・・と同じかしら?

 深いなあ…人って。
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板垣退助も撃たれとき放ったとされる言葉ですね。


ガンジーのことも思い出したました。
彼を撃ったイスラム教徒に手を合わせていたと言います。


罪を憎んで人を憎まずというのは性善説ならず、人間の
本質的な部分を善とみた考え方から生まれるものだと思
います。悪またそこから引き起こる罪といったものは人間
がかかった一つの病気だとみるような考え方だと思います。
従って人間自体を憎まず、人間の心を侵すそういう悪や罪
といったものを憎む、それと戦うという姿勢を表現した言い
方だと思います。
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罪とは『過ち』や『誤り』の事だからだと思います。



人間は完璧な生き物ではありませんから、誰でも過ちや誤りを犯します。

それこそ輪廻転生の教えでは有りませんが、人が不完全で有ることを大前提にしか生きられない存在である以上は、

人が罪や誤りを犯す存在だからといって憎しみを抱いてしまうことは、人間存在そのものの否定に繋がってしまうのでは無いでしょうか。

無くすべきは間違った行為の方であり、行為の主体自体を否定してしまうと本末転倒になるからと云う考え方も出来るかと思います。

お釈迦様の教えでは、四苦八苦や108個の煩悩を乗り越えることこそが人の真の幸せに至る道だとされています。

その中でも特に良くない事の一つとされるのは『怒ること』だそうです。

怒ることは理性を失わせ、その荒れた心理状態そのものが心の中に地獄を生んでしまうからです。

心の中に地獄を生んでしまうと、もうそれだけで悟りではなくなってしまいます。

罪を犯した主体である『人』への憎しみには切りがありません。
最終的にはその悪人が死ぬまで赦さないかもしれません。

しかし罪の『行為』のみを主体から切り離せば、悪人に報いを受けさせたその時点で、『憎しみ』は終わります。

その様にして『罪を憎んで人は憎まない』事で、いつまでも自分の心の中を地獄にしていたりしない様にせよ、と云う教えなのかもしれませんね。

聖書の句の方は、恐らく

『裁くな。裁くものは裁かれる。』

かと思いますが、イエスの教えでは全ての人の罪は神によって赦されると云うことになっていた筈ですから、

人知を越えた創造主の意思を差し置いて、不完全な人間が自ら人に裁きを下そうとする事の愚かさを戒めたのでは無いでしょうか。

不完全な者による裁きはやはり不完全なものにしかなり得ない。
よって裁いたものはその裁きの不完全さを、また別の不完全な誰かによって裁かれてしまう。

神の裁きを信じず、自分達で勝手に愚かな負のループにはまりこんでしまわ無いようにせよ、の意ではと考えられると思います。

以上、私見ですが良ければご参考になさってください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
人間は不完全であるという考えが根底にあるのですね。

お礼日時:2012/12/13 13:53

「推測ですが、罪を憎むべきというのは、罪とされる「出来事」を憎むべきという解釈で


合ってますか?」・・・
その通りですね、言い変えれば「罪として、結果の出ている事」でしょうね。
悪い事として結果が出ているから「罪」として判断される、悪い事として結果が出ていないのであれば「罪」にはならない。
「また、なぜ孔子や聖書ではこんな戒めを言ったのでしょうか?」・・・
「欲」についての考え方と判断できますね、人には「欲求」、つまり「欲望」がある。
「悟り」を開いた人ですら、生きるためには「食欲」、「睡眠欲」は切り離せない、「人である以上、何かしらの欲はある」ものですよね。
「欲求」を満たす行為が、「罪」と判断されるには「物」や「他人」などに「干渉」して「迷惑」と判断される必要がある。
ですが生きるための「食欲」、「睡眠欲」などもその結果次第という考え方もある。
人の食料を奪えば「罪」ですし、遅刻して迷惑を掛ければこれも「罪」でしょう。
「犯してしまい結果の出てしまった「罪」は許されるべきではないが、反省し改心する事で許される事もあるし正す事もできる」という教えでしょうね。
簡単に言えば、「やってしまった事は悪い事だが、その人の今後に期待する」となりますかね。
「戒め」とは「教訓」ですから・・・
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>遅刻して迷惑を掛ければこれも「罪」

回答者様はとても広い意味で罪という言葉を捉えているのですね。
私は犯罪のことを指すのだと思ってました。
憎むという言葉が出てくる以上、特に重い罪のものです。

>「やってしまった事は悪い事だが、その人の今後に期待する」

徳治主義の孔子らしい解釈ですね。
聖書においても左の頬も差し出す人がいいそうな感じがします。
ただ、「憎むべき」という言葉は「許されるべきではない」に置き換えられるものなんですか?
憎むというと個人的な感情ですが、許すとなると個人的な感情でもあり罪に問わないというような
意味も含んでしまうと思うのですが。

お礼日時:2012/12/13 13:40

無知なあなたがこの掲示板に質問して多くの人の手を煩わせる罪。

しかし、あなたは人間として悪い人じゃない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
まず質問することは罪ではないし、あなたは私のことを何も知らない。
答える気がないなら答えなければよいのでは?

お礼日時:2012/12/13 13:10

あなたが貧乏で、パン一枚がどうしても欲しい時どうする?拾ったり、捨ててあればいいが、どこにもなければどうする?パン屋かそこにあるとするね。

おなかぺこぺこ、もう、歩けない。腹減ったー。

パン屋さんに郵便が届いた。裏に郵便屋さんが、お荷物でーすってご主人に言った。主人は、仕方なく裏の勝手口にいった。店には、だれもいなくなった。

あなたは、どうする?

おれなら、パンを一つ、いやいっぱいいただく。

誰のせい?腹減ってんのは誰のせい?親だろ。親はどこ?そんなもんは、小さい時からいない。

日本は恵まれてるから、あんまりないかな。中世のヨーロッパならどうだ。おれならなんでもやるね。いきるためだもん。なんでもやる。

誰が悪い?

行政だろうね。でも、行政は、俺を、貴方をかばう?腹減った俺たちが悪いんだ、
これは、小さな例。つもり、つもってんのさ。パン一つが殺人まで、いくと思わない?お前らばっかいい思いしやがってって。

あなたがもし、そんなこと微塵も感じないなら、あり金すべて貧乏してる人にあげて、腹減ったーって言いながら、死んでくれ。

人間は、境遇に犯される。人間は、弱いんだ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
何がいいたいのかよくわかりません。
あらゆる罪は行政が犯すとでも言ってるんですか?
私の質問への回答とはズレてるように思えます。

お礼日時:2012/12/13 13:08

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Q「罪を憎んで人を憎まず」とはどういうことか

法の世界では「罪を憎んで人を憎まず」という有名な言葉があります。
その意味するところは何なのかと考えてみました。


例えば、
「ジハードを説くイスラム教は人権侵害だろ。」と言ったところ、人権侵害は、、、というより「実害」は、、、(「実害に対する「罪刑法定」は、あるでしょう)との答えが返ってきました。

そこで質問文のようなことが頭に浮かんできた訳です。
このような考えが正しいとするなら、「罪を憎んで人を憎まず」とは一体何を意味するのか。
果たしてその精神は今でも生きているのでしょうか。
 

Aベストアンサー

「罪を憎んで人を憎まず」というのは、人間の主な能力で
ある脳の機能は、生後の経験による後天的なものゆえに、
罪を犯す人はその人を生んだ環境の影響であり、ある種、
当人も被害者の側面もあり、相殺されると考えられる事に
由来する。

それゆえ、その「後天的な」可塑性に基づいて、日本に
おける受刑は報復ではなく更生目的なのだ。
公益において、刑務所の維持にお金を使うより、更生して
社会に貢献してくれた方が世の中のためになる(被害者の
報復としては生ぬるいかも知れないが)。


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