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色んな宗教の中で、原始仏教における「仏」は、一神教の「神」とは別物だし、その他の宗教の「神」とも違い、原始仏教はいわば哲学に近く、とても興味があります。

それはそれとして、
私が疑問に思うのは、上座部仏教の僧ってそんなにエライの?って事です。俗世を離れて修行するのはいいけど、俗世から托鉢で食物を得ますが、托鉢を出す信者の方は功徳を積むだけで解脱(?)救われるまではいかないとの事。

タイかどこか忘れましたが、上級の僧が飛行機移動のとき、女性が近くに居ると修行の妨げになるので、搭乗席の一角から女性を除外すると聞きました。

女性が近くにいるくらいでムラムラしちゃう、だから遠ざけるって、それで修行と言えるの?俗世の中で生きて人々に正しい生き方を説いてこそ、えらいお坊さんだなと思うのですが。

そもそも、ブッダが修行を始めるとき、王子だったブッダが酒池肉林の暮らしをしていて、淫らな格好で寝ている女性をみてふと「こんなんじゃダメだ」的に修行の旅に出るわけですが、そこまで快楽を味わい尽くしたんなら俗世に未練なく修行できるかも知れないけど、そんな快楽知らないで修行する人達はそりゃ色々妨げあるわって思います。

文章にまとまりが無くなりました。質問は一応「上座部仏教の僧はエライの?」とさせていただき、他にも私の考えのおかしい点などご指摘いただけたらと思います。

A 回答 (3件)

偉いも何も、仏教では仏および出家者を恭敬尊重すべしと定められています。

これにはまたいろいろな理由もあるのですが、ここでは割愛。

つまり、在家出家共に思い違いをしていることが問題で、「こんな生臭坊主、敬う必要なんかない!」とか「出家者である私は偉い」などという自意識がそもそもの根底に反しており論外かと。


>>タイかどこか忘れましたが、上級の僧が飛行機移動のとき、
>>女性が近くに居ると修行の妨げになるので、搭乗席の一角から女性を除外すると聞きました。

それは確か、遠ざけるのではなく専用のシートが確保してあるという話だったはず。妨げになるのではなく、戒律で接触すること自体が禁じられているのですから、原始仏教の根付いた文化圏では社会として当然の対応と言えます。
日本人の悪いくせで、偏った側面でしか見ようとしないからおかしなことになるんです。

ちなみに、釈尊の出家に関しては四門出遊が基本だと思いますけど。酒池肉林となった生い立ちについても学んだほうが良いですよ。
質問自体は構わないとして、ろくに知りもせずの揚げ足取りは語弊を生じますので控えるべきでしょう。


最後に…

>>質問は一応「上座部仏教の僧はエライの?」

別に偉くありません。あちらの各文化圏でどうだかは知りませんが、法(仏法)に依りて人は尊し…ですから。
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この回答へのお礼

わかりやすそうな仏教紹介の本はいくつか読んだのですが、色々認識が甘かったようです。これからも勉強してみます。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/07 10:20

>上座部仏教の僧はエライの?



タイでは、クラスでも成績優秀な子供から出家しますから、みんなに尊敬されているのでしょう。
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この回答へのお礼

憧れの職業みたいなもんでしょうか。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/07 10:18

原始仏教は宗教よりも哲学に近いというのは、宇宙の真理を探究することに重きを置いているからでしょう。

人間は誰でも悟りを開いて涅槃の境地に達すれば、煩悩から解放されるのです。それに対して、キリスト教の場合は、イエスは神の子であることが前提となっており、そのために聖母マリアの胎内に宿ったという処女懐胎の神話が作られたと思われます。
仏教に話を戻すと、上座部仏教に限らず、僧侶の大半は職業として仏事を行っているのであって、宇宙の真理を探究している人は極めて少ないでしょう。従って、悟りを開いて涅槃の境地に達するレベルの僧侶は、極めて少ない(殆ど居ない)でしょう。ブッダですら、俗世間から離れて修行に励んだのですが、息を引き取る最期の瞬間まで人間としての煩悩を抱えていたのかも知れません。
冗談ですが、聖職者は、性職者と紙一重です。
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この回答へのお礼

人間、生きている限り煩悩はあるでしょうね。
その煩悩とどう向き合うかが大事で、無くすことなんかできないと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/07 10:17

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