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スレッドを開いて頂きありがとうございます。

さて、いきなり私の話で申し訳ないんですがorz
この前私は、仕事をしていてある事故を起こし周りにかなりの迷惑をかけてしまいました。事故の原因は私の楽観主義です。「多分大丈夫だろう」という気持ちがありました。福島の原発をつくった人と同じですね。

自分が痛い目を見て、やっとわかりました。楽観主義と悲観主義は二項対立ではない。どちらも使いこなせるのがデキる人。よく「楽観主義になろう」って本がありますが、それはあくまでも悲観主義に対する楽観主義の割合を増やそうという事で、悲観主義が間違いだという訳ではないんですね。

というか、なんとなく想像ですが、本当の意味で楽観的になるにはまず悲観的でなくてはならないのではないでしょうか。とことん悲観で考えて、ここまで考えてもミスしたならもう笑うしかないな、って人が初めて本当の意味で楽観的な人になれるのでは。
私、自分は楽観的だと思ってましたが単に責任感が無いだけでしたね。責任感が無いのに心から楽観的になれるわけがない。


駄文に付き合って下さってありがとうございます。適当にツッコミとかくれると嬉しいです。

A 回答 (9件)

楽観主義でいいんです。

気持とか気分はね。

悲観は頭でやらなければならい。これをやらないと気分が楽観にならない。

事故だとかミスだとかをやってしまったものはしょうがない。
次にどうするかが問題で二度と失敗しない方策を頭で考えて実行する。

その対策が出来ているから安心だ→楽観できると言うことです。

ミスと失敗でいつまでも落ちこんで次の失敗をビクビクすることはない。
次に失敗しない準備をやっておくことじゃないでしょうかね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2013/01/15 08:38

まことに、楽観とか悲観、或いは他者への責任という範疇で包み込めない個人と人類の後悔というものがありますね。


少し歴史を紐解くと、人間の所業はそういう事ばかりだということが判ります。
責任のない自分の人生って、完成された聖者。全てを知り経験したことのある神たる人でしょうかね。
哲学少年の私は65年前の中学で、年長の友人がいった、完全なる行為はない。誤りのない人生は無い。
何もしなければ誤りはない。しかし何もしない事は最大の誤りだ。という言葉を覚えていますが、
それでもその後の自分の行為で他者に大きな影響をしてしまったことを悔やんでいます。
今、40年ほど、あるヒンドゥ思想での生活で、他者へのそういう影響ある行為は避けては居ますが、やはり完全な事は何もありませんね。
それらを後悔するほどの偉さもありませんね。
考えてみれば、何かの生命を食事し、呼吸で微生物を殺生し、歩く時には何かを踏み潰しています。
菜食主義ですが、生命を食べる事はやめられない。
どうしてこんな存在なのでしょうね。
ご質問の回答になりませんが、そういう自覚と意識でいきていくより仕方ないのでしょうかね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2013/01/15 08:37

まぁ、そういうことですね。



楽観的と悲観的。
場合によってどっちがいいか、変わります。
両立することもあるわけです。

以上、ツッコミました。

現実的なお話すると、
失敗をとことん分析してください。

おなじ失敗を二度してはアウトです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2013/01/15 08:36

例えば、料理で砂糖や塩などの調味料を加減して料理を完成させますが


その加減の操作は楽観主義と悲観主義を使いこなすことににています。

ただし、調味料の質や保存の技術が前提にあってこその加減の操作でもあります。
また、加熱している状態での味というものの判断も難しい。

何がどれに依存しているかの関係は思考では無理なんです。
ただし、卵焼きを一皿真剣につくってみれば経験的にできるようになります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2013/01/15 08:35

責任感のない売国奴は腹を切って


さっさと自害するべきでしょう。
敵国のスパイ野郎ですから。

話し合いも通じないことが分かりましたし。
日本に害しかもたらさない脳内お花畑のハト山とか
自分で自分の人生に終止符をうってもらいたいですね。

責任感があるのなら日本人と対話を持とうとするはず。
それすら放棄する無責任な人に思想なんか持ってほしくありません。
中途半端に持たれると国民がえらく迷惑します。
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この回答へのお礼

あなたのような短気でバカな右翼がこういう風に騒ぐからこそエセ左翼がはびこるんですよ?
まともな右翼から見てもうっとうしいと思います、あなた
私がエセ左翼なのはわかりましたよもう
だから冷静になりましょ、ね
子供のように大声で喚いても自分の思い通りにはならないですよ

お礼日時:2013/01/15 08:34

その対比の仕方だと、できるだけ失敗しないように努めることが悲観主義だとなりそうですが、悲観主義とはちょっと違う印象を受けます。

どちらかと言えば完璧主義に近いんじゃないでしょうか。でも言わんとすることにはおおむね同意です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2013/01/15 08:29

No1さんと同じような答えになるかもしれません。



私は悲観主義でもなく楽観主義でもない。
一般的に言えば、現実主義だととられると思います。
私的には「事実主義」だと思っていますが。

失敗するかもしれない要因など、把握して対処はできる限りやっておく。
基本には忠実、甘く見ない。
しかし、上手く行く方向はしっかり見ておく。

つまりは事実に基づいて、きちんとどちらも認識と把握をしておくってことです。
そうやっていれば、どんな苦しい状況からも責任もって最善を尽くせます。

両極をもってると極なので気持ちが揺れます。
極端でなく、どちらも把握できるような中道にポジションを置くようにしてます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2013/01/15 08:28

ちょっとブラックですけど


私の好きな言葉にこんなのがあります。
「楽観主義者は陽気なバカであり、悲観論者は陰気なバカである」
私は徹底した「現実主義者」でありたいと思ってます。
ただ、本番前は徹底的に準備しますが
もし、失敗しても、くよくよせず、同じ失敗を繰り返さないように
徹底的に考えます。
それでもダメなら開き直ります(笑)
まぁ「人事を尽くして天命を待つ」ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2013/01/15 08:26

別に、悲観と楽観を一緒に持ち合わせている必要は無いと思いますよ。


悲観的になりすぎて消極的になりすぎるのもよくないですし・・・・

どっちがいけないとかではなくて、現状を的確に理解したうえで行動すればいいのでは?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私が言いたかったのは、責任感のある人はみな悲観的なのだから、彼らはみな消極的なのではなくむしろ行動力があるのだという事です。
つまり、悲観主義には二種があって、責任感と同義の悲観主義とうじうじするだけの悲観主義。
楽観主義にも二種類あって、覚悟と同義の楽観主義と何も考えてない楽観主義。
alraiさんの言うように、状況を的確に判断できるぐらい、楽観主義と悲観主義の同居した人間になりたいと思います。
ありがとうございました!

お礼日時:2013/01/13 21:13

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