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御両親は、
「うちにはお金は無いけど、愛に満ちているから」
のような話されましたか?

それを聞いてどう思いましたか?

※現在あなたが同様の親の立場のケースでも構いません。

A 回答 (10件)

>へえ~どんくらい貧乏だったんですか?



白い白米のご飯は滅多に食べられませんでした。半分以上サツマイモが混じっていました。今でも混ぜご飯が嫌いです。白いご飯に何か混ぜることには抵抗感があります。松茸ご飯だって、松茸とご飯を別々に食べたい。
甘いお菓子を食べたことがありませんでした。初めて食べた黒砂糖で作ったカルメラ(知ってますか)がとろけるような美味しさでした。今でも憶えていますよ。
足袋は正月前に1足だけ買ってもらい、すり切れるまで履きました。穴が開くと、母親が針と糸でかがってくれました。手足の指は霜焼けとあかぎれで(知ってるかな?)でいつも膨れていました。近所のもっと貧乏なうちの子は、裸足で学校に通っていましたよ。
親も子供なんかほったらかしで髪振り乱して働いていましたから、親子団らんの夕食なんて憶えがありません。
大雪が降った朝、布団の上に雨戸から吹き込んだ雪がうっすら積もっていました。火鉢以外、暖房などありませんでした。
小学校から大学まで、親が自分の息子の学校に一度も足を運んだことがありませんでした。そんなことしている暇がなかったからです。それでも子供を学校には行かせた。当時の日本の親は貧乏でも偉かったですね。今でも感謝しています。
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この回答へのお礼

あ、30、40代の方かと思ってたのですが、もっと大先輩ですね。
すごいですね。
強くなれそうです。
それに比べたら現代人はふにゃふにゃに見えるでしょうね。

お礼日時:2013/01/22 12:43

母子家庭で超貧乏でした。

女手一つで寝る暇なく働いて働いていた母…子供達を養うだけで精一杯でしたから。
【金は無くても愛はある!】なんて言葉言える状況ではなかったですから。

言葉に出さないで、弱音吐かず生活の為に必死で働く行為が【母の愛】だと思って生きてきましたから。
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この回答へのお礼

へえ~誰もそんなこと言わないんですね。
愛情表現は余裕がないと言えないものなのかな。

お礼日時:2013/01/22 09:45

そんな甘っちょろいこと言っている暇もないくらい貧乏でした。


米びつが空だと、そんなこと言い合っている精神的余裕はありません。
親子共々、地べたを這いつくばって毎日を送っていました。
だからそんなべたなせりふは親の口から一度も聞いたことがありません。
あれはテレビドラマの中の話です。
今ではホームレス親子でも段ボールの中でそんなこと言い合っているのでしょうか。
いい世の中ですね。
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この回答へのお礼

へえ~どんくらい貧乏だったんですか?

お礼日時:2013/01/22 09:44

>どちらかというと貧乏な家庭で育った方



はいはい。

>御両親は、
「うちにはお金は無いけど、愛に満ちているから」
のような話されましたか?

いいえ

両親からは、
「うちにはお金は無い」
とはしょっちゅう聞かされましたが、
「愛」とか「愛情云々」という話はまったくありませんでしたね。
父母(配偶者同士)の間にも愛情があったかどうか、あやしいもんですしw。

>現在あなたが同様の親の立場のケースでも構いません

今もそうお金はあるとはいえませんしそういいますが、愛とかそういった歯が浮くような言葉はいえません。しいて言えといわれれば、態度で示しているから必要ないといいますね。父母も同様の気分だったろうと思います。
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この回答へのお礼

へえ~、貧乏な親はそういうこと言ってるのかと思ったら、
そういうこと言わないものなんですね。
やはり、ドラマってのは、現実と逆ですよね。笑

お礼日時:2013/01/21 09:48

「うちにはお金はない」はさんざん言い聞かされましたね


「愛がある」じゃなく、「ワガママ言うな 贅沢するな」と続きます

今振り返ると、母は和服が趣味だったし、私も十分教育を受けさせてもらいましたから、親の嘘というか方便というか教育の一環というか…
そんな貧乏じゃなかったはずです
要は、子供の気儘に使っていいお金はびた1文ない、って事だったんですね

お陰で物欲をコントロールして、不必要な贅沢はせずに済んでいるので、結果的には親に感謝しています
「自分で稼いで使うしかない 親の脛はかじれない」という意識も叩き込まれましたし

子供に「うちは貧乏だ(自分で何とかしろ)」と教え込むのはいいことなんじゃないでしょうか
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この回答へのお礼

それは優れた親だと思いますよ。
タイプによりますが、多くの人間は、贅沢し出すとそれに慣れてしまいがちです。
それが自分で稼いだ金じゃないと尚更。

大金持ちでも、自分も妻も子供も無意味な浪費を覚えさせないのが、いい教育だと思います。

お礼日時:2013/01/17 09:54

> もし頑張れたら、あなたは稼ぐ努力をもうひと踏ん張りしてみたら如何でしょうか。


> それも愛情ですしね。

お気遣いありがとうございます。
しかし、子供が小さい頃は、豊かとは言えなかっただけですよ。(^^;)

「金で買える幸福もある」と考え、「愛情は、言葉じゃなく実践」と言う主義ですから、現在の年収は、モロモロ含め、2千万円近く頂いてます。

モチロンもうひと踏ん張りしますけど、個人所得はこれくらいでも充分です。

この先は、子供が社会人になって活躍する際の「踏み台」として役立てる様に、出来るだけ「高い踏み台」「幅広い踏み台」になってやるべく、自分なりに努力するのみです。

それでも、自分が子供の頃や、子供が小さかった頃の方が・・貧しくとも楽しかった様にも思います。
その頃の思い出で、頑張れた様な気もします。

従い、若いウチは、余り助けてやらず、親や私と同じ苦労と共に、同じ喜びも、味あわせてやろうとも思ってます。
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この回答へのお礼

あ、今はそんなに稼いでらっしゃるんですね!
凄いじゃないですか!
個人的には、あなたのようなアグレッシブな考え方をする方が好きです。
貧しさも豊かさもどんな状況も前向きに向き合い努力して発展させていかなきゃね。
その努力・成長の過程こそが楽しいんだと思います。
お子さんがあなたを超えてくれると嬉しいですね。

お礼日時:2013/01/16 18:46

 ものすごく貧乏でした。

お米のない日も結構ありましたし、自転車とかグローブとか、人並みに買ってもらったこともないです。まあ、まわりもそれに近い状態のところが多かったので、特別みじめに感じたことはなかったですが。

 「うちにはお金は無いけど、愛に満ちているから」なんて話はされた覚えがないですね。そもそも私の子どもの頃はあんまり「愛」なんて言葉は(少なくとも親子の間では)常用しないものでしたから。
 「貧すれば鈍す」という言葉があるように、貧しいと愛なんて言ってる余裕なくなっちゃうんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

へえ、そういう地域だったんですね。

ドラマとかでよく、稼いでこないお父さんが、そんな台詞吐いてるじゃないですか。
自己弁護の為にそういうことみんな言うのかなあと思って聞いてみました。
意外とそんなことすら言わないもんなんですね。

お礼日時:2013/01/16 11:23

どちらかどころか完全に貧乏でした。


そして、愛なんて言葉はないどころかタブーに近い家庭でした。
お恥ずかしながら、母と私と弟の母子家庭で、保護家庭でしたから間違っても裕福じゃないですし、母は離婚ですから愛に傷ついている人です。

でも私が小さい頃はどことなく愛情は感じてました。
が、いつ頃からかしら、私が小学校の5,6年くらいから、母も変わったし私も変わったのだろうと思います。
いつも母親はアンタのためだと、アンタのせいだ、でしたね。
愛情よりも押し付けがましく束縛ばかり感じてました。

ただ、今、自分が親になって、あれも彼女なりの愛情だったのだろうなとは少し思ってます。
かなり捻じ曲がった愛情だったから中々理解できませんでしたけど。
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この回答へのお礼

大変でしたね。
お母さんも、精神的にいっぱいいっぱいだったんでしょうね。
やはり愛もお金もほどほどにある方がいいかも知れませんね。

お礼日時:2013/01/16 10:48

子供の頃はビンボーでしたけど、具体的な言葉は無かったですね。


「言葉より行動」で、「愛よりアイデア」で、貧乏の不幸は感じなかったですよ。

旅行なんて、親父が出張に無理矢理クルマで行き、それに家族が便乗して行くとか。
旅費が浮くので、旅行の回数は、結構多かったんじゃないかな?

あるいは、グローブとか自転車も、なかなか買って貰えませんでしたが、親がドコかから調達して来るモノは、なぜか「大人用」っぽいモノが多く、それらを手に入れた時には、同世代の持ち物より、一歩前って感じでした。

結局は「お下がり」なんですけど、「中学生・高校生になって、それは卒業した」なんて人から貰ってくるワケで、「丁度」「ピッタリ」を買い与えられるよりは、自然と一歩前になるんですね・・。

自分が親の立場としては、やはり子供が小さい頃は、豊かとは言えませんでした。
私が親としても、やはり「言葉より行動」で、「愛よりアイデア」だったと思います。
ゲーム機とかソフトは、ふんだんに買ってやれない分、自然は利用しましたし、それはそれで教育上も良かったのでは?と思います。

また私が嬉しかった経験上、「同世代が喜ぶ高いオモチャ」よりは、「ちょっと上の世代の安いオモチャ」を選びましたね。
極端に言いますと、周りがアンパンマンの頃には、もうウルトラマンで行っちゃうわけです。
カードとか流行モノでも、ヨーイドン!で集めだすと、金持ちには負けちゃいますが、フライングすれば、太刀打ち出来るし、親としても、オモチャの耐用年数が長くなり、助かります。

教育なのか経験なのか、DNAなのかは判りませんけど、結局は私も、親と同じ様なコトになりましたよ。

「幸福はカネでは買えない」は、半ば詭弁だと思います。
カネで買える幸福も、非常に多いのが現実ですから。

しかし、それを言葉にして、ごまかすのは・・「詭弁そのもの」でしょう。
やっぱり「行動」とか「中身」じゃないですかね?
子供の頃でもごまかされないし、大人になったら、言葉で子供をごまかす気にもなりませんでしたよ。

子供の不満は、「じゃあ代りに〇〇しよう!」じゃないと、解決しないと思いますよ。

「うちにはお金は無いけど、愛に満ちているから」なんてのは、それに対して、子供が感じるコトではないですかね?
「愛に満ちてる」かどうかは、親が評価することじゃなく、子供が評価することと言いますか・・・。
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この回答へのお礼

へえ~出張を利用するっていうのは、家族にとっては面白いですね。

もし頑張れたら、あなたは稼ぐ努力をもうひと踏ん張りしてみたら如何でしょうか。
それも愛情ですしね。

お礼日時:2013/01/16 10:47

ずっと木造アパート暮らしでしたが、そのような話はされませんでしたねw


又、そういう話は本人がしたら「なんだかなぁ」と思うとは思います、
現に私は私立の大学などを滑り止めに受けることはかないませんでしたからね・・・
これができてればどれだけ気がやすまったことか・・・

お金がなくてはだめということではないと思いますが
最低限の年収をかせいで子供が社会にでるまではある程度めんどうをみてやれるのが
親としての勤めだとはおもいます(年収400万~くらいでしょうか?)
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この回答へのお礼

そうでしたか。
そうですよね、親の勤めですよね。

お礼日時:2013/01/16 10:45

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