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江戸に駐在する大名家は、

上屋敷、中屋敷、下屋敷、さらに抱え屋敷を

持ってますがどのように使い分けていたのでしょうか?

お家(ウチ)は、一つでいいような?

別荘感覚? 別荘だったら江戸に集中しなくても

温泉場、、、でもいいような?

この上、中、下の屋敷の使い分けはどのような

感じだったのでしょうか?

A 回答 (5件)

藩主は、領内に居城を構え、多くの使用人を住まわせていました。


領内には、保養所のような庭付きの別邸とか、避暑地のような別荘を持つこともありました。
大藩ならではの贅沢でもありました。
参勤の時には江戸城近くに公邸のような住まいを持ち、幕府からの通達などは此処へ届けられました。江戸詰めの重臣の住まいも、その敷地内にありました。
その他の藩邸は、NO.4の回答通りですが、国元からの使い番なども、中・下屋敷等に宿泊しました。江戸詰の中・下級藩士も大勢居ましたから、彼らの住まいとする長屋などもありました。
上屋敷は、いわば出城のような存在ですから、警護の藩士も門長屋に住まいしました。
屋敷地は幕府から与えられますが、建築費は自前です。上屋敷だけでは、体面上も粗末な建物は建てられませんから、用途によって屋敷地を使い分けたのです。
下屋敷ともなると、大大名といえども意外と質素に作られました。
江戸・京・大坂は物資の流通拠点でもあり、諸大名は屋敷地を賜って商活動も行っていました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

江戸にも、国許にも屋敷を持って財政が大変ですねー。

それが(散財させること)徳川の狙いなのでしょうが、、、。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/21 01:18

上屋敷


     江戸城に一番近く、参勤交代で江戸に来た藩主、上級家臣、江戸詰の家臣が居住。
     又、その藩の江戸の出張所、代理店のような役割

中屋敷
     参勤交代で一時的に江戸に滞在する家臣が居住。
     大名の世継ぎ、隠居した大名が居住。
     主に住居の役割です。

下屋敷
     意味が複数あります。
     ・江戸に来た大名の「保養所」としての下屋敷。
     ・藩邸の食料確保、食糧貯蔵所としての役割の下屋敷。
     

上、中、下は江戸城に近い順。
又、どの藩も上、中、下の3つの屋敷を所有していた訳ではありません、藩の規模により1つだけだったり2つだったりします。
逆に大藩は下屋敷なんかは複数所有していました。     
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。


下屋敷は、食糧貯蔵庫、、、や、畑も耕してたのですね。

時代小説が好きでよく読んでますが、さらにまた、読むのが面白くなりそうです。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/21 01:10

こんにちは。



上・中・下、屋敷にさらに抱え屋敷と言うのは少し違うのでしょうね。
幕府から与えられた屋敷を「拝領屋敷」、
百姓や町人地を買い取って所持したのを「抱え屋敷」と言ったようです。

おっしゃるように大きな大名は上・中・下の3屋敷のほかに、
沢山の「蔵屋敷」も所持していたようです。

「上屋敷」はこれは当然、藩主と御台、その家臣が住むことになります。

「中屋敷」、これは一般には隠居した藩主の屋敷となる場合が多かったようです。
それと面白いのは、上屋敷においておけない人・・・例えば罪を犯した家臣。
そう言う人も牢を作っておしこめておいたようですよ。

「下屋敷」は、まあ江戸在府の人数となれば、
大きな大名ですと2000人を超えますからね、とても上・中の屋敷で、
間に合うものではありません。
必要に迫られてと言うことでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

屋敷の中に藩士の長屋も建ってるのですね。、

2000人と言ったら、ちょっとした団地ですね。

罪を犯した者をいれる牢屋、、、。

私の子供の頃、私が住んでる村の中に屋敷内に牢屋のある家が結構ありました。

これは、痴呆老人を閉じ込めたり、精神に異常をきたした人を入れてました。

留守を預かる国許では、グッと藩士も減るのですかね?


ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/21 01:01

江戸幕府に仕える武士は禄高、家格に応じて1箇所から数箇所の屋敷地を貸与されました。

大大名では数万坪もの広大な土地ですが、下級武士でも家1軒を貸与されたり組屋敷に入ることもあります。
複数の土地を貸与された大名は一般に最も江戸城に近い所を藩の事務所兼領主の居住地とします。いわゆる上屋敷です。
その他の屋敷地の使い方はさまざまです。藩主や藩士の保養所、病気の療養所とか、前藩主の隠居場、未亡人の居所、また蔵屋敷することもありましたが、上屋敷が火災になった場合などはその代替としての役割も考慮されていたようです。
中には広大な土地を農地にし藩士に耕作をさせたり近隣の農民に貸し出したり、また別の武士に貸して自身は親戚や本家の屋敷に同居して家賃収入を得る武士もいました。
上屋敷のサブ的色彩の強いものが中屋敷、それ以下のものが下屋敷です。

これらの土地は幕府が貸してくれたものですから屋敷年貢は不要なものの、幕府は時に返還を命じたり別の場所への移転を命じることがあります。いわゆる屋敷替えです(建物は自前なのでその補償があったかどうかはわかりません)。この屋敷替えは幕府の命令で行われただけでなく当事者同志で屋敷を移転したり交換することもありました(幕府の了解は必要だったはず)。

抱屋敷は私有地ですね。屋敷替えを命じられることはなかったでしょうが屋敷年貢は払わねばなりません。某大名家では墓地にしていた例があります。また深川の繁華な所に持っていた例もあります。恐らく接待施設として使っていたものと思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

佐伯泰英さんの「居眠り磐音」を読んでいるのですが、

頻繁にこの上屋敷、中屋敷、下屋敷、抱屋敷、、が出てくるものですから

どのような違いがあるのかと思ったしだいです。

そういえば屋敷地で狩りをする、、、というのも出てきました。

広大なんですねー。

藩士2000人と、藩士は農地を耕していた、、、というのは初めて知りました。

吉良上野介が討ち入りされた時は、数十人だった気がしてましたから。

吉良上野介の場合、藩主ではないからですかね?


国許ならわかりますが、江戸で2000人は凄いですね。

そういえば、参勤交代の列は、長々と続いてましたねー。

アルバイトで駆り出された者もいるのでしょうが、、、。


ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/21 00:45

上屋敷


 江戸城に近い地区に設けられる
 基本的に藩主とその家族の邸宅としての役割

中屋敷
 必ずしも皆が持っていたわけではない
 どちらかと言うと、サブの上屋敷の様な役割
 

下屋敷
 江戸の郊外に設けられる
 郊外なので広大な敷地が確保出来るので、江戸詰の藩士の居住や藩邸の倉庫群、別荘としての役割から趣向を凝らした庭園を設けるなど様々な機能を持つ
 温泉地では、藩主が何日も江戸を留守にする事になる。そりゃまずい
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

江戸城に近いのが上屋敷、、、。

なるほど、、。

温泉場だと藩主が留守になるので、まずい。たしかに、、、。

よくわかりました。

佐伯泰英さんの「居眠り磐音」を愛読してるのですが、

よくこの言葉が出てくるものですから、、。

上、中、下の使い分けがよく分かりました。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/21 00:25

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