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私が昔住んでいたところには、寺と寺院が合体しているところがありました。
例えば清荒神(神社)と 清澄寺[寺社)というのは同じ場所にありましたし連携していました。
中山寺も寺とは言うものの安産の祈願の神社でした。
神道と仏教はどうして合体できるのでしょうか。
またそういうところが各地方にあるのでしたら、ご存知の所を教えて下さい。
考古学的な解釈も教えていただけたら有り難いです。

A 回答 (3件)

>私が昔住んでいたところには、寺と寺院が合体しているところがありました。



質問者さまが住んでいる地域だけでなく、全国各地に神社・仏閣が合体している寺院が存在します。
これは、他にも回答がありますが「明治政府による神仏分離令」までは共存・合併していたのです。
海の神様で有名な「金毘羅さん」も、神仏分離令までは「金光院松尾寺」でしたよ。
松尾寺の坊さんが、境内の金毘羅さんに「詔」をあげていました。
分離令が発布された途端、1人の坊さんを除いて「残りの全ての坊さんが、一夜にして神職」になっています。
松尾寺の境内はもちろん、山門・本堂・方丈などが「一夜にして神式名称に変更」して「仏具・仏像を破棄」しています。
現地に行けば分かりますが、残っている建造物は「寺院建築」のままです。^^;
金毘羅さん奥の院である箸蔵寺は、今でも神仏習合です。本堂に行くには、数箇所の鳥居をくぐります。
同様に、愛媛県の石鎚神社も前神寺(四国八十八箇所霊場)の境内・建物をそのまま利用しました。
愛媛県の前神寺住職も、一夜にして坊さんを廃業・神職に変身!しました。
この時点で、前神寺は廃寺です。今は、地元有志によって復活していますがね。
奈良興福寺も、悲惨だったようです。
一夜にして全坊さんが、隣の春日大社の神職に変身!しています。
興福寺は、廃寺の憂き目にあいました。今は、ご存知の様に復活!しています。
まぁ、天皇を神道の頂点とする支配体制確立目的で多くの寺院が廃寺になっていますよ。
辛うじて残った寺院は、境内・建物を神社に明け渡して仏具・仏像などは破棄又は別途安置所を設けて保存しています。

>神道と仏教はどうして合体できるのでしょうか。

ご存知のように、日本は神道が最初ですよね。
自然環境から、八百万の神が存在します。
ここに、一部の権力者が書いた古事記物語の結果「神道」が広まります。
その後、蘇我一族によって仏教が公認されて仏教が広まります。
神道・仏教(一部の宗派を除く)は、同時に複数の宗教を信じる事を認めています。
結果、神さんと仏さんが共存共栄したのです。多くの家庭でも、仏壇と神棚がありますよね。
「神道で生まれ、キリスト教で結婚し、仏教で死ぬ」日本人が、多いのです。
ただ、習合になって「神さんと仏さんは、どちらが偉いの?」という問題が発生しますよね。
江戸時代全般では、「神さんも悩みを持つ。神さんも、悟りを開くと仏になる」との考えが優先していました。
仏教と結びついた江戸(徳川)幕府。対して、天皇を神さん(現人神)として統治したい明治政府。
仏教よりも、神道を優先します。(国家神道)
「寺院境内にある神社は、独立せよ!」が、神仏分離令です。
ところが、佐幕派と見られる事を嫌った坊さんは「神道優先」を鮮明にして「仏教排除」(廃仏希釈)を行ないました。
多くの歴史ある寺院が、灰燼に帰しています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
宗教も国家権力や天皇制の影響を強く受けているのですね。
坊さんが一夜にして神職になるとは!
先日クリスチャンの方が仏式で葬儀されたので、
何か引っかかっていましたが、もともとそういう要素があるのですね。
でも灰燼に帰さないで由緒あるものは共有の財産として扱ってほしいですよね。

お礼日時:2013/02/10 23:23

合体というか一般家庭でみられる神仏融合というのは、


仏壇もあり、神棚も祀るという具合だと思います。

お寺と神社の役割も違いますよね。
お寺は年忌供養、葬儀、祈祷(お寺による)等が中心ですが、
神社はおはらい、鎮守祭、年中行事のお祭り等が中心だと思います。

お寺と神社が合同で何か催しをすることは殆ど私は聞いたことがありません。
それを祀る一般家庭が、昔から両方を大事に拝んで先祖を供養し、諸縁吉祥を願っているのだと思います。
私の地域では、『一日(ついたち)参り』といって毎月一日に菩提寺(自分の先祖を祀る寺)と神社(町内のある神社)に御布施を供えて参る方々がおられます。

またあなたがおっしゃる様、歴史的に元々神社であった場所が今はお寺である。という様なことはあるでしょうね☆
何故なのでしょう?お寺の一角に社台(やしろ)のあるところがあったり、
その宗派と関係ない他宗派のスタイルで一部執り行うお寺もあります。
また、数百年前に宗派が変わったお寺も知っています。

廃仏毀釈や隠れキリシタンがあった様に、やはり戦争や争いごとで宗教的なことに影響があったのは間違いないような気がします。
私もそのあたりをもっと勉強したいと思います。

失礼致しました☆
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。戦争中は国家政策による神社で、
祈願し日の丸の旗を振って見送る事や全国民がどこかの神社の氏子になって、
その神社を経済的に維持するなど護国神社として保護され戦後
は元あった寺院がまた立ったとか、政治と宗教の関係も絡みますね。
また農業には収穫の豊かならんことを祈る独自の神があったり、
勉強するには興味尽きないテーマーだと最近思い始めました。

お礼日時:2013/02/10 23:48

考古学の範疇ではありません


歴史それも平安~室町

神仏混交 を調べることです
それに対応して 廃仏毀釈 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
あちこちの神社の隅に古墳をよく見かけたので、
古代からの聖地だったのかと思いまして、こちらで質問しました。
皆様のご回答でよく分かりました。

お礼日時:2013/02/10 23:08

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