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お世話になります。

まず初めに、これは人を馬鹿にするための質問ではなく、
本当に単純に疑問に思ったための質問であることと断っておきます。

インターネットを見ていると、漢字の誤読や誤字が目につきます。
よくあるのが、以外⇔意外、確率⇔確立、一応⇔一様、延々⇔永遠などです。
”以外”や確立”については、読みも同じで、変換が面倒なため、そのときの使い方が
誤用だと分かっていてもそのままにする人もいると思いますが、
一応と一様については、なぜ間違えてしまうのか分かりません。
小学生などであるならばまだ分かるのですが、私の身近な大人の人も
一応を一様と使っていたり、酷い人は”いちよ”と本気で思い込んでいた人もいました。
他にも、質問のことを”筆問”と書く人もいるようです。

”一応”や”質問”などの言葉は、当たり前ですが日常生活においても決して珍しい言葉ではなく、
否応なしに目に入る言葉だと思うのですが、なぜ間違える人がいるのでしょうか。
”一様”や”筆問”が正しいと思っている人は、逆に”一応”や”質問”という言葉を見たときに
それらがどういう意味だと思っているのでしょうか。

他にも誤読として、雰囲気をふいんき、体育をたいく、原因をげいいん、などがありますが、
雰囲気は漢字の読みのまま、”ふん”、”い”、”き”と読むだけで何も難しくないですし、
他の二例もその通りの読みですよね。
”原”は”げい”とはまず読まないですし…(そういう特殊な読み方があったらすみません)。

長々と纏まりなく書いてしまいましたが、要はなぜ少し考えれば分かることを
(または普通に日本人として日本で過ごしてきたら気付きそうなことを)
誤用したままの人が多いのでしょうか。
このような質問は、これらの事例のように誤読・誤用していた方々にしか分からないもの
だとは思いますが、お時間がある方や専門の方がいらっしゃれば意見等頂ければと思います。
宜しくお願いいたします。

A 回答 (13件中1~10件)

 こんばんは夜分に失礼します。


仰るとうりに「日本語の乱れ」の問題は相当深刻な状況にあります。僕も少なからず教育に携わる仕事に従事していますが、その中で感じるのは「読めても書けない」からか「書けないから読めない」のが判然としないケースにまま出会うとの事実です。
 国語教育には「読む力と書く力」「聴く力と話す力」の2つのグループと4つの領域があるといわれますが、何れ一つを欠いても豊かな言語生活を営むための礎とはならないでしょう。4つがあって初めて「豊かな日本語を使う」という家をその上に築くこともできると僕は考えています。
 子ども達の書く作文を読むこともあれば大学院生のレポートに苦慮することもあります。でも内心では「今日はどんな言葉の群れに出会うことができるかな」とのささやかな楽しみも感じています。
 誤字や誤変換に気付くことがなかなかない、とおっしゃることももっともなことだとも感じています。でもそれも4つの柱のバランスを少し手直しすることで、歪みのない元の状態を取り戻すこともできるとも考え、少しばかりの手伝いごとの真似をさせてもらってもいます。
 僕がまだ子どもの頃にあった家電製品といえば、電気冷蔵庫やカラーテレビ程度でした。それが今や生まれた瞬間に子どもの姿を携帯から写真を送るなどして、情報伝達を目的とするツールが身の回りに溢れかえってもいます。そしてそれらを何の苦もなく自由に使い回すことのできる世代の姿を見ていて羨望すら感じもします。
強ち「今の若い者は………」と否定的あるいは上から目線で見ることも、どうかな?とも感じます。道具としての言葉の適切な使い方を教えられたこなかった彼らに罪があるなどと、僕には思えません。むしろそうさせてしまった親達の世代の責任が問われて然るべきだと思われます。
 昨今では「漢字の筆順」を巡って、学童と親の間で論争が交わされるなどの記事も目にしますが、その親の世代も祖父母の世代からみれば「何という文字の書き方をしているのだ」と呆れられてしまうこともあるでしょう。
 ただ僕が気になっているのは親の世代が子ども達に対して「答だけ」を求めさせることの問題点に気が付いていないのではなかろうかの疑問です。テストで良い点をとることだけに眼目が置かれ、なぜそのような文字や言葉を使うのかといった、子ども達が持っている素朴ではあるが実は最も大切な部分の芽を摘んでしまっているのではなかろうかとの危惧を感じています。
 文章の流れを読み取って、「この部分にはこの漢字を使うことが適切である」との読解力があるから、誤字や誤変換の少ない文章を綴ることもできるのであって、数学での検算に相当する作業をさせないから誤字や誤変換があっても読み飛ばしてしまうことになる、と僕は理解しています。様々な作家の「文章読本」の様な素材が教科書の題材として採用されるケースも少なくなってきています。
 というわけで、「本」に接する機会の減少が背景にあるやに感じております。若輩者の取るに足らない「お目汚し」とでも笑っていただければ幸甚です。
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言葉は無限にありますので、それをすべて覚えきることが不可能だということではないでしょうか?特に文字を書くことにあまり慣れていない人が、たまに作文などをするとミスが多くなるのだと思います。



少し前に気になっていた言葉に
「舌鼓」がありますが、ニュースキャスター・レポーターの中に「したづつみ」と読む人が多かったように思います。最近ふと気がついたら、誤読を聞かなくなりました。

あるいはクイズ番組などで、漢字をあまり知らない女子アナがいることにびっくりしたことがありますが、学力の面では平均を大きく上回る人達のはずですので、他の分野での知識は豊富なのでしょう。

文筆に関わる人の文章でも、出版前には幾度も校正を重ねているはずですが、それでもチェックをくぐり抜けて、誤字が世に出てしまうことがあります。辞書の編集も誤字との戦いで、私自身も幾度か誤字を発見したことがあります。
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私自身も誤変換やタイプミスに気づかないまま文章を他人の目にさらしてしまって恥ずかしい思いをすることが時々あるので、他人様のことをどうこう言える資格はありませんが、それでも確かにあまりにひどい誤字誤用や間違い慣用句などをネット上で目にすることはままあります。



誤字誤用の直接の原因は、他のご回答にあるように「耳で聞いた音を、そのまま文字にする」には違いありません。
ただしご質問の主旨は、間違ったまま文字にして平気でいられる人がなぜこんなに多いんだろうか?と言うことですよね。

> 一応と一様については、なぜ間違えてしまうのか分かりません。
> 小学生などであるならばまだ分かるのですが、私の身近な大人の人も
> 一応を一様と使っていたり、
私も身近なところで同様の経験がありました。

本をよく読んだり他人の目にさらす文章をよく書いたりする人は、自ずとそういった間違いに気付くし誤字誤用に注意して正しい言葉を使うようになりますが、そうでない人にとっては、小学生の頃に間違って覚えていたことを訂正する機会が無いまま、あるいは訂正する必要を感じないままに今日に至ったということなのでしょう。
実際、日常会話だけなら「いちよう」「ふいんき」「たいく」「げいいん」……でお互い何ら問題なく通用しますから。

> インターネットを見ていると、漢字の誤読や誤字が目につきます。

この原因は、だれもが文章を発信できるようになったからでしょう。
ネットが発達する以前は、多数の目にとまる文章は出版物に限られており、それには大抵編集者の校正が入りますから誤字誤用はほとんど表れませんでした。
しかしネットでは各人各様の誤用がお構いなく世の中に発信されますし、増殖もしていきます。
だからこそ「間違い!間違い!」と指摘することは現在ではむしろ必要性を増していることだと言えるでしょう。
時代の流れの中で言語が変化していくことは事実ですが、間違って覚えた言葉を直そうともせずに使うことは、どの時代であってもやはり恥ずかしいことであるのもまた事実です。

ご興味がおありでしたら「誤字等の館」(近頃更新が滞っていて残念ですが)
 http://www.tt.rim.or.jp/~rudyard/
がご参考になるでしょう。
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言葉を書き世に出すことが軽くなった、インターネットによって悪い例が目に留まりやすくなった、仮名漢字変換という機械任せになった、こういうところでしょう。



誤字、誤読など昔からありました。「たいく」「げいいん」「ふいんき」など言いやすく変形してしまうことは、自分のことを考えてみてもよほど注意深く言うとき以外はやってしまうことも珍しくありません(ただしそれを正しい読み方と思っているなら国語の勉強がおろそかだったと言えます)。「てん」や「ぼう」が足りない、多すぎるといった誤字は機械の発達によりほぼなくなりましたが、漢字変換で出てくるものはどれも「正しい」ものであり、ただ文脈に合っているかどうかで選ばなくてはならないため、言語意識が低かったり(「よく分からんけど、まあいいか」)知らなかったりすると、「合わないもの」を選んでしまいます。

>よくあるのが、以外⇔意外、確率⇔確立、一応⇔一様、延々⇔永遠などです。

これらが「真似によって広まった」とは考えにくいですが、漢字変換を使えば同じことがあちこちで起こりえます。言葉は変化すると言ってもこういうものはなくすべきものです。

>決して珍しい言葉ではなく、否応なしに目に入る言葉だと思うのですが、なぜ間違える人がいるのでしょうか。
>逆に”一応”や”質問”という言葉を見たときにそれらがどういう意味だと思っているのでしょうか。

いちいち考えていないのでしょう。誰でもたやすく文章を世に出せるのがインターネットの利点ですがそれがまた欠点でもあります。

話し言葉と書き言葉は違うものです。誤りを指摘するにしても、やりすぎると人間関係に支障が出ますし、不充分な知識ではこちらが恥をかきかねません。だからと言って「以外⇔意外、確率⇔確立、一応⇔一様、延々⇔永遠」などが容認されるようになればこれはもう崩壊でただの間違いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
言語意識が低いというのはあるんでしょうね。

>>言葉は変化すると言ってもこういうものはなくすべきものです。
私もこの意見には賛成します。
言葉は変化すると言っても(昔から質問文の例のような感じで変化してしまった言葉が多くあるとしても)、
やはり個人的にこういう変化は納得出来ませんね。

お礼日時:2013/03/08 19:07

>もしお子さんがいて、例に挙げたような間違いをしていても、


>ご指摘されないのでしょうか。

しない。

しても無駄だし、周囲に通じなければ自分から気付くだろうし、周囲に通じれば「それは既に正しい言葉」になってるだろうから。

自分の子供だけ贔屓したり特別扱いはしないし、してないつもり。

あと、他の回答者さんの

>典型的な例が、『全然』。
>若者の間では、「全然、大丈夫」、「全然、平気」と、平然と使用されてます。
>しかし、「全然」は、本来は「否定や打消しの前に持って来て使用する言葉」です。
>★『全然、分からない』
>★『全然、駄目だ』
>が、本来の使用法。

について。

「全然は、否定的な表現の前に付く副詞で、肯定的な表現の前には付かない」というのは、言語学者の間では「知らぬ人が居ない」というくらいに有名な「迷信」です。

昭和20年以前の辞書では「否定的な表現にのみ使う」と言う記述は一切ありません。

明治期に書かれた文学書を読めば一目瞭然ですが「全然」は「肯定的表現にも使われていた」のです。

なのに、とあるアホウな辞書編纂者が「全然」の英語の対訳に「否定的対訳のみ」を載せて、肯定的対訳を載せなかったため「必ず否定に使う」と言う迷信が生まれ、昭和20年以降の辞書には「必ず否定的表現の前に付く」と掲載されてしまったのです。

そして、殆どの一般人は、その「迷信」を信じ切っています。

なので、今の「全然、大丈夫」「全然、平気」は、単に「明治期の使い方が復活しただけ」です。

このように「間違いだ!」などと下手に指摘すると、赤っ恥をかきます。愚か者と呼ばれても仕方が無い典型例です。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
お子さんにもご指摘されないとは非常に潔いですね。
でも私だったら、
”周囲に通じれば「それは既に正しい言葉」になってる”
と思っていたとしても、国語のテストでは間違いなくバツをもらうことになるので
指摘してしまいますね(笑)

周囲に通じれば正しい言葉、というのはそういう考え方もあるのかもしれませんが、
やはり、多くの人により正確に、より効率的に伝えることが出来る言葉がより正しい言葉だと思うんですよね。

”全然”のお話については有名な話なので私も存じていました。

>>このように「間違いだ!」などと下手に指摘すると、赤っ恥をかきます。
社会人になって、”一応”のことを”一様”などと言ったり報告書に書いてしまうほうが
赤っ恥をかいてしまいそうです。

お礼日時:2013/03/08 18:58

やはり自分で手ずから文字を書くことをあまりしなくなっている、


という傾向があるからではないでしょうか。
私もちょっとした連絡事項とか、会議のまとめとか、ほとんどワードで作ってしまいます。
それでも一応と一様。延々と永遠、確立と確率、以外と意外、等の言葉の意味の違いが歴然としていることぐらい見ただけでわかります。
間違う人はまず基本的な漢字の読解力が身についていないということでしょうか。
これは世代によって違うでしょうね。今はパソコンを使っていても、辞書を引き意味を調べたり、
すべて自筆で書く経験が長かった世代、とそうでない世代の違いはあると思います。
読書をしなくなっている世代と読書が唯一の楽しみだった世代の違いもあると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
パソコン、携帯は大きく影響してそうですね。
私も手で文字を書く機会が大きく減りました。

お礼日時:2013/03/08 18:43

税務署、ぜいむしょ、ぜいむしょう、どっちだったかな、良い年した大人にマジで聞かれたことがありました。


ちょっと本所(ほんしょう)へ行ってきます、言っているのを聞いてびっくりしたことあります。
だってほんしょう(本省)って東京でしょう(たぶん)、いとも気軽に言っていたので。
漢字の誤用?本人はマジかも、なんて初歩の口、意味の定着していない外来語が氾濫しています。
ゆとり教育とか何とかで「て、に、を、は」の奥深さどころか「て、に、を、は」なんて最近耳にすることもありませんね、若い人にはなんのことかわからないのでは・・・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
”ぜいむしょう”と言ってしまうその方は、今まで”税務署”という字をあまり
見たことがないのかな、と思ってしまいますが、やはりあまり気にしないで生活してきたんでしょうね。

確かに、てにをは は最近聞きませんね。

お礼日時:2013/03/08 18:39

>「少し考えれば分かることを」


 それを考えずに使う人がいるから。これが私の答えです。

 ただ、それにも理由があって、「なんだか通じてしまうから←同じような誤用をする人が多いから」だと考えます。
・以外⇔意外  ・確率⇔確立  については、単に覚え間違い。国語の時間にしっかり聞いていなかったのでしょう。「引率」を「引卒」と書くのも同様です。国語の漢字テストは、全員が100点ではありません(きっと)。漢字の意味を考えずに、自分が覚えたのが正しいと思って使っているのでしょう。(漢字の書き間違いだってたくさんあるはずです。)
これらの間違いは、同音異義語に多いと考えられます。日本語は同音異義語が多いですから。

「一応」は、現に「一様」という単語が存在し、同じ場面でまあ使えないこともないくらいの類似性があるからでしょう。さらに「一応」は ichiou の io の部分が yo という音と非常に似ています。
この、音の類似とか言いやすさとか言いにくさとかから、発音が変化しやすいことも原因でしょう。

しつもん→ひつもん シとヒの交替は関東地方の方言が元でしょうか。私は一度も聞いたことがありません。
げんいん→げいいん はその方が言いやすいから。 genin の1つ目の n が落ちてしまったのでしょう。
たいいく→たいく  もその方が言いやすいから。たいいく→たいーく→たいく となったのでしょう。
ふんいき→ふいんき は「んい」という音の並びが嫌われたからかな? 

言葉は通じればよい、という考え方もありますが、より正確に、より効果的に、誰にでも通じる、ということが求められると思います。そのためには、間違いは間違いと言いたいですね。国語の先生にがんばってほしいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「なんだか通じてしまうから←同じような誤用をする人が多いから」
は私も納得しました。
良いか悪いかは別として、やはりあまり気にしてない人が多いんでしょうね。

お礼日時:2013/03/08 18:37

他の回答者様も書かれているように、


★単純な変換ミス
★当人が、間違って使用している
★言葉(漢字)の意味を理解してない

大凡、三つの原因が考えられると思います。

>質問のことを”筆問”と書く人

さすがに、あまり見た事は有りませんけど・・・。
(笑)
「質」と「筆」の字が似てる。
「しつもん」と「ひつもん」の発音も似てる。
従って、勝手に「同じような意味の単語だろう」と思い込んでしまったのでしょうか?。

しかし、言葉は「生き物」である人間が使用する以上、変化して行きます。
「漢字」は変化しなくとも、その使用法は変化するでしょう。
典型的な例が、『全然』。
若者の間では、「全然、大丈夫」、「全然、平気」と、平然と使用されてます。
しかし、「全然」は、本来は「否定や打消しの前に持って来て使用する言葉」です。
★『全然、分からない』
★『全然、駄目だ』
が、本来の使用法。

しかし、新しい「広辞苑」を開くと、
★『俗な用法で、肯定的にも使う』
と、シッカリ表記されるように成りました。

「誤読・誤用」も、数多くの人が使うようになれば、言葉の世界では
「数が多くて、通じた者の勝ち」
です。
「コノような使い方も有る」と、辞書に書かれる日が来る言葉も有るかも知れません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「質」と「筆」の字が似てる。
「しつもん」と「ひつもん」の発音も似てる。
というのは分かるのですが、筆問なんて言葉は日常で滅多に見ないですし、
逆に質問なんて言葉はどこでも見るような言葉ですよね。
なのに、なぜそれでもその違和感に気付かず筆問という言葉を使ってしまうのかが気になります。
質問文にも書きましたが、その人は”筆問”という言葉を本来の”質問”という意味だと思っていた
として、では”質問”という言葉はどのような意味で捉えているのだろう、と疑問に思います。

言葉は時代とともに変化していくから間違いとは言えない、という回答がつく事は予想していました。
ただそれは私が希望していた回答はどちらかと言うと、
言葉が変化していくものだから間違いというのが間違い、というものよりも、
なぜ言葉が変化してしまうのか、ということなんです。
上手く言いたい事を言葉に出来ませんが。

漢字や読み方が間違っていても気にしない、という人が多数なのでしょうかね。

お礼日時:2013/03/07 17:53

こういう間違いの多くは「耳で聞いた音を、そのまま文字にする」のが原因だったりします。



「原因」とかも、早口で喋っていると「このようなげいいんがおおくありまして~」など、声では「げいいん」って言ってしまっているのです。

あと「ふいんき」ですが、これは「若者を中心に通じてしまう」ので「間違い」ではありません。

そもそも、言語には「間違い」ってのは存在しないのです。

言語は生きていて絶えず変化しているので「間違いから発生した言葉」であっても「全員に通じて、全員が理解できる」のであれば、もうそれは「言葉として正しい」のです。

「当たり前」は当たり前に通じますが、これは「当然」を音だけで「とうぜん」と聞き取って「当前」だと思って書いてしまい、それを「あたりまえ」と読んでしまった「間違いから出来た言葉」です。

それと、日本語には「方言」と言うのがあって「さ行」を「ひ行」で読む地域があります。

そういう地域では「質問」を発音すると「ひつもん」になりますし「新聞紙」を発音すると「ひんぶんし」になります。

普段から「質問」を「ひつもん」として耳で聞いている人間がパソコンで「ひつもん」と打ち込んでしまえば、パソコンは「筆問」と漢字変換します。

これらは「彼らにとって、何ら、間違いではない」のです。彼らにとっては「間違ってない」のです。

これを「間違いだ」と指摘する方が「間違っている」のです。

>お時間がある方や専門の方がいらっしゃれば意見等頂ければと思います。

言語と言うのは、刻一刻と変化していますから、1つの言葉をとらえて「間違い!間違い!」と指摘するのは愚かな行為です。

ちゃんと勉強している言語学者なら「言葉の間違いを指摘する人間は一人も居ない」です。

某テレビ番組で「言語学者」と称して「MAX敬語はこれが正解」とか言ってるのは「エセ言語学者」です。

もう何十年かしたら「雰囲気は昔は『ふんいき』と書いていたが、今は『ふいんき』と書く」って言う事が起きてるかも知れません。

「言語の間違いを細かく指摘するのは、言語の本質を理解してない愚か者」なので「間違い!間違い!」と指摘するのはお避けになった方が良いでしょう。愚か者だと思われますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
「耳で聞いた音を、そのまま文字にする」というのは確かにそうだと思います。
でもそれを漢字にしてみたとき(または変換できないとき)に違和感を覚えないものなんですね。

言葉が時代とともに変化していくのは承知しております。
しかし、現時点では一応を一様と書いたり、質問を筆問と書くのは間違いと言えるのではないでしょうか。

おっしゃりたいことはよく理解出来ているつもりなのですが、
「言語の間違いを細かく指摘するのは、言語の本質を理解してない愚か者」
と言われてしまうと、では国語の教育って何なのだろうと思ってしまいます。
chie65535さんに、お子さんがいらっしゃるか分かりませんが、
もしお子さんがいて、例に挙げたような間違いをしていても、
「言語と言うのは、刻一刻と変化していますから、1つの言葉をとらえて「間違い!間違い!」と指摘するのは愚かな行為」
ですし、
「言語の間違いを細かく指摘するのは、言語の本質を理解してない愚か者」なので
ご指摘されないのでしょうか。

お礼日時:2013/03/07 17:42

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