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今大河ドラマ見ているのですが、川崎庄之助が螺旋銃を作るシーンが出てきました。
会津に限らず、江戸時代末期に螺旋銃を作るにはどうやっていたのでしょうか?
この時代に旋盤機械があったのでしょうか?

A 回答 (3件)

そのTVは見ていませんが、日本の鉄砲鍛冶が銃身を作るには、長い丸棒に鉄板を巻きつけていたと聞いています。

想像ですが、それなら内溝をつけるのは比較的簡単なように思います。狭い薄板(ストリップ)を作ってらせん状に巻いていけばいいだけでしょう。推定ですからご参考まで。
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この回答へのお礼

それで銃としての強度を維持できるでしょうか?
御回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/04/02 11:41

江戸末期までは手作業で螺旋を切っていたようです。


ねじ切り工具を改良したものを使ったようですが
良品が得られたかどうか。
滑腔銃より多少ましな程度でしょう。


幕末には幕府や雄藩は欧米より、金属加工用の旋盤を
輸入していたそうです。
この項、東洋アソシェイツ(株)の「旋盤の歴史」より。
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この回答へのお礼

ねじ切り工具で手作業ですか。
御回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/04/02 11:48

 加工方法について書く前に、用語を整理しておきましょう。

鉄砲における「螺旋」とは、「銃身」の中心に作った弾が通過する穴である「銃腔」に刻み込まれた「旋条」のこと。旋条自体はグルーヴと呼ばれますが、旋条を刻み込むことをライフリングと呼び、旋条を刻み込まれた銃腔を持つ銃を一般的にライフル、あるいはライフル銃と呼んでいます。ライフル銃と散弾銃との違いは、この銃腔内に旋条があるかないかの違いです。

 さて、じつを言うと会津地方で作られていた銃の銃身がどういった工程を経ていたかは私も詳しくありません。ただ言えることは、銃身を作るには芯金が要ります。芯金の周りに鉄板を巻きつけるように鍛造して銃身を作るわけですが、寿司の海苔巻を作るように芯金の長さ全体を一度に包むように巻き付ける方法と、細い鉄板を、まるで傷口に包帯を巻くようにして螺旋状に芯金に巻き付ける方法とがあります。

 出来上がった銃身は、その中心に加工中は芯金が通っていた穴が残っていますが、これが後に銃腔になります。ただ、どちらにしてもこの段階ではそれほど精度も高くなく、全体にメロメロ状態のものにしか過ぎません。もろん銃腔も一方からのぞいて見ればヨロヨロと微妙に曲がりくねったトンネルにしか過ぎません。そのために修正が必要ですが、その前に旋条(螺旋)を刻み込むことが先決です。

 銃腔がスムースなままの状態の銃身を持つ銃を滑腔銃と呼びますが、このような銃腔では弾に回転を加えられないため、弾の飛跡が不安定になり、命中精度が得られません。そのために、この銃腔に旋条(螺旋)を刻み込むことが必要になります。旋条(螺旋)によって回転を加えられた弾は一気に飛跡がブレなくなり命中率が飛躍的に高くなります。

 銃腔に旋条を刻む。今日では長い軸を持ったダイスと呼ばれる切削工具を銃腔の一端から挿入して軸を強力な機械力で回転させながら引っ張ることで、銃腔の内径を精密に整えながら、同時に旋条が刻まれます。旋条は螺旋ではありますが、そんなにグルグルとまでは必要がなく、銃によって違いますがおよそ1回転前後です。

 こうして銃腔の内径が精密に整えられ、同時に旋条が刻まれた銃身、しかし、それはまだ悲しいほどメロメロと曲がりがみられる銃身の素材にしか過ぎません。そのために修正加工が必要です。

 ハンドル式のプレス機を使って、あるいはまだこのような工作機械が手に入らなかった時代や地方ではただ金槌と金床で叩きながら、まず銃腔の歪みを修正します。曲がりが残っている銃腔は一方からのぞいて見ますと反対側かぼんやり明るいだけですが、歪みを修正した銃腔ははっきりとした同心円の輪がきれいに見えるものです。ここまで修正作業を行うのは今日でさえ一部のエキスパートにしかできない勘ひとつの専門技です。

 ここまで来ますと、まず銃腔は精密に出来上がりました。しかし、銃腔をまず真っ直ぐにと叩きながら修正したために、その外側、銃身は見るからにヨレヨレになっているものです。そこで今度は銃身を修正しなくてはならなくなります。今日では自動旋盤によって見事な銃身が出来上がります。こうして中外ともに精密に仕上げされた銃身はサビ止めの目的と、獲物や敵方から発見されにくくする目的から黒く焼き色が付けられます。硫酸銅などの化学薬品と熱によって黒光りする銃身に仕上げられますが、このような色をガンブルーとかスチールブルーと呼んでいます。

 当時の会津でもおそらくこれに近い加工はしていたと思われます。ですが、たぶん(推測ですが)、芯金に細い鉄板を螺旋状に巻き付けて熱間鍛造をすることで銃身を作り、旋条(螺旋)は銃腔の全長までは加工していなかったのではないかと思います。銃腔の銃口に近い部分だけ旋条が刻まれていたとしても命中精度は相当高くなったはずだからです。

 ちなみに、芯金に細い鉄板を螺旋状に巻き付けて熱間鍛造をする方法は海外でも多く摂られた製作方法で、一般的にダマスカス銃身とかダマス銃身と呼ばれています。また、銃身を整形するには旋盤が欲しいところですが、当時の銃の銃身には8角形のものも多く、おそらくロクロで挽くか、あるいはヤスリを使った手仕上げだったかもしれません。

 ついでに、芯金に薄く幅の狭い鉄板を螺旋に巻いて銃身を作る方法、ご心配かと思いますから追記しますが、鉄板はご承知のようにそう強い材質ではありません。ですが、何層にもグルグル巻き付け、真っ赤に熱しながら叩く鍛造を繰り返しますと、鉄そのものも組織が密になって強度が高まりますが、さらに、燃料の木炭に含まれていた炭素が自然に鉄材に混じることで、結果的に大変強靭な「鋼」に変わって行くのです。

 残念ながら、十分な回答ではありません。なにかの折りに会津の銃を見る機会がありましたら、参考にして頂ければ幸いです。
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この回答へのお礼

実に丁寧な回答をありがとうございます。

お礼日時:2013/04/16 02:22

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