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一人でいる時も、だれかに見守られている感じがして寂しくありません。
こういう状態は、心理学(哲学、宗教)ではどう説明されるでしょうか?

見守る者は何者でしょう?それを振り払うにはどうすればいいでしょうか?

外に実際の他人がいても、実際の他人に親しみや生身らしさを感じられません。人の姿が物体として見えている気がします。実際の人間なのにリアリティがないです。

実際の他人ではなく内面の(で)他者に見守られて安心してしまいます。このために、外への感性が薄いのかもしれません。
安易に安心していてよくないような気がします。

だれかに見守られてる感じって何なのでしょうか?
哲学、宗教の方面からの回答も待ってます。

A 回答 (2件)

>外に実際の他人がいても、実際の他人に親しみや生身らしさを感じられません。

人の姿が物体として見えている気がします。実際の人間なのにリアリティがないです。

同じように感じるときがあります。
精神的疾患と分析されるのを見聞したこともありますが
変性状態を表したものにすぎず。
生活に不都合がなければ気にしなくていいと思います。

>実際の他人ではなく内面の(で)他者に見守られて安心してしまいます。

誰かの反応パターンや思考パターンを自分の内面に取り込むことはあると思います。
当然、そこから自分を見つめる視線というのも可能になります。
それらを霊の存在として説明するか、仮想的につくられた心理的反応思考機構とみるか
いろいろですが、現象としてはありうるということです。

>安易に安心していてよくないような気がします。

身近な尊敬するひとを取り込んで、叱ってもらうとかどうでしょうか。

この回答への補足

>身近な尊敬するひとを取り込んで、叱ってもらうとかどうでしょうか。

誰を取り込んでしまっているのかと気になってきました。
いい方法ですね。意図して取り込めるか試してみます。

補足日時:2013/04/13 15:39
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
見える外界にリアリティがないのは、精神疾患の可能性もあるということですね。
生活に支障はないので、私もあまり気にしないようにしています。

霊はないです。怖いのは苦手なので霊ではないと思いたいです。
霊との二択なら、仮想された他者の方だと思います。
視線や視線の主体も、私に他ならない気がします。ひとり相撲をしてる感じです。見守られるといっても、自分で自分を見る感じというか。

お礼日時:2013/04/13 15:31

私も子供のころからそういう感覚がありましたね。


思春期にはウザったく感じたものです。
歳を取ればそれはそれはありがたいものだと思うようになりますよ。
守ってくれているのだからいいじゃないですか。
多くを望まなければ誰でも守られているという感覚を味わえると思います。
私はその守護者を『人生』と呼んでいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
見守ってくれるのはありがたいです。
それは人生経験を積んでからも価値があるのですね。

出るくいになって他者から打たれても見守られていることで平気です。といえるくらいならよかったのですが、
実際の他者から影響を受けると、あっけなく安心は消えます。

内向的になったまま安心してしまって、実際の他者から安心を得ようとしないところが私の短所かもしれません。

バランスのとれた人生を送りたいです。

お礼日時:2013/04/13 15:54

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