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「見果てぬ夢を見る」とはどういう意味ですか?
叶う可能性が0パーセントの夢を追う事ですか?
叶う可能性が1パーセントでもある夢を追う事ですか?
ご存知の方、ご意見お持ちの方、何卒宜しくお願い致します!

A 回答 (8件)

 No.5です。

夜分に失礼します。
文法的な部分と少しばかり英語的な部分からお話しします。
 先ずは文法の話ですが、No.1のmarbleshit様の説明に補足する形です。「見果てぬ夢」を単語レベルで分解しますと、「見ゆ」「果つる」「ぬ」「夢」の4つの語から成り立っている複合語とみることができます。動詞の「見ゆ」と「果つる」+助動詞「ぬ」+名詞「夢」です。
 もしこの助動詞「ぬ」を打ち消しの助動詞と理解するなら、それは連体形である必要が前提となります。一方この助動詞を活用語の連用形に付く「完了」もしくは「確述」と理解することでは、全く語彙も異なってしまいます。
 論理からいけば、「ぬ」の直前にあるのは「果つる」との用言です。しかも「連用形」である。となればこの語を「打ち消し」と考えることはますますあやしいことになります。
 これに対する異論も成り立ちます。「果て」を「なれの果て」の様に体言扱いするとの考え方です。体言ならば「見ても見飽きぬほどに壮大な夢」との理解も成り立ちます。これならばスッキリともします。
 もし「果て」がどうしても動詞であるとの説明に基づくなら、「果つる」を「果てず・果てたり・果つる・果つる・果つれば・果てよ」と活用し、未然形に接続する打ち消しの助動詞「ず」もしくは「ぬ」が必要との説明になるはずです。けれどもここに「ず」を置いた場合と「ぬ」を置いた場合でも語感の違いがあります。とおり一辺倒の文法的な解釈では釈然としないことも事実です。

 さてもう一方の「英語」ではどうだろうかと考えるなら、これに類する事例があります。
“Value-able”と“Value-less”は全く正反対であるにもかかわらず、日本語訳すると共に「値段を付けることが難しい」との意味になります。普通の価値観では図り知ることも困難なほど貴重であるとの意味と何の値打ちもないほどのものでしかないとの意味で「値段をつけることが難しい」との日本語になります。日本語の字面としては同じであっても意味は正反対であることも踏まえておく必要もあるでしょう。
 ですから質問者様がこだわる「ゼロかイチか」で全てを括ろうとする発想はこうした「言葉の文脈的解釈」からすると意味のない質問とお応えする以外に僕は結論などないのではなかろうかとも考えてしまいます。むろん辞書的な意味で解決しようとするビジネスライクな方なら、その場での答だけで十分でしょう。けれどもそうした考え方を全てのケースに適用しようとされるなら、それは大火傷を負うことにもなりかねないと、一言警告させていただきます。
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何度もすみません、No.3,6です。


先の回答ではイメージにばかり頼って回答してしいましたが、関心が尽きなかったので、図書館まで脚を伸ばして実際に国語辞書を手に取って調べてみました。
中には語句自体が載っていないものもあり、読み比べることが出来たのが四冊と少ないのですが、出版日順に以下に書き出しましたので、参考にしていただければ幸いです。
先ずは、ご質問者の感覚のみで読み比べていただきたいです。


一)1986.11.6 第一冊発行
  『講談社 カラー版 日本語大辞典』
   (梅棹 忠夫・金田一 晴彦・阪倉 篤義・日野原 重義 編)より

 1.終わりまで見てしまわないで途中で覚めた夢。
    unfinished dream.

 2.十分に満足するまで果たしえないで、名残惜しいもの・こと。
    unfinished dream.


二)1992.9.20 初版発行
  『成語林 故事・ことわざ慣用句』(旺文社/尾上 兼英・監修)より

 (見終わらないうちに覚めてしまったという意から)
 まだ実現せずに心の中で思い描いている状態のこと。
 また、実現しそうもない大きな理想を描くこと。

 用例)富士山の見える土地に別荘を建てるというプランを
     ――に終わらせたくない。


三)2008.1.11
  『広辞苑 第六版』(岩波書店) より

 最後まで見終わらない夢。
 心残りなこと、また、現実不可能なことのたとえ。


四)2012.12.19 改訂 第五版
  『学研 現代国語辞典』(金田一 晴彦・金田一 秀穂 編)より

 願い続けながら、かなえられない願望、希望。

***

これらの解説を読み比べてみて、どう感じましたか。
もともと「見果てぬ夢」には、叶う可能性が0パーセントなのか、1パーセントなのかという意味は含まれていないと思うのです。
私見ですが、本来の意味は『成語林』にあるような意味だと思われます。

「見果てぬ夢」とは、為し得ることが大変難しい壮大な夢であることには間違いないと思いますが、当人の頑張りようと、その後の見通しや運に掛かっている面が大きいと思うのです。
つまりは、命かチャンスが尽きるまでは可能性は0パーセントではないと…。
夢が叶う可能性については、前後の文脈や状況から判断するよりなく、0になったり、1パーセントもあるかないかになったり、未知数になるのだと思います。

偶々かもしれませんが、上に挙げた辞書の例は、年代を重ねるごとに希望が薄くなっている印象があります…。
言葉とは、その時々の世相やタイミングを反映して、イメージが微妙に変わる繊細さを持っているものと思います。
「見果てぬ夢」とは、儚い夢のたとえでもあり、壮大な夢のたとえでもある。
だから、最後の最後まで可能性が何パーセントになるのかは、誰にも計り得ないということだと思います。

シビアですが、年を重ねるにつれ可能性が無くなって行くことは多いと言えます(足るを知るとも言えなくはないですが)。
人生の勇気と悲哀が漂う言葉ですね。
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No.3です。


「見果てぬ夢とドン・キホーテ」…先のご回答者のご解説、説得力がありますね。
私も『ラ・マンチャの男』は若い頃テレビでミュージカル(洋画)を観ましたので、ご質問を読んだとき、ドン・キホーテのことが思い浮かびました。
あともう一つは『宝島』。
しかし私が思い浮かんだのは原作ではなく、出﨑統監督と杉野昭夫作画監督のアニメ版、町田義人さんが歌ったオープニングのテーマソングと主人公ジムの姿です。
何れにしろ、冒険というイメージなんですよね。

「見果てぬ夢」とは、身に余るほど途方もなく大きなもので、途方もない魅力に溢れていて、人に話せば一笑に付されるだけで、でも捨て去ることは出来ない…そんなイメージがあります。

『ドン・キホーテ』彼は原作では死の床で正気に戻り、ついに理想の姫君ドゥルシネーアには出会えることもなく、自分が何者だったのか悟り亡くなるのだけれど…「見果てぬ夢」が彼を輝かせ、突き動かしていたことも確かで…。
旅の中、心を輝かせていたドン・キホーテには、「見果てぬ夢」の可能性は未知数で、病床の中、死に行く彼には、まるで古城の跡の、夕陽の残照のように儚く消え行くものだったことでしょう。

『ラ・マンチャの男』は言いしれぬ余韻のある話で、原作の『ドン・キホーテ』とは夢の終わり方が違います。
今、OKWaveからこのご質問を開くと、直ぐ下に関連Q&Aが載っていますが、ベストアンサーの方のご回答がとても素晴らしいです。
【ラ・マンチャの男の見果てぬ夢の原題について、】http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2389294.html

[見果(みは)てぬ夢(ゆめ)
1 最後まで見終わらない夢。2 心残りなことや実現不可能なことのたとえ。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&stype=0 … (『大辞泉』より)]

見終えることがないから叶うことを知らない。見終わらないから追い求める。
だから「見果てぬ夢」。

悪あがきして1の意味であって欲しいと思ってしまうのも、1のまま旅立ちたいと願うのも人間の欲望なのかな…と思います。
見果てぬ夢とは、僅かな可能性に賭ける人間そのものを表現した言葉なのでは。
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この回答へのお礼

こんにちは。お礼が遅れました!
度々回答有り難うございます!

>「見果てぬ夢」が彼を輝かせ、突き動かしていたことも確かで…。
という所、とても感慨深かったです!
参考になりました!

お礼日時:2013/06/19 03:23

 こんばんは、この「見果てぬ夢」とはブロードウェイミュージカルの傑作『ラ・マンチャの男』で歌われる主題曲“The Impossible Dream”を邦訳した言葉として知られています。


 何の変哲もない風車もドン・キホーテにとっては巨大な四本の手を持つ巨人に見えてしまい、そこに突撃してしまう。そして旅籠の下働きの女も彼の目には思い姫であるドルシネアに映ってしまうなど、自らの理想を難くする表現として使われます。
 端的にいえば、理想主義者にとっての至高の価値ともいえますが、それでも人はどこかしらにそうした青臭い一面を持ち続けてもいたい。だからそんなドン・キホーテの姿を強ち冷ややかに見ることも適わないと、理想と現実の狭間で苦悩する姿を表しているともいえます。
 現実的には限りなくゼロに近い可能性ではあるけれど、自分はその一縷の望みに掛けてみたい。チャレンジ精神の発露ともいえましょう。やってみなければ結果もわからない。最初から結果を想定内の出来事として片付けることも簡単ですが、そうと割り切ることにも少し抵抗がある。逡巡するから人間なのだ。ルネサンス以後、それまでのキリスト教的なステレオタイプや教科書的な人間とは異なり、自身の形を自身でデザインする主体的な人間のあり方を求めて已まない。個人的には好きなスタイルです。
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この回答へのお礼

こんにちは。お礼が遅れてしまいました!
回答有り難うございます!

前向きな解釈をお持ちの方が多く、自分の捉え方に近い方が多いと分かり、安心しました!
もちろん、否定的な意味の解釈についても詳しく知りたかったので、そういったご意見も参考になりました!

「ラ•マンチャの男」については、この「見果てぬ夢」という言葉の意味を調べるにあたり、ネット上で多々拝見しました!

英訳だとan impossible dreamとan unfinished dreamがありました。
前者だと可能性は0ととらえられますし、後者だと「終わっていない」だけで「可能性は0ではない(つまりある)」
と捉えられると思い、また混乱してしまった次第です。

その後皆さんの意見を参考に、自分の考えをまとめる事が出来たので後ほど述べたいと思いますが、
結論を申し上あげると、TANUHACHIさん同様、自分も「自身の形を自身でデザインする主体的な人間のあり方を求めて已まない。個人的には好きなスタイル」という捉え方に近いです!

お礼日時:2013/06/18 16:05

>叶う可能性が0パーセントの夢を追う事ですか


叶う、をつけるとそう言うことになりますが・・・。
月は満つれば欠ける、のたとえもあり、限界を設定しなければ、可能性のほうが次々と広がります。
100点満点をつけるより、あえて99点をつけるように・・・。
人にもよるのでは、多くはあきらめを連想させる使い方が目につくようですが。
常に前進の余地があると考えたいとも思います。
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この回答へのお礼

こんにちは。お礼が遅れました!
回答有り難うございます!
参考になりました!
自分も前向きな意味でとらえていました!

お礼日時:2013/06/18 15:39

行き着くことのできない理想を思い抱く


と言うことですから、先の方の回答どおり、可能性は0%でしょうね。

「優勝(合格)は見果てぬ夢に終わった」とか。
但し、来年努力すれば目標は達成できるかもしれないので、
見果てぬ夢に終わってしまわないよう努力すればいいのかも。
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この回答へのお礼

こんにちは。
お礼が遅れました!
回答有り難うございます!
参考になりました!
自分は「可能性が1パーセントでもある」ととらえていたので、
「可能性が0パーセント」という解釈をネット上や辞書で見て、驚いてしまいました!

お礼日時:2013/06/18 15:36

「見果てぬ夢を見る」とは、


果てしのない夢を見ると言うことになりますね。

「終わり無き夢
醒めることのない夢
一生涯追い続ける夢」
を“見続けること”を言うのだと思います。
見終わることがないから“見果てぬ夢”なのだし、
これが最後だと諦めることなどないから、“見果てぬ夢”なのでしょう。


>叶う可能性が0パーセントの夢を追う事ですか?

適う可能性が0パーセントと思ったとき、それは夢ではなくて、「現実」または「戯れごと」、もしくは「絶望」と言うのだと思います。
惹き付けて止まない情熱を持てなければ、それは夢ではありませんから、これは違うと思います。


>叶う可能性が1パーセントでもある夢を追う事ですか?

消去法で行くと、そういうことになりますね。
でも、見果てぬ夢の可能性は未知数だから、より惹かれるものがあると思いますね。
可能性は未知数であることが、見果てぬ夢にはふさわしいと思います。
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この回答へのお礼

こんにちは。
お礼が遅れました!
回答有り難うございます!
自分も「可能性が1パーセントでもある」という意味でとらえておりました!
そしてこの見果てぬという言葉の、語感や響きに惹かれていました!

お礼日時:2013/06/18 15:11

『見果てぬ』とは『見ても見ても果てが無い、果てしない』


という意味です。
『果つる』という動詞の否定形に『見る』が合体したものです。

従って『見果てぬ夢』とは『見てもきりが無い、縁もゆかりも無い、
途方も無い夢』ということになり、
【叶う可能性が0パーセントの夢を追う事】
が正解となります。
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この回答へのお礼

こんにちは。お礼が遅れました!
回答有り難うございます!
参考になりました!

お礼日時:2013/06/18 15:07

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